甦る『ゴンドラの唄』
── 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容──


『ゴンドラの唄』と『その前夜』について
私がこれまで研究してきたことを
一冊の本にまとめました。

◆表紙とデータ
◆内容紹介  
◆書評等
◆本の目次  
◆序文から  
◆取り上げた作品たち 
◆ワークショップ :『ゴンドラの唄』の比較文学

Last Updated Feb. 11, 2016

◆表紙とデータ
甦る『ゴンドラの唄
── 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容
 
相沢 直樹(著)
新曜社
2012年11月
3,200円(税別)
ISBN: 978-4-7885-1311-2

新曜社
amazon.co.jp

◆内容紹介

『ゴンドラの唄』というタイトルは知らなくても,「いのち短し,恋せよおとめ」という文句なら聞いたことがあるという人は少なくないでしょう。

『ゴンドラの唄』はロシアの文豪ツルゲーネフの小説『その前夜』をもとにした大正時代の新劇の劇中歌として生まれ,その詩は森鷗外訳の『即興詩人』のなかの俚謡をもとにしたとされますが,その誕生や出自に関しては,実は一筋縄では行かない複雑な背景があります。

本書で私は『ゴンドラの唄』をめぐって複雑に絡み合った幾筋もの糸を丹念に解きほぐし,歌の背後にある《カルペ・ディエム》(いまを生きよ)の詩想の系譜を浮き彫りにすることを試みました。

また,黒澤明の映画『生きる』の主題歌として用いられることによって,「恋せよおとめ」が精神的な価値の追求という意味に変容したことを明らかにするとともに,現代文化のなかで(それも意外にもサブカルチャーにおいて)聞こえる『ゴンドラの唄』のこだまに耳をすまし,この歌の受容の歴史を生き生きと描き出そうと努めました。

本書で私が目ざしたことは,次の三つを柱にしています。
 『ゴンドラの唄』にまつわるエピソードを掘り起こし,知られざるドラマに光を当てること。
 『ゴンドラの唄』の詩句に寄り添い,隠された物語を明らかにすること。
 現代文化のなかに『ゴンドラの唄』のこだまを聞き取り,その秘められた可能性を探ること。

具体的には,もともと私のなかにあった(そして読者も共有しているに違いない)以下のような疑問に答えようとするものです:

・『ゴンドラの唄』は歌い手によって歌詞がさまざまであるが,元はどのような詩だったのか?
・なぜロシア文学の小説/舞台化にヴェネツィアのゴンドラが出て来るのか?
・芸術座の『その前夜』劇はどのような芝居だったのか?
・ツルゲーネフの原作には『ゴンドラの唄』に相当する歌が出て来ないばかりか,ゴンドラ船頭は今では歌を歌わないというただし書きが付いている。それなのに,どうして芸術座の『その前夜』劇には『ゴンドラの唄』が挿入されることになったのか?
・『ゴンドラの唄』の詩の源泉(ソース)と考えられる詩句にはどのようなものがあるか?(これまで取り沙汰されてきたロレンツォ・デ・メディチの『バッカスの歌』をはじめ,古今東西の15余りの詩や歌などを俎上に載せて,ソースとしての可能性を検討する)
・映画『生きる』のなかで『ゴンドラの唄』はどのように使われているか? また,『生きる』によってこの歌の詩句の意味がどのように変化したか?
・作詞者の吉井勇や作曲した中山晋平は,『ゴンドラの唄』に対してどのような思いを抱いていたか?
・ドラマ,アニメ,コミック,ラノベ,Jポップなど,現代文化に現われる『ゴンドラの唄』のこだまにはどのような特徴があるか?
・「いのち短し,恋せよ少女/乙女」の文句が少しずつ形を変えながら,若者文化やサブカルチャーのなかに繰り返し現れるのはなぜか?

『ゴンドラの唄』をめぐる謎解きをお楽しみいただければ幸いです。(相沢直樹)


◆書評等

・齋藤陽一氏(新潟大学教授)
 <SLAVISTIKA(東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報) XXXII(2016)
 スラヴ語スラヴ文学研究室の年報に,どうして『ゴンドラの唄』について書かれた本の書評が載るのか,訝しむ方もおられよう。が,実は,黒澤明監督の映画『生きる』の中で志村喬演じる主人公が歌ったこの唄は,ツルゲーネフの『その前夜』が舞台化されたときの,劇中歌だったのだ。そして,黒澤明監督自身も,この事実に気づいていなかったらしいと著者は書く。私自身も,この事実を,以前相沢氏が書いたもので知ったのかもしれない。何しろ,氏が参考文献であげておられる,明治維新から第二次世界大戦終戦直後までの日本の演劇の通史を書かれた大笹吉雄氏の著書にも,この公演については「『復活』 にならった劇中歌も――〽いのち短し恋せよ乙女・・・・・・」吉井勇作詞中山晋平作曲『ゴはやら ンドラの唄』――,『カチューシャの唄』ほど流行なかった」などとあるだけで,主演した松井須磨子が誰を演じたのかすら書かれていない。当時,二葉亭の翻訳の影響でツルゲーネフが読まれていたことは書かれている。が,ロシアものでは『復活』,『闇の力』,『アンナ・カレニナ〔ママ〕』などについては,須磨子が演じた役についても記述されているのに,『その前夜』はこの扱いである。そこで,相沢氏は,第I部の「『ゴンドラの唄』の誕生」において,芸術座による『その前夜』公演について検討を進める。
〈…中略…〉
 「『ゴンドラの唄』の詩学」と題された第II部では,まず,第5章「歌詠みの芸当」において,この作品の歌詞の元ネタは森鷗外が訳した『即興詩人』であることを,吉井自身の言葉を参照しつつ確定させている。だが,この事実によって,吉井の功績が貶められるということはない。相沢氏は,「詩学」とあるように,この歌詞の母音の配置の仕方や,脚韻とも呼ぶことのできる現象に触れ,吉井の技巧を存分に描きだしている。また,音律については都々逸調であるとまとめ,これは昭和時代の日本でもはやっており,この歌詞を例えばアニメ『巨人の星』の主題歌のメロディーでも歌えるとしているところでは,顔がほころんでしまった。また,この章の標題に出てくる「芸当」という言葉が,実は,鷗外と吉井の確執をも語っていることには,思わず,膝を打った。
〈…中略…〉
 第IV部は,「『ゴンドラの唄』と現代文化」と題して,投書に載ったこの唄のイメージやアニメやドラマ,Jポップなどに現れたこの唄について紹介しているが,その中で,「いのち短し」の部分が消えて,「恋せよ乙女」だけになっていく傾向があると指摘されているのが興味深かった。 以上述べたように,古典から音楽,さらにはサブカルチャーまで,守備範囲の広い研究で瞠目させられた。昨今の大学教育の例に漏れず,自分の勤務する大学でも,ロシア文学のみならず,幅広くサブカルチャーが教育の題材となっているため,学生の卒論執筆に付き合い,相沢氏が例としてあげておられる(288頁以下)上遠野浩平の『ブギーポップは笑わない』を読んだことがある。しかしながら,登場人物がゴンドラの唄をつぶやきながら校庭をぶらつくシーンがあったことは,全然記憶していなかった。やはり,相沢氏が「あとがき」に書いておられる(317頁)ように,「ゴンドラ・ハンター」にならなければ,こういうことは記憶に残らないのだろう。だから,この著書の題名は,直接的には黒澤の映画で『その前夜』の劇中歌が「甦った」ことをさすと思われるのだが,相沢氏自身もまた,甦りに立ち会う霊媒師のような存在なのである。そして,人文科学の使命にはこういう要素もあるのではないかと,改めて力づけられた書物であった。

→ 書評の全文はUTokyo Repository - 東京大学学術機関リポジトリ にあります


・堀江新二氏(大阪大学名誉教授) 
 <『ロシア語ロシア文学研究』46(日本ロシア文学会),2014年10月 <書評欄>
 しかし,この本は,ロシア文学という個別の分野の射程をはるかに超えて,明治大正の時代から現代へと,またロシアから,日本,中国,ペルシャまでの時空を超え,はたまた欧米文学や唐詩選から,映画,さらには現代のヒップホップやらライトノベルとかのジャンルを超え,縦横斜めと自由に横断しては,「ゴンドラの唄」の本質に迫る画期的な労作で,どの分野の学会でも書評の対象になって然るべきと,文学が専門ではない筆者も安心して,楽しく読んでしまった。それに,この広く深い内容を著者は,門外漢にも親しみやすくという配慮なのか,「です・ます」調で書いてくれているので,余計に読みやすかったことも付け加えておこう。
〈…中略…〉
 「ところで」,本書の醍醐味は,もちろんテーマに即した本文の内容の深さにあるのだが,実は,要所要所に出てくる「ところで」,「ちなみに」,「これに関連して」,「本題に戻りましょう」(つまり,それまでのは本題ではなかった)などなどの,いわゆる「脱線」というか「閑話休題」的部分というか,そこが実に読んでいて面白いので,その部分に関しては折に触れて述べたいと思う。
〈…中略…〉
 著者は,この「カルペ・ディエム」をさらに発展させ,『椿姫』の中の「乾杯の歌」から帝政ローマの詩の中の「バラを摘め」の一節(ラテン語では「カルペ」は「摘む」という意味だそうだ),さらには,ペルシャの詩人の詩『ルバイヤート』(「この一瞬を楽しもう」や「摘むべき花は摘むがいい」といったフレーズが出てくる),そしてついには唐詩仙の李白『春夜桃李の園に宴するの序』まで,「ゴンドラの唄」の「詩想」の広がりを描いて見せる。けだし本書は文学研究者の書にして,侮るなかれ,である。
〈…中略…〉
 しかし,最初にも述べたが,これは文学研究の書という枠をはるかに超えたものであることは,映画や現代のサブカルチャーにいたる「ゴンドラの唄」の系譜を追った本書の後半部分を読んでもらえば分かる。

→ 書評の全文(PDF)はこちら(PDF)


・榎戸誠氏(イーピーエス株式会社顧問,書評家)
 <榎戸誠の情熱的読書のすすめ 【山椒読書論(162)】 2013/3/19
    「命短し、恋せよ乙女」の源流を尋ねて

 長いこと、頭の中でもやもやしていたことが、『甦る「ゴンドラの唄」――「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容』(相沢直樹著、新曜社)のおかげで、すっきりした。
 というのは、私の好きな「命短し、恋せよ乙女 赤き唇 あせぬまに 熱き血潮の 冷えぬまに 明日の月日は ないものを」という「ゴンドラの唄」の源流はハンス・クリスチャン・アンデルセンの『即興詩人』らしいという情報に接し、これまた大好きで、何度も読み返している『即興詩人』にその該当部分を発見できない自分に苛立っていたからである。
 著者の粘り強い探索によって、「もともとイタリアのヴェネツィアで歌われていたという里謡(小歌)をデンマーク人のアンデルセンが半自伝的作品(『即興詩人』)に取り込み、そのドイツ語訳を(森)鴎外がやや恣意的に日本語に訳したものをもとに焼き直して作られた詩が、ロシアの小説(イワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフの『その前夜』)を日本で舞台化(島村抱月率いる芸術座が1915年に松井須磨子主演により帝劇で上演)する際の劇中歌(吉井勇作詞・中山晋平作曲)に用いられた」と、明らかにされている。ツルゲーネフの原作には、この歌は存在しなかったのである。
 <…中略…>
 さらに、この本は、興味深い3点に目を向けさせてくれた。
 第1点は、吉井とその文学の師・鴎外との、どこか緊張感を孕んだ微妙な師弟関係である。
 第2点は、吉井の「ゴンドラの唄」は与謝野晶子の『みだれ髪』の影響を受けているのではという指摘である。著者は、「その子二十(はたち)櫛に流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」の「黒髪」、「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の「あつき血汐」、「春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳(ち)を手にさぐらせね」の「春みじかし」「命」との相似性を挙げている。私も「ゴンドラの唄」と『みだれ髪』の親近性が気になっていたので、この点でもすっきりすることができた。
 第3点は、黒澤明監督の映画「生きる」が、「ゴンドラの唄」を復活させただけけでなく、この歌の性格を一変させたという説である。粉雪の舞う深夜の小公園で主人公が独りブランコを揺すりながら「ゴンドラの唄」を歌うシーンが印象深いが、「映画『生きる』では死期の迫った初老の男に、特にどの娘に向けてというでもなく、人びとみなに、あるいは自分に言い聞かせるように歌わせているのです。『生きる』で渡辺勘治(主人公)がしみじみと歌って見せたことで、『ゴンドラの唄』は単に若い女の恋の歌にとどまらず、性別・年齢を問わないすべての人に開かれた歌となった」というのである。

榎戸誠の情熱的読書のすすめ 【山椒読書論(162)】


・佐藤伸宏氏(東北大学大学院教授)
 <「山形新聞」2013年3月3日 “読書”
    複雑に絡まり合う文化

 時代を超えて歌い継がれ、多くの人々の心に刻み込まれている歌がある。「いのち短し、恋せよ、少女(をとめ)」と始まる「ゴンドラの唄」もその一つと言ってよいだろう。この「ゴンドラの唄」について縦横に語り尽くした極めて興味深い一書が上梓された。<⋯中略⋯>本書の魅力と面白さは、何よりも多様な角度から「ゴンドラの唄」を自在に照らし出し、その背後に潜むさまざまな問題を誠に生き生きと浮かび上がらせたところにある。
 <⋯中略⋯>
 例えば歌人吉井勇が作詞したこの歌の成立に関して森鷗外訳アンデルセン「即興詩人」との関連が従来も指摘されてきたが、筆者はその問題を周到に掘り下げる。そしてベネチアの里謡をアンデルセンが自らの作品に取り入れ、そのドイツ語訳に基づく鷗外の翻訳に吉井が独自の改変を加えることによって「ゴンドラの唄」が成立するに至るという、受容の経路を鮮やかに跡付けている。加えて「即興詩人」とこの歌を結ぶ関係の背景に、ヨーロッパの伝統的な主題「カルペ・ディエム(今を楽しめ)」が豊かに広がっているという指摘も興味が尽きない。
 また中山晋平による作曲のヨナ抜き(日本固有の音階)、8分の6拍子という特徴的な性格への言及、原作にはなかったこの劇中歌が楠山正雄の脚本において挿入されることになった経緯の考察など、見事というほかない。さらに「ゴンドラの唄」の復活の契機となった黒沢明監督の映画「生きる」の精細な分析も秀逸である。
 本書は、「ゴンドラの唄」と題された一つの歌の背後に、さまざまな国や地域の文化が複雑に絡み合いつつ深々と宿されていることを、達意の文章をとおして平明明快に、そして存分に語り出している。

・佐藤剛氏(作家,音楽プロデューサー)
 <「沖縄タイムス」2013年1月26日,「河北新報」2月3日,「信濃毎日新聞」3月3日(そのほか山陰中央新聞,徳島新聞,神戸新聞,北国新聞,富山新聞などにも掲載の模様)
    大衆文化 継承による創造

 本書では、史実を丹念に調べながら「いのち短し、恋せよ、少女(をとめ)」の歌詞で知られる「ゴンドラの唄」の誕生の経緯がひもとかれる。そして発表から30年以上の歳月を経て、黒沢明の映画「生きる」に使われたことによって、忘れられていた歌が復活して生き返った事実を検証する。さらには歌が映画に採用されるに至った経緯を掘り下げ、映画史に残る名作誕生の秘密にまで迫っていく。
 映画「生きる」のおかげで永遠の歌,すなわちスタンダードナンバーとしての命を与えられた「ゴンドラの唄」が、誕生からもうすぐ100年を迎える現在もなお、若者向けのコミックや小説,テレビドラマなど、さまざまな形で継承されている状況にも触れている。
 「ゴンドラの唄」が生まれた背景から今日までを丁寧に論じることで、継承による創造という、大衆文化の持つ未来への可能性を見いだす点には、特に共感を抱いた。

・川本三郎氏(評論家)
 <「週刊ポスト」2013年2月1日号 “POST Book Review”
    黒澤映画で復活した歌を原点から追い続けた熱意

 近代日本に登場したひとつの歌のことだけで一冊の本を書く。その着想、ひとつの歌を追い続けた熱意に感嘆する。
『ゴンドラの唄』。〽いのち短し、恋せよ、少女(をとめ)⋯⋯は今も広く歌われている。いわば懐メロ。
 この歌は、大正四年(1915)に島村抱月率いる芸術座が、帝劇で『その前夜』を公演した際、主役の松井須磨子が劇中歌として歌って人気になった。
 原作はロシアのツルゲーネフ。トルコの圧政と戦うブルガリア人の青年が肺病のためヴェネチアで客死する。この水の都で、ロシア人の恋人を演じる松井須磨子が歌ったのが『ゴンドラの唄』。
 無論、原作にはない。芸術座の前年の公演、トルストイ原作『復活』の劇中歌『カチューシャの唄』を松井須磨子が歌って大ヒットしたので、それに倣った。
 作曲は同じ中山晋平。作詞は歌人の吉井勇。歌詞には、森鷗外訳のアンデルセン『即興詩人』や、与謝野晶子の『みだれ髪』の影響が見られるという。
 「恋せよ」とあるように恋愛讃歌。同時に、人間の命には限りがあるのだから生きているいまを大事にせよという生の讃歌にもなっている。この指摘が面白い。古くからヨーロッパ文化に流れる「カルペ・ディエム」(いまを楽しめ)の考え方と通い合うという。
 当初、この歌を中山晋平は失敗作と思っていたし、吉井勇もさほど思い入れを持っていなかったというのは意外。
 ところが一本の映画のなかで印象的に使われたために、二人とも自分たちの作った歌を改めて見直すことになった。 
 言うまでもなく黒澤明監督の『生きる』(52年)。志村喬演じる、癌で余命いくばくもない男が公園でブランコに揺れながら〽いのち短し⋯⋯と歌い、多くの観客に感動を与えた。『生きる』によって『ゴンドラの唄』が復活した。しかも恋愛の歌から、生のはかなさ、いとおしさの歌になった。
 ひとつの歌に文学から映画までさまざまな要素から語る力作。

・「日本経済新聞」2013年1月6日 “あとがきのあと”
    「恋せよ、少女」の変遷

 「その前夜」はモスクワの貴族令嬢とブルガリア男性との恋物語だ。芸術座の舞台では、2人が訪れたイタリアのベネチアでの場面で、ゴンドラの船頭が「ゴンドラの唄」を歌う。
 ここで研究者ならではの疑問が浮かんだ。原作の小説では文中に「船頭は歌わない」というカッコ書きの注釈がある。舞台ではなぜ船頭が歌う設定になったのか。「小説の翻訳者が注釈を訳し忘れた可能性が高い」とみる。
 「ゴンドラの唄」はその後、映画「生きる」で脚光を浴びる。ただし、歌の性格は大きく変わった。「その前夜」では若い女性を誘う恋の歌だったのに対し、「生きる」では命をかけて価値あるものを求めるという意味を与えられている。
「『恋せよ』の『恋』が一種の比喩としてとらえられ、広く『情熱を傾けるもの』を指すようになった」。
 普遍的な主題を獲得して「ゴンドラの唄」は現代に歌い継がれた。近年は「メロディーと切り離して詞だけが使われる例が目立つ。キャッチフレーズとして優れているからだろう」。今後も変遷を見守るつもりだ。

・岡崎武志氏(ライター,書評家)
 <「サンデー毎日」2012年12月30日号 “今週のイチオシ”
 黒澤明「生きる」で、志村喬がブランコに乗り、切々と歌う「ゴンドラの唄」。「いのち短し、恋せよ、少女」は、いまや若者向けのコミックや、ポップス、小説にも登場する。相沢直樹『甦る「ゴンドラの唄」』は、この唄の誕生から現在までの受容の歴史を追う。大正4(1915)年、帝劇公演の舞台で生まれたこの唄と鷗外の『即興詩人』の関係。映画「生きる」と黒澤明をめぐる数奇な縁など、唄の背景にある謎をみごとに解いていく。

サンデーらいぶらりぃ:岡崎武志・評 - 毎日jp(毎日新聞)



◆目次

 序 『ゴンドラの唄』とは 

第Ⅰ部 『ゴンドラの唄』の誕生
  第1章 芸術座と『その前夜』劇
   1 芸術座の旗揚げ
   2 第五回公演 
   3 『その前夜』劇登場の背景 
   4 楠山正雄の脚本 
   5 『その前夜』劇の舞台 

  第2章 抱月の思惑、須磨子の舞台
   1 劇評 
   2 名倉生の酷評 
   3 小山内薫の注文 
   4 抱月の妥協芸術論と劇中歌戦略
   5 浅草オペラと女優髷 

  第3章 失われた明日のドラマ
   1 頽唐詩人の憧憬と憂鬱 
   2 中村吉蔵の総括
   3 失われた明日 

  第4章 劇中歌から流行歌へ
   1 中山晋平と『ゴンドラの唄』 
   2 六拍子のむずかしさ 
   3 ヨナ抜き音階と流行歌 
   4 三大劇中歌の命運 

第Ⅱ部 『ゴンドラの唄』の詩学
  第5章 歌詠みの芸当
   1 『即興詩人』の影の下に 
   2 『ゴンドラの唄』のレトリック 
   3 詩人の屈折 

  第6章 スキアヴォーニに死す
   1 ツルゲーネフと長篇小説『その前夜』 
   2 小説『その前夜』の作品世界 
   3 『その前夜』における音楽 
   4 水都の魔力 

  第7章 歌をなくしたゴンドラ漕ぎ
   1 原作と脚本の齟齬 
   2 楠山脚本と劇中歌 
   3 アルブーゾフ脚本との比較 
   4 『ゴンドラの唄』挿入の謎 
   5 原作と翻訳・脚本の功罪 

  第8章 主題と変奏
   1 『ゴンドラの唄』の詩想 
   2 ホラティウスと《カルペ・ディエム》 
   3 『バッカスの歌』 
   4 「薔薇を摘め」(1) 
   5 「薔薇を摘め」(2) 
   6 「人生の短さ」をめぐるラテン語詩句 
   7 『乾杯の歌』 
   8 「ゴンドラに乗りなさい」 
   9 『ルバイヤート』 
   10 『春夜桃李の園に宴するの序』 
   11 黒髪の少女 

第Ⅲ部 映画『生きる』
  第9章 『ゴンドラの唄』の復活
   1 映画『生きる』と『ゴンドラの唄』 
   2 限界状況の物語 
   3 主題歌としての『ゴンドラの唄』 
   4 嘆きの歌から人生讃歌へ 

  第10章 死と再生のバルカローラ
   1 三種の神器と開かれた物語 
   2 リメイクとドラマ化 

  第11章 数奇な縁
   1 黒澤組と『ゴンドラの唄』 
   2 ロシア文学との因縁 
   3 うたのわかれ 

第Ⅳ部 『ゴンドラの唄』と現代文化
  第12章 『ゴンドラの唄』を歌う人びと
   1 残照 
   2 孤独な闘い 
   3 愛唱されて 
   4 『ゴンドラの唄』の合唱 
   5 ステージ・パフォーマンス 
   6 二〇世紀のメロディー 

  第13章 『ゴンドラの唄』のこだま
   1 平成文化と『ゴンドラの唄』 
   2 伝統とパロディー──大正浪漫と『ゴンドラの唄』 
   3 ブランコの呪縛 
   4 『ブギーポップは笑わない』 
   5 乱舞する「恋せよ乙女」 

 注 
 あとがき 
 略年譜 
 引用・参考文献 
 索引 
      装幀──難波園子


◆本書の序文から

 『ゴンドラの唄』とは


 本書が取り上げるのは、一般に大正時代の流行唄として知られる『ゴンドラの唄』(吉井勇詞、中山晋平曲)です。歌の冒頭に置かれた「いのち短し、恋せよ、少女」(今日ではしばしば「命短し、恋せよ乙女」などと表記されています)という一節は人口に膾炙しているように思われますが、この歌がもともと新劇の舞台から生まれたことをご存じの方は、少ないのではないでしょうか。

 『ゴンドラの唄』は、島村抱月率いる芸術座がロシアの文豪ツルゲーネフの小説『その前夜』を舞台化し、一九一五(大正四)年の帝劇公演において松井須磨子の主演で上演した際の劇中歌のひとつです。五幕構成の劇の大半はロシアのモスクワが舞台ですが、終幕で主人公たちがアドリア海を渡るべく訪れたイタリアのヴェネツィアで、須磨子演じる女主人公によって『ゴンドラの唄』が歌われるという趣向になっているのです。

 実はこの詩のテクストには完全な定本と言えるようなものがありません。現在まで伝えられている『ゴンドラの唄』のテクストには表記や句読法などに関する微妙な異同もふくめ、さまざまな混乱や誤りが見られます。そこで、ここではまず初めに、『その前夜』劇上演直後に出版された脚本(新潮社)と『ゴンドラの唄』の楽譜(セノオ音楽出版社)から原詩を復元してみます。

  いのち短し、戀せよ、少女、
  朱き唇、褪せぬ間に、
  熱き血液の冷えぬ間に、
  明日の月日のないものを。

  いのち短し、戀せよ、少女、
  いざ手を取りて彼の舟に、
  いざ燃ゆる頬を君が頬に、
  ここには誰も來ぬものを。

  いのち短し、戀せよ、少女、
  波にたゞよひ波の樣に、
  君が柔手を我が肩に、
  ここには人目ないものを。

  いのち短し、戀せよ、少女、
  黒髪の色褪せぬ間に、
  心のほのほ消えぬ間に、
  今日はふたゝび來ぬものを。

 多くの方が無意識のうちに想定されている歌詞(現在巷に流布している歌詞)とは、表記などで細かい違いがあるのにお気づきだと思います。句読点のことは置くとしても、すぐ目につくのは原詩の「少女」が今ではたいてい「乙女」に、「朱き」が「赤き」または「紅き」に、「血液」が「血潮」とされているなど、主として漢字表記の違いでしょう。

 一方、表記の問題で済まないのは、原詩の第一連で「明日の月日のないものを」となっていたところが、現在では「明日という日のないものを」に変わっている例が見受けられることで、出回っている録音のなかにもそのように歌っているものがいくつかあります。

 文語調や旧仮名遣いに慣れていない人もいると思うので、蛇足かも知れませんが、念のため現代語に訳して見ましょう。

  いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
  あなたの赤く艶々とした唇が 色褪せてしまわないうちに
  あなたの肌の下を熱く流れる血潮が 冷え切ってしまわないうちに
  明日の月日など あてにならないのですから

  いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
  さあ、手に手をとって あちらの小舟に乗り込みましょう
  さあ、私の燃える頬を あなたの頬に触れさせてください
  ここにはだれも 来やしませんから

  いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
  波の間に間にゆらゆらと 波のように揺れながら
  あなたの柔らかな手を 私の肩にかけてください
  ここには 人目はありませんから

  いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
  あなたの黒々とした髪が 色褪せてしまわないうちに
  燃えたぎる心の炎が 消えてしまわないうちに
  今日という日は 二度とやって来ないのですから

 こうして改めて現代語にしてみると、驚かれた向きもあるかも知れません。歌の文句は要するに口説き歌で、昔風に相聞歌などといえばまだ聞こえがよいですが、今風にいえばナンパ歌、男が若い娘を恋に誘う歌です(特に二番、三番の歌詞)。けっしてPTAの推薦を受けられそうな内容ではありません。
 最近ではこの歌が「叙情歌(抒情歌)」という範疇で扱われることもありますが、きれいなソプラノの声で清く正しく美しくという感じで歌い上げられるのを聴いていると、なんだかこちらの方が気恥ずかしくなってしまいます。

 私は音楽の専門家でも、大正文学の研究者でもありません。ツルゲーネフの『その前夜』研究の一環として、この作品の日本における受容の歴史を調べているうちに、芸術座による舞台化と『ゴンドラの唄』に深い関心を抱くに至りました。

 これまで『ゴンドラの唄』については、もっぱら作曲家中山晋平の伝記であるとか黒澤明の映画について論じたもののなかで扱われてきましたが、調べていくにつれ、この歌に関して解明されていないことがまだまだたくさんあることに気づきました。
 たとえば、『ゴンドラの唄』の詩ひとつとってみても、森鷗外の翻訳した『即興詩人』との関係が幾度も取り沙汰されてきたわりには、事実関係が曖昧なままにされている観があります。また、ツルゲーネフの原作には『ゴンドラの唄』に相当するものは出てこないのですが、それではどうしてそれが芝居に盛り込まれたのかも一考に値する問題です。

 一方、『ゴンドラの唄』を知る多くの人にとって『ゴンドラの唄』と映画『生きる』は切っても切れない関係にあるように見えるのに、映画のなかで『ゴンドラの唄』が果たしている役割が十分明らかにされているとは思えませんでした。そして、サブカルチャーも含め、現代文化のなかに『ゴンドラの唄』のこだまがさまざまに聞かれることは、ほとんど見過ごされています。

 それに、芸術座の劇中歌から生まれた流行歌のうち『カチューシャの唄』については本もあれば論文もいろいろあってよく研究されているのに対し、『ゴンドラの唄』についての本はなく、論考も数えるほどしかありませんでした。そこでこの際『ゴンドラの唄』について調べたこと、考えたことを自分なりにまとめておこうという気になったのです。その意味では、この本は『ゴンドラの唄』についての、『ゴンドラの唄』を主題にした初めての本になるはずです。

 本書は四部構成になっています。

 第Ⅰ部「『ゴンドラの唄』の誕生」では、まず『ゴンドラの唄』が誕生するきっかけとなった『その前夜』劇がいかなるものであったかを紹介し、島村抱月の妥協芸術論と、彼が主導した芸術座の劇中歌戦略を取り上げています。『ゴンドラの唄』の作詞者吉井勇と作曲者中山晋平の証言を数多く引いて、『ゴンドラの唄』誕生の背景と音楽的な特徴を論じてみました。

 第Ⅱ部「『ゴンドラの唄』の詩学」では、まず『ゴンドラの唄』と鷗外の『即興詩人』との関係をテクストに沿って明らかにした上で、吉井勇の詩のレトリックを詳細に分析しました。また、ツルゲーネフの原作小説の作品世界の特徴、登場する音楽とヴェネツィアのトポスを論じました。そして、『その前夜』の原作(ツルゲーネフ)・翻訳(相馬御風)・脚色(楠山正雄)の三者間での比較を通して、楠山脚本に『ゴンドラの唄』が挿入された謎をめぐって推理しました。さらに、『ゴンドラの唄』に受け継がれている《カルペ・ディエム》(今日を楽しめ・いまを生きよ)という主題が、古今東西の詩文学のなかにどのような形で現われてきたかを跡づけ、それらの遺産が『ゴンドラの唄』のソースたりうる可能性についても考えてみました。

 第Ⅲ部「映画『生きる』」では、この映画に『ゴンドラの唄』が現われることのいわば必然と偶然が語られます。具体的には、『ゴンドラの唄』の関係する場面の分析を通して、『生きる』におけるこの歌の役割を考察し、この映画が『ゴンドラの唄』を復活させたのみならず、「恋せよ、少女/乙女」という詩句を精神的な価値の追求の意に変容させたことを論じています。また、『生きる』に『ゴンドラの唄』が採用された背景を探り、黒澤組とこの歌をめぐる数奇な縁に触れたほか、実際にこの映画を見た中山晋平、吉井勇の感慨なども紹介しました。

 第Ⅳ部「『ゴンドラの唄』と現代文化」は、『ゴンドラの唄』が現代において今なお息づいているさまを追ったものです。第12章では、昭和から平成にかけての『ゴンドラの唄』を歌う人びとの悲喜こもごもさまざまなエピソードを拾って紹介しました。一方、最終章は現代文化、特にサブカルチャーにおける『ゴンドラの唄』の反映を論じたもので、マンガ、アニメ、ゲーム、ライトノベル、Jポップなどからさまざまな事例を挙げて分析するとともに、今日の「恋せよ乙女」の乱舞の背景について考察してみました。

 以上四つの部は相互に連関していますが、内容的にはそれぞれ独立しています。興味のあるところからお読みいただいてかまいません。


本書で取り上げた作品たち(詩,小説,エッセイ,アニメ,コミック,音楽...)
  ── 『ゴンドラの唄』について様々な角度から考え,理解するために

序 『ゴンドラの唄』とは
※『ゴンドラの唄』の復元
  • セノオ楽譜『新小唄 第三編 ゴンドラの唄』

第1章 芸術座と『その前夜』劇
※『その前夜』劇と芸術座の紹介
  • 楠山正雄(脚色)『その前夜』

第2章 抱月の思惑、須磨子の舞台
※『その前夜』劇の劇評と劇中歌の効用
  • 小山内薫「「その前夜」を見て -- 楠山正雄君へ --」
  • 島村抱月「「其前夜」と「サロメ」」
  • 鹿島孝二『大正の下谷っ子』

第3章 失われた明日のドラマ
※吉井勇の公開書簡と芸術座の終焉
  • 吉井勇「松井須磨子に送る手紙」
  • 中村吉蔵「芸術座の記録」

第4章 劇中歌から流行歌へ
※中山晋平の工夫と挫折
  • 中山晋平「演劇及び映畫に於ける所謂主題歌に就いて」
  • 中山晋平「流行歌の作曲」

第5章 歌詠みの芸当
※『即興詩人』とのテクスト比較 『ゴンドラの唄』のレトリック
  • 森鷗外訳(アンデルセン原作)『即興詩人』

第6章 スキアヴォーニに死す
※『その前夜』劇の原作:ツルゲーネフの小説の紹介
  • ツルゲーネフ『その前夜』(小説)
  • 田山花袋『蒲団』

第7章 歌をなくしたゴンドラ漕ぎ
※ツルゲーネフの原作と相馬御風の翻訳,芸術座とワフタンゴフ劇場(ソ連)の脚本との比較
  • 相馬御風(訳)『その前夜』(小説)
  • アルブーゾフ(脚色)『その前夜』

第8章 主題と変奏
※『ゴンドラの唄』と似通った詩文や歌の紹介,源泉(ソース)としての可能性の考察 《カルペ・ディエム》の系譜
  • ヒポクラテス(上田敏訳)「芸は長く命は短し」
  • ホラティウス『歌集(カルミナ)』
  • アウソニウス「蕾める薔薇について」
  • 李白『春夜桃李の園に宴するの序』
  • オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』
  • ロレンツォ・デ・メディチ『バッカスの歌』
  • ピエール・ド・ロンサール『カッサンドルへのオード』
  • エドマンド・スペンサー「薔薇の歌」<『妖精の女王』
  • ロバート・ヘリック『乙女らに,時を惜しめと』
  • 『ガウデアームス・イギトゥール』(学生歌)
  • ヨハン・ウステリ『人生を楽しみたまえ』
  • ヴェルディ『乾杯の歌』<『椿姫』
  • ヨハン・シュトラウス2世「ゴンドラに乗りなさい」<『ヴェネツィアの一夜』
  • 与謝野晶子『みだれ髪』
  • 北原白秋『ほのかなるもの』

第9章 『ゴンドラの唄』の復活
※粉雪の舞う深夜の公園で,余命いくばくもない男がブランコに揺られながら『ゴンドラの唄』を口ずさむ⋯
  • 黒澤明『生きる』

第10章 死と再生のバルカローラ
※『生きる』のリメイク
  • ドラマ『生きる』(テレビ朝日系,2007年)

第11章 数奇な縁
※黒澤組と『ゴンドラの唄』の着想 ロシア文学との因縁 作詞者・作曲者のその後
  • 黒澤明研究会(編)『黒澤明を語る人々』
  • 武島羽衣(詞)・田中穂積(曲)『美しき天然』
  • 橋本忍『複眼の映像 ── 私と黒澤明』
  • トルストイ『イワン・イリイチの死』
  • 中山卯郎(編著)『中山晋平作曲目録・年譜』
  • 吉井勇「いのち短し」
  • 吉井勇「ドラマへの意欲(テレビ寸感)」

第12章 『ゴンドラの唄』を歌う人びと
※悲喜こもごものエピソード
  • 逸見愛『ゴンドラの(うた)
  • 西村雄一郎『黒澤明 封印された十年』
  • 中沢啓治『はだしのゲン自伝』
  • 前田周・内山容子『ベレー帽とゴンドラの唄 ─ 前田一良の想い出 ─』

第13章 『ゴンドラの唄』のこだま
※現代文化,特にサブカルチャーにおける『ゴンドラの唄』の反映
  • 竹内直子『美少女戦士セーラームーン』(コミック,アニメ,実写ドラマ,映画...)
  • 新名あき『いのち短し恋せよおとめ』(コミック)
  • 『サクラ大戦4〜恋せよ乙女〜』(ゲーム)
  • 渡瀬悠宇『ふしぎ遊戯 玄武開伝』(コミック)
  • 森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』(小説)
  • 『恋セヨ乙女』(ドラマ)
  • 『オトメン(乙男)』(ドラマ)
  • 上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』(ライトノベル)
  • "ALI PROJECT"『恋せよ乙女〜Love story of ZIPANG〜』(Jポップ)
  • "WANDS"『恋せよ乙女』(Jポップ)
  • 島谷ひとみ『Viola』(Jポップ)
  • 北原愛子『AMORE 〜恋せよ!乙女達よ!!〜』(Jポップ)
  • "HALCALI"『ゴンドラの唄』(Jポップ)


ワークショップ:『ゴンドラの唄』の比較文学

   比較文学研究会(2013年7月27日)のチラシ(PDFファイル)

   仁平政人氏(弘前大学教育学部)によるご報告 (「日本比較文学会東北支部会報」19 号より)


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