平成25年度「欧米文化概論」(渡辺担当分)講義録


※「欧米文化概論」=英・米・独・仏・露を研究する教員の中から、各地域1名が出講。毎年度変わる共通テーマに関して、それぞれの地域の特徴を浮かび上がらせながら、3回ほどの授業を行う。最終15回目の授業は、教員5人全員が出席し、学生も交えて討論を行う。

共通テーマ:「壁と境界」
 渡辺担当第1回:序「ベルリンの壁とその背景」――敗戦・占領・東西分裂
 渡辺担当第2回:「壁」が生んだ悲劇――崩壊9ヶ月前に射殺された最後の犠牲者と4人の国境警備兵
 渡辺担当第3回:マルティン・ヴァルザー『ドルレとヴォルフ』に見る「心の壁」



序「ベルリンの壁とその背景」――敗戦・占領・東西分裂
 1949年の東西分裂後も、人々は東西間を行き来することができた。しかし、人々の西への流出が増加すると、それに業を煮やした東ドイツ政府*は、1961年8月13日0時、東西ベルリン間68の道路を有刺鉄線で閉鎖し、2日後石の壁の建設を開始した。この授業では、敗戦から分裂、壁建設までの経緯を詳細に説明するとともに、この壁の「悲劇性」について話した。つまり、1つの街が2つに分断され(東西ベルリン市民が、壁および有刺鉄線越しに会話ができるほど狭い路地が国境線となっていた場所もあった。それだけ強引な分断だった)、壁を乗り越え逃亡しようとした市民が多数命を落としたのである。
 しかし、この「ベルリンの壁」は、さらなる「悲劇性」をはらんでいる。歴史上、世界中に壁(市壁・城壁)は建設されてきたがそれらは通常、外敵の攻撃から身を守るためのものである。「ベルリンの壁」は違う。国内にいる自らの国民が「敵」なのである。しかも、その「内部の敵」は、政府に反抗する政治犯のみを意味するのではない。理由はどうあれ、逃亡しようとする人間は射殺してよいという命令が出ていたのであるから、この「壁」の存在によって、国民すべてが「敵」となっていたと言える。

*
壁建設から50年経った2011年、ドイツのある歴史学者が興味深い新説を発表した。それによれば、当時、東独には何の決定権もなく、壁建設のゴーサインを出したのはソ連のフルシチョフ、実際に壁を建設したのは、東独に駐在するソ連軍だったということである(これまでは、東独の人民警察が建設したことになっていた)。


「壁」が生んだ悲劇――崩壊9ヶ月前に射殺された最後の犠牲者と4人の国境警備兵
 198925日夜、20歳の青年クリス・ゲフロイ(職業はウェイター、反政府主義者でも何でもない)は、別の友人1名とともに、壁を越えて逃亡することを試みる。その直前、友人となった兵士から、その夜だけ射撃命令が一時的に中止されるという情報を聞いたためである。しかし、その情報は誤りで、クリスは射殺、重傷を負った友人はそのまま連行され、懲役3年を言い渡された。「壁」の最後の犠牲者である。
 再統一後の
19919月、クリスを射殺した4人の国境警備兵に対する裁判が、ベルリン地方裁判所で開かれた。罪状は、人権を侵害する命令を拒まなかったというものである。結果、クリスの胸に銃弾を命中させたと断定された被告1名に、3年半の実刑判決が下された。
 独裁体制が崩壊し、民主化した後、旧体制の人間が裁判にかけられるのは珍しいことではない。統一ドイツでも、壁崩壊時の社会主義統一党書記長エーゴン・クレンツが裁判にかけられ、6年半の懲役を受けた(昼間は外出を許されるなど、彼への措置は甘かった)。しかし、本当に裁かれるべき「大物」は、病気を理由に裁判を回避し、チリに亡命した。クレンツに後を譲るまで13年間に亘り東独を支配した、エーリヒ・ホーネッカーである。
 本当の「大物」が逃げ失せ、まるでその身代わりであるかのように「小物」たちが裁かれる――これは確かに不合理だが、統一ドイツとしては、「小物」でも何でもいいからとにかく裁ける人間を見つけ出し裁かなければならない。なぜなら、ナチズムという大きすぎる「前科」を持っている以上、たえず民主的な国家を演じなければ、世界の舞台で立ち回ることはできないからだ。4人の国境警備兵は、23歳と24歳の若者であった。彼らもまた、「壁の犠牲者」なのかもしれない。


マルティン・ヴァルザー『ドルレとヴォルフ』に見る「心の壁」
 1987年に出された小説『ドルレとヴォルフ』は、誰も壁が崩壊するとは思っていなかった時期に、分裂とは何か、壁とは何かを問うたものである。東独のスパイとして西独に送り込まれた主人公ヴォルフには、表面上いくら華やいで見えても、西独の人々が本当に満ち足りているとは思えない。東西両ドイツとも、何の説得力のある根拠もないままに、自らの国こそが正当なドイツを引き継ぐ者であり、相手こそ野蛮なのだと主張することによって、ドイツが犯した「過去」の記憶は、ますます忘却の淵へと追いやられていく一方だからである。
 忘却されるのは、ドイツ人たちが耳をふさぎたくなるような負の遺産だけではない。かつて紛れもなくドイツの地に存在した良き伝統もまた、忘却の一途をたどっている。確かに、ナチズム以前のドイツ文化(例えばゲーテ)を異常なまでに称揚すれば、戦後の「復古主義」に再び後戻りしかねない。しかし、何もなかったところから突然2つの国が生じたかのように振る舞うのなら、ヴォルフにとって、そんな人々は――国土が半分になっているのと同じように――ドイツ人としても「半分」でしかない。
 『ドルレとヴォルフ』は、現実の壁が、東西両ドイツ人の「心の壁」、さらには「歴史との壁」となり、空間的にも時間的にもドイツを分断している状況が描かれている作品であったと言うことができる。



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