松本サイトの玄関時代の記憶>本ページのURL:

「小泉改革」

文責:松本邦彦
(2021年03月06日(土)に増築/最終更新時:2022年03月23日(水)
御意見・御感想は→松本宛メールにて。授業の受講生はWebClassメッセージやWebClass掲示板でも可。

聞き取りに協力してくださった方々に松本からも御礼申し上げます。

「筆名」年度別・五十音順さくいん
(敬称略/アルファベットの方は名前のイニシャルから松本が命名したので、読み方が違うかも…)

2021年度
HGS」「HKM」「ISY(先生)」「ISY(知人)」「TKY
2020年度
KDK」「KOM」「KUK」「TKS」「TRY」「TUI」「YSK


<見に行った>
・2005年の郵政解散総選挙当時は会社員だった父(2021年度後期・日本政治論「AHT」さん)
 仙台に小泉純一郎が遊説に来たため、広瀬通と勾当台公園の2か所を回ったそうだ。基本的に小泉にやや反対であったそうで、少し冷めた目で見ていたらしい。小泉の姿が見えたとたんに黄色い声援が飛び、演説をすれば拍手喝采という姿に、ある種ヒットラーのようなものだと思ったらしい。ナチスやヒットラーに例えるのはご法度だとかいう人が居たが、妄信的すぎると感じたようである。

 父にとっては、新自由主義がはやっていたものの、他国でその功罪両面がなんとなく見えていたために、不信感を抱いていたとのことだ。

→聞き取りをしての感想:あくまで聞き取りなので、もしかすると後から言っているだけかもしれないが、やはり、小泉改革に反対する層も一定数いたことは確かなようである。首相個人の人気もさることながら、何がそんなに人々を魅了したのか、改めて復習をし、考えたいと思う。
<好印象>
・2005年当時は40歳で教員をしていた父(天童在住)(2021年度後期・日本外交論2「TKY」さん)
 郵政解散総選挙の時、父は小泉首相を支持したという。当時はニュースの話題は郵政解散総選挙ばかりだった。小泉が圧勝していた感じがすると言っていた。小泉は「郵政を民営化するかどうか」について論点がはっきりしていたので支持したと言ってもいた。小泉はズバズバ物事を進めていくところが好印象だったらしい。父は、小泉の話の進め方もうまさも国会の答弁で感じていたようだった
→聞き取りをしての感想:自分のイメージからすると小泉さんはあまりいいイメージではなかったが、父の話を聞いているとテキパキ物事を進める一面もあることがわかった。授業中にも小泉はリーダシップがあったという話がちょくちょく出てきたのでなるほどなと感じた。それが周りの話を聞かず自分一人で物事を進めると言われていたのだなと改めて理解できた。
2001年当時は30歳近くの父母/2020年度後期・日本政治論「TKS」さん〕
・2001年当時は父は29歳で長野県で団体職員。母は26歳で主婦。

・小泉内閣に対しての改革などの印象
  父「自民党をぶっ壊す、と言って形に捉われていなかった」 「郵政改革での総選挙では刺客を送りこんだり、その選挙で当選した議員が小泉チルドレンと呼ばれていたのが印象に残っている」 「支持はしていなかったし改革の恩恵を受けていたかどうかわからない」  

 母「今までになくはっきりものを言って発言力があった。ユーモアもあって人を魅了する人だった。支持とは別だけど好きだった」
 

→聞き取りをしてみての「TKS」さんの感想:形に捉われていない様 子や人を魅了する人だったと聞いて、人気だったのはそこなのかなと思った。父親は郵政についてなど政策がどのように作用するかとかを話してくれたが、母親 は政策とかに対しては特に印象はなく、人(小泉さん個人)に対する印象が強いようだった。政治への関心の高さの違いなどもあるだろうが、政治家なのに政策 よりも個に対して引き付ける力があるのは田中角栄も同様に、すごい武器だと思った。
・酒田にいた祖父母や父母から見て/2020年度後期・日本政治論「KUK」さん
 2001年当時は64歳だった父方の祖父、59歳だった父方の祖母、33歳の父、33歳の母。全員が同じ酒田市の新堀に住んでいた。職業は、祖父は既に仕事を辞めており、祖母は専業主婦。父親は、福祉施設で働いており、母親は専業主婦であった。

 祖父は、小泉政権は支持していなかったが、一般的な自民党政治家とは異なるイメージで、北朝鮮拉致被害者の件など評価できる点は多いとのことだった。ま た、小泉政権以前の政権の印象を聞いたが、昔から自民党が嫌いらしく、特に森喜朗政権については、農協の集まりで実際に本人が話しているのを見たことがあ るらしいが、失政が目立ち、悪い印象しかなかったそう。しかし、小泉純一郎に関しては、改革をやめない姿勢、大きく政治を動かすところが良い点で良い印象 があったようである。政権が終わった後の原発に関しての動きについても触れ、ああいった政治家が今は必要だとも調査の中で言っていた。

 祖母も小 泉政権以前の政治家についてはおおむね同様のイメージを持っていたが、小泉政権に関しては、明確に支持しており、郵政民営化に関して、自分たちの税金が郵 政に使われることが無くなったので悪い印象は持っていないとのこと。父親も祖母と同様であった。特に覚えているのはそのメディア戦術だったらしく、相撲の 場面などにも出ていたので親しみやすいイメージがあったという。

 一方で母親は、小泉政権は地方にとってあまり良いことをしたわけではない(地方 軽視の路線)ため、そこまで良いイメージが無く、他の人が評価するほどではないと言っていた。靖国神社参拝もあまり良い印象が無かったらしいが、北朝鮮拉 致被害に関して教えるとテレビの映像で覚えていたらしく、その点は大きく評価できるとしていた。また、メディアでの親しみやすいイメージは父親と同様に あったらしく、利権政治を変えた政治家でその点については少し良いイメージもあったそうだ。

→ 聞き取りを終えての「KUK」さんの感想:全員に聞き取りをしてみて、母以外は小泉政権の地方軽視路線について知らなかったと調査の中で答えており、どちらかと言えば、メディア戦術が巧みで、大きく政治を動かしていたイメージが強く、良い印象しかないようだった。

 個人的にも似たような印象があり、地方軽視路線であったことは間違いないが、バブル崩壊後の日本の財政状況で、地方重視が現実的だったかと言えば、そうではないと考えており、聞き取り対象全員も同様の考えであった。

 また、メディア戦術のイメージはやはり大きかったようで、貴乃花に向けての「感動した!」といったような発言は、自分もうっすらとだが聞いた覚えがあるくらいだったので、当時は何度もテレビに出ていたのだろうなと感じ、興味深く感じられた。

・小泉政権当時に30代で山形市在住で保育士をしていた母/2020年度後期・日本政治論「YSK」さん
  講義で学んだように、母も「小泉政権の時はメディアによるアピールが多くあり、マスメディアが内閣支持率に影響を与えていることがとても伝わってきた」と 言っていた。また、小泉首相はオペラが好きで、よく観に行っていたということを初めて知った。その時に、市民から手を振られて優しく微笑みながら手を振り 返してくれたというニュースが印象的で、分け隔てなく市民に寄り添っている姿を見せていたことから、国民からの人気も高かったのではないかと言っていた。
→ 「YSK」さんの感想:授業で小泉政権について学んだときは、地方の人々の苦言などが目立っていてマイナスなイメージが残っていたが、やはり一般市民に とっては人気の高い首相だったのだなと思った。私自身小泉政権についてはプラスのイメージしかなかったので、授業を通して失敗した点や要因について詳細に 知ることが出来てよかった。
 疑問点:小泉政権においてマスメディアが国民に与えた影響について詳しく知りたいと思った。そのことについての論文をいくつか見つけることが出来たので、時間があるときに読みたい。
<パフォーマンス政治>
・小泉政権当時25歳で宮城県で主婦だった母/2020年度後期・日本政治論「KOM」さん
  変わった人が総理になったと思った。変わった人だし、何かしらの変化が起きる、良くなっていくのではないかと思った。政治に関心がないので具体的に期待す ることはなかった。変化があっただけほかの政治家よりはよかったのではないか。政策に関しても関心そのものがなかったので印象に残っている点はないが、行 動が奇抜でそちらの方が印象に残っている。横綱表彰に登壇した際に「よくやった!感動した!」と言っていたのが強烈。
→ 「KOM」さんの感想: 政治に関心がない人でも、そのパフォーマンスで関心を引き寄せたところが小泉政権の強みだったのではないかと実感した。とにかく印象に残ることをして、と にかく“変わる”という印象を強く植え付けていた。テレビが大きな力を持っていた時代だからこそできたことだと思う。政治家にはある程度の強引さとカリス マ性、派手さというのが重要なのかなと思う聞き取りだった。
<医療制度改革>
・2001年当時に沖縄で公務員をしていた父/2020年度後期・日本政治論「TRY」さん
 
 小泉改革のイメージとして、小泉首相の人気はかなりあり、ぶっ壊し屋としての印象が強かったらしい。自民党もぶっ壊すといっていて、口癖は構造改革だったそうである。

  外交面では、北朝鮮との関係に風穴を開けた存在であるという認識であった。金正日と握手をしているのが印象に残っているそうである。

  小泉改革後の生活や仕事については、変化があったことは知っているが、実生活においては、あまり変化はなかったそうで、良くも悪くも改革の影響を受けてい ない印象だった。ただ、医療制度改革については、被用者保険の医療費自己負担額2割から3割に上げられたことに対しては負担増の苦しさを感じていたらし い。

→ 聞き取りをしてみての「TRY」さんの感想:今回聞き取りをして印象に残ったのは、医療制度改革による負担が増えて少し苦しくなったといっていたところで ある。高齢者の医療費も問題になりがちだが、幼児の医療費もそれなりにかかると考えられるので、子育て世代であった両親にとってはかなり深く関わっていた 分野だったのかなと思った。私の父は上のような医療制度改革を除き、あまり小泉改革の影響を感じなかったそうであるが、これまで多くの支援や負担をしても らっていた人であればあるほどその変化にもっと敏感に反応していたのだろうと想像できる。

  また、今回の小泉改革とは直接関係ないが、北朝鮮との外交関係についても聞き取りをすることができ、対内的な小泉改革と同時に対外的にも実績を残していた ということを知れて良かった。やはり、対内的な政策も大切であるが、対外的な政策についても実績を残していたことが人気の秘訣であったのではないかと思 う。

<郵政民営化>
・2001年当時33歳の会社員だった父と31歳だった母(2021年度後期・日本政治論「HGS」さん)
 2001年当時は父は岩手県に住んでいて、母は私がちょうど2001年に生まれることになり、この年専業主婦になっていた。

 母は、小泉首相はかなり人気だったと話していた。菅義偉前首相とは違って、アピール力というか、話が上手かったからこそ、良くも悪くも続いたのだろうと話していた。自民党をぶっ壊すと言っていて、郵政民営化などを進めていったのはすごかった。母自身政治に疎く、政治に疎くても、"良くも悪くも"今までになくズバッと物言う政治家で魅力的に見えた。いっぱい力強くアピールしていたので、色々変えてくれるだろうと思っていた。政策や実績を聞かれても正直分からないけど、北朝鮮の拉致被害者の帰国は大きかったと思う、あれはすごかったと話していた。

 しかし、母は祖父(母の父)が東北電力に勤めていて、電力関係だから民主党系に入れていて、祖父に頼まれて、母を含め母方の家族は民主党系に入れていたそうだ。小泉首相に関して印象に残っていることとして、テレビで小泉進次郎氏とキャッチボールしてた姿がよく覚えてると話していた。まさか息子と一緒にテレビに出るなんて、すごいなと思ったそうだ。まさかあの後、息子が政治家になるなんて思ってもなかったそうだ。

 父も、小泉氏は今までになかったような政治家で熱狂がすごかったと話していた。短くて分かりやすい言葉で話し、小泉氏のフレーズが良かったと言っていた。小泉と言うと、その時の応援団、田中真紀子もとても印象的で、あの人も単純明快かつ勢いがあってすごかった。それを周り(国民)は良しとしてしまった、口に騙されたのだろうと振り返っていた。その父は、発信力があって嫌いではなかったが小泉氏の政策が嫌いで、小沢系に入れていたそうだ。郵便局を壊そうとしたのが嫌だったようで、「コンビニに全部持っていく」と話しており、その当時コンビニは都会にしかないのに、簡易郵便局が多い田舎を見捨てて、何でもかんでも経済重視という姿勢に疑問を持ったようだ。

 また、竹中平蔵氏についても言及していた。竹中氏のことは嫌いではないけど、極端すぎて余計なところまで壊したという印象だそうだ。「100年は年金大丈夫」と言ってたくせに、その頃100歳があまりいなかっただけで将来の見通しがひどすぎた。「自民党をぶっ壊す」と言っていたが、余計なところまでぶっ壊したからな…と呆れながら話していた。

→聞き取りをしての感想:聞き取りをしてみて、当時、一般市民にとっては"変えてくれる"と期待させてくれるパフォーマンスや力強い発言が、小泉氏の人気の要因であり、ポジティブに映っていたのだと思った。一番大きいのは、政治にあまり関心のない人々の心も動かしていた点だろう。トップには、実行力や実績も必要ではあるが、それ以上に力強さやカリスマ性が必要なのかもしれない。良くも悪くも、小泉純一郎は稀有な政治家だったと言える。

 政治に疎いと思っていた母から、北朝鮮の話が出ると思っておらず驚き、それほど大きな実績を小泉氏は残したということの裏返しだろう。安倍晋三首相が「外交が強い」ことが高く評価されて長期政権を築いたが、小泉氏は国内のみならず対外的な政策も評価されていたのも大きかったのだと思った。

 今にしてみると、地方軽視や新自由主義だと批判も多い小泉改革でマイナスのイメージが多く、パフォーマンスと実際の政策内容は、切り離して客観的かつ冷静に見ていかなければならない。しかし、当時私が生きていたら、その小泉劇場と世間に流されていたのではないかと、話を聞いて思った。

・2005年の郵政解散総選挙当時は32歳で自営業をしていた母(宮城県在住)(2021年度後期・日本政治論「HKM」さん)
 小泉純一郎の人柄については、「小泉純一郎のポスターはよく売れていた。拉致問題に取り組むなど行動力、実行力がある人という印象が強く、自分が見てきたなかで一番総理大臣らしかった。」と話していた。小泉純一郎のグッズにはとても人気があり、2002年の北朝鮮訪問などが印象に残っていることが分かった。

 母は当時子育て真っ最中であったため、「郵政民営化の影響で、ゆうちょ銀行の利率が下がったことは残念だった」と話していた。

 都市と地域の格差は感じたかという問いに対しては、特に感じていなかったそうだ。他の人にも聞き取りをすれば何か感じるところがあったのかもしれない。

→聞き取りをしての感想:小泉政権は国民から支持が厚く、政策に対する意欲やその成果も大きなものだったことが分かった。私の地元は東北の中でも特に田舎であるが、それでも小泉の人気は高く地方の支持者も多かったことが分かり、地方の人々から嫌われていたのではないかという私の予想は外れたのかもしれない。もちろん、そう感じていた人もいるとは思うが、全国的な小泉ブームが訪れていたことは事実だと思った。

 母によると、非正規雇用の拡大や自殺者数の増加などは特に自身への影響はなかったみたいだが、郵政民営化など生活の面で大きく影響が出たことが分かり、当時の一般人の声を聞くことができ、非常に興味深かった。

 小泉改革による影響は地方でも顕著にみられることが分かったが、どうしてそこまで細部にわたって人気を維持することができ、人々の記憶に残ったのかが疑問である。小泉自身の人気の高さや長期政権だったこと、あるいは改革の内容によるものなのか、これからさらに色々な人に聞き取りをして当時の様子について深く探っていきたい。

・2005年当時14歳(中学性)で仙台市在住の方。知り合いの大学職員(2021年度後期・日本政治論「ISY」さん)。
 当時は小泉さんを支持していた。(今はそうでもない。) 予定調和をぶち壊す人が好きで「そのタイミングで解散するの?!」みたいなところに好感を持っていた。「ほんとにやっちゃうんだー」といった感じ。普通ならあきらめて廃案にするようなところでやったから、すごいなと感心する反面、政治が何か変わるのかなといった不安が半分あった。

 自身の生活に影響を感じたことはなかった。今思えば格差拡大とかもあったのかもしれないが、あの時は意味「劇場型政治」に熱狂していたから気づかなかっただけかもしれない。結局小泉さんがやったことは、今に繋がる不況を引き起こしたという評価も多い。例えば、郵政で非正規雇用が増えたのは民営化のせいではないかなど。赤字続きから民営化によって経営回復した国鉄とかの民営化とは根本が違っていて、郵政は逆に経営悪化したイメージがある(度重なるかんぽの不祥事など)。

→聞き取りをしての感想:私自身小泉氏には、ほかの首相とは違って異質なイメージを持っていたので、この方の意見にはとてもうなずけた。だが人柄はよくても、後に残したものが格差拡大だったり、プラスに働かない構造改革だったりで、政治自体にはあまり好印象を持てなかった。また、同じ民営化でも根本が違うと経営状態は良くも悪くもどっちにでも振れることが分かった。郵政民営化に関して言えば、民営化したことが一概にダメだったと評価することは良くないと考えるが、それなりに経営が安定していたのならほかの産業の民営化を検討するなどの道もあったのではないかと思う。それでも郵政民営化にこだわった理由が何だったのかを知りたい思った。
<地方軽視>
・小学校の教師の母/2020年度後期・日本政治論「KDK」さん
  小泉改革の授業を受けて小泉改革は色々な公共事業を民営化していったため、一般企業からの評価は高いものであったが、国鉄などの元々公的機関の職員などか らすればこの政権をよく思わない人も一定数いた政権であった。そこで私は私の両親はどちらも公務員であの政権下ではどちらかといえば冷遇されていた側に入 るので当時の政権の評価を母に聞いてみることにした。

 母は現在小学校の教師をしていて、母自身には当時の小泉政権下の影響はあまりなかったと 言っていたが、母が小泉政権の政治を見ていての評価は現在のような地方への対応がないがしろになってしまったり、金銭面での腐敗が進行した原因を作ったの がこの政権であるとしたものであった。また、多くの公的機関の民営化により地方での過疎化の進行を速めてしまった原因もこの政権にあると評価を下してい た。しかし、全部が全部小泉政権に責任があるわけではなく、当時の小泉政権へ対する世論の支持率は高いもので小泉政権が行うことに対しての異論があまり少 ないということから、地方が廃れていってしまう要因を作らせてしまったのはある種当時の国民の意識も関係していると言っていた。

→ 「KDK」さんの感想:私は母の話を聞いて世間では小泉政権下の政治を高く評価する人が結構いた印象があったため、公的機関に就職していた人たち以外から の不満はあまりないのかなと思っていたが、小泉政権が進めてきた民営化によって地方の過疎化の進行がひどいものであったということを聞きそのことに対する 国民の不満が多かったということを聞き意外だなと感じた。

 母の話を聞いた後に色々な記事を見たりして当時の小泉政権に対する国民の評価などを調 べていたが、やはり人口の少ない地方に住む国民からの評価は低いもので、MBC南日本放送の記事によると離島などの地域では民営化によって郵便局がなくな る恐れがあるとされ、それについての反対運動まで起こっていた。この記事などを見ると確かに小泉政権はひっ迫している財政状況をなんとかするために削減で きる費用は削減しようという方針をとっていたのかもしれないが、あまりにもその方針が地方の人々に耳を傾け寄り添いながら進めていくようなやり方ではな かったのではないかと感じた。また、そのような政治方針を皮切りに現在のような都心周辺と地方では財政格差がひどいような状態を築く政治の要因の根底にあ るのも小泉政権なのではないかと感じた。今回、小泉政権の話を聞いてやはりどちらか一方を極端に優先しもう一方を切り捨てるような政治のやり方はどこかで 反発を貰ったり、優先された方をそうでない方でひどい格差を生んでしまったりするため、国民の声をちゃんと聴いた政治を行うことが重要なんだなと感じた。

 疑問点としては小泉政権時の財政はひっ迫していて地方へお金を分配したりなどの地方へ気に掛ける余裕がなかったとされているが本当に当時の政権与党はそんなに余裕がないのかと感じた。また、なぜ与党は長期的な政策を嫌い短期的な政策を好んだのかも疑問に感じた。

<格差>
・2005年当時50歳(社会科教師)で白石市在住の方。私の高校時代の社会科の先生(2021年度後期・日本政治論「ISY」さん)。
 郵政解散総選挙当時に関しては、授業で小泉内閣の構造改革によって、格差が広がり、
悲惨なことになるとさんざん生徒たちに話した記憶がある。その時の生徒の反応は、共感して聞いていたように思う。世の中を批判的に観る姿勢が、当時の生徒にはわずかに残っていたからだろう。それなりに質問もあがった。教師としては、結果として、その通りになってしまったことがとても残念だ。
→聞き取りをしての感想:?社会科教員の立場から、教員ならではの視点のお話を聞かせてもらうことができた。先生のお話しぶりから、当時の教え子たちに「世の中を批判的に観る姿勢が残っていたこと」に安心感を覚えているようだった。先生は私が高校生の時の授業中も「政治を鵜呑みにするな」「自分で調べて、自分の頭で考えて、自分の意見を持ちなさい」と常に言っている人だったので、当時の政治を生徒が自分のあたまで自分なりに解釈して、それを自分にぶつけてくれたのがうれしかったものと推察する。先生は教師の立場から、生徒たちに語った今後訪れるであろう将来予測が外れ、格差の是正が図られることを望んでいたがそうはならなかった。実際に今の若い世代が苦労していることを考えると胸が痛いというお話もあったので、自分は少しでも政治を学び、自分の意見をもって、与えられた政治参加の機会を大切にしていきたいと思った。


<田中眞紀子>

・2001年当時,新潟で専業主婦をしていた母/2020年度後期・日本政治論「TUI」さん
 
 母は、小泉首相についてあまり覚えていないようだが、派手なパフォーマンス、今までにない、型破りな政策が印象的だったそうだ。また、かっこよくて、スマートなイメージがあるとも言っていた。田中角栄首相の娘である、眞紀子氏の活躍が著しかったと繰り返し強調していた。
  テキストにも記載されていたが、田中眞紀子氏は、森政権時代に執行部の古い体質を批判していた若手議員で、派閥を超えて小泉首相を後押しした。特に、眞紀 子氏は小泉首相を強く後押しし、女性初の外務大臣を務めた。小泉氏は任期中、奥さんがいなかったそうで、海外に行く際は、眞紀子氏が「ファーストレディ」 のように同行していたそうだ。

 また、小泉首相は日本の首相として、初めて北朝鮮を訪問したと言われている。日本海側の地域である新潟県は、拉致被害者が多く、現在でも日本に帰国できて いない方もいる。実際に、角栄首相の故郷である柏崎市の方も北朝鮮に拉致されている。母は眞紀子氏の父である角栄首相が新潟県出身、自身の選挙区も新潟と いうこともあり、拉致被害者の救済に向けて、訪問を後押ししたのでないか、と推測していた。

→「TUI」さんの感想・面白かったこと:眞紀子氏は、角栄首相の後を継ぎ、新潟県の交通会社である「越後交通」の社長・会長を一生懸命に務めたそうだ。母は、眞紀子氏の話し方は角栄首相と似ている部分があるとも繰り返し言っていた。

 先に述べたとおり、新潟県は拉致被害者が多くいて、時々県内ニュースで特集が組まれているし、小・中学校の道徳の授業の中でも取り上げられている。その点で、他県の人と比べて、新潟県民は、北朝鮮に対して反感を持っている人は多いのではないかと考えられる。

 小泉首相の北朝鮮の訪問は、拉致問題の解決に向けて大きな一歩を踏み出したといえるし、その中でも、当時外務大臣であった眞紀子氏の影響は大きいと感じた。

※松本注:ちょっと勘違いがあって、小泉首相の最初の訪朝(2002年9月)時の外相は川口順子。田中眞紀子は2002年1月に更迭されていた。

《以上です》