第14巻 第2号 (1999年3月発行)



 目 次

 

 ギャンブルとサッカーくじ 立松 潔

卒業記念エッセイ

 踊りまくった大学時代 軽部 美穂
 いろいろ 佐々木 毅
 いろいろあった1年間 清水 広太郎
 あっというま 竹田 美樹
 戯言 千田 充朗
 新幹線の中で 戸田 邦亮
 3人の男 平田 広幸
 199X年 夏 宮城県K市 毛利 起也
 1日の過ごし方 薬師寺 晶子


  ギャンブルとサッカーくじ
立 松 潔
 
昨年3月サッカーくじがようやく国会で成立したが、今度は業務を引き受ける金融機関を決めるのに手間取りそうな様子である。銀行も不良債権問題やらビッグバンやらで、サッカーくじどころではないという雰囲気があるらしい。

 サッカーくじが国会で成立するまでには、青少年に悪影響を与えるとか、文部省がギャンブルの胴元になるのはけしからんなどと、見当違いな批判によってずいぶん時間がかかってしまった。しかし、サッカーくじはヨーロッパや南米などサッカー先進国で広くおこなわれているもので、青少年に悪影響を与えるようなものでないことはすでに実証済みである。

 それでは、サッカーくじはギャンブルではないか、というと必ずしもそうではない。宝くじと同じように、やはりこれもギャンブルの一種であることは事実である。しかし、宝くじを競馬、競輪やパチンコ、スロットマシンなどと同じような意味でギャンブルと考える人は少ないのではないだろうか。

 ギャンブルが暗いイメージを持たれているのは、それがほかの娯楽と比べ、中毒症状をおこしやすい特色があるからである。特に損をすると頭に血が上り、それを取り戻そうとしてさらにのめり込み、ますます傷を広げてしまう・・・ということはよく見られることである。

 しかし、宝くじもサッカーもこういう中毒症状を起こす危険性が非常に少ない、言い換えれば、ギャンブル性の弱い賭け事である。どうしてか。まず、一つはくじの発売日ごとに日数が開いており、それが冷却期間となるため、頭に血が上ったり、のめり込んだりという、中毒症状に陥りにくいことがあげられる。

 もう一つ、これが重要なのだが、当選の確率が非常に低いということである。サッカーくじはJ1、J2の合計13試合の勝敗と引き分けを当てる方式のため、全試合的中(1等賞)の確立は160万分の1になってしまう。一般に当たる(勝つ)確率が大きいギャンブルほど中毒症状を引き起こしやすいと言われている。もう一度勝負すれば、今度こそ勝てる・・・という心理状態を生むからである。宝くじではそうはいかない。

 『広辞苑』(第4版)でギャンブルをひくと、「賭けごと。ばくち。投機。」と書かれている。普通ギャンブルは遊びで、投機は経済的行為(ビジネス)と区別されるが、不確実なことにカネを賭けて「ひともうけ」を狙うということでは、ギャンブルも投機も同じである。しかもバブル期には我が国でも国民的なバブル中毒症状に陥った。その後遺症はまだ当分おさまりそうもない。

 サッカーくじのようなギャンブル性が少なく、しかもスポーツ振興の貴重な財源となる制度を攻撃し、投機経済の危険性には目をつぶろうとする一部の人たちの頭の構造は、わたしにはどうにも理解しがたいものである。
(1999年3月3日)
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卒業記念エッセイ


踊りまくった大学時代
軽部 美穂

 卒業するにあたって大学4年間を振り返ってみると、つくづく「よく踊ったな」という感じです。
 大学2年生の夏、友人に誘われるまま《民俗文化サークル四方山会》に入りました。これは社会人がつくったサークルで、山形の花笠踊りをはじめとして、阿波踊りや餅つき踊り、最近は北海道のよさこい踊りまで、幅広い踊りを手掛けています。私は花笠踊りと阿波踊りをマスターしました。

 1年目はとにかく踊りを覚えるのにすごく苦労しました。なにせ本格的な笠踊りでむちゃくちゃハードな上に、寺内流、上町流、…と4種類の流派の踊りを1カ月半で覚えなければいけませんでした。8月の花笠踊りの時は、まわりについていくのが精一杯でしたが、いろいろなイベントを通して、私も徐々にプロフェッショナルの域に達していきました。東京ドームでも踊ったし、東京ビッグサイトでも踊りました。これらはまだ大きな舞台の上でのパフォーマンスだからよかったのですが、一番恥ずかしかったのは、大阪の心斎橋の大丸デパートの正面玄関で、冬真っ盛りという時期に、短パンはっぴで踊ったことです。その時はさすがにさらし者の気分でした。

 2年目は、まだ2年目にして集大成って年でした。シンガポール航空50周年記念ということで、シンガポールに踊りにいってきました。すごい大舞台で、たくさんの観客の前で踊り、英語でMCまでしてきちゃいましたよ。これは最高の思い出になりました。観光もモリモリしました。さらにこの年から阿波踊りも始めて、東京の高円寺に行ってまいりました。それからというもの、この高円寺遠征も毎年恒例のものになりつつあります。

 3年目、大学4年生です。就職活動が忙しいかな?と思って自粛していましたが、結局全部踊ってしまいました。加えて、地元のお祭りにも初参加してしまい、これまた来年も参加しそうな勢いです。

 というわけで、踊りまくった大学時代でした。これからもやめるつもりはないです。それどころか最近悩んでいるのが、社会人になったらフラメンコを始めようかと思っています。私の踊りに捧げる人生はまだまだ続きそうです。今度の花笠パレードにも出る予定なので、みなさんぜひ見に来てください。他の集団は退屈かもしれないけど、私の踊りは一味違います。きっと楽しめるはず。仏語のA先生もすごくほめてくれましたよ。立松先生も1度くらいは見に来てください。
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いろいろ
佐々木 毅

 高校時代、音楽はあまり聞かなかった。兄のまねをしてサザンを聞いたくらいだろうか。大学に入って聞くようになったのは、フリッパーズ。友人の車で、家で、流れていたCDを買って、聞くようになった。カラオケで楽しそうに歌っていたユニコーンも、置いて行かれないようにと買って覚えた。いつの間にか自分の十八番になった。オリラブも友達の影響か。特徴ある歌声は新鮮な印象を受けた。

 大学に来て最初に友達になった奴らには、そういったお気に入りみたいのがあって、聞く音楽にも個性があった。私は影響を受けるだけであって、彼らにとっては新鮮さがなく、つまらない奴だったかもしれない。友達が少なかったのもそのせいか。ともかくあのころは音楽においても、自分で何が好きなのか手探りの状態だった。

 大学2年のころ、死ぬほど悩んだことがあった。自分が何のために大学に入ったのか、将来、何になるのか。毎日、似たような講義を受け、同じバイトをしていた。そんなときに不安になったのだ。限りある学生生活が、もったいない。何か始めなければ・・・と。ノイローゼとまではいかないが、仕事も勉強(これは普段から)も手につかなかった。結局どうしようもなくなって、とりあえずバイトを辞めさせてもらおうと、店長に相談に行った。

 店長と社員の2人は私の「将来の目標を見つけたい」という辞める理由を聞いて驚いた。お前ぐらいの歳でそんなこと考えるの早いよ。逆に私も驚いた。目標もって生きろというのはあんたら大人の方じゃないか。混乱気味の私に、2人は真剣に語ってくれた。父と同い年くらいの店長は何度も職を変え、今の職に就いて、ようやく進むべき方向が見え、そして現在数店舗を経営するようになってついに目標とは何なのか分かってきたという。社員の人も、長い社会生活を通して最近ようやく自分がどう進むのか分かってきたという。うん、そりゃ早いは、まだ社会人にすらなってないし、特別優れた能力だってない。それから気が楽になった。

 3年ころからお気に入りのアーティストができた。友達は聞いていないシンガーだ。バイト中に有線で聞いて即CDを買った。だれから影響を受けた訳ではない、私だけのお気に入りのアーティストだ。友達に聞かせると、お前らしいという評価が返ってきた。ようやく個性が出てきたかな。そんな気がして嬉しかった。

 自分が何であるかなんて簡単に分かるものではない。だが、自分の適性も知らずに将来なんて決められない。西武の松坂のように、自他共に認める力のある奴は高らかに目標を掲ぐ。でも普通の人間はじっくりと自分を見つめて、時間を重ねる必要がある。私も、人に影響されながら、少しずつ自分が分かってきた。傑出したところのない普通の人間だが、未知の自分の可能性に賭けつつこれからも。 
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いろいろあった一年間
 
清水 広太郎

 ぼくは昨年の今頃から就職活動を始めたが、どうも出遅れてしまったようで、四月、五月に受けた企業はほとんどが一次試験で敗退、良くても二次面接までしか進めなかった。五月がすぎると採用もだんだん先細りになり、内定をもらっていない私はあせってきた。学校の授業にもほとんど出席できず、暑い中をスーツを着て毎日毎日出歩いていた。やはり、今のような不景気では企業の採用も厳しいようで、日本の経済の厳しさを身をもって感じた。

 しかしながら、卒業したら何もしないわけには行かず、どこか働く場所を見つけなければならない。あれこれと数多く会社をさがしているうちに、ようやく、何とか内定をもらうことができた。けれども、もうこんな苦労はさせないでほしい。はやく日本の経済が回復してほしいと強く思いました。

 面接や筆記試験について具体的に振り返ってみると、面接でしゃべる内容は、どんなに工夫をしても、他の人とあまり差がつかないと思います。また、学生がいっぱい来るような有名な会社は、当然、競争率が高いわけで、かなりの難関であります。有名な会社にあこがれるという気持ちも分からなくはないけれども、中堅くらいの規模でいい会社というのをよく探した方がいいと思います。昨年一年間の経験で、私が言えるアドバイスはこのくらいです。

 就職活動を終えて山形に帰ってきた時は、何だかとても開放的な気分になった気分でした。都会にずっといたので、いなかの空気はとてもやすらぐ感じがしました。この時は、いなかもなかなかいいなあと思いました。振り返ってみれば、色々大変でしたが、なぜか思い出深い一年間でありました。やはり、何事も汗水たらして一生懸命にやることは、しんどいけれども、いい経験になるのだと思います。みなさんも、充実感のある苦労をするのも悪くはないと思います。
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あっというま
竹田 美樹

 もうあれから4年が経とうとしている。月日が経つのは本当に早いものだと実感している今日この頃である。4年前、私はまだういういしい18歳であった。今ではもう22歳になってしまって、お肌の曲がり角も過ぎ、歳をとったなあと思うことがしばしばある。「何歳?」と聞かれて「22歳」と答えるのがイヤではないが、何となく答えたくないような場合もある。“18”や“19”という響きがなつかしく、またうらやましい。でもそれは、大学4年生で、最も上の学年だからそう思うのだろうか。社会人になって働き出したらまた違ってくるのだろうか。いずれにしろ、10代から20代への変化というものは大きいものである。                                 

 ここでちょっと自分の大学4年間を振り返ってみようと思う。大学に入学する時は、きっと4年間は長いんだろうなと考えながらの入学だった。期待と不安が入り混じり、今までとは違った大学生活がスタートしたのである。一人暮らしやアルバイトなど、初めての体験もあり、徐々に大学生活にも慣れていった。今振り返ってみると、1年生の時はけっこう長く感じたが、2年生からは本当にあっという間の3年間であった。こんなに早く大学4年間が終わってしまうのなら、もっと大事に時間を使えばよかったと思っているが、もう卒業なのだから仕方がない。でも、自分のやりたいことをするのには、学生時代が一番いいと思う。時間をこんなに自由に使えることはもうないと思うから。

 私はもっと学生生活を送っていたい気分だがそうも言ってられない。これからは社会人として生活をしていかなくてはならない。お昼まで寝ているというのも、もうできないだろう。でも、きっと大学生活と同じように、時が経つのは早く「あっというま」だったなあと思う時がまたやってくるのだろう。
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戯言
千田 充朗

 私ももうすぐ卒業。本来ならば日経論ゼミでの思い出や、後輩たちへのメッセージ、先生へのお礼の言葉などを書くのであろうが、敢えていつでも話せるようなどうでもいいことを書きたいと思う。

 私の大学生活、それは絶え間なく外部からの影響を受けまくっていたことにつきる。漫画から影響を受け、ドラマから影響を受け、他人から影響を受けつづけた。漫画ではきたがわ翔の『ホットマン』『C』、ドラマではフジTV系『僕らに愛を』、NHKで放送された『ビバリーヒルズ高校白書』などがそれにあたる。私は単純なので、すぐ主人公たちの真似をしたり、台詞をパクったりした。でもそれはそれでとても楽しく、落ち込んでいるときなんかは、そういうことをすることで元気が出たりしたものである。でも、そんな私は、周りにいる人からすれば、厄介極まりない存在であったかもしれない。

 上記の作品たちのなかでも群を抜いて素晴らしいのが『僕らに愛を』である。なにが素晴らしいって、下宿の隣がスチュワーデスの寮なのである。私のアパートの隣が病院と寺だというのに。「スチュワーデスとお隣さんなんて、そうはないよなあ。そんな素晴らしい環境で、勉学に励めたらどんなにいいだろうか。いや、まてよ、そんな状況で勉強できないなあ。でもスチュワーデスと付き合ったらどうしよう」などと考えてみたりする当時の馬鹿な私。待て待て、どんな状況だろうが勉強なんかしないし、スチュワーデスを口説く度胸もテクもないよ、あんたは。今の自分からの指摘。あの頃に比べれば、今の私も数段賢くなっているようだ。

 さて、このドラマのなかに、下宿人たちが沖縄に行く話がある。そしてこの私も2月に沖縄へと旅立つ予定である。私は沖縄に何をしに行くのか。世の殿方たちが考えるようなやましい目的は全くない。どこまでも続く青い空、ほんのりとした甘い空気、どこか懐かしい三線の音色、それから一杯の泡盛と、一瞬の恋。そんなセンチでストイックな旅を私はしたいと思う。また、11月には台湾へ行こうと思う。片道の切符しか持たずに、自分の力を試し、自分を見つめなおす、そんな旅を・・・。でもきっと、ゼミのみんなは口を揃えて言うだろうね、「お前には絶対無理だ」って。まあ、ムリだけどね。
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新幹線の中で
戸田 邦亮

上野発 AM11:42。
 今、山形行きの新幹線の中にいる。なんで今になってこんなところで、このエッセイを書いているのかというと別に狙って書いているわけではない。今回のエッセイを書くにあたって、これまでの大学生活とかこれからの将来についてとか何だかんだ書きたいこともあって、結構気合いを入れていた。つもりが、提出期限ギリギリのしかもこんな新幹線の中で書いているなんて。つまりはただ忘れていただけなんですけど。まあ時間はたっぷりあるのであと何回見れるか分らない景色でもみながらゆっくり書こうと思う。今日はとてもいい天気だ。いや雲一つないし、よ過ぎる。今、ワゴンを押すお姉さん?がきた。何も買わない。そう言えば、「つばさ」に乗ってカワイイお姉さんを見たためしがない。ほんと失礼ですね。僕の好みじゃないだけです。きっと..

 大宮到着。
人がいっぱい乗ってきた。でも僕の隣には誰も座らせない。だってこんなエッセイ書いてんのに恥ずかしいし、変な人に思われるのも嫌じゃん。かわいい娘なら別にいいけど。しばらく暇だから、大学生活について振り帰ろうと思う。入学してはじめは下宿していた。あの「ムーミン谷」の近くだった。今思うとよくあんな所から通っていたなあと感心する。冬なんか雪のせいで地獄だった。しかも1年前期のフラ語のテストでいきなり寝過ごして、あの時はもう成田に帰ろうかなあなんて思ったのを覚えてる。あっという間の四年間だったけど思い出すと書ききれないからもうおしまい。

 宇都宮。
次は将来について。何かいろいろ思うことはあるんだけど、ただ一つ、「人間的にBigになりたい。」ただそれだけです。アメリカ行きを決めたのもその一歩だし。「島国根性とか大和魂っていうものが俺にもあるのなら神風を使って世界にはばたきたい。」うーん詩人だ。なんていう馬鹿なセリフはすぐに浮かんじゃうんですけどね。まあ、あくまでも現実をしっかり見つつ、その上で単純に・向上心をもって・楽しく生きていこうと思ってます。

 郡山です。
自分について。僕のダメなところ。「口ばっか。」これは昔からずっと判っていることです。だけど僕を判って欲しい人にしか、そうは思われていないかもしれない。だってそういう人にしか言わないからね。目指すところは「不言実行」!これは僕の正反対のところにある物だから、かなり難しいと思うけど。しかも既にここに書いてることがだめなんじゃん?がんばろっと。で、イイところ。これは、いずれ誰かが教えてくれるのを楽しみに待ってようと思う。

 福島をすぎた。
雪がある。やっぱ冬は雪だね。すごくいい景色なのでちょっと休憩。

 米沢。
もうすぐ山形だ。雪が降ってる。やっぱいいね山形は。無事エッセイも終わりそうです。

 最後に、こんな僕を寛大に見守ってくれた立松先生。それとゼミのみんな、今までありがとうございました。とても満足です。

 それぞれの成功を祈って。
 山形到着PM14:27。
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3人の男
平田 広幸  

大学生活を振り返ってみると、自分で何をやりたくて大学に入学したのか、また大学で何をやり遂げたのかよくわからない4年間だった。こんなことをいうと何ともやりきれない気持ちになるので、何か他人より目立つものはないかと考えた。そして、思いついたのが友人(といってもほとんど知人に近い)が他人よりも多いのではないかということである。こんなことを言うと、なんだか自分が非常に愛想が良くて誰に関しても好印象を与える人みたいに思えてくるが、実際の自分ははっきり言ってまるで逆の人間である。つまり、大学生活の4年間を私は“偽善者”として過ごしてきたことになると言えるのかもしれない(何か自分をさらに追い込んでいるとしか思えない)。

 そんな偽善者の私でも一緒に遊んでくれる物好きな人がいるものである。しかも、私を偽善者と理解しているのにもかかわらずである。その人達とは、千田君、佐々木君、毛利君、つまり日経論ゼミを2年間ともにした仲間である。他にも遊んでくれる人はいるが、代表してこの3人を挙げてみた。なぜなら、この3人はそれぞれ非常に思い出深い人間だからである。

 ここで、私が感じた3人の印象について語りたいと思う。まず、千田君であるが、この男はなかなか食えない奴である。この男を初めて見た人(特に女性)は、十中八九騙されるであろう。なぜなら、この男、可愛さアピールをするからである。実際は何を企んでいるか分からないが、はっきり言って、私よりも汚い姑息な手段を用いて人を騙す私以上の偽善者である。

 しかし、そうかと思えば、この男、一対一で飲んだりすると、非常にイイ奴なのである。「もしかして、俺騙されているんじゃねーか」と思うほど心にグッとくるようなことを言う。普段もこんな奴だったら、女性にもてまくるであろうとさえ思う。しかし、私にとってはこのギャップが千田君の大きな魅力である。おそらく、それは自分と似ている奴が近くにいるという親近感からくるものであろう。

 次に、佐々木君であるが、初めて見たときには正直言って真面目で気むずかしい人かと思ったが、実際話をしてみるとこれが実に面白い。とは言っても、腹を抱えて笑うような面白さはたまに会話の中でのぞかせる程度であるが、所々でのぞかせる彼のユーモアが私の好きな笑いの類なのである。しかも、彼は結構毒舌であり、また言葉のボキャブラリーが私よりはるかに多いため、彼から放たれる一言のインパクトは非常に強い衝撃である。

 さらに、この男、結構人の機嫌をとるのが非常に上手である。これまで幾人の人々の機嫌をとってきたのか知りたいものである。「佐々木=言葉巧みなマジシャン」というイメージは私の頭から拭い取れないであろう。いずれにしろ、彼は非常に曲者である。

 最後に、毛利君であるが、彼は3人の中で一番付き合いが古い。しかし、それにもかかわらず、一番つかみ所がなく、強かに生きている人である。カラオケに行ってめちゃめちゃシャウトして騒いでいるかと思うと、他人に非常に気をつかってみたり、はっきり言って動の動きと静の動きが両極端である。

 しかし、抑えるところはきっちり抑えていて、全く勉強していないと言ってもテストの点数は結構いい点を取ってたりするし、静まり返っている雰囲気を一瞬にして明るくすることもできる。したがって、彼には非常に多くの印象を抱いているし、多重人格者であろうかと思う時さえある。

 3人について、本人にとっては非常に納得できないだろうと思われる内容(特に千田君)をだらだらと書いてきたが、あくまでもこれは私自身の印象である。しかし、これじゃああまりにもひどくないかと思う人がいるかもしれないが、これはあくまでも彼らのほんのわずかな一面にすぎなく、良いところもまたたくさん持っている人たちである。しかし、あえて良いところを書かなかったのは、千田君、佐々木君、毛利君の3人だからである。つまり、彼らは私のひどい文章にも笑って許してくれ、むしろおいしいかもしれないと思う人たちなのである。

 こんな彼らであるから、一緒にいて面白くないわけがない。だから、2年間一緒だったゼミをはじめ、プライベートでも共に遊べたことに感謝したい。このエッセイの書き始めの時は4年間の大学生活に対して悲観的であったが、実はそんなこともなく、結構充実していたのかもしれない。
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‖199X年 夏 宮城県K市‖
毛利 起也


 ダチ公の原チャリ二ケツして静けさの中をあてもなく町を彷徨う。口にはセブンスターカスタムライト。ヘルメットなんてあるはずもない。毎日繰り返す単調な日々。目標もない夢もない将来何をしたいかなんてさっぱりわからない。今が楽しければそれでいい、たばこと気の合うダチがあればいい。朝が来れば学校に行き、部活をさぼりゲーセンにたむろする。世間体やまわりに気を使い、頭を下げて世の中を渡っていく、そんな汚ねえ社会にでたかない・・・

 そんなことしか考えてなかったころから数年がたった。気付けばもう大学4年も終わりを迎えあとすこしもすれば私も社会人だ。『光陰矢の如し』と言うが、本当に月日が流れるのは早いものだ。特に大学4年間というのは早く感じた。何も目標が無かった日々は楽しいことは楽しいが何かが欠けているような気持ちで毎日を送っていた。将来に対する不安、社会への反感・疑問、そんな自分への脱力感が自分のなかにあふれていた。高校で将来への進路を考える時期になり、他の友達は大学への受験勉強を始める者、公務員を目指す者、就職を考える者、それぞれが自分の進む道を模索していた。私は自分だけが取り残されていくような焦りを感じていた。ある日担任が大学に行き4年間で本当の自分を見つければいいのではと助言してくれた。その言葉に何かすくわれた気がした。それは結論を今出さなくてもいいという逃げ道ができたという卑怯な安心感であった。それからその安心感に守られながら大学への道を目指し、無事に山形大学に入学できたのであった。

 大学生になり初めて親元から離れて一人暮らしを始めた。見慣れない街並みに、一人暮らしの孤独感、知人のいない町、何もかもが新鮮であった。ホテルでアルバイトを始め、サークルというものにも参加し、授業もたくさんとった。大学というのはいろんな出身地の人がいて十人十色の性格の人がおり、自分自身の考え方や視野が確実に広がっていくことを感じた。人生でも最も自分の自由な時間が多く、たくさん貴重な体験もできた。3年生になりゼミが始まり、また一つ新しい世界を見れた。立松先生との出会い、優しい先輩やバカばっかりの仲間達に囲まれ本当に楽しい時を過ごせたと思う。

 就職活動もたいへん貴重な経験であった。自分が本当にしたい仕事や将来どうなりたいか、どう生きていきたいか、これでもかというくらい悩んだ。悩んだ末にでた結果が『カッコイイ』であった。一生カッコヨク生きたい、カッコヨク死にたい、カッコイイ人になりたい。バカらしいほど単純な答えだったが私はこれが一番だと思う。たった一度の人生だよ、『楽しく・おかしく・カッコヨク』生きるのが最高だと思うね。
 最後に立松先生をはじめゼミの皆さん、本当に2年間ありがとうございました。

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1日の過ごし方
薬師寺 晶子

毎日、目が覚めると昼は過ぎている。4年になり、就職が決まってからは午前中に起きることはめったにない。最近では“いいとも”が終わってしまっていることも多い。

 さすがに時計が1時や2時を回っていると、また一日を無駄にしてしまったと後悔する。テレビをつけてご飯を食べたら3時は過ぎてしまう。せめて昼前に目が覚めたらもう少し充実した日が過ごせるのに…。

 バイトがある日は4時からなので支度をして出掛けなければならない。4時から9時までバイトをして、帰りにコープに寄り、帰ってぼんやりとテレビを見て、友達と電話をする。

 12時過ぎると、今日こそ早く寝て明日は早く起きるぞ、と思うがもちろん2時に起きたのに夜の12時に寝られるはずがない。結局、雑誌や本を読んだり、テレビをつけたりして眠くなるまでの時間を過ごす。

以上が基本パターンである。これにバイトがなかったり、買い物や友達の家に行ったりという行動がプラスされる。

あまりに気の抜けた生活なので自分に嫌気がさす。しかし、卒業も近づきこういう生活ともあと少しでお別れである。

 4月からは規則正しい生活が始まるはずなのでこれもまあいいと自分を正当化している今日このごろである。
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