ホーム > Agoraトピックス > イベント一覧 > 「寒河江さくらんぼ大学」の移動歴史講座で現地講師をつとめました。

イベント

「寒河江さくらんぼ大学」の移動歴史講座で現地講師をつとめました。

2015年10月15日

 人文学部の岩田浩太郎教授(日本経済史・日本近世史)は、「寒河江さくらんぼ大学」の移動講座で現地講師を務めました。「寒河江さくらんぼ大学」とは寒河江市・寒河江市教育委員会主催による一連の市民講座をさす名称で、そのなかの南部キャンパス(南部地区公民館企画)で開設された「もっと学ぶ歴史学部」において10月10日(土)に移動歴史講座「紅花と最上川舟運」が開かれました。
 この移動講座(定員30名)は、応募した寒河江市民がマイクロバスでテーマに関わる旧家や史跡、歴史文化施設を巡るもので、この日は中山町の豪農柏倉九左衛門家、左沢町場及び最上川河岸跡、大江町立歴史民俗資料館、河北町の豪農安倍権内家と紅花資料館(堀米四郎兵衛家)、を見学する盛り沢山な内容でした。
 岩田教授は南部地区公民館から依頼され、中山町の柏倉家で現地講師を務め、「柏倉九左衛門家と紅花」という講演をしました。資料にもとづき、柏倉家の大まかな歴史について紹介した後、九左衛門家の紅花づくりの特徴について説明しました。連作障害がきつい紅花の栽培にあたって花の質を確保するために換地法(1年おきに畑をかえる)を長年継続して実践し、かつ当時の村山地方では最多量の生花(摘んだ花弁)を生産するなど、同家は質量ともに同地方を代表する紅花生産農家であったことをあきらかにしました。また、柏倉家は越中高岡や加賀金沢へ紅餅(干花)を出荷することもあり、それらは越中の麻や木綿の織物あるいは金沢の加賀友禅を赤く染める染料として使用されたと思われること、などを解説しました。そして、柏倉家から北陸地方へ紅餅を出荷するに際しては、まず柏倉家がある岡地区(中山町)から大石田河岸(大石田町)まで運び、大石田河岸から酒田湊(酒田市)まで最上川を舟で下し、日本海を北前船で高岡(富山県)近くの湊(伏木)まで運んだことを古文書を解読しながら指摘しました。村山地方で生産される最上紅花は上方(京都や大坂)へ出荷することが当時は一般的でしたが、柏倉家の場合は一方で最上青苧(麻糸の原料)を出荷することでネットワークを形成していた北陸地方から求められて紅花も出荷するケースがあったことがわかる事例であり、当時の中央(上方や江戸)を介さない地方と地方の間の独自な物流を示すものとして興味深いことを指摘しました。
 講演は柏倉家の座敷でおこなわれ、参加者からは活発に質問が出ました。
 柏倉家では、同家がかつて活発に紅花づくりをおこなっていたことを古文書研究から知り、137年ぶりとなる2013年から同家の紅花栽培を復活させました。今年の7月には同家の長屋門前の紅花畑で「紅花まつり」(中山紅花保存会主催・柏倉家共催)をおこない、紅花摘み体験や写生会、写真コンテストを実施したり紅花羊羹や紅花ジュースを提供したりしました。
 講演がおこなわれた座敷ではコンテストの写真なども展示され、移動講座の参加者に地域の歴史文化を活かした地域活性化事業について考えてもらう機会としました。

柏倉家座敷での講演

復活した紅花畑と柏倉家
(2015年7月)

ページトップへ

ページトップへ

サイトマップを閉じる ▲