ロシア人の起源
桜庭久美子
1、はじめに
普通、私たちが日本語で「ロシア」について言うとき、ロシア語では実は二通りの言い方を区別している。1つはRossijaという語で、日本の「ロシア」の読みはここから来ている。もう1つはRus'すなわち「ルーシ」という語で、その形容詞形は「ルースキイ」russkijとなり、これはロシア語では「ロシア人」を意味する。
通常「ロシア」の語は「ロシア連邦」「ロシア国民」など国家や政治にかかわる表現に用いられ、「ルーシ」の語は「ロシア文学」「ロシア語」など文化にかかわる表現というように区別される。
「ロシア」や「ロシア人」という言葉からイメージするのはどんなことだろう。広大な国土の大半を雪で覆われ、その寒さに耐え忍ぶ彼らは、頑健で忍耐強さを持ち、どこか秘密めいたものを感じる人が多いのではないか。そんな彼らはどんな人種なのか考察しいく。2、ロシア人の起源
現在のロシア人の民族的なアイデンティティーを探っていくと、時代、地域、出身階層になどによって、アイデンティティーのよりどころがさまざまに異なる場合でも、ロシア語を話すということは常にロシア人である事の根拠になってきた。
この同一言語集団としてのロシア人は、その起源を*東スラヴ人と呼ばれている集団にたどることが出来る。
* 東スラヴ人・・・現在のポーランドとウクライナ西部の広い地域に形を成したスラブ語を話す人々(原スラブ人)が、およそ五世紀くらいから長い時間をかけて北東の森林地帯に移住し、すでにその地域に散在して住んでいたフィン・ウゴル系の人々と共住したり、通婚したりしながら、現在のウクライナ、ベラルーシおよびロシア連邦の北西部に定着した人々の集団
共通の言葉を話す東スラブ人たちは、人口増加のよる新たな農地開拓のための移住によって、いくつもの部族に分かれ、ドニエプル川流域を中心とする各地に住み分けていた。それにはポリャネ人、ドレバリャネ人、ドレゴヴィチ人、ポロチャネ人、スロヴェネ人、セヴェリャネ人、ブジャネ人、クリヴィチ人などがいた。年代記にも「これらの部族は自分たちの慣習、父祖伝来の法律、伝統を持っていた」とあり、部族国家と呼べるほどの高度な政治、社会組織を発達させ、部族内の収税のシステムも整っていたようだ。
しかし、これらの部族が同じ言葉を話す集団としての同族意識を持ったり、共同で行動することはなかった。彼らが定住した広い地域に、9世紀中ごろ以降統一した国家制度を打ち立てたのは、「ルーシ」と呼ばれる集団だった。そして、これらの諸部族はルーシが勢力拡大するにつれて、ルーシの中に飲み込まれてしまい、10世紀の後半ころから次第にそれぞれのアイデンティティーを失っていき、11世紀の半ば以降には部族の名は記録から消えてしまう。このように東スラヴの諸部族はその集団としてのアイデンティティーを後代まで保つことはなかったが、ルーシ国家の成員の基本部分をなし、言語・生活習慣を始めとする諸文化を古代ロシア国家に伝えたのだ。3、「ルーシ」の起源
現在「ロシア」の古名である「ルーシ」には、どこから由来したのかという議論が展開されている。有力な説として、二つの可能性が上げられている。そのうちの一つが、スカンディナヴィア半島にすんでいた「ヴァリャーグ人」すなわちノルマン人由来の「ノルマン説」である。もう一つが、アント人由来の「反ノルマン説」である。
○「ノルマン説」
7世紀ごろ、スカンディナヴィア半島に住むヴァイキング、またはヴァリャーグ、ルースと呼ばれる武装集団が南下して来た。スラヴ人は、このノルマン人らに攻撃を受けるが、なんとか撃退する。しかし彼らスラヴ人は、自分たちの対立は解決できなかった。そこで、自分たちの争いを解決してくれる新たな統治者「公」をヴァリャーグ人から招き入れようとなった。そして、リューリクは二人の弟を引き連れ、「公」として統治するようになったのである。「ルーシなるヴァリャーグ人」がスラヴの地に赴き、統治したことにより、スラヴ人の地がルーシの地といわれるようになったのである。
○ 「反ノルマン説」
6世紀ごろ、スラヴ人は「ヴェネティ人」「スクラヴェン人」「アント人」の三つに分かれていた。ドニエプル川の一支流を「ロシ川」といい、「ロシ」から派生したのが「ルーシ」と考えられている。アント人はドニエプル川中流域からロシ川にかけて住んでいたと見られており、最初の国家を成立させた。彼らはスラヴ語を話すため、「ルーシの地に住むスラヴ語を話すアント人」が起源のもととなっている。
現在では、「ノルマン説」が有力視されている。4、ルーシから「ロシア」という国号へ
15世紀から16世紀にかけてロシアの対外的な自己意識の変化を表すものとして、国家の呼び名の変化だ。現在使われている「ロシア」という名称は、実は16世紀ごろから(それまでは国の名前をルーシと言っていた)、当時のルーシ意識、国家観の変化に伴って用いられるようになった。
「ロシア」という新しい呼び名は、古名の「ルーシ」から派生したものではなく、ギリシャ語で「ルーシ」を意味する語「ローシア」からきたとされている。15世紀までギリシャ人の主教を招きいれていた正教会では、高位の聖職者の間ではギリシャ語の使用は普通のことであり、ローシアの名称は古くから知られていた。
このように、「ロシア」という用語は、ロシアが国家として帝国化していく中で使われるようになった。特に「ロシア帝国」「ロシア皇帝」など、ロシアが帝国であることを示す用語の中での使用が目立っており、帝国として内外に認められたときに完全に定着したといえる。その使用は、いわばロシアの帝国的な自己意識を映す鏡のようなものだったのだ。5、ギリシア正教との出会い
それまでスラヴ人は、呪術的要素の強い祖霊崇拝・精霊崇拝を基本としていた。もともと農耕民である東スラヴ人は、「母なる大地」を神聖視し、自然物崇拝を行っていた。また、地母神も崇敬の対象であった。
しかしウラジーミル公の代になると一変した。そのころ様々な宗教の活発な布教活動が展開されていた。その中から、ウラジーミルがなぜギリシア正教を選んだかについては、いくつか説がある。
(1) 割礼儀式、豚肉食の習俗、飲酒禁止、斎戒の不徹底、淫行のことをあげている宗教は回避したらしい。
(2) ビザンツ式の典礼があまりにも綺麗だったため、感銘を受けたらしい。
(3) ビザンツ皇帝に妹アンナとの結婚を求めたところ、キリスト教への改宗が条件に出されたらしい。
その後、キリスト教が国教化されたこと、アンナが嫁いだ事は事実である。こういった背景により、ギリシア由来の言葉が多いのである。6、多民族国家
ロシアには、ロシア人(約83%を占める)以外にも多数の民族が住んでいる。人口が多いのは、タタール人、ウクライナ人、チュワシ人、バシキール人など。その他、ユダヤ人、ドイツ人、グルジア人、アルタイ系諸族など、その数は大きな分類によっても数十に及ぶ。日系ロシア人は約600人と記録されている。ソ連時代には国民一人一人の民族属性を政府が登録する仕組みになっていた。異なる民族の父母から生まれた子は父母いずれかの民族を選べる規定だったので、「ロシア人」を選ぶケースが多かったようである。1993年憲法は、政府による民族属性の管理を禁じた。そして民族属性は各個人が決める、という規定を置いた。7、ロシア人とはどんな人?
一口にロシア人といっても、その幅は広い。住んでいる地域や育った環境、教育や職業などさまざまな条件によって、またその人の先天的性格などによって一人一人みな違うのであるから、「ロシア人って何?」などと問うこと事体が愚問であるといえなくもないが、一般的な「ロシア人」の「ロシア人」らしい行動を紹介してみることにしよう。
●<ロシア人>ロシア人の特徴を一言で説明することは難しい。体格がよく、耐久力に富む。スポーツ、学問、芸術に優れた能力を発揮するが、不器用、無骨な面もある。時に粗暴、時に深い情愛を見る。性格は一般に開放的で人懐っこい。愛国心が強いが自分の弱点を笑い飛ばす余裕も見せる。現実的だが、迷信深い一面もある。よく熊に例えられるが、優れた航海者の伝統もある。
● <ロシア人のペット好き>ロシアでは地下鉄構内に犬が住んでいても、食堂に猫がうろうろしていても、誰も追い払ったりなんかしない。「動物?いて当たり前でしょ」といった共存の精神は、森の民の遺伝子に受け継がれたものなのか。
そんな人たちだから、子猫や子犬が生まれすぎたからといって、軽々しく処分したりはしない。わざわざ街中まで連れてきて、里親を探すのだ。毛糸のお手製巾着袋に子猫を入れて抱える少女、コートの胸元から子犬の顔をのぞかせているおばあさん、連れてこられない大型犬の写真を掲げるおじいさん・・・。そんな人たちが、市場の入り口や地下道にずらりと並んでいたりする。
一方で、犬猫をいっぱい引き連れたおばさんが「えさ代恵んでください」と言っている光景を目にするかもしれない。本当にえさ代になるのか、おばさんの食費になるのかは疑問だが、寛大なロシア人はたぶんその両方に使われると知りつつ黙って小銭を置いていくのである。
● <ロシア人はおせっかい・世話焼き>「おせっかい」という言葉はあまりいい意味で使われないが、それを受けた人はほとんどの場合、悪い印象を持っていない。
次のような例がある。
○ こちらはファッションのつもりでわざと穴の開いてるジーンズをはいてると、「穴が開いてるよ」と数人に言われたり、ある老人には「お金がなくてズボンが買えないのか。かわいそうに」と言われる。
○ 冬に帽子をかぶらないで歩いていたら、「帽子をかぶらないなんてどうしようもない子だね。頭がいかれちゃうよ」と大声で怒られる。
○ 道を尋ねたら、数人の人が集まってきて、「あっちが近い」「こっちの道がいい」とロシア人同士で口論となり、聞いてる自分のほうが疲れてしまった。
○ 市場で買い物をしていると、袋の中身を見て、「これはこんなふうに料理をするとおいしいよ」と長々と時間をかけて説明してくれる。
● <思いやりを行動で表す習慣>乗り物に乗っていると、よくお年寄りや子供に席を譲るという光景に会う。日本でも、立っているのが辛い人には席を譲るべきだとたいてい思っているのだが、「恥ずかしい」という気持ちから実行できないのだろう。ロシアでは席を譲らないことのほうがよっぽど恥ずかしい。席を譲るほうにとっても譲られるほうにとっても、それが当然になっているので、見ていてとても自然だ。
また、ロシア人は人情にもろいところもあり、困っている姿を見ると、同情して例外的な措置を取ってくれることもある。カウンター越しのやり取りに行き詰まったとき、立場上ではなく個人としてどんなに困っているかを少し大げさに訴えてみるのいいでしょう。
● <迷信や超自然的な力を信ずる>ロシア人は何かわけの分からない不可思議なもの、超自然的な力に惹かれる国民だと思われる。ソ連時代には宗教が否定されてきたこととの関係は分からないが、西洋占星術はとてもポピュラーだし、'東洋のカレンダー'として、十二支がすでに定着している。迷信の数も豊富で、現在も生活の中で生きている。極めつけは、80年代後半から90年代初頭という、わりと最近に流行った超能力治療だろう。治療師は国民的スターのような存在であり、毎朝テレビで全国に向けて念を飛ばしている。
● <時間にルーズか?>ロシア人の時間感覚は、日本人には理解しづらいものかもしれない。ただし、「約束の時間に平気で遅れてくる」という認識は正しくない。もちろん、単に遅れ癖のあるロシア人もいるだろうが、平気で遅れて理由の説明もないのは、たいてい仕事での約束の場合ではないだろうか。彼らは約束だと思えば、必ず理由を説明する。
気心の知れた友人同士の約束では、場合によって一時間も二時間も遅れてくることがあるが、遅れても必ず約束の場所に行く。すると、友人が待っているのだ。ソ連時代のたまものか、長く厳しい冬を耐え雪解けの春を待つ、自然との生活に育まれた性格なのか、ともかくロシア人は忍耐強く、意味があると思えば、じっと待つことを厭わない。
● <これがバブシュカだ!>ロシア語では「おばあちゃん」のことを「バブシュカ」という。だが、この言葉には特殊なニュアンスがあって、日本のおばあちゃんのイメージとはちょっと違う。「バブシュカ」としか言いようがない人種なのだ。
ありがちなバブシュカ像は、まずプラトークと呼ばれる大判のスカーフを頭に巻き、ゾロっと長いスカートの上に肉厚のコートを羽織っている。大体において、ロシア婦人は年を重ねるにつれて脂肪を蓄えていくので、バブシュカとなる頃にはほどよくコロンとした体型が出来上がる。そんなバブシュカたちが、赤や緑のプラトークを巻いて、木漏れ日射す公園を歩いていたりすると、それだけで絵になって、ロシア旅情を掻き立てられること請け合いだ。
道に迷ったら、そんなバブシュカたちに尋ねよう。自分がわからなくても、周りの人を巻き込んででも、あーだこーだと教えてくれる。
しかし、一見するとかわいいバブシュカだが、実は、強い、怖い、ド迫力。お店の行列に割り込むヤツがいようものなら、たとえ相手が熊のような大男だったとしても「ちょっとあんた!」と拳を振り上げ、どうかすると本当にぽかぽかと殴り出したりする。こんな時、大男もさすがにご老体に手は上げられないので、殴られるままになっている。天下無敵のバブシュカなのだ。
そんな彼女らの多くは、生涯現役である。例えば、ロシアの博物館や美術館を仕切っているのは、ほとんどが老齢の婦人たち。日本の案内嬢のように、膝掛けをして座っているだけなんて事はありえない。自分の担当の部屋を練り歩き、不審な行動をとる者には容赦なく声をかけ、展示物に関する質問を受ければ得々と語ってみせる。劇場やレストランのクロークで、てきぱきとコートや荷物をさばくのも老婦人たちだ。職がなければ、つましい年金暮らしの中で、小さな畑を耕し、採れた作物を街で売る。それもできないバブシュカは、デモ行進に繰り出して、世の中の矛盾を訴える。そして、反対意見を述べる者がいようものならオーバーアクションで激論を闘わせるのだ。8、まとめ
つい最近まで使用されていた「ルーシ」という言葉の起源は、いまだ謎である。東スラヴ人の国家はすでに形成されていたが、その後ヴァリャーグ人のリューリクに統治されたのが「ルーシ」の起源ではないかと考えられている。しかし、ロシアが帝国化していくと共に、ギリシャ由来の「ロシア」という言葉が用いられ、「ルーシ」はあまり使われなくなっていった。これは、様々な部族が存在し、統合、分裂していて、バラバラであったロシア人の意識がやっと一つになり、自我が芽生えてきたことの表れではないだろうか。「ノルマン説」が本当なら、ロシア人の祖先は、北欧にあるのか。ロシアには、いまだ解決されていない問題が残っており、やはりどこか神秘的な感じがする。
一口にロシア人を括る事は出来ないが、私たちが考えていたロシア人とはだいぶ違ったようだ。人の世話を焼くのが好きで、占い好き、ペット好きという点に親近感が持てる。日本人との共通点もあり、秘密めいた人々とはかけ離れた印象が持てる。
<参考文献>
● 中沢敦夫「ロシアはどこからやって来たのか」新潟日報事業社(2002年)
● 蔵前仁一「ロシアの正しい楽しみ方」有限会社旅行人(2001年)
● 松浦利彦「ロシアー新生ロシアのいまどき生活」株式会社トラベルジャーナル(1997年)
● 田中陽兒/倉持俊一/和田春樹「ロシア史1」山川出版社(1995)
● 和田春樹「ロシア」山川出版社(2001)