政策科学研究会報告要旨(98.1.28.)

「内部労働市場−−そのしくみと歴史−−」

安田 均

 内部労働市場とは,労働力の配分・育成がもっぱら企業内部で行なわれる事態,あるいはその場を指す概念である。すでに第1次大戦後,米国で顕著になった自発的離職率の低下に対し,制度学派はこれを競争阻害要因としてもっぱら「市場外」の問題とした。やがて教育を人に対する投資ととらえる人的資本理論により,企業特殊熟練が存在すると,その訓練費用は労使双方の負担となり,離職や解雇が抑制されることを明らかにした。これは,賃金は労働の限界生産性に規定されるとする新古典派理論に適合的な純理論的な説明である。これに対し,企業特殊熟練の内容を,単なる技能だけでなく,特定の企業の機械のくせや人間関係まで拡張し,賃金と技能との関係を少し緩めたのが,いわゆる内部労働市場論である。終身雇用や年功序列型賃金に特徴づけられるとされる日本では,東大の社研の調査研究を中心に,今日いうところの内部労働市場の諸特徴,賃金の年功カーブやOJTなどの企業内訓練が「ほぼ勤続年数」に基づく昇進・昇給や「見よう見まね」の訓練として報告されてきた。こうした調査研究の蓄積の上に内部労働市場論を取り込んだのが小池和男の「知的熟練」論であり,それに基づく日本先進論は種々の議論を喚び起こした。しかし,理論分野では,「労働力商品」概念を軸に剰余価値/搾取の存在や資本蓄積の限界(資本過剰による恐慌論)を説くことに力点が置かれ,労働力商品の商品性はなおざりにされてきた。ここで改めて,労働力商品の商品性を問題にしてみると,市場で繰り返し売買される商品には排他的処分可能性,規格性,供給対応性の3要件が求められるのに対して,主体の介在,能力の多様性,供給上の制約を特徴とする労働力の場合には,機械制の導入,普通教育の普及,景気循環等,単に市場機構に止まらない社会諸制度の助けを借りて,先の商品の3要件を満たすという関係にある。つまり,労働市場は,単に労働力の配分に止まらない,厚みをもっている。こうした観点から労働市場「内部化」を顧みると,その意義は,労働市場−社会諸制度の補完関係の一部を企業内で推し進める点にある。つまり戦後,現代資本主義の展開のひとつとして,労働力商品の供給制約の解消が外的市場との間の相対的過剰人口の吸収・排出という劇的な様相をとらないように,緩衝地帯が企業内に求められたのである。こうして,労働市場がそもそも厚みをもち,また現代資本主義の要請として労働力配分や分配の制度化が求められている以上,最近の年俸制や労働市場の流動化などの動きも一定の限界があるものとせざるをえない。なお,内部労働市場に特徴的な雇用の長期化や賃金の年功カーブは,企業規模,職種,性別,学歴によって異なる点には十分留意すべきである。