わが心の作品 井上靖の敦煌     松尾剛次


 2000年6月25日午後6時、憧れの中国甘宿粛省敦煌に到着した。敦煌を訪ねるのは2度めであるが、中国仏教芸術の粋を集め、主に4世紀ー10世紀のシルクロード文化を今に伝える莫高窟の壁画や仏像群は、何度でも見たくなる。40度近くの北京から来たせいか、砂漠のオアシスだというのに予想に反して涼しい。迎えの旅行社の人に聞くと、午後4時くらいに、敦煌ではめずらしい大雨が降り、そのせいで涼しくなったということだ。実に、その雨がいけなかった。翌日、早起きして思いは莫高窟へと飛んでいたのに、昨日の大雨で莫高窟の前の川の橋が流され、莫高窟へ行けなくなったとの情報が飛び込んできた。結局、27日の朝、空しく北京に帰ったのであった。
 さて、「少年時代、青春時代、現在を問わず、深い感動を覚えたり、人格形成の糧になった作品」、つまり「わが心の作品」に関するこのエッセイを、敦煌莫高窟を見られなかった悔恨談から始めたのはわけがある。興味・関心が多岐に亘る私のようなタイプにとって、そうした作品は数多くあるが、高校生の頃に読んだ井上靖の『敦煌』はその一つであることは間違いない。私が、敦煌に2度も足を運ぶにいたったのも、『敦煌』を読んだ時に心に誓った「いずれの日にか、敦煌へ行くぞ」という熱き思いがあったからだ。
 敦煌莫高窟を有名にしたのは、1900年に第17窟から、5万点にも及ぶ敦煌文書の発見であった。それらは、仏典のみならず、儒教、道教、マニ教から公私文書に及ぶ古写本類で、スタイン、ペリオ、大谷探検隊らにより、海外に持ち出されたが、4世紀から14世紀に及ぶ文献の宝庫であった。今年は、ちょうど敦煌文書発見100年にあたる。
 小説『敦煌』は、11世紀の初頭の宋と勃興する西夏との動乱に巻き込まれた一人のインテリ超行徳を主人公とする小説で、彼の西夏文字や仏教に対する情熱などが核となっている。だが、私にとっては「なぜかくも多数の古写本が17窟に納められたのか」という謎解きがロマンをかき立ててくれた。井上説ではそれを宋の前進基地敦煌への西夏の進出による破壊から守るためとするが、17窟には14世紀の文献も入っていたことから、それは分がわるい。しかし、その当否は別として、私が仏教史を研究対象とするにいたったように、小説『敦煌』から大きな影響を受けたとはいえよう。

(「わが心の作品 井上靖の敦煌」『山形新聞』2000年8月2日 掲載)