「カチューシャの唄」百年(リーフレット) PDFはこちらからどうぞ
日本の歌謡曲がちょうど100年前に生まれたのをご存じだろうか。新劇スター女優の松井須磨子が歌った「カチューシャの唄」。波乱に満ちた須磨子の生き方もヒットを後押ししたが、西洋調の薫り漂う曲は三味線などの邦楽が中心だった流行音楽を変え、レコード鑑賞という音楽の楽しみ方を広めた。5日を皮切りに、記念イベントも予定される。日本音楽界の礎を築いた「歌謡曲の元祖」に触れてみてはいかが-。 (藤浪繁雄) カチューシャの唄は一九一四(大正三)年三月、東京・帝国劇場で上演の舞台「復活」の劇中歌として、主演の須磨子が披露した。翌年、SP盤レコードが「東洋蓄音機(レーベル名オリエントレコード)」(京都)から発売されると、アカペラで歌う須磨子の素朴でどことなく甘い歌声はたちまち大衆に受け入れられる。 (中略) しかし、大ヒットにもかかわらず、カチューシャのSP盤は「最も入手しにくい一枚」とされる。東京・神保町の老舗SPレコード店「富士レコード社」によると、「数年に一枚出回るかどうか」というほど希少。「♪いのち短し/恋せよ乙女…」の歌詞で知られる「ゴンドラの唄」など、ほかの須磨子のSP盤は持っているという邦楽研究家でSP盤収集家の関川勝夫さんも「カチューシャはずっと見つからなかった」といい、昨春やっと手に入れたという。 (中略) 活躍したのはごく短期間だが、「元祖歌う女優」として道を開いた須磨子。オリエントレコードを吸収し、須磨子の音源を持つ日本コロムビア(当時は日本蓄音機)は大正や昭和の流行歌を収めたCDを時々出しており、カチューシャはその代表曲となっている。ディレクターの衛藤邦夫さんは「シンプルだけど心に残る曲。主に七十~八十歳代に根強い支持がある」と話す。 芸術座の拠点があった縁で、新宿区などは講演会「『カチューシャの唄』百年」を五日、十一月九日、十二月七日の三回、区立新宿歴史博物館で開催する。
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