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ウェブ版『検索マニュアル』第三部
引用の作法とは
最終更新時:2014年6月30日/建築開始:2008年06月02日)
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 ---《引用の作法》実習でアクセスした人は、この「第三部」は一通り読んでください。 ---
 --- 「引用の作法」についての実習票の“正答”は、この「第三部」を読み通すと分かるようになっています。 ---

目次
なぜレポートでの盗用が後を絶たないか
他人の文章はどうやって書かれているか
その人も「引用」をして文章を書いている
その人はどうやって「引用」したのか?
この世の論文のすべては他人の著作のおかげで成り立っている
他人の著作を無断利用し、そして説得力を高めるために必要な作法とは
引用の作法とは出典表記のこと
出典表記をする理由
ウェブページを出典とする際に必要なデータとは


◇なぜレポートでの盗用が後を絶たないか
 レポートの評価では、大学の先生たちは大いに悩まされています。かつては“出典表記が欠けている”とか、“同じ内容のレポートが二つもある”ぐらいのお話だったのですが、ネットの普及で“盗用”対象が一気に広がったからです。これ、海外では10年も前から報じられていたことではありますが↓。
WIRED VISION>期末レポートのデジタル・カンニング攻防戦
(上)1999年12月16日 http://wiredvision.jp/archives/199912/1999121605.html ※現在リンク切れ
(下)1999年12月17日 http://wiredvision.jp/archives/199912/1999121705.html ※現在リンク切れ
 最近の報道によると、“レポートの盗用見破りソフト 日本語対応版”が開発される一方で、
※北國新聞>ネット文献、コピペで丸写し ものぐさ学生 金沢工大の杉光教授が対策ソフト開発(2008年05月28日更新)
http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20080528101.htm
※日刊スポーツ>学生の「コピペ論文」検出サービス日本へ(2008年07月01日)
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20080701-378588.html
とうとう(ウソかマコトか)“低年齢化”が進んでいるそうです。
※Yahoo!ニュース>J-CASTニュース 大学生から小学生まで 「ネットでコピペ病」蔓延(まんえん)(2008年7月20日12時25分配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080720-00000001-jct-soci ※現在リンク切れ
 これこそ“浜の真砂(まさご)は…”というやつで、基本的にいたちごっこが続くのでしょう。そもそも、完全に悪意をもってやろうと決心した人を止めること自体は非常に難しい(たとえ、その後に何が自分に起こるかを本人が分かっていたとしても)。

 しかし、松本が少し学生にリサーチをかけたところでは、そういうダークサイドに自ら嵌(はま)ってわざと盗用をしてしまう人は少数派で、大多数の人は、レポートの作法というものを知らないために、ルール違反とは思わずに盗用をしてしまっているようです。でも、それを知らぬままでは、自分のレポートを書くことの前に、他人の文章を読むことすら危ないはず(なぜ危ないかはのちほど)。

 なので、ここでは、レポートの作法、引用の作法というものを、読むときの作法と関連づけながら、説明しておきます。
 

◇他人の文章はどうやって書かれているか
○その人も「引用」をして文章を書いている
 まず、ここでは本や雑誌、ウェブページに載っている記事や論文のうち、現実についての著者・筆者の分析・考察・意見が書かれたもの(論説)を対象にしていきます。つまり、フィクションとしての小説や詩歌などは対象外です。日々の事実や感想をつづっただけの日記やウェブログも対象外です(もちろんこれらフィクションや、個々人の極めて私的な日記を題材にして論説を書くことはできます。念のため)

 さてそれらの論説には、著者・筆者が感じた感想や、思った意見だけが書かれているのでしょうか?

 そんなことはなく、必ずその意見を論拠づけるための他人の意見や、事実が載っています。あなたが、その論説に説得力を感じたかどうかは、その意見に賛成かどうかよりも、その論拠が事実にもとづいていて、論理が成り立っているかどうかにかかっていたはずです。

※“事実に基づかない論拠でも、論理が破綻(はたん)していても、私は信じる”というのでもかまいません。個々人の美学なので。ただし、その美学にもとづいた答案やレポートは、松本は不可にします。
 その論説で紹介されている事実には、著者が調べたもの、体験したものだけではなく、著者以外の人が調べたり体験したものが含まれます。
※冒険家が誰も行って帰ったことのない土地について自分の探検記を書くような場合でも、どこにその土地がある(らしい)のか、どうして自分がそこに行こうと思ったのか、どんな下準備をして行ったのかを書きます。その未知の世界についての伝説や噂(うわさ)、これまでに行って帰らなかった人たち、彼らはいつどんな装備をしてどこから行ったのか等々。これらが書かれていない旅行記は、“空想?”と疑われてもしかたがない。
 そして、筆者がどんな他人の意見や事実を用いて論説を書いているのかは、筆者自身が“引用”によって明らかにしています。ここで隠していたら、読者は筆者の主張に説得力を感じるかどうか?
○その人はどうやって「引用」したのか?
 筆者が他人の意見や、他人の調べた事実を文中で紹介している場合、それらの大部分はなんらかの他の文献に載っていたはずのものです。では著者がそれらを自分の著作に「引用」するに当たって、もともとの文献を書いた人、その事実を調べた人に対して、何をしたでしょうか?

 この点で、「事前に引用の許可をもらっている」からこそ、引用ができるのだと思っている学生がどうやら多いようです(2009年度後期《引用の作法》実習票での勘で○つけ結果を見てもこの傾向は変わっていないようです)。すると、そう思っている人が自分のレポートを書こうとしたら、

  1. 引用であることを明示すると、レポート提出後、もとの著者から引用の許可をもらったかどうかを先生に聞かれてしまう
  2. レポートの〆切までには許可をとる時間的余裕も無いし、許可を取る方法も分からない
  3. でも引用したい
  4. しかたがないので、引用であることを伏せて引用してしまおう
 --- という考えて行動してしまうのでしょうか?
(あなたの場合はどうでしたか? 《引用の作法》実習票での感想欄にて書いておいてくれるとありがたい。)

…として体験を書いてもらったところでは、引用する執筆者がその著作で儲けるか儲けないかがカギになっているようです。例えば↓。)

 私たちのような学生は勉強のために引用するから無断で引用できるが、本などを出版して何らかの利益を上げる場合には許可を得る必要があるのではないかと感じていた(2009年度後期「日本政治論」/「scherwiz」さん)。
 現実はというと、引用はすべてもとの著者に対しては無断でおこないます。その引用をして書くもので原稿料をもらおうともらわないと、その著作を出版社で売ろうと売るまいとと、タダで配ろうと配るまいと、もともとの著者が、引用する著者とどんなに仲が悪かろうと良かろうと、はたまた同じ国に住んでいるかどうか、年上か年下か、そもそもいま生きていようと死んでいようと関係ありません。これは著作権に関する法律「著作権法」にはっきり書いてある権利↓です。
著作権法第32条第1項より(法令データ提供システムより)
公表された著作物は、引用して利用することができる
 なので、著者は“自分の論説を無断で引用してはいけない”などと主張することはなく、全く逆に、“世界のどこかの誰かがいつか自分の論説を勝手に引用するかも知れないこと”を覚悟したうえで論説を「公表」していると考えてOKなのです。
※もちろん他人の著作を「引用」して書いた人も、その自分の著作がさらに他人に「引用」されることを覚悟しています。むしろ「引用」されることを心待ちにしながら「公表」する。よって、Googleみたいな感じで、その“引用された数”で論文にランキングを付けたりすることもある。
 という次第で、記事・論文の著者・筆者が、自分の記事・論文がどこの誰に引用されるのかを事前に知ることは、滅多(めった)にありません。気づくとしたら、引用されてからのことです(引用した論文をたまたま読むか、引用した著者から送ってもらうことで気づく)
※ちなみに、他人のウェブページへのリンクを自分のウェブページに設置することは「引用」ではありません。なので、リンクについて相手の許可をとることは、「引用」の許可が必要ない以上に、必要ありません(別ページ「松本サイトでのリンクについての方針」参照)。しかし学生に聞くと、“リンクには相手の事前許可が必要だ”と考えている人が多数いるようです。

 この事態は、“引用には事前許可が必要だ”と考える学生の増加(?)とも連関しており、それはネットの普及が一因と考えられると松本は仮説を立てています。つまり、かつての“引用される覚悟のある者だけ”だった言論の世界が大幅に変わり、

  • 誰もが
  • 引用される覚悟の有無を問われないまま
  • 自分の著作を世界中からアクセス可能な場所で公表できる
 --- 時代になったからです。

 「引用」や「リンク」について事前許可が必要だという考えをする人は、“世界中から読める場所に置いてあっても、私の著作はあくまでも私の私物。引用もリンクも私の許可無しでは許さない”と思っているのかもしれない。あなたの場合は?

○この世の論文のすべては他人の著作のおかげで成り立っている
 他人が(公表した)著作を勝手に、無断で、引用して、書かなくてはいけないのは、あなたの書くレポートでも同じです。なんと“罪深い”ことでしょうか?? (領域にもよりますが)自分でおこなった実験や調査の結果だけでレポートを書けるようなことはまずありません。必ず他人の実験結果、調査結果の引用をしたうえでのことです。

 なぜなら、あなたはレポートを書くことで、あなたに次の能力があることを証明しなくてはいけないからです。

     
    <レポートで分かるあなたの能力>
  1. 大量のデータ(事実、他人の意見)を集める能力
  2. そこから(自分にとって)意味があり、信用のおけるデータを取捨選択する能力
  3. データをもとにして思考する能力
  4. その思考にもとづいて自分としての意見を組み立てる能力
  5. その意見を説得力あるものとして他人に示す能力
 これらが求められるのは、どんな“偉い”学者だろうと、大学生1年生のレポートだろうと同じこと。そのためには、同じ作法によって論文を書かねばなりません。つまり、その作法を間違えれば、どんな先生、研究者でも“盗用”の非難を浴びます検索エンジンで、「論文 盗用」で検索してみると、これがばれて論文取消や停職、免職になった人々がたくさん見つかります。たくさんいるからと言って真似しないでね)

 そして、あなたが他人の論説を読む際に、その論説に賛同しよう賛同しようと思って読んだのではなく、どこか疑いを持ちながら読んだように、あなたのレポートも疑いをもって読まれます。ここが、フィクションを読むときとは根本的に違います(フィクションの場合、読者は登場人物に感情移入して、主人公の一挙手一投足に一喜一憂する楽しみを味わう)

※もちろんフィクションの世界でも、読者のあなたをうまーく感情移入させるためのテクニックがあります。ウソだと分かっていて読み始めた人を泣かせる/笑わせる技術は大したものです(落語などが最たるもの)。ここには論述の作法のような定式があるわけではないのがミソ。逆に、わざと科学論文のような形式をとって読者を作品世界に引きずり込むこともある。
◇他人の著作を無断利用し、そして説得力を高めるために必要な作法とは
○引用の作法とは出典表記のこと ○出典表記をする理由、そして作法 ○「引用」扱いしなくてもよい事実や他人の意見とは
 ここで少し止まって考えてみると、どんな著作も他人の著作の引用無しでは成り立たないと言っても、いちいち全てについて引用である旨(むね)をことわり、出典表記をするのは面倒です。あなたが本や雑誌を読んでみても、そんなにきちんと「引用の作法」が守られているような気がしないはずです。

 たとえば、あなたが“山形の観光資源について”レポートを書く場合を考えてみましょう。まず冒頭では、

 --- などを書くとして、これらをあなたはどうやって知ったのですか? それに「最上川下り」にしろ「蔵王のお釜」にしろ「蔵王の樹氷」にしろ「月山の夏スキー」にしろ、地元にいる人ほど行ったこと、見たことのないものが多いのが観光資源というものですが(松本の場合、天竜川下りをしたことがない)、それらをいちいち「引用」扱いして出典を書いていたら、肝心の本論のスペースが足りなくなります。 

 安心してください。“例外”があります。以下のようなものについては「引用」扱いしないで引用してよいという慣例ができあがっているのです。

 また、論説が載るスペースが少なければ引用扱いの程度は減ります(例:新聞のコラムではページまで示しての出典表記はあまりしない。報道記事の場合には、読者は、記者が自ら調べたことを書くのが新聞記事だという前提で読んでいる)

 さらにはどんな読者がそれを読むのかを考えても、何をどこまで引用と扱うかの基準は変わります。“読者が知っていて当然”と思われる事柄についてまで出典を表記すると、かえって、“読者は分かっているのに、著者自身が分かっていないのか?”と思われてしまいます。もちろん読者層というのは、雑誌ごとに変わります(同じ研究者が一般紙に書くか、専門雑誌に書くかでも書き方は変える)

※そのほか、上記に例外として挙げた有名人の情報についても、新たに分かった事実にもとづいて“本当の生年は○○だった”と論じる論説を書くのであれば、それまでの通説だった“生年”説についていちいち出典を表記して論じていく必要があります。
○学生のレポートで注意その1)読者は先生だけですが
 あなたのレポートの場合、読者は先生だけという場合が多い(ゼミ論集にまとめられると他のゼミ生も読むが)。でも、“先生が読むんだから、どれもこれも先生は知っているはず。だから引用扱いしなくてもOKだろう”と思ってはいけません。上記の「能力」を示すためのレポートなのですから、読者は同学年の学生だと想定して書いてください。

 また、原則として学生のレポートは「公表」されるものではないので、「盗用」をしたからと言って原著者の著作権を直接に侵害するわけではありません(他人の権利を故意又は過失によって侵害した場合には、損害賠償を要求されることがある↓)

河北新報>東北のニュース>HPにイラスト掲載し著作権侵害 米沢市が解決金支払いへ(2009年12月04日)
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/12/20091204t53016.htm
※上記のページは現在リンク切れですが、記事冒頭の一部は、↓にてまだ読めます。
47NEWS(http://www.47news.jp/) >  各地のニュース >  都道府県 >  山形 >  HPにイラスト掲載し著作権侵害 米沢市が解決金支払いへ
http://www.47news.jp/localnews/yamagata/2009/12/post_20091204081549.html
 
 しかしそれは、あなたが「公表」するレポートが書けるようになるための練習の場でもありますから、そこで掟破りをさせるわけにはいかない。

 十年後、“大学で習っていないから著作権侵害だとは思いませんでした”という弁解をする人を見たら山大卒だったりして…(上記の米沢市の事件も関係者に山大卒の人がいそうな気がするが)。

○学生のレポートで注意その2)全面的に賛同できる意見であっても
 他人のブログやウィキペディアの項目説明を丸写しするレポートをちらほらと見ていて思ったのですが、盗用をしてしまう理由には、上記の引用についての誤解のほかに、“自分とまったく同じ考えを他人がしている場合、それを丸写しにしても盗用ではない”という考えがあるのではないでしょうか? 

 それでもやはり、その人とあなたとは同一人物ではありません。その人がその意見表明に至るまでにかけた時間と手間、思考過程をすべてトレースして再現できるはずがない。その思考の成果だけを丸写しにすることは、御本人を侮辱(ぶじょく)する行為です。

 たとえ友人が、“○○の講義のレポートのテーマ、去年と同じだって? 僕の去年のレポート貸してあげようか?”と言ってくれてもダメです。それは暗黒面からの誘いです(どうせ参考にするなら、レポートを提出する前に、友人同士で読みあって批評しあうことを薦める。「ピアレビュー」ですね)

○ウェブページを出典とする際に必要なデータとは
    本の場合の「書誌事項」とは、
    1. 著者名
    2. 書名
    3. 出版社
    4. 出版年
     ---- の四拍子ですので、これをウェブページにも準用します。ただしウェブページの場合は本よりも雑誌論文・記事に近くなるのと、URLという“ネット住所”も必要なため、細かくは以下の7点となります。
    1. ウェブページの著者名
    2. ウェブページの題名
    3. ウェブページのURL(Uniform Resource Locator)
    4. そのウェブページが属するウェブサイト(親サイト)の名称 ※下記ではこのサイトを当該ウェブページの「親サイト」と呼びます。
    5. 親サイトの運営者名 ※サイト名称からわかる場合、またはウェブページの著者名と同じであれば省略可能。なおサイトが団体のものである場合は、この「運営者名」は単なるウェブサイト管理担当の部署や責任者を指すのではなく、「運営団体名」を指します。
    6. ウェブページの作成時(更新時)
    7. あなたがそのウェブページを閲覧した時
      1.  
        ※なお手書きのレポートならば、上記から略して良いのは、第一に「URL」、第二に「閲覧時」、第三に「作成時」です。読者としては、そのウェブページにアクセスするためには、URLを手入力するよりも検索エンジンを使うほうが楽だし、長いURLを正確に書き写すのは骨ですから。
         
      以上の“ネット書誌事項”はいずれもメモっておく必要がありますが、手でメモるよりも、次の二つのように電子化しておく方が容易でしょう。電子的な検索がかけられるし、そこからのコピー&貼り付けもできるので、あとの使い勝手も高い。
     
 では次に、これらのネット書誌事項を調べるためのテクニックを説明しましょう。別ページの「ネット書誌事項を調べるには」へ。


《以上です》 ページ冒頭