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「日本外交論演習」の記録
2014年度期末論文

 

文責:松本邦彦
最終更新時:2017年10月24日(火)/増築:2017/10/24)

◎期末論文題目リスト(&目標規定文)
《4年生》
「仲介外交の可能性」
 今、世界で起きている内戦・紛争を当事者のみで解決させることは容易ではない。これらの内戦・紛争の停戦協議等において、第三者の力を借り、調整・調和を図りながら交渉を進めていく外交手法がある。それが仲介外交である。一方で、日本外交の特徴として、他国との調和、文化的適応能力があることが前回の研究で明らかになった。以上のことから、日本が世界を舞台に活躍できる場面が、仲介外交にあるのではないかと考えた。
  仲介外交に積極的に取り組み、国際的に評価されているノルウェーの外交と日本が行ったことがあるカンボジア及びフィリピン・ミンダナオ和平に焦点を当て、両国の仲介外交の特徴を洗い出す。そして、そこから見える仲介外交及び日本の仲介者としての可能性を考察する。
  結論として、仲介により紛争処理が出来ているのは事実としてある。仲介外交はこうした紛争処理をするだけではなく、年月はかかるが紛争解決をすることが求められている。また、紛争解決後の支援の充実も仲介者に求められていることだと考える。日本は、停戦交渉において紛争当事者の主権を守ることにより、当事者による和平実現を試み、さらに、紛争解決後の復興支援にも力を入れる特徴がある。日本は仲介者として、特にアジア地域において仲介外交を担うこと、紛争当事者による和平実現の試みから紛争の再発防止の手助けをすることも可能であると結論付ける。今、世界で起きている内戦・紛争を当事者のみで解決させることは容易ではない。これらの内戦・紛争の停戦協議等において、第三者の力を借り、調整・調和を図りながら交渉を進めていく外交手法がある。それが仲介外交である。一方で、日本外交の特徴として、他国との調和、文化的適応能力があることが前回の研究で明らかになった。以上のことから、日本が世界を舞台に活躍できる場面が、仲介外交にあるのではないかと考えた。
  仲介外交に積極的に取り組み、国際的に評価されているノルウェーの外交と日本が行ったことがあるカンボジア及びフィリピン・ミンダナオ和平に焦点を当て、両国の仲介外交の特徴を洗い出す。そして、そこから見える仲介外交及び日本の仲介者としての可能性を考察する。
  結論として、仲介により紛争処理が出来ているのは事実としてある。仲介外交はこうした紛争処理をするだけではなく、年月はかかるが紛争解決をすることが求められている。また、紛争解決後の支援の充実も仲介者に求められていることだと考える。日本は、停戦交渉において紛争当事者の主権を守ることにより、当事者による和平実現を試み、さらに、紛争解決後の復興支援にも力を入れる特徴がある。日本は仲介者として、特にアジア地域において仲介外交を担うこと、紛争当事者による和平実現の試みから紛争の再発防止の手助けをすることも可能であると結論付ける。
《3年生》
「日本のエネルギー戦略」
 日本のエネルギー供給には、いくつもの問題が山積している。日本人は、それらの問題に目を向けるべきである。かつて日本は、エネルギー供給の多角化という課題を抱えていた。当時の首相である田中角栄は、エネルギー資源を「モノと生活」の根幹として、その資源獲得外交に奮闘していた。やがて、田中角栄が失脚すると、「資源外交を展開した田中が、アメリカの逆鱗に触れて潰された」といったような陰謀説が飛び交うようになり、日本の政治家たちの間でトラウマを生み出してしまった。現在、新たなエネルギーに関わる新たな課題を抱えた日本は、そのトラウマを拭い去るチャンスではないだろうか。ウクライナをめぐる問題で孤立したロシアを供給国として手を結び、天然ガスを主軸とした政策を推し進めることを提案する。
「江戸時代におけるオランダからの情報の重要性」
 1858年、およそ200年もの長い間続いた日本の鎖国は終わり、開国を迎えた。しかし、不平等条約を締結されたといえ、西洋諸国の植民地にされることもなく、戦いを交えたこともなかった。薩英戦争1や馬関戦争2のような、藩と西洋諸国との間での戦争はあったが、それはあくまでも一地方で起きたものであり、日本という国をあげての戦争は起きなかったということだ。その点では同じアジアの周りの国々とは全く違った、新たな時代の幕開けとなった。ここで、なぜ日本はここまで平和な開国の流れとなったのか、なぜ西洋諸国は日本を征服することがなかったのかという疑問が生まれる。その解決の手がかりとして挙げられるのがオランダである。オランダは日本が鎖国の間、西洋諸国の中で交流を持つ唯一の国であり、主に貿易をおこなっていたが、一方で、幕府には海外の情報等を知らせていた。オランダ人によりもたらされた情報こそが、後の開国までの道のりにおいて役に立ったのではないかと私は考えた。この考察を念頭に置きながら、江戸時代における日蘭外交の中から情報を得る機会となった場所や行事等を述べ、最終的に日本の開国の決まり手となったオランダがもたらした情報について考察していきたいと思う。


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