氏名久保田 菜穂
タイトル東北地方における山下りんのイコン
→ 抄論(PDF)
要旨  明治時代の日本人女性イコン画家山下りんは、ロシアに留学後いったん正教会を離れるものの数年後には戻ってきてイコン制作を本格的に開始する。61歳で帰郷するまで制作を続け、制作されたイコンは日本各地の教会に現在も残っている。特に東北地方には数多くの山下りん作のイコンが残されており、今も信仰生活に不可欠なものとして各教会に掛けられている。東北地方の中でも、山下作のイコンをイコノスタスに使用している教会が7教会ある。本論文を執筆するにあたって、山下作のイコンを所蔵している教会の沿革やイコンにまつわる事柄について、現地に訪問して教会関係者に聞き取り調査を行った。また、日本正教会公認の雑誌である「正教時報」の前身である「正教新報」の記事を参考に東北地方における日本正教会の宣教の様子についても記した。
 本論文は、本編と資料編の二部構成の形をとった。本編は2章立てで、第1章では東北地方において山下りん作のイコンを所蔵している教会の沿革や、その教会に所蔵されている山下りん作のイコンを含むその他のイコンについての説明などを記した。第2章では山下りん作のイコンが使用されているイコノスタスについて配置図を用いながらその特徴を記した。また、資料編においては今回調査を行った教会の一覧やイコンの一覧を写真と共に紹介し、今後の山下りん研究に役立つようにという願いを込めて記録として残すことに努めた。
 この論文の目的は以下の三つである。第一に、山下りん作のイコンが東北地方に多い理由や背景を明らかにすること、第二に、山下りん作のイコンが使用されているイコノスタスの特徴を明らかにすること、第三に、現在東北地方に残っている山下りん作のイコンの記録を残すことである。これに対して山下りん作のイコンが東北地方に数多く残っているのは、経済的に困窮していた東北地方にとってロシア製のものよりも廉価で手に入る山下りん作のイコンが重宝したためであることがわかった。また、山下りん作のイコンが使用されているイコノスタスはロシア正教会の一般的なイコンの配置を大きく崩すことはないが、日本の聖堂の大きさや経済規模、イコノスタスの枠に合わせて多少の違いがみられるということが明らかになった。

みせらにあ