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「キューバ危機/東京五輪」

文責:松本邦彦
(2008年02月13日に増築/最終更新時:2022年03月23日(水)
御意見・御感想は→松本宛メールにて。授業の受講生はWebClassメッセージやWebClass掲示板でも可。

聞き取りに協力してくださった方々に松本からも御礼申し上げます。

<戦争一歩手前>

当時15歳/父、11歳/母〕父は、なぜあのような問題に発展したのかは当時分かっていなかったが、いつ戦争が始まるかと冷や冷やしながら見ていたという。そのため、アメリカとソ連が合意して戦争を免れたときは、安心したという。同時に、ケネディはやっぱりすごいなと子供心に感じたとのこと。 母は、キューバ危機自体の記憶は無いという。ただ東京五輪はテレビで夜通し見ていた。三波春夫の「東京五輪音頭(?)」が流れていた(2006年度後期・アメリカ政治・外交論「荘」さん)。。

 →「荘」さんの感想:国際問題であっても、その動向に一喜一憂するのは結局は当事者だけだと感じた。一応ニュースとして注目してはいるものの、どこかで自分には関係ないと思って客観視しているような。良くないことだと思うが、改善しようのないことでもある。
<ふたたびの戦争>

当時21歳 祖母〕祖母自身は第二次大戦当時は幼くて、あまり戦争の記憶はなかったというが、「もう一度戦争が起こるのか」と本気で思ったそうだ。実際に戦争が起こらなくて、本当に良かったと言っていた(2006年度後期・アメリカ政治・外交論「セントライト」さん)。

→「セントライト」さんの感想:祖母とこういった戦争の話、昔の話をする機会があまり無かったため、今回話を聞けたのはとても参考になった。
<東京五輪>

当時8歳 父〕特にキューバ危機を覚えているわけではないが、家に帰ってくると父母(私の祖父母)が深刻そうな顔をして「ケネディ大統領…、ソ連が…」といった話をしていたそうである。幼いながらに、何か大変なことがあったに違いないと思ったらしい。

 また、小学生であったので、東京オリンピックのことは良く覚えているそうである。家が香川県なので、実際に東京には行っていないが、「東洋の魔女」と呼ばれた日本の女子バレーボールの真似を友人といっしょに小学校でやったり、聖火リレーごっこや長距離で銅メダルを取った日本人(名前は忘れてしまったらしい)と銀メダル走者との競い合いの物真似をして遊んでいたとのこと。東京オリンピックは小学生の間でも一大イベントだったらしい(2007年度前期・アメリカ政治・外交論「トランサミンカプセル」さん)。

→「トランサミンカプセル」さんの感想:キューバ危機のことは父はほとんど覚えていなかったため、レポートに少し困った。小学生の子どもたちにとってはキューバ危機はまったく関心の対象外だったようだ。逆を言うと、それだけ日本は戦争が終わってから平和に向かっていっていて、平和に溢れた生活をしていたとも言える。