松本サイトの玄関資料館 > 本ページのURL:http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~matumoto/ethics/houdou-kiji.htm
「調査・個人情報・倫理」資料館

  文献目録/論文・記事目録(「報道」関係) 


最終更新:2006年11月20日/2001年6月増築)


松本サイト全体の地図/御意見・御感想は→松本の掲示板(利用規定)または松本宛メールにて



 サイズが巨大化してきたのをどうしようか思案中です。検索システムは一覧性に欠けるのと手に余るのとで…。
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<あ行>

<あ>

<あい>

 I・1986「豊田商事」


「続報!豊田商事会長刺殺事件の波紋/「殺人幇助」で取材者を取調べる検察の理由」
『放送レポート』80号041-043頁 1986/05/01
 I・2002「田村耕太郎」

「今週のこの一言/田村耕太郎」
 ※田村氏が2002年5月28日付『日本海新聞』と『大阪日日新聞』両紙に書いたコラムは「全一九二行のうち約一六〇行が英経済誌『エコノミスト』の翻訳だった。」
『週刊金曜日』10巻40号(通巻441号)005頁 2002/10/18
※『大阪日日新聞』ウェブサイト:http://www.nnn.co.jp/dainichi/
※新日本海新聞社ウェブサイト:http://www.nnn.co.jp/
 相澤嘉久治・1998「山形」
相澤嘉久治(あいざわ・かくじ)
「未だ山形を闊歩する「妖怪」」
 ※「エフエム山形」について。
『マスコミ市民』358号050-056頁 1998/10/15
<あおき>

・青木英一(あおき・えいいち)

 青木英一・2003「北朝鮮」

青木英一(フリーライター)
「(日朝首脳会談1年)歪曲、誇張がまかり通る世界:テレビの北朝鮮報道を検証する」
『週刊金曜日』11巻36号(通巻487号)019-021頁 2003/09/26
・青木貞伸(あおき・さだのぶ)

 青木貞伸・1987「テレビ報道・上」

青木貞伸(放送評論家)
「問われるテレビ報道(上):米CBS『ニュース取材基準』の意味するもの」
『放送レポート』86号010-014頁 1987/05/01
 青木貞伸・1987「テレビ報道・下」
青木貞伸(放送評論家)
「問われるテレビ報道(下):米CBS『ニュース取材基準』の意味するもの」
『放送レポート』87号026-030頁 1987/07/01
 青木&須藤・1988「新放送制度」
青木貞伸(放送評論家)、須藤春夫(法政大学社会学部教授)、松田浩(ジャーナリスト)
「座談会:密室懇談会(放政懇)がまとめあげた新放送制度“台本”へのこれだけの疑問」
 ※文責編集部。
『放送レポート』90号002-010頁 1988/01/01
 青木聰子・2002「犯罪被害者・04」
青木聰子(名古屋写真店夫婦殺害事件の遺族)
 「〔インタビュー記事〕報道へ 犯罪被害者からの提言 (4)/両親を殺害された青木聰子さん(39)/「遺族の悲しみ」に固定イメージ/もっと深く正確に被害者知って」
 ※聞き手:河原理子。
『朝日新聞』朝刊 2002/05/11
 青木やよひ・2003「取捨選択」
青木やよひ(あおき・やよひ/評論家)
「私の視点/メディア/問われる取捨選択の見識」
 ※米のイラク攻撃への協力反対の意見広告(2003年1月29日付掲載)を企画して。
『朝日新聞』朝刊 2003/02/15
 赤尾光史・1997「広報」
赤尾光史(あかお・みつし/社団法人日本新聞協会研究所研究員)
 「(印刷メディアと電子化)記事データベースと人権」
『ジュリスト増刊/メディア』196-200頁。 1997/06/25
 赤坂六三郎・1997「TBSビデオ」
赤坂六三郎(放送ジャーナリスト)
「TBSビデオ問題とは何だったのか」
服部孝章・1997『放送』078-096頁 1997/08/08
 秋葉由紀彦・2002「二つの翻訳」
秋葉由紀彦(あきば・ゆきひこ/日本ベトナム研究者会議会員)
「書評/『愛は戦いの彼方へ』バオ・ニン/著、大川均/訳 二つの翻訳出版となった原作の悲劇」
 ※同書は遊タイム出版刊、1500円。
 ※原書を別の翻訳者が訳した『戦争の悲しみ』(井川一久訳/めるくまーる/1997年)への批判。
 ※「井川訳のひどさに気がついた大川氏の訴えにより、『週刊文春』が記事にしたり、月刊『正論』で大川・井川論争が繰り広げられた。しかし、井川訳と比べるものがなかったほとんどの人には、本当におかしなものであったかどうかはわからなかったと思う。」 「原文にも英訳にも登場しない人物を登場させたりしている井川訳は、もはや翻訳とは言えず、翻案である。」(038頁) 「これでは新聞記者時代の報道も怪しくなってくる。私は過去の井川氏の著作も疑わざるを得なくなった。」(039頁)
『週刊金曜日』10巻14号(通巻415号)039-039頁 2002/04/12
 浅川道雄・2003「少年非行」
浅川道雄(あさかわ・みちお/日本子どもを守る会副会長)
「少年の非行をめぐって」
 ※キーワード:少年犯罪、鴻池発言、報道規制、少年法第61条、被害者報道。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース』31号008-006頁 2003/08/15
<あさの>

・浅野健一(あさの・けんいち)

 浅野健一・1988「実名報道」

浅野健一(柏市・共同記者)
「市民のひろば/実名報道の本質」
 ※杣道郎・1988「実名報道」への批判。
『マスコミ市民』240号045-046頁 1988/09/01
 浅野&浅野ゼミ・1996「記者クラブ」
浅野健一(同志社大学教授。人権と報道・連絡会世話人)、同志社大学浅野ゼミ
「(権力介入の危機)記者クラブ問題/「キシャクラブ」廃止への第一歩:鎌倉市広報メディアセンターの実験」
 ※竹内謙(鎌倉市長)へのインタビュー記事(055-059頁)を含む。
浅野健一・1996『無責任』038-059頁 1996/12/10
 浅野健一・1996「第三者機関」
浅野健一(同志社大学教授。人権と報道・連絡会世話人)
「(マスメディアの責任と報道の自由)「第三者機関」とメディア責任制度/法規制と自主規制の瀬戸際」
浅野健一・1996『無責任』213-235頁 1996/12/10
 浅野健一・2000「オウムと被害者」
浅野健一(同志社大学文学部社会学科教授、人権と報道・連絡会世話人)
「オウムと被害者の対話/謝罪までの長かった道程/松本サリン事件被害者 河野義行/オウム真理教代表代行 村岡達子」
『週刊金曜日』8巻1号(通巻305号)019-023頁 ☆2000/01/14
 浅野健一・2000「少年実名」
浅野健一(同志社大学教授)
「報道/実名・顔写真を出すのが“調査報道”か/大阪高裁「少年実名容認」判決を嗤う」
『週刊金曜日』8巻10号(通巻314号)020頁 ☆2000/03/17
 浅野健一・2000「メディア・067」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第67回/権力と癒着 順天堂/外国の首相が偽名入院」
『週刊金曜日』8巻16号(通巻320号)029頁 2000/04/28
 浅野健一・2000「メディア・079」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第79回/少女誘拐殺害事件/英国でも議論 犯罪報道」
『週刊金曜日』8巻28号(通巻332号)054頁 2000/07/28
 浅野健一・2000「メディア・083」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第83回/『下野新聞』の介入/保障せよ社外言論活動」
『週刊金曜日』8巻32号(通巻336号)027頁 2000/09/01
 浅野健一・2000「メディア・091」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第91回/西鉄バス乗っ取り/記者仲間が嘆く恫喝取材」
『週刊金曜日』8巻40号(通巻344号)060頁 2000/10/27
 浅野健一・2000「メディア・095」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第95回/『毎日』の紙面検討委/「実名報道は当然」に疑問」
『週刊金曜日』8巻44号(通巻348号)060頁 2000/11/24
 浅野健一・2000「三田佳子」
浅野健一(同志社大学文学部社会学科教授、「人権と報道・連絡会」世話人)
「(追及 おかしな“三田佳子報道」)金曜芸能/三田佳子さん二男報道/踏まれた側から見たメディア・リンチ」
『週刊金曜日』8巻48号(通巻352号)010-015頁 2000/12/22
 浅野健一・2001「少年法」
浅野健一(同志社大学教授)
 「(第1部 犯罪報道とプライバシーの保護/第1章)少年法の精神と匿名報道主義理論」
青弓社・2001『プライバシー』051-079頁 2001/02/10
 浅野健一・2001「メディア・106」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第106回/「えひめ丸」沈没事件/被害者襲う取材は“凶器”」
『週刊金曜日』9巻8号(通巻360号)028頁 2001/03/02
 浅野健一・2001「評議会」  浅野健一・2001「続々三田佳子」
浅野健一、金曜芸能班
「(続々おかしな「三田佳子報道」)金曜芸能/マスコミの責任者 全部出てこい!」
『週刊金曜日』9巻11号(通巻363号)010-015頁 2001/03/23
 浅野健一・2001「メディア・110」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第110回/疑問多い筋弛緩剤事件/第二の甲山事件の可能性」
『週刊金曜日』9巻12号(通巻364号)030頁 2001/03/30
 浅野健一・2001「メディア・120」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第120回/大阪・校内児童殺傷事件報道/精神科患者の匿名原則無視」
『週刊金曜日』9巻23号(通巻375号)059頁 2001/06/22
 浅野健一・2001「メディア・124」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第124回/沖縄の強かん事件報道/常識変える外圧なら「歓迎」」
『週刊金曜日』9巻27号(通巻379号)059頁 2001/07/20
 浅野健一・2001「メディア・128」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第128回/続・仙台・筋弛緩剤事件/「ワンサイド報道」批判に疑問」」
『週刊金曜日』9巻31号(通巻383号)059頁 2001/08/24
 浅野健一・2001「メディア・132」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第132回/インドネシア爆弾漁法問題/「やらせ」をひた隠すNHK」
 ※1997年の報道について。
『週刊金曜日』9巻第35号(通巻387号)029頁 2001/09/21
 浅野健一・2001「メディア・136」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第136回/新宿・歌舞伎町ビル火災/暴論を振りかざす学者たち」
 ※「『朝日新聞』の「報道と人権委員会」委員を務めている浜田純一東京大学大学院教授(情報法・憲法)が最近展開している「反匿名報道主義」キャンペーンには呆れるばかりだ。」『毎日新聞』の「開かれた新聞」委員会の田島泰彦上智大学教授も犠牲者名簿の実名記載を妥当としているが、「テレビ各局は発生直後,「お心当たりの方はフリーダイヤルへ」というテロップで、警視庁などの電話番号を伝えていた。それで十分だったと思う。」 「新聞を「外部の眼」でチェックするはずの学者やジャーナリストが,新聞社の実名報道を擁護する。これでは報道被害者が「第三者」委員会に救済を求めることはほとんどないだろう。」(041頁)
『週刊金曜日』9巻39号(通巻391号)041頁 2001/10/19
 浅野健一・2002「メディア・147」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
 「人権とメディア 第147回/「メディアの良識」/実名主義が匿名発表の口実に」
 ※「一月一五日付の『毎日新聞』メディア面は、《警察発表じわじわ匿名化》などという見出しで、《事件・事故に関する警察の発表で、容疑者、被害者、関係者の名前や住所が伏せられるケースが徐々に増えている》と書いた記事を載せた。」(059頁)
『週刊金曜日』10巻3号(通巻404号)059頁 2002/01/25
 浅野健一・2002「ロス疑惑」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
 「問われる日本の犯罪報道システム:「ロス疑惑」報道に最高裁が警告」
 ※2002年1月29日の最高裁判決について。「三浦さんは八五年九月以降、共同が配信した記事などで名誉を傷つけられたと主張して共同や記事を掲載した新聞社に損害賠償を求めた六三件の訴訟を起こしている。このうち最高裁に上告されていた二〇件(併合審理を含む)のうち、今回、一九件で判決・決定があった。」(035頁)
 ※筆者は1985年当時、共同通信社ラジオテレビ局企画部勤務で、ロス疑惑報道を批判したことで「社会部系幹部」から「嫌がらせ」を受けた(034頁)。
 ※三浦氏へのインタビュー記事:三浦和義・2002「真実を報道」を含む。
『週刊金曜日』10巻5号(通巻406号)034-038頁 2002/02/08
 浅野健一・2002「メディア・151」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第151回/「性差意識」と報道/「男性社会」暴露した『朝日』」
  ※小泉首相の「涙は女の武器」発言と川口環境相の発言に「なぜ大新聞が寛容なのかよく分かったのが、二月一〇日付の『朝日』に掲載された《「性差」敏感な議論を 朝日新聞「報道と人権委員会」第6回定例会》という記事だ。」(046頁)
『週刊金曜日』10巻7号(通巻408号)046頁 2002/02/22
 浅野健一・2002「メディア・155」
浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学教授)
「人権とメディア 第155回/東ティモールへ自衛隊/過去の歴史を忘れ派兵賛美」
『週刊金曜日』10巻11号(通巻412号)059頁 2002/03/22
 浅野健一・2002「時事通信」
浅野健一(アカデミック・ジャーナリスト。同志社大学文学部社会学科教授)
 「労働者に冷たい都労委公益委員:時事通信・賃金差別事件」
 ※時事通信社にて少数組合「時事通信労働者委員会」に属し、「会社が八六年に導入した「職能資格」制度で、一二年以上にわたり最低ランクに据え置かれた」「国際派ジャーナリスト」の長沼節夫氏について。「…労働者委によると、都労委の審査を指揮する公益委員の岩村正彦・東京大学法学部教授に、組合側に不利になる不当な審査指揮が目立ったという。」(028頁)
『週刊金曜日』10巻14号(通巻415号)028-029頁 2002/04/12
 浅野健一・2002「メディア・159」
浅野健一(ジャーナリスト。同志社大学教授)
「人権とメディア 第159回/和歌山事件テープ証拠採用/捜査当局から独立した取材を」
 ※「被告人をインタビューしたテレビ各局は「無実を信じています」「うちを信用してください」などと甘い言葉で取材を依頼している。」 「…ジャーナリストの玉木明氏(元新潟日報記者)は『新聞研究』(日本新聞協会発行)二〇〇二年三月号で、「社会倫理からの視点」というタイトルで『犯罪報道の犯罪』を次のように論評している。」(033頁)
『週刊金曜日』10巻15号(通巻416号)033頁 2002/04/19
 浅野健一・2002「メディア・163」
浅野健一(ジャーナリスト。同志社大学教授。2002年4月18日から英ウエストミンスター大学の客員研究員)
 「人権とメディア 第163回/「極右」と欧州/差別感を露呈した日本の新聞」
 ※『朝日新聞』国際衛星版2002年5月9日付掲載の大野博人パリ支局長による「記者は考える」への批判。
『週刊金曜日』10巻19号(通巻420号)059頁 2002/05/24
※→同誌2002年6月21日号掲載の塩見元彦・2002「浅野氏」が批判。
 浅野健一・2002「メディア・167」
浅野健一(ジャーナリスト。同志社大学教授)
「人権とメディア 第167回/見習おう北欧型の自主規制/業界挙げて報道評議会設置を」
 ※イギリスの報道苦情委員会(PCC)、スウェーデンのプレスオンブズマンから。
『週刊金曜日』10巻24号(通巻425号)049頁 2002/06/21
 浅野健一・2002「メディア・179」
浅野健一(同志社大学教授。英ウエストミンスター大学客員研究員)
「人権とメディア 第179回/拳銃所持事件の英国報道/テロと結びつけ虚報に踊る」
 ※2002年8月29日、スウェーデンの空港で逮捕された男性についての報道で。
『週刊金曜日』10巻37号(通巻438号)025頁 2002/09/27
 浅野健一・2002「メディア・183」
浅野健一(同志社大学教授。英ウエストミンスター大学客員研究員)
「人権とメディア 第183回/欧州独立報道評議会連合/スウェーデンから学ぶ」
 ※2002年10月・マルタで開催の同「連合」(AIPCE)年次総会に参加して。「現在二〇ヵ国の報道評議会が加盟している。」(022頁)
『週刊金曜日』10巻41号(通巻442号)022頁 2002/10/25
 浅野健一・2002「メディア・187」
浅野健一(同志社大学教授。英ウエストミンスター大学客員研究員)
「人権とメディア 第187回/開かれた記者会見/ブレア英首相のメディア対応に学ぶ」
 ※『週刊金曜日』の取材報道を小泉首相や福田官房長官らが批判したことについて、「日本の政府首脳は、民主的な国では権力者がメディア批判をすることは極めて稀なことを知ったほうがいい。」(014頁) 筆者は11月4日のブレア英首相の記者会見に、「日本初の本格的インターネット新聞『日刊ベリタ』記者として参加が許された。」(014頁)
『週刊金曜日』10巻45号(通巻446号)014頁 2002/11/22
 浅野健一・2003「他人の中傷」
浅野健一(同志社大学教授。英ウエストミンスター大学客員研究員。1948年香川県生まれ)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕身内はかばうが他人の中傷には何の痛痒も感じない体質」
 ※新潮社について。
第三文明・2003『週刊誌』 【報道】062頁 2003/
 浅野健一・2003「メディア・194」
浅野健一(同志社大学教授。英ウエストミンスター大学客員研究員)
「人権とメディア 第194回/NHKニュース/反論を操作する“バランス”感覚」
 ※2002年12月4日放映「BS23ワールドニュース」での藤澤秀敏キャスター(NHK報道局)のチョムスキー映画評について。
『週刊金曜日』11巻4号(通巻455号)031頁 2003/01/31
※→その後のNHKの指摘について、6月27日号掲載:浅野健一・2003「メディア・213」
 浅野健一・2003「メディア・198」
浅野健一(同志社大学教授。英ウエストミンスター大学客員研究員)
 「人権とメディア 第198回/反戦、反政府の声/大きく伝える豪州のメディア」
『週刊金曜日』11巻8号(通巻459号)029頁 2003/02/28
 浅野健一・2003「メディア・201」
浅野健一(同志社大学教授。英ウエストミンスター大学客員研究員)
「人権とメディア 第201回/戦争とカルト/報道の原点を忘れた米メディア」
 ※イラク戦争報道と、アメリカでの少女誘拐事件報道について。
『週刊金曜日』11巻12号(通巻463号)049頁 2003/03/28
 浅野健一・2003「メディア・205」
浅野健一(同志社大学教授。英ウエストミンスター大学客員研究員)
「人権とメディア 第205回/イラク戦争報道/企業メディアを監視する「フェア」」
 ※アメリカの市民組織FAIRについて。ウェブサイト:http://www.fair.org
『週刊金曜日』11巻16号(通巻467号)073頁 2003/04/25
 浅野健一・2003「メディア・209」
浅野健一(同志社大学教授。英ウエストミンスター大学客員研究員)
「人権とメディア 第209回/ノルウェー報道評議会/市民を前に報道倫理を審理」
 ※2003年5月9日・報道評議会(正式名称:報道苦情委員会)の公開審理について。
『週刊金曜日』11巻20号(通巻471号)029頁 2003/05/30
 浅野健一・2003「メディア・213」
浅野健一(ジャーナリスト。同志社大学教授)
「人権とメディア 第213回/ドイツ報道評議会/個人情報をメディア責任制度の対象に」
 ※キーワード:ドイツ個人データ保護法、報道倫理綱領。
 ※1月31日号掲載の浅野健一・2003「メディア・194」に対するNHKからの指摘について、編集長・岡田幹治氏による追記あり。
『週刊金曜日』11巻24号(通巻475号)021頁 2003/06/27
 浅野健一・2003「メディア・216」
浅野健一(ジャーナリスト。同志社大学教授)
「人権とメディア 第216回/チョムスキー教授の見方/著の日本への攻撃はない」
『週刊金曜日』11巻28号(通巻479号)026頁 2003/07/25
 浅野健一・2003「メディア・220」
浅野健一(ジャーナリスト。同志社大学教授)
 「人権とメディア 第220回/大阪朝鮮学校/「祖国への修学旅行」止めたのはマスコミ」
 ※「八月二二日の『朝日新聞』(大阪本社13版)社会面に載った《祖国との距離 惑う保護者 大阪朝鮮学校》《修学旅行 賛否割れ》という三段記事」への批判。
『週刊金曜日』11巻32号(通巻483号)057頁 2003/08/29
 浅野健一・2003「朝鮮中央」
浅野健一(同志社大学教授)
 「(日朝首脳会談1年)朝鮮中央放送委員会が日本の放道倫理に対し不満を表明」
 ※「放道」は原文通り。「放送」「報道」どちらの誤記かは不明。
『週刊金曜日』11巻36号(通巻487号)020頁 2003/09/26
 浅野健一・2003「メディア・224」
浅野健一(ジャーナリスト。同志社大学教授)
「人権とメディア 第224回/欧州独立報道評議会連合/連帯してメディア法規制を阻止」
 ※同連合の第5回総会(2003年9月、ストックホルム)に参加して。
『週刊金曜日』11巻36号(通巻487号)057頁 2003/09/26
 浅野健一・2003「メディア・228」
浅野健一(ジャーナリスト。同志社大学教授)
「人権とメディア 第228回/最高裁テレ朝判決/謝罪の一方で賠償無しは不可解」
 ※2003年10月16日判決で。
『週刊金曜日』11巻40号(通巻491号)021頁 2003/10/24
 浅野健一・2004「メディア・259」
浅野健一(ジャーナリスト。同志社大学教授)
「人権とメディア 第259回/和歌山カレー事件控訴審/過去の犯人視報道に正面から向き合え」
『週刊金曜日』12巻24号通巻523号034頁 2004/06/25
 浅野純次・2002「メディア規制」
浅野純次(あさの・じゅんじ/2002年4月12日に日本雑誌協会理事長就任。2001年末に東洋経済新報社会長に就任。1940年生まれ)
「〔インタビュー記事〕異彩面談/メディア規制法案に反対/海外の仲間の支援得るも/業界も自らを律する必要」
『河北新報』朝刊 2002/06/10
 朝日俊弘・1987「精神衛生」 →【医療】へ移動

・浅利慶太(あさり・けいた)

 浅利慶太・2002「劇場に・03」

浅利慶太(劇団四季代表)
「ビジネス戦記/劇場に生きる (3)/政治家と幅広く交流 成功収めた海外公演」
  ※2月24日付掲載の最終回によると、本連載の「聞き手・構成は伊藤裕章」。
 ※付き合いが「一番長いのは中曽根康弘元首相で、57年ごろから30年以上アドバイザーを務めました。… でも、僕は仕事上のことでは、政治家に頼みごとをしない主義です。田中〔角栄〕さんに外貨枠をもらった時が唯一の例外です。」
『朝日新聞』朝刊 2002/02/17
 浅利慶太・2003「時の光・002」
浅利慶太(演出家・劇団四季)
「時の光の中で 第2回/昭和天皇とベルリン・オペラ来日」
 ※「一九六〇年=昭和三十五年といえば……演劇にしても、もっぱら左翼的偏向のものが多く未成熟。」(382-383頁)
『文芸春秋』81巻7号382-392頁 2003/06/01
 浅利慶太・2003「時の光・003」
浅利慶太(演出家・劇団四季)
「時の光の中で 第3回/佐藤栄作の日中秘密交渉」
 ※1967年・第二次佐藤内閣時に佐藤栄作の「家庭教師」になって。
『文芸春秋』81巻8号382-392頁 2003/07/01
 浅利慶太・2003「時の光・004」
浅利慶太(演出家・劇団四季)
「時の光の中で 第4回/『ウエストサイド物語』と田中角栄:日本初のブロードウェイ・ミュージカル公演は彼のおかげで実現した」
 ※1964年の公演のため、日生劇場に外貨10万ドルの特別枠を」認めてもらった話。
『文芸春秋』81巻10号382-392頁 2003/08/01
<あじあ>

・アジア動向研究会

 アジア動向研究会・1990「KBS闘争」

アジア動向研究会
「韓国を揺さぶったKBS闘争の一カ月」
『マスコミ市民』263号016-022頁 1990/07/01
 アジア動向研究会・1990「ドキュメント」
アジア動向研究会
 「ドキュメント KBS闘争」
『マスコミ市民』264号040-047頁 1990/08/01
 アジア動向研究会・1990「韓国KBS」
アジア動向研究会
「政府と言論−韓国KBS闘争」
『マスコミ市民』265号040-043頁 1990/10/01


<あずさ>

・梓澤和幸(あずさわ・かずゆき)

 梓澤和幸・1985「ロス疑惑」

梓澤和幸(弁護士)
「ロス疑惑逮捕報道に異議あり!」
『放送レポート』77号044-045頁 1985/11/01
 梓澤和幸・1986「報道被害者」
梓澤和幸(弁護士)
「特別寄稿 報道された側の言い分にみる−「事件報道と人権」はいま:事件報道被害者の調査から」
『放送レポート』80号058-062頁 1986/05/01
 梓澤和幸・1989「幼女連続」
梓澤和幸(弁護士/東京弁護士会報道と人権部会長)
「幼女連続殺害事件報道への疑問」
『放送レポート』101号038-040頁 1989/11/01
 梓澤和幸・1993「当番弁護士」
梓澤和幸(弁護士)
「当番弁護士制度とテレビ犯罪報道」
『放送レポート』122号028-030頁 1993/05/01
 梓澤和幸・1997「報道被害」
梓澤和幸(弁護士)
「(取材・報道の課題)報道被害救済のアクション」
『ジュリスト増刊/メディア』301-305頁。 1997/06/25
 梓沢和幸・1997「復讐方式」
梓沢和幸(弁護士)
「(メディアとプライバシー)裁くのは誰だ!? 異論・反論パパラッチ/復讐方式に反対、代案がある」
『週刊金曜日』5巻37号(通巻193号)014頁 1997/10/03
 梓澤和幸・1998「名誉毀損」
梓澤和幸(弁護士)
「(報道加害大国日本/マスコミにこそPL法を)アメリカの場合/名誉毀損に多額の賠償金」
『週刊金曜日』6巻46号(通巻250号)010-011頁 1998/11/27
 梓澤和幸・1999「柳美里裁判」
梓澤和幸(柳美里プライバシー事件の原告(被害者)側代理人の一人)
「(柳美里「石に泳ぐ魚」裁判にみる)プライバシーと表現の自由」
『週刊金曜日』7巻28号(通巻282号)050-052頁 1999/07/23
 梓澤和幸・1999「松本サリン」
梓澤和幸(聞き手、弁護士〔あずさわ・かずゆき〕)
「ロングインタビュー/松本サリン事件の捜査と弁護と報道に問われたこと:河野義行さんの弁護を担当した永田恒治弁護士にきく」
『放送レポート』161号006-013頁 1999/11/01
 梓澤和幸・2001「メディア」
梓澤和幸(弁護士)
「(個人情報保護法に騙されるな!!)メディアが信頼を取り戻すことが必要」
 ※2001年9月2日開催の「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会」出席者に編集部がインタビューしたもの。
『週刊金曜日』9巻第34号(通巻386号)013頁 2001/09/14
 梓澤和幸・2001「訂正放送」
梓澤和幸(弁護士)
「なぜNHKに「訂正放送」を命じたか:『生活ホットモーニング』東京高裁判決をめぐって」
 ※一方的な離婚経過報道について、2001年7月18日に原告女性勝訴の判決(のちNHKは上告)。筆者は原告弁護団の一人。
『放送レポート』173号026-028頁 2001/11/01
 梓澤和幸・2001「弁護士」
梓澤和幸(東京。弁護士)
「〔書評〕小池振一郎[著]『弁護士がワイドショーに出るわけ』(平凡社新書/定価七六〇円)」
『青年法律家』371号010-011頁 2001/12/25
 梓澤和幸・2002「訂正放送」
梓澤和幸(弁護士。東京)
「訂正放送認める判決獲得」
 ※梓澤和幸・2001「訂正放送」と同じくNHK『生活ホットモーニング』での報道について。
『青年法律家』373号020-021頁 2002/02/25
 梓澤&飯田・1998「毒物カレー」  梓澤&木村・2001「柳美里」
梓澤和幸(あずさざわ・かずゆき/弁護士)、
木村晋介(きむら・しんすけ/弁護士)
「(第2部 小説とプライバシーと表現の自由/第5章)柳美里プライバシー裁判の真実」
 ※初出『世界』1999年9月号(木村&梓澤・1999「柳美里」)に加筆・修正。筆者名ふりがなは本書による。
青弓社・2001『プライバシー』143-157頁 2001/02/10
 梓澤&喜田村・2002「石に泳ぐ魚」
梓澤和幸(あずさわ・かずゆき/原告女性側代理人。東京弁護士会所属。国際法曹協会(IBA)人権協会共同副議長。1943年生まれ)、
喜田村洋一(きたむら・よういち/柳美里側代理人。第二東京弁護士会所属、米ニューヨーク州弁護士。1950年生まれ)
「〔座談会〕対論 柳美里さん「石に泳ぐ魚」出版差し止め最高裁判決をどう見る/表現の自由と人格権、調整は/判決の意義と評価 喜田村氏・名誉権とごちゃまぜ 梓澤氏・人格否定の内容認定/差別する自由 喜田村氏・理念は犠牲にできぬ 梓澤氏・場合によっては制限も/国会図書館閲覧禁止 喜田村氏・問答無用は自己検閲 梓澤氏・ネット社会、やむなし」
 ※聞き手:本田雅和、中井大助。
『朝日新聞』朝刊 2002/11/28
 安達元一・2003「視聴率」
安達元一(あだち・もといち/バラエティー番組放送作家)《顔Ph有》
「私の視点/視聴率「買収」工作/現場は質より数字を重視」
『朝日新聞』朝刊 2003/11/01
 安孫子誠人・1993「編集長」
安孫子誠人
「編集長の意見」
 ※テレビ朝日・椿発言問題で。
『マスコミ市民』301号079頁 1993/12/01
 阿部重夫・2004「選択よ」
阿部重夫(あべ・しげお/『選択』元編集長)《顔Ph有》
「三万人の雑誌「選択」よ、さらば:元編集長が明かす「クオリティマガジン」の暗部」
『文芸春秋』82巻8号212-220頁 2004/06/01
 阿部博光・2003「情報操作」
阿部博光(時事通信ロンドン支局)
「ブレア英政権揺さぶる情報操作疑惑:連日の公聴会で新事実が明るみに」
『世界週報』84巻34号(通巻4113号)018-021頁 2003/09/16
 安倍寧・2003「映像とは」
安倍 寧(評論家)
「〔書評〕『映像とは何だろうか』吉田直哉[著](岩波新書・740円)」
『朝日新聞』朝刊 2003/08/03
※※書評対象書:吉田直哉・2003『映像とは』【報道】
 安倍龍太郎・2003「北朝鮮選手」
安倍龍太郎(あべ・りゅうたろう/大学生)
「私の視点/北朝鮮報道/選手へのいじめはやめよ」
 ※アジア冬季競技大会報道で。
『朝日新聞』朝刊 2003/02/16
 天野祐吉・2003「CM番組」
天野祐吉(コラムニスト)
「CM天気図/やっぱりおかしい」
 ※「「テレビショッピング」というのは、あれは番組なのかCMなのか。」
『朝日新聞』朝刊 2003/06/05
 天野祐吉・2003「消費者金融」
天野祐吉(コラムニスト)
「CM天気図/地獄極楽」
 ※キーワード:個人破産、消費者金融CM、消費者金融連絡会、タパルス博士。
『朝日新聞』朝刊 2003/06/12
 天野祐吉・2003「憲法」
天野祐吉(コラムニスト)
「CM天気図/憲法ナマごろし」
 ※キーワード:平和憲法、改憲派、自衛隊派遣、イラク特措法、政党CM、比較広告。
『朝日新聞』朝刊 2003/07/10
 雨宮秀樹・2002「雑誌人権」
雨宮秀樹(あめみや・ひでき/日本雑誌協会編集倫理委員長。1941年生まれ。文芸春秋取締役社長室長))
「〔インタビュー記事〕メディアウオッチ 異彩面談/行き過ぎの批判にこたえ 3月に「雑誌人権ボックス」 表現の自由守りたい」
 ※「ボックス」について、「自発的につくったこの第一歩をご評価いただきたい」。「報道が規制されれば、権力の言うがままの恐ろしい社会になる。」
 ※記事の筆者は、雨宮氏について、「人呼んで“倫理の鬼”。雑誌協会のみならず、出版倫理協議会やマスコミ倫理懇談会でも役職を務める。だが、過去には、写真週刊誌「Emma」の編集に携わった経験も。ビートたけし氏による「FRIDAY」襲撃事件のあおりもあって、廃刊となったときの編集長だ。」と書いている。
『河北新報』朝刊 2002/01/28
<あらい>

・新井直之

 新井直之・1990「犯罪報道」

新井直之
「犯罪報道はどうあるべきか」
『マスコミ市民』258号002-013頁 1990/02/01
 新井直之・1990「押収問題」
新井直之(創価大学教授/ジャーナリズム論)
「TBSビデオ・テープ押収問題を考える」
 ※これへの批判記事:岡庭昇・1990「新井直之氏」
『放送レポート』105号008-011頁 1990/07/01
 新井&清水・1994「椿発言」
新井直之(東京女子大学教授/ジャーナリズム論)、
清水英夫(民放連放送番組調査会前委員長、青山学院大学名誉教授/言論法)、
門奈直樹(立教大学教授/マスコミュニケーション論)
「鼎談/椿発言の「荒唐無稽」を超えて:政治報道と放送の公正を考える」
 ※文責編集部。
『放送レポート』126号002-012頁 1994/01/01
・有田芳生(ありた・よしふ)

 有田芳生・2001「乳児から」

有田芳生(ジャーナリスト、TVコメンテーター)
「私の視点/テレビ/乳児から見せ続けて大丈夫か」
 ※「テレビが発信する情報は子どもたちの自己形成と行動にどう関わっているのか。いまだ未解明の課題だ。」
『朝日新聞』朝刊 2001/12/25
※→※これに応じたのが西村佳寿子・2002「テレビ」
 有田芳生・2002「統一教会」
有田芳生(ジャーナリスト)
「司法/「統一教会」からの救出を問題視した記事が民事訴訟で敗けた本当の理由」
 ※浅見定雄氏(東北学院大学名誉教授)が室生忠氏(宗教ジャーナリスト)と掲載誌『創』の篠田博之編集長を訴えた裁判の一審判決が2001年12月17日にあった。問題となった室生氏の同誌記事について、「室生氏のこれまでの仕事を少しでも知っている者として「どうして」と疑問にも思った。ところが室生氏の担当弁護士のひとりが、統一教会の合同結婚式(一九八八年、六五〇〇組)に参加した現役信者であることがわかったとき「なるほどな」と納得したものだ。」(074頁)
『週刊金曜日』10巻4号(通巻405号)074頁 2002/02/01
 有田芳生・2002「奇跡の詩人」
有田芳生(ジャーナリスト)
「特別寄稿/麻原彰晃が「空中浮揚」した八〇年代、究極の霊感商法が破綻した九〇年代、そしていま「奇跡の詩人」に思う」
 ※2002年4月28日・「NHKスペシャル」放映の「奇跡の詩人:11才 脳障害児のメッセージ」について。
 ※キーワード:オウム真理教、統一教会(統一協会)、視聴率。
 滝本&石井・2002『奇跡の詩人』【報道】188-198頁 2002/06/28
 粟島敦・1996「爆弾犯」
粟島 敦(あわしま・あつし/フリーライター)
 「(報道被害とマスメディアの謝罪)アトランタ爆弾犯報道/アメリカ・メディアの「謝罪」と「訂正」」
浅野健一・1996『無責任』087-099頁 1996/12/10
 粟野仁雄・2003「担当記者」
粟野仁雄(あわの・まさお/司会、ジャーナリスト)
「(日朝首脳会談1年)担当記者覆面座談会/異様だったマスコミ界の1年:なんでもありの北朝鮮報道 タブーだらけの拉致問題」
 ※まとめ:編集部。
『週刊金曜日』11巻35号(通巻486号)011-015頁 2003/09/19
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<い>

<いい>

 飯田正剛・2001「イギリス」

・飯室勝彦(いいむろ・かつひこ)

 飯室勝彦・1994「無罪推定」

飯室勝彦(東京新聞・中日新聞論説委員)
 「取材・報道と「無罪推定の原則」:元気を出せ事件記者」
『自由と正義』45巻8号045-051頁 1994/08/
 飯室勝彦・2001「プライバシー」
飯室勝彦(東京新聞・中日新聞論説委員)
「(第1部 犯罪報道とプライバシーの保護/第2章)報道の自由と名誉・プライバシーとの調製」
青弓社・2001『プライバシー』081-101頁 2001/02/10
<いがら>

 五十嵐暁郎・2001「テロ対策」

五十嵐暁郎(いがらし・あきお/立教大法学部教授(政治学))
「私の視点/メディア/テロ対策 最前線の自覚持て」
 ※「テロリズムとそれに対する対応がもっと議論されるべきだ。」
『朝日新聞』朝刊 2001/10/06
・五十嵐清(いがらし・きよし)

 五十嵐清・2003「フォーカス」

五十嵐清(北海道大学名誉教授。1925年新潟県生まれ)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕史上最高額の損害賠償命令が示す『フォーカス』報道の責任の重さ」
第三文明・2003『週刊誌』 【報道】059頁 2003/
・五十嵐二葉(いがらし・ふたば)

 五十嵐二葉・1992「犯罪報道」

五十嵐二葉(弁護士)
「(特集:女性とメディア)現代日本のジャーナリズムの標本としての犯罪報道」
『マスコミ市民』284号013-017頁 1992/07/01
 五十嵐二葉・1993「記者像」
五十嵐二葉(弁護士)
「ジャーナリスト進化論/求める記者像」
『マスコミ市民』295号066-068頁 1993/06/01
 五十嵐二葉・1997「裸の司法・13」
五十嵐二葉(弁護士)
「裸の司法 (13)/「OLの夜の顔」報道はなぜ続くのか」
『週刊金曜日』5巻15号(通巻171号)018頁 1997/04/18
 五十嵐二葉・1997「裸の司法・27」
五十嵐二葉(弁護士) 「裸の司法 (27)/汚職と自殺」
『週刊金曜日』5巻29号(通巻185号)034頁 1997/08/01
 五十嵐二葉・1997「裸の司法・34」
五十嵐二葉(弁護士) 「裸の司法 (34)/パパラッチは犯罪か」
『週刊金曜日』5巻36号(通巻192号)020頁 1997/09/26
 五十嵐二葉・2002「マスコミ不信」
五十嵐二葉(弁護士。69歳)
「私の視点 特集・「メディア規制」法案/法案の根拠はマスコミ不信」
 ※「先進国では人権擁護機関が言論に介入しないのは言論が自主機関を作って被害救済を保障しているからで、個別の社内機関では足りない。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/24
 井口泰子・1999「報道特集」
井口泰子(作家)
「番組批評/TBS『報道特集』」
 ※「盗聴法案」をめぐる報道について。
『放送レポート』159号036頁 1999/07/01
<いけだ>

 池田理代子・1987「取材される側」

池田理代子(漫画家)
「(写真週刊誌とテレビに問う!?取材される側の証言)江本さんみたいに立派な体格もないから女性は本当に泣き寝入りです。」
 ※1987年2月のシンポジウムでの発言から。文責編集部。
『放送レポート』86号007-009頁 1987/05/01
<いしい>

・石井政之(いしい・まさゆき)

 石井政之・2000「モザイク」

石井政之(ライター、ユニークフェイス東京代表世話人)
「(今週の反撃)勝手にモザイクをかけられた私」
 ※2000年9月・RKB毎日放送制作の「いつかひまわり」の取材について 。
『週刊金曜日』8巻45号(通巻349号)022-023頁 2000/12/01
 石井政之・2002「石に泳ぐ魚」
石井政之(ジャーナリスト)
「出版差し止め判決で何が守られたのか:柳美里氏「石に泳ぐ魚」最高裁判決」
 ※2002年9月24日・最高裁での上告棄却について。「私は顔にアザのある者の視点で、執筆活動をしている。」「モデル女性と私には、生まれながらに「匿名性」がない。そのような特殊な境遇にある人が起こした裁判だった。」(027頁)
『週刊金曜日』10巻39号(通巻440号)025-027頁 2002/10/11
 石井政之・2003「石に泳ぐ魚」
石井政之(ジャーナリスト。1965年生まれ)
「(PART2 文学にぶら下がるオンナたち)人権侵害作家 柳美里:「石に泳ぐ魚」裁判が暴露した、その鬼畜すぎるプライバシー感覚!」
 ※「私はこの「石に泳ぐ魚」裁判の傍聴を九五年から始め、一審から三審まで裁判の過程すべてを取材してきた」(049頁)
別冊宝島・2003『バカ女』【報道】048-059頁 2003/02/06
 石井政之・2003「口唇口蓋裂」
石井政之(ジャーナリスト)
「困惑する口唇口蓋裂当事者たち/映画『レッド・ドラゴン』」
『週刊金曜日』11巻5号(通巻456号)057頁 2003/02/07
<いしか>

 石川旺・1997「出口調査」

石川 旺(上智大学教授)
「出口調査へのこれだけの疑問」
『放送レポート』1344号016-020頁 1997/01/01
 石川文洋・2004「邦人襲撃」
石川文洋(いしかわ・ぶんよう/報道写真家)《顔Ph有》
「私の視点/2邦人襲撃/戦場伝えるフリー記者」
 ※「組織と権威に重きを置く日本政府と出先の日本大使館は、フリーの人たちを軽視する傾向があり、私も体験している。」
『朝日新聞』朝刊 2004/05/29
 石川雅之・2001「筋弛緩剤」
石川雅之(死刑廃止連絡会みやぎ)
 「(金曜アンテナ)筋弛緩剤点滴混入事件報道で新聞各社相手に人権救済を申し立て」
 ※2001年9月10日・仙台弁護士会人権擁護委員会に対して。
『週刊金曜日』9巻第36号(通巻388号)007頁 2001/09/28
 石高健次・2002「拉致事件」
石高健次(いしだか・けんじ/朝日放送・報道プロデューサー)
「私の視点/拉致事件/調査報道の重要性を痛感」
 ※「テレビドキュメンタリー番組の制作者である私は97年、横田めぐみさん拉致事件を発掘し、放送した。」
『朝日新聞』朝刊 2002/09/28
 石田佐恵子・2001年「芸能人」
石田佐恵子(いした・さえこ/大阪市立大学文学部助教授)
「(第3部 芸能人とプライバシー/第11章)ワイドショーと〈芸能人〉情報の商品化」
青弓社・2001『プライバシー』234-252頁 2001/02/10
 石堂淑朗・2003「石に泳ぐ」
石堂淑朗(いしどう・としろう/脚本家・評論家。1932年広島県生まれ)
「平成我鬼草子 第71回/文藝復興のムック」
 ※扶桑社刊の季刊誌『en-taxi』の創刊号(特集:柳美里「石に泳ぐ魚」出版差し止め裁判)について。
 ※「プライバシー侵害を言い立てるモデルの怒りを押えこみ、裁判沙汰は見当違いであると説得するだけの器量人は回りにいなかったのかと。余りに智恵のない出来事だった。」(199頁)
 ※「作者は最高裁に持ち込んでいるが当然であろう。」(199頁)
『正論』371号196-200頁 2003/06/01
 石丸&西岡・2002「拉致報道」
石丸次郎(いしまる・じろう/アジアプレス)、
西岡力(拉致家族を救う会副会長)、
吉田康彦(大阪経済法科大学教授)、
岡田幹治(本誌編集長)、
司会:ピオ・デミリア(イタリア『イル・マニフェスト新聞』極東特派員)
「「拉致報道」をめぐる討論会:at外国特派員協会」
 ※2002年12月12日開催のパネルディスカッション。まとめ:同誌編集部。
『週刊金曜日』10巻50号(通巻451号)022-024頁 2002/12/20
・泉あつこ(いずみ・あつこ)

 泉あつこ・2002「ナベツネ帝国」

泉あつこ(ジャーナリスト)、本誌取材班
「“ナベツネ帝国”崩壊のはじまり:メディア規制法案に『読売』がトンデモ修正案を出した理由」
 ※木俣正剛・2002「ヤマタク」を含む。
 ※「渡邉社長が報道の自由と再販問題を引き換えたかどうかの、真偽は明らかではない。」(026頁)
『週刊金曜日』10巻19号(通巻420号)024-026頁 2002/05/24
 泉あつこ・2003「言論弾圧法」
泉あつこ(ジャーナリスト)
「(渡邉恒雄と読売新聞)「言論弾圧法」に手を貸して浴びた冷笑」
 ※『読売新聞』が2002年5月12日付朝刊で公表した個人情報保護法案の「修正試案」について。
『週刊金曜日』11巻37号(通巻488号)017頁 2003/10/03
 磯野彰彦・1996「原則署名」
磯野彰彦(いその・あきひこ/前毎日新聞労組委員長。毎日新聞経済部記者)
「(報道の現場から−報道の自由と報道被害の間で)毎日新聞・原則署名多用化/誰のために記事を書くのかを目指して」
浅野健一・1996『無責任』186-200頁 1996/12/10
 井田準三・1988「秋田魁新報」
井田準三(地方記者)
「マスコミ現場から/秋田魁新報と行政の癒着“事件”」
 ※ゴルフ場改修工事事件。
『マスコミ市民』235号016-021頁 1988/04/01
 伊田浩之・2002「長野知事選」
伊田浩之(いだ・ひろゆき/編集部)
 「(検証!長野知事選)世論に負けた大マスコミ」
 ※田中康夫前知事批判に偏った各紙の報道について。
『週刊金曜日』10巻30号(通巻431号012-013頁 2002/08/02
 市田真二・1987「エイズ」
市田真二(ジャーナリスト)
 「“エイズ”の世論操作と政府が狙うもの」
『マスコミ市民』224号002-009頁 1987/04/01
 伊地知孝・2001「石原都知事」
伊地知孝(宮崎放送労組前委員長)
「石原都知事の恫喝に 宮崎放送のこの弱腰はなんだ!?」
 ※2001年7月、宮崎県と宮崎市が都知事ら二人をヨットレースに招待し、都知事が公費出張で来県した際の取材について。
『放送レポート』173号016-019頁 2001/11/01
 市原芳夫・2003「SARS」
市原芳夫(いちはら・よしお/旅行会社社長)《顔Ph有》
「私の視点/SARS報道/正確な解説と適切な訳を」
『朝日新聞』朝刊 2003/06/14
<いちむ>

 市村佐登美・1998「記事捏造」

市村佐登美(いちむら・さとみ/ライター、翻訳。米国在住)
「アメリカで相次いだ記事捏造の不祥事とその背景」
『週刊金曜日』6巻31号(通巻235号)067-069頁 1998/08/07
 出口治明・2003「著作権」
出口治明(日本生命保険)
「「日本の国益委員会」リポート/著作権はむしろ保護期間を短くせよ」
『世界週報』84巻14号(通巻4093号)062-063頁 2003/04/15
 伊藤悟・1994「同性愛者」
伊藤 悟(いとう・さとる/フリーライター、予備校講師)
「同性愛者として生きる:風俗の面からしか扱わないマスコミ報道」
『マスコミ市民』309号044-047頁 1994/08/01
 伊藤正志・2003「裁判員」
伊藤正志(いとう・まさし/『毎日新聞』記者)
「(裁判員制度/あなたが「裁く」人になる)報道/取材封じ込めで閉ざされる司法」
『週刊金曜日』11巻27号(通巻478号)015頁 2003/07/18
 伊藤&土江・2003「有事法制」
伊藤友治(いとう・ゆうじ/1992年にTBS入社、2000年より報道局外信部長。1953年福島県生まれ)、
土江真樹子(つちえ・まきこ/琉球朝日放送報道部ディレクター。島根県出身)、
綿井健陽(わたい・たけはる/1998年からアジアプレス・インターナショナルに所属。1971年大阪府生まれ)、
コーディネーター:音 好宏(おと・よしひろ/1994年・上智大学新聞学科専任講師、1999年から同学科助教授。1961年北海道生まれ)。 《顔Ph有》
「パネルディスカッション/戦争・有事法制とメディア」
 ※2003年6月21日開催のシンポジウム「報道フォーラム2003 戦争・有事法制とメディア」(民放労連とメディア総合研究所の共催)でのパネルディスカッションをまとめたもの。
『放送レポート』184号012-024頁 2003/09/01
・稲垣 武(いながき・たけし)

 稲垣武・2003「照魔鏡・087」

稲垣 武(ジャーナリスト。京都大学卒業、朝日新聞入社、週刊朝日副編集長を経て1989年退社。1934年埼玉県生まれ)
「マスコミ照魔鏡 第87回/中一の殺人で朝日の歪んだ「良識」/教育次長自殺でも組合寄りの朝日(ほか)」
『正論』375号190-187頁 2003/09/01
 稲垣武・2003「照魔鏡・088」
稲垣 武(ジャーナリスト)
 「マスコミ照魔鏡 第88回/北朝鮮への配慮見せた朝日の紙面/似非人道主義衝いた読売テレビ批評/小泉首相の再選戦略解明した読売(ほか)」
『正論』376号180-187頁 2003/10/01
 稲垣武・2003「北朝鮮」
稲垣 武(ジャーナリスト)《顔Ph有》
「(総力特集:屈辱の「9・17」から一年/拉致は続いている)それでも北朝鮮を弁護する「懲りない面々」:いまだ健在「朝日・岩波」連合」
『諸君!』35巻10号128-139頁 2003/10/01
 稲垣武・2003「マスコミ」
稲垣 武(ジャーナリスト。1989年に朝日新聞社退社。1934年埼玉県生まれ)
「(序章 金王朝の忠犬たち)日本のマスコミはなぜ北朝鮮に弱いのか?:「金日成単独会見」のエサに目が眩み……」
 ※「左翼文化人はおおむね売れない評論家かフリーのジャーナリストに多いから、朝鮮総聯の工作に乗りやすい。」(029-030頁)
野村旗守・2003『北朝鮮』010-034頁 2003/06/27
 稲田朋美・2003「百人斬り」
稲田朋美(いなだ・ともみ/弁護士。西梅田法律事務所を主宰。自由主義史観研究会会員。日本「南京」学会会員。李秀英名誉毀損訴訟、大阪靖國補助参加訴訟などを手がける))
「「百人斬り」大虚報に頬かむりしてきた朝日・毎日の報道責任:「反戦平和」「人権至上」を謳う大新聞の非常識」
 ※2003年4月28日・東京地裁に提訴。「私は原告遺族側の代理人を務めている。」(060頁)
『正論』372号060-067頁 2003/07/01
 ※→原告の一人の記:向井千惠子・2003「百人斬り」
・稲葉三千男(いなば・みちお)
※2002年9月8日(日曜日)・75歳で死去(2002.9.10『朝日新聞』朝刊訃報欄)。
 稲葉三千男・1988「世論調査」
稲葉三千男(東京国際大学教授。元東京大学新聞研究所教授)
 「歴史を点に分解してはいけない:NHK世論調査ボツ事件の新聞報道をめぐって」
『マスコミ市民』238号024-027頁 1988/07/01
 稲葉三千男・1989「NHK会長」
稲葉三千男(東京国際大学教授)
「NHK会長の資質と責任について:硬直化の打破と内部的自由の確保を」
 ※会長は池田芳蔵氏から島桂次氏へ。
『マスコミ市民』251号046-051頁 1989/06/01
 井上正一・2002「拉致問題」
井上正一(大阪国際理解教育研究センター)
「サイの目 Vol.19/拉致問題の報道」
『季刊Sai』45号022-023頁 2002/12/01
 井上宏・1996「TBS問題」
井上 宏(関西大学教授)
「(特集:TBS事件?問われる報道の倫理)「TBS問題」に思う」
『マスコミ市民』330号034-040頁 1996/05/01
 いのうえせつこ・1988「実名報道」
いのうえせつこ(フリー・ライター)
「なぜ、実名報道なのか?:ピンクチラシ裁判報道をめぐって」
『マスコミ市民』238号010-015頁 1988/07/01
 猪瀬直樹・2002「メディア規制」
猪瀬直樹(いのせ・なおき/作家。日本ペンクラブ言論表現委員会委員長。1946年生まれ)
「(焦点 「メディア規制」法案と文学/文学界にも危機感/受け止め方、作家3人に聞く)表現の萎縮 招く恐れも」
 ※聞き手:学芸部・加藤修。
『朝日新聞』朝刊 2002/04/19
 猪野憲一・2002「人権擁護法案」
猪野憲一
「〔インタビュー記事〕焦点 人権擁護法案とメディア (下)/「国が規制」はおかしい/桶川ストーカー殺人事件被害者の父親 猪野憲一さんに聞く/まずマスコミが努力を」
 ※聞き手:企画報道室・南島信也。同記事の(上)が、佐久間達哉・2002「人権擁護法案」【行政】。
 ※「法案の全文を読みました。被害者保護という視点だけなら、いい法案だなと感じました。」しかし「警察によってマスコミと隔離された状況を打ち破って、警察のウソを暴いてくれたのはマスコミです。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/12
 猪野&猪野・2003「被害者」
猪野憲一・猪野京子(桶川ストーカー殺人事件被害者家族)、
河原理子(朝日新聞編集委員)、
清水 潔(日本テレビディレクター・元『フォーカス』記者)、
袴田直希(日本テレビプロデューサー)、
コーディネーター:田島泰彦(上智大学教授)
「シンポジウム 被害者報道の新しい形を求めて」
 ※2003年1月18日・上智大学にて開催のシンポジウムの一部をまとめたもの。編集部による「「なぜ殺された?」と問いつづけて:桶川事件・国賠訴訟判決」(039-040頁)を含む。
『放送レポート』182号030-040頁 2003/05/01
 今井恭平・2002「ゴビンダ氏」
今井恭平(いまい・きょうへい/ジャーナリスト。無実のゴビンダさんを支える会・会員)
「書評/『神様、わたしやってない!』無実のゴビンダさんを支える会/編 ゴビンダ氏有罪判決は法の自殺に等しい」
 ※同書は現代人文社刊、650円:無実の・2001『ゴビンダさん』
 ※本書は、「事実を提示することで真実を示す、という方法において、大仰な修飾、差別的決めつけ、根拠のない主観的叙述に充ち満ちた佐野氏の「ノンフィクション」小説〔佐野眞一著、新潮社刊の『東電OL殺人事件』を指す〕の人為的手法とは、両極をなすものと言えよう。」(040頁)
『週刊金曜日』10巻5号(通巻406号)040-041頁 2002/02/08
※→『東電OL殺人事件』著者の弁が佐野眞一・2001「固有名詞」
<いまむ>

 今村征司・1988「人権侵害」

今村征司(弁護士/日本弁護士連合会「人権と報道」シンポジウム実行委員
「テレビ報道と人権侵害:日弁連が実施した実態調査をまとめて」
『放送レポート』90号012-016頁 1988/01/01
伊豫田康弘・1997「視聴者」
伊豫田康弘(いよだ・やすひろ/東京女子大学現代文化学部教授。1945年生まれ)
「(受け手論の立場から)視聴者選択の変化と放送の将来像:多メディア・多チャンネル時代に期待される役割とは」
民放連研・1997『放送の自由』127-159頁 1997/09/05
 岩倉誠一・1995「迷路」
岩倉誠一(早稲田大学教授)
「迷路に入ったメディアの倫理」
『マスコミ市民』323号048-051頁 1995/10/01
 岩下俊三・1997「NPO」
岩下俊三(ジャーナリスト)
「NPOニューズ結成:報道現場の閉塞感から」
 ※筆者らは「報道をNPOで考える会」を結成。
服部孝章・1997『放送』206-213頁 1997/08/08
 岩辻賢一郎・2003「NHK」
岩辻賢一郎(医師)
「投書/放送番組を削除するNHK」
 ※NHKが「NHK人間ドキュメント」の2003年6月27日放送分「死を覚悟の生涯遍路」を放送記録から削除していることについて。同番組の主人公は指名手配中の容疑者として放送後に逮捕。呉智英・2003「遍路」と同じ番組か。
『週刊金曜日』11巻29号(通巻480号)060頁 2003/08/01
 岩渕功一・2003「外国人風」
岩渕功一(いわぶち・こういち/国際基督教大学助教授(メディア・文化研究))
「私の視点/事件報道/「外国人風」という根拠は」
 ※容貌と言語から「「日本人」か「外国人」かを決めるのは危険な人種主義である。」
『朝日新聞』朝刊 2003/02/08
 岩本太郎・2003「オウム報道」
岩本太郎(いわもと・たろう/ジャーナリスト)
「私の視点/オウム報道/「不安」と「危険」検証必要」
 ※「実際、オウム騒動の現場では、メディアではほとんど報じられないような現実が見られる。」
『朝日新聞』朝刊 2003/01/18
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<う>

 上田哲・1990「誤報」

上田 哲(日本マスコミ市民会議・代表理事)
「“誤報”について」
『マスコミ市民』262号010-021頁 1990/06/01
 上野千鶴子・2001「豊胸材」
上野千鶴子(うえの・ちずこ/東京大学大学院教授)
「書評/科学者としての危機感が書かせた論争的書物/『裁かれた豊胸材』マーシャ・エンジェル/著、野一色△晴(のいしき・やすはる)/監修監訳」
『週刊金曜日』9巻33号(通巻385号)060-061頁 2001/09/07
・魚住 昭(うおずみ・あきら)

 魚住昭・2001「渡邉恒雄」

魚住 昭(ジャーナリスト)
「「渡邉恒雄 メディアと権力」を取材して」
 ※2000年10月・民放労連主催の集会での講演のまとめ。
『放送レポート』169号010-018頁 2001/03/01
 魚住&原・2001「記者クラブ」
魚住 昭(ノンフィクションライター)、
原 寿雄(はら・としお/ジャーナリスト)、
藤森 研(ふじもり・けん/朝日新聞論説委員)、
岩崎貞明(いわさき・さだあき/メディア総研運営委員/司会)
「座談会 どうする記者クラブ」 『放送レポート』173号002-014頁 2001/11/01
 魚住&大谷・2003「渡邉恒雄」
魚住 昭(ジャーナリスト。1975年から1996年まで共同通信社勤務)、
大谷昭宏(おおたに・あきひろ/ジャーナリスト。元読売新聞社大阪本社勤務)
「(渡邉恒雄と読売新聞)対談/大衆に迎合し、大衆を蔑視する」
 ※司会:岡田幹治(本誌編集長)。まとめ:平井康嗣(編集部)。
『週刊金曜日』11巻37号(通巻488号)009-013頁 2003/10/03
 内田樹・2002「読まれて本望」
内田 樹(うちだ・たつる/神戸女学院大教授)
「eメール時評/読んでもらえりゃ本望だ」
 ※「あなたが書いた本を全部裁断する代わりに1億円払うというのと、全国の図書館に無料配布するのとどちらがいいか問われたら、私は迷わず後者を選ぶ。〔改行〕 いま一瞬でも答えをためらった人はおそらく表現者には向いてないと私は思う。」
 『朝日新聞』朝刊 2002/12/12
※→筆一本で家族を養っている身になったらためらって当然かもというのもありますが、他人の「表現者」への向き不向きを自分で勝手につくった二者択一論で決めようという点には、どこか、この方の10月30日付掲載:内田樹・2002「学歴ワイン」【研究・教育】に感じたのと似た違和感を覚えます。何だろう…?
 内山勢・1998「相談窓口」 ・内山卓郎(うちやま・たくろう)

 内山卓郎・2001「記者クラブ」

内山卓郎(ルポライター)
「転機を迎える記者クラブ制度」
『週刊金曜日』9巻第29号(通巻381号)026-029頁 ☆2001/08/03
 内山卓郎・2001「記者クラブ制度」
内山卓郎(ルポライター)
「(特集:言論・表現の自由の転機:「個人情報保護法案」とメディア)崩壊をはじめた記者クラブ制度:閉鎖性と便宜供与をめぐる問題点」
『世界』693号117-127頁 2001/10/01
・梅津由実子(うめつ・ゆみこ)

 梅津由美子・2000「論壇」

 梅津由美子・2001「報道被害者」
梅津由美子(編集者)
 「(特集:言論・表現の自由の転機:「個人情報保護法案」とメディア)報道被害者が真に救われるために」
『世界』693号132-136頁 2001/10/01
 漆原良夫・2002「個人情報保護法案」
漆原良夫(うるしばら・よしお/公明党代議士。比例北信越ブロック。公明党広報委員長、法務部会長、弁護士。57歳)
 「〔インタビュー記事〕どうする個人情報保護法案 (中)/報道への提供に配慮を」
 ※聞き手:大島隆。
 ※「強行採決のようなことはすべきでない。しかし、野党に言論統制の一環だと言われると、妥協の余地がなくなってしまう。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/17
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<え>

・江川紹子(えがわ・しょうこ)

 江川紹子・1993「山崎浩子さん」

江川紹子(フリージャーナリスト)
「山崎浩子さん騒動/限度をこえたマスコミの報道と姿勢」
『マスコミ市民』294号006-009頁 1993/05/01
 江川紹子・2003「白ずくめ」
江川紹子(ジャーナリスト)
 「私の視点/白ずくめ集団/不安あおるより事実調査を」
 ※「奇異な服装や言動は、反社会性、危険性とは必ずしもイコールではない。むしろ、ふつうの格好はしていても、統一教会のように問題のある集団が存在する。」「現在のアーレフ」の「勧誘する時の、だましの手口はオウムの初期より悪質になっている。」
『朝日新聞』朝刊 2003/05/10
 S・1987「餞別」

「餞別」
『マスコミ市民』224号059頁 1987/04/01
 枝野幸男・2002「報道の是非」
枝野幸男(えだの・ゆきお/衆院議員(民主党)。弁護士。37歳)
「〔インタビュー記事〕焦点 言論はいま (下) 自由と統制/報道の是非 市民が判断」
 ※聞き手:企画報道室・西前輝夫。
 ※同時掲載:中山元・2002「ネットの自由」【報道】。
『朝日新聞』朝刊 2002/05/03
 H・1986「殺人幇助」

「取材活動が殺人幇助で告発された:永野会長刺殺事件の波紋」
『放送レポート』79号032-035頁 1986/03/01
M・1987「夜回り」

「記者のメモ帖/夜回り」
『マスコミ市民』223号054-055頁 1987/03/01
 榎&加藤・1997「ペルー大使」
榎 彰(えのき・あきら/元共同通信社論説委員長(1994年退社)。東海大学平和戦力国際研究所教授)、
加藤 朗(かとう・あきら/1996年より桜美林大学国際学部助教授)、
橋本 宏(はしもと・ひろし/1964年外務省入省。1995年より外務報道官)
《顔Ph有》
「(特集:ペルー大使公邸占拠事件の教訓)座談会/ジャーナリズムの使命 政府の責任:成熟した関係をどう築くか」
 ※司会:近藤大博(本誌編集顧問)。
『外交フォーラム』10巻6号(通巻106号)029-039頁 1997/06/05
 海老原高明・2004「週刊文春」
海老原高明(えびはら・たかあき/『週刊ポスト』編集長。47歳)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕週刊文春出版禁止 どう考える/書く側/狙いは「雑誌封じ込め」」
 ※聞き手・塩倉裕。
『朝日新聞』朝刊 2004/03/23
 江本孟紀・1987「取材される側」
江本孟紀(野球解説者)
「(写真週刊誌とテレビに問う!?取材される側の証言)写真週刊誌も問題だがもっと悪いのは芸能レポーター番組だ。」
 ※1987年2月のシンポジウムでの発言から。文責編集部。
『放送レポート』86号006-007頁 1987/05/01
 遠藤薫・2003「ネット」
遠藤 薫(えんどう・かおる/学習院大教授。社会システム論。日本社会情報学会副会長)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕ネットとジャーナリズム/情報環境が「フリマ」化/警戒と反発 負の連鎖/「協働」で新しい力を」
 ※聞き手:上治信悟。
『朝日新聞』朝刊 2003/10/05
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<お>

・大石泰彦(おおいし・やすひこ/1961年生まれ)

 大石泰彦・1997「フランス」

大石泰彦(関西大学社会学部助教授)
 「(表現の自由論の現況)フランスにおけるマス・メディアの自由」
『ジュリスト増刊/メディア』242-246頁 1997/06/25
 大石泰彦・2002「人権擁護法案」
大石泰彦(関西大学社会学部助教授)
「危ない! メディア規制3法案/“印籠”を振りかざしても解決しない:人権擁護法案」
 ※「しかしそれにしても、行政がいきなり犯罪被害者の人権の庇護者として登場するなどというのは常軌を逸している。」(066頁)
『週刊金曜日』10巻8号(通巻409号)062-066頁 2002/03/01
 大上朝美・2004「俳句の類句」
大上朝美
「単眼複眼/俳句の「類句」をめぐって/車谷氏の「表明」受け議論に」
 ※車谷長吉「ぼんくら:おわびと訂正」『新潮』2004年2月号を受けた秋山巳之流氏、筑紫磐井氏らの主張(『俳句界』2004年3月号)について。
『朝日新聞』朝刊 2004/03/12
※→車谷氏の句を「盗作」と指摘した恩賀とみ子氏が、『新潮』2004年2月号掲載の車谷氏の反論で名誉を傷つけられたとして車谷氏と新潮社を相手どって損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こす予定とのこと(2004.5.5『朝日新聞』朝刊「車谷長吉氏らに損害賠償請求へ」)。
 大久保史郎・1987「豊田商事」
大久保史郎(立命館大学教授/憲法)
「(総点検!豊田商事会長刺殺事件現場「報道陣告発」事件)取材活動に殺人幇助罪適用の動きは看過できない」
 ※1986年・民放労連主催「報道フォーラム86」での講演の要約。文責編集部。
『放送レポート』85号050-054頁 1987/03/01
 大島&宮台・2001「見る見ない」
大島慶久(おおしま・よしひさ/医学博士、参院議員)、
宮台真司(社会学博士、東京都立大学助教授)
「対論/見る・見ないは市民が決める」
『週刊金曜日』9巻362号010-015頁 2001/03/16
 大滝和房・1991「指紋押捺」
大滝和房
「マスコミ取材現場から/韓国側から評価された『朝日』の指紋押捺問題記事」
『マスコミ市民』268号66-69頁 1991/01/01
 大嶽秀夫・2003「久米キャスター」
大嶽秀夫(おおたけ・ひでお/京都大教授。1995年から日本テレビ系の報道番組「ウエークアップ!」に月1回ほどコメンテーターとして出演。1943年岐阜県生まれ)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕三者三論/久米キャスターの18年/政治 善悪の衝突に単純化」
 ※聞き手:川本裕司。
『朝日新聞』朝刊 2003/09/26
 大月隆寛・2003「ネット社会」
大月隆寛(おおつき・たかひろ/民俗学者)《顔Ph有》
「私の視点/ネット社会/「悪意むき出し」嘆く前に」
 ※キーワード:オールスターのファン投票、ネット世論調査、少年犯罪事件、実名報道。
『朝日新聞』朝刊 2003/07/12
 大槻義彦・2003「オカルト・109」
大槻義彦
 「反オカルト講座 第109回/NHKオカルト?」
 ※NHKラジオ「ラジオ深夜便」、「心の時代」について。
『噂の眞相』25巻11号(通巻300号)086頁 2003/10/01
 大林宣彦・2002「北朝鮮報道」
大林宣彦(おおばやし・のぶひこ/映画作家。64歳)
「私の視点 特集・北朝鮮報道を考える/「情報偏食」から抜け出せ」
 ※「情報が世に溢れれば溢れるほど、僕らは自らが好み求める情報ばかりを、多量に手に入れようと欲する。僕はこの現状を「情報偏食時代」と呼ぶ。」
『朝日新聞』朝刊 2002/12/08
 大平健・2000「盗用」
大平 健(おおひら・けん/精神科医)
「私のメディア批評/「盗用」に見る独自取材の欠如」
 ※『朝日新聞』広島支局員が『中国新聞』記事を盗用した事件で。
『朝日新聞』朝刊 2000/07/21
  ※参照:資料目録
 大矢和雄・1991「医学事典」
大矢和雄(山陰放送報道制作局記者)
「(医学報道最前線:先端医療取材に今何が求められているか)医学事典片手に取材をつづけた裕弥ちゃん報道の10カ月」
 ※1990年12月・民放労連主催「報道フォーラム90」から。文責編集部。
 ※※「フォーラム」の討論部分は009-011頁。
 ※「医療」記事目録にも収録
『放送レポート』109号007-008頁  1991/03/01
 岡村黎明・2003「戦争」
岡村黎明(おかむら・れいめい/大東文化大学教授。ジャーナリズム論、国際メディア論専攻。1933年生まれ)
「(特集:試練に立つ平和主義)テレビ・ジャーナリズムは戦争をどう伝えたか」
『論座』97号064-069頁 2003/06/01
 小川一・1995「犯罪報道」
小川 一(毎日新聞社会部記者)
 「また岐路に立つ犯罪報道:止まぬ過剰報道、横行する匿名広報」
『マスコミ市民』315号008-017頁 1995/02/01
 岡崎純一・2000「隣人トラブル」
岡崎純一(ジャーナリスト)
「紛争拡大で問われる「隣人トラブル」に介入するテレビのとんだ役割」
 ※フジテレビ「スーパーナイト」の報道について。BRCが1999年12月に決定下したが…。
『放送レポート』167号018-021頁 2000/11/01
・小笠原信之(おがさわら・のぶゆき)

 小笠原信之・1987「若王子」

小笠原信之(フリー・ジャーナリスト)
「不可解、不透明づくしの「若王子」報道」 ※三井物産マニラ支店長誘拐事件。
『マスコミ市民』225号022-025頁 1987/05/01
 小笠原信之・1988「公安記事」
小笠原信之(ジャーナリスト)
 「たれ流し公安記事を切る:本当のオオカミは何か?」
『マスコミ市民』240号030-041頁 1988/09/01
 小笠原信之・1993「要所要所」
小笠原信之(フリージャーナリスト)
「マスコミ送り手、受けて/「要所要所にバカがいる」」
 ※テレビ朝日・椿発言問題で。
『マスコミ市民』301号076-078頁 1993/12/01
 小笠原信之・1995「おつきあい」
小笠原信之(フリー・ジャーナリスト)
「マスコミ 送り手、受け手/取材先との“おつきあい”」
 ※ジャーナリストと政府審議会・市民団体との関係について(題材:岡島成行・1994「日米環境」)。
『マスコミ市民』314号040-042頁 1995/01/01
 小笠原信之・1995「圧力」
小笠原信之(フリー・ジャーナリスト)
「マスコミ 送り手、受け手/その筋からの圧力」
『マスコミ市民』315号046-048頁 1995/02/01
 岡島成行・1994「日米環境」
岡島成行(読売新聞解説部)
「環境ジャーナリストの会のページ/リポート/日米環境ジャーナリスト会議に出席して」
 ※「環境報道について、日米双方で最も意見が対立したのは、ジャーナリストが政府の審議会に参加したり市民団体の運営に参加するべきかどうか、であった。〔改行〕アメリカ側は口をそろえて「政府にもNGOにも参加すべきでない」という意見だった。それに対し、日本側は「ケースバイケースでいいのではないのか」という意見だった。」(032頁)
『グローバル・ネット』((財)地球・人間環境フォーラム)47号(1994年10月号)032頁 1994
※→これについて書いたのが、小笠原信之・1995「おつきあい」
 岡田晃房・1994「オカルト」
岡田晃房(おかだ・てるふさ/フリーライター。1957年生まれ)
「オカルトを煽って答えを出さないマスコミ」
呉智英・1994『オカルト』064-070頁 1994/05/15
 岡田&坂本・1999「Vチップ」
岡田晋吉(おかだ・ひろきち/民放連・番組規制に関する特別部会長。中京テレビ副社長)、
坂本 旬(さかもと・じゅん/法政大学文学部専任講師/情報教育論)、
田島泰彦(たじま・やすひこ/神奈川大学短期大学部教授)、
村木良彦(むらき・よしひこ/メディアプロデューサー)、
服部孝章(はっとり・たかあき/立教大学社会学部教授)
「パネル・ディスカッション/Vチップ テレビ番組遮断装置は是か非か」
 ※1998年12月・東京・メディア総研主催のシンポジウムの記録をまとめたもの。
『放送レポート』157号020-045頁 1999/03/01
 岡留安則・1997「公人私人」
岡留安則(おかどめ・やすのり/『噂の真相』編集長)
 「(メディアとプライバシー)裁くのは誰だ!? 異論・反論パパラッチ/公人と私人の境界線」
『週刊金曜日』5巻37号(通巻193号)016頁 1997/10/03
 岡庭昇・1990「新井直之氏」
岡庭 昇(テレビ・ディレクター)
「公権力は民衆の代弁者か:新井直之氏の「TBSビデオ・テープ押収問題を考える」を批判する」
 ※批判対象:新井直之・1990「押収問題」
『放送レポート』107号040-042頁 1990/11/01
 岡村黎明・1997「地球時代」
岡村黎明(おかむら・れいめい/立命館大学国際関係学部教授。1933年生まれ)
「(ジャーナリズム論の立場から)地球時代の放送ジャーナリズムを:開かれた新しい報道への道」
民放連研・1997『放送の自由』161-204頁 1997/09/05
 岡本厚・2002「編集後記」
岡本 厚(本誌編集長)
「編集後記」
 ※「本誌一九九九年九月号「特集・交通死 -- 被害者の視点から」の執筆者の一人であった田中卓氏が、昨年一一月二七日、詐欺の疑いで逮捕され、一二月一八日、起訴された。直接の逮捕容疑は、交通事故被害者の一遺族から、裁判の証拠にかかわる鑑定を行なうと称して、三六〇万円を詐取したというものである。」 「…この特集は、交通事故の実態を伝え、放置された被害者の救済を訴える目的で企画した。にもかかわらず、この特集を読んだ被害者が、田中氏とかかわることによってさらにその苦しみを深くしたとするなら、編集責任者として、痛恨の思いという以外にない。遺憾の意を表明する。」
『世界』699号304頁 2002/03/01
 岡本篤尚・2000「スパイ防止法」
岡本篤尚(おかもと・あつひさ/広島大学助教授=憲法)
「(社会)絶妙のタイミングで浮上した「スパイ防止法」の危険な目的」
『週刊金曜日』8巻36号(通巻340号)060頁 2000/09/29
・奥平康弘(おくだいら・やすひろ)

 奥平康弘・1995「葦の髄・03」

奥平康弘(国際基督教大学教授)
「葦の髄から(3)/映画“Natural Born Killers”と小説『悪魔の詩』をめぐって」
※キーワード:殺人描写、イギリス映画倫理委員会(BBFC)、イスラム教、blasphemy(涜神、神聖冒涜)。
『書斎の窓』443号013-021頁 1995/04/01
 奥平康弘・1997「放送の自由」
奥平康弘(国際基督教大学教授。東京大学名誉教授。1929年生まれ)
「(憲法論の立場から)放送の自由をめぐるパラダイム転換:個人の表現の自由と制度的な表現の自由の関係について」
民放連研・1997『放送の自由』001-037頁 1997/09/05
 奥平康弘・2002「言論統制」
奥平康弘(憲法研究者)
「「やさしい顔」の言論統制」
 ※2002年3月2日開催の集会「メディア規制三法案反対緊急集会“やさしい顔”の言論統制」での基調講演をまとめたもの。
『放送レポート』177号018-023頁 2002/07/01
・奥津茂樹(おくつ・しげき)

 奥津茂樹・1996「情報公開・2」

奥津茂樹(「情報公開法を求める市民運動」事務局長)
「情報公開とマスコミ(2)/プライバシーの保護は情報公開とともに」
『放送レポート』138号060-064頁 1996/01/01
 奥山&奥山・2002「犯罪被害者・02」
奥山幹夫(おくやま・みきお/62歳)、奥山紀江(おくやま・としえ/60歳)(「奥山美智子さん殺害事件」遺族)
「〔インタビュー記事〕報道へ 犯罪被害者からの提言 (2)/豪州で娘・美智子さんを殺害された 奥山幹夫さん・紀江さん/夜・朝の「取材攻撃」に恐ろしさ/事件解決に役立つ報道 考えて」
 ※聞き手:河原理子。
『朝日新聞』朝刊 2002/05/09
・小倉利丸(おぐら・としまる)

 小倉利丸・1997「ペルー占拠」

小倉利丸(富山大学教員)
「今週の反撃/検察庁幹部の「ペルー占拠ゲリラ情報を規制せよ」はインターネットつぶしの暴言」
『週刊金曜日』5巻9号(通巻165号)069頁 1997/03/07
 小倉利丸・1999「TBS」
小倉利丸(富山県富山市・ネットワーク反監視プロジェクト)
「論争/TBSは法務省の不当介入に屈するな」
 ※1999年7月放映「筑紫哲也News23」について。
『週刊金曜日』7巻28号(通巻282号)064頁 1999/07/23
 オコーノ・2004「映像」
ピーター・オコーノ(Peter O'Connor/1949年ロンドン生まれ。武蔵野大助教授(メディア史))《顔Ph有》
「映像が遠ざける真実/メディア総動員の戦い/見たいものしか見えなくさせる幻想の威力」
『朝日新聞』朝刊 2004/06/10
・尾崎一馬

 尾崎一馬・1994「美容師」

尾崎一馬(新聞記者)
「マスコミ現場/美容師バラバラ殺害事件」
『マスコミ市民』309号064-066頁 1994/08/01
 尾崎一馬・1994「松本毒ガス」
尾崎一馬(ジャーナリスト)
「マスコミ現場/松本毒ガス事件」 ※松本サリン事件報道。
『マスコミ市民』311号050-052頁 1994/10/01
 尾崎一馬・1996「伊藤正孝」
尾崎一馬(ジャーナリスト)
「伊藤正孝の死」 ※欠陥車キャンペーンとアフリカ報道の第一人者。
『マスコミ市民』328号088-090頁 1996/03/01
<おだぎ>

・小田切誠

 小田切誠・1997「大使公邸」

小田切誠(ジャーナリスト)
「視聴者の眼/ペルーの大使公邸内取材で処分はなぜ」
 ※テレビ朝日と系列局広島ホームテレビの処分で。
『放送レポート』146号007頁 1997/05/01
 小田切誠・1998「サンディエゴ」
小田切誠(ジャーナリスト)
「「サンディエゴ事件」の集中豪雨・引用報道を検証する」
 ※1998年3月にBRCが見解を公表。
『放送レポート』153号054-063頁 1998/07/01
 小田切誠・1998「ワイドショー」
小田切誠(ジャーナリスト)
「誕生から35年! ワイドショー再考:帝京大学ラグビー部員集団暴行事件報道とロス疑惑三浦高裁判決報道を検証して」
『放送レポート』155号002-008頁 1998/11/01
 小田切誠・1999「二大労組」
小田切誠(ジャーナリスト)
「ロングインタビュー 放送界二大労組 トップはこう考える」
 ※日本放送労働組合(日放労)新田豊作委員長、日本民間放送労働組合連合会(民放労連)岩崎貞明委員長の二人に聞く。「取材・放送倫理」への言及あり。
『放送レポート』158号052-060頁 1999/05/01
 小田桐誠・2000「政治とテレビ」
小田桐誠(ジャーナリスト)
「検証!政治とテレビ'99:日米ガイドライン法、盗聴法をテレビはどう伝えたか」
『放送レポート』162号028-034頁 2000/01/01
 小田桐誠・2003「イラク戦争」
小田桐誠(ジャーナリスト)
 「検証!「イラク戦争」とテレビ」
『放送レポート』183号002-010頁 2003/07/01
 小田桐誠・2004「放送免許・01」
小田桐誠(ジャーナリスト)
「放送免許のすべて 第1回/これでも「設備免許」なのか」
 ※「そこで情報公開制度を活用し、昨年行われた再免許処理について、総務省の起案文書、NHK、民放テレビの東京キー局五社、関東圏のAMラジオ局三社に関する申請書類一式、電波監理審議会説明資料などの開示を求めることにした。」(003頁)
『放送レポート』188号002-009頁 2004/05/01
 小田桐誠・2004「放送免許・03」
小田桐誠(ジャーナリスト)
「放送免許のすべて 第3回/問題番組がずらりと」
『放送レポート』190号034-041頁 2004/09/01


<おちあ>

・落合恵子(おちあい・けいこ)

 落合恵子・2001「見出し」

落合恵子(おちあい・けいこ)
「風速計/見出し」
 ※ラジオ局勤務時代の報道被害について。
『週刊金曜日』9巻33号(通巻385号)007頁 2001/09/07
 落合&三浦・2000「被写体」
落合恵子(おちあい・けいこ/本誌編集委員)、三浦友和(みうら・ともかず/俳優)
「対談:被写体からの風景」
『週刊金曜日』8巻4号(通巻308号)009-016頁 2000/02/04
 呉泰奎・2002「拉致報道」
呉 泰奎(お・てぎゅ/韓国『ハンギョレ』東京特派員)
「とくはいんは説く/10年前の韓国を思わせる拉致報道」
 ※1986年「当時、「報道指針事件」という韓国言論界を揺るがす事件があった。政府機関が、記事の方向、大きさ、記事の配置まで細かく指示し、これに新聞社の幹部がそのまま従っていたのだ。」(043頁)
『週刊金曜日』10巻49号(通巻450号)043頁 2002/12/13
 音好宏・2002「米国メディア」
音 好宏(上智大学助教授)
「迷走する米国メディア:「思想の自由市場」の揺らぎ」
 ※「私は、この9月末に、一三ヵ月に渡ったコロンビア大学での客員研究員の任期を終え、東京での生活に戻った。」
『放送レポート』174号016-020頁 2002/01/01
 音好宏・2003「戦争報道」
音 好宏(上智大学新聞学科助教授)
 「ハイテク化が変える戦争報道:衛星電話、パソコン、インターネットとジャーナリズム」
『放送レポート』183号018-021頁 2003/07/01
 小野輝雄・1990「航空機事故」
小野輝雄(日本乗員組合連絡会議副議長)
「航空機事故報道の問題点について」
 ※報道される側の運航乗務員へのアンケート調査(1990年2月)など。
『マスコミ市民』263号023-029頁 1990/07/01
 尾野村祐治・1994「皮膚病記者」
尾野村祐治(ジャーナリスト)
「「恥ずべき行為」の時事通信社:皮膚病記者の人権裁判・勝利の和解」
 ※1993年11月1日・東京地裁で。
『マスコミ市民』303号074-078頁 1994/02/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<か行>

<か>

・梶村太一郎(かじむら・たいちろう)

 梶村太一郎・1998「報道被害者」

梶村太一郎(ジャーナリスト。ベルリン在住)
「(報道加害大国日本/マスコミにこそPL法を)ドイツの場合/報道被害者の損害を弁償する義務」
『週刊金曜日』6巻46号(通巻250号)015-016頁 1998/11/27
 梶村太一郎・2001「政府批判」
梶村太一郎(ジャーナリスト。ベルリン在住)
「(米国テロと日本 10)アフガン派兵で政府批判を強めるヨーロッパのマスコミ」
 ※「判ったことはアメリカから悪魔と宣伝されているモハメド・アダ容疑者をはじめとする多くが、アラブ諸国からの特に優秀な留学生や、ドイツ生まれの第二世代であることだ。… これに対して内務省は指紋データなどをすり込んだハイテク身分証明書を全住民に義務づけようとする恐ろしい法案を準備しつつある。明らかに無駄な過剰反応だが、他方で自由の制限もある程度はやむをえないという受け身の世論もあることも確かだ。」(019頁)
『週刊金曜日』9巻45号(通巻397号)019-021頁 2001/11/23
 加勢和昭・1987「たけし事件」
加勢和昭
「『フライデー』殴打でテレビが悲鳴をあげた日々/ドキュメントたけし事件!」
『放送レポート』85号002-013頁 1987/03/01
・加地伸行(かぢ・のぶゆき)

 加地伸行・2003「広辞苑」

加地伸行(同志社大学フェロー。大阪大学名誉教授。1936年大阪市生まれ)
「<表現の自由>の頽廃:「広辞苑の嘘」の嘘」
 ※谷沢永一、渡部昇一共著『広辞苑の嘘』(光文社、2001年)の「貝塚茂樹」論に引用された加地氏の言動について。2002年2月18日に谷沢氏と光文社を名誉毀損で訴え、2003年5月19日・大阪地裁判決。
『正論』375号278-295頁 2003/09/01
※→加地伸行・2001「我が私の」【研究・教育】に言及。
<かつら>

・桂 敬一(かつら・けいいち)

 桂敬一・1996「ジャーナリズム」

桂 敬一(立命館大学教授)
「(特集:TBS事件?問われる報道の倫理)放送ジャーナリズムの復権と発展のために」
『マスコミ市民』330号019-025頁 1996/05/01
 桂敬一・2001「誰のための」
桂 敬一(日本ジャーナリスト会議代表委員)
「誰のためのメディアか:人権擁護のたたかいとジャーナリズムの営みを確かなものにするために」
『放送レポート』170号022-027頁☆2001/05/01
 桂敬一・2002「9・11・01」
桂 敬一(東京情報大学教授)
「9・11以後世界は (1)」
『放送レポート』175号020-021頁 2002/03/01
 桂敬一・2002「ネット時代」
桂 敬一(東京情報大学教授(マスメディア論))
「私の視点/メディア/ネット時代が問うあり方」
 ※毎日新聞社データベース部発行の『毎日メールマガジン・永田町』2002年2月5日号掲載の無署名記事による特定NGO批判について。
『朝日新聞』朝刊 2002/02/23
 桂&田島&原・2000「メディア規制」
桂 敬一(東京情報大学教授)、
田島泰彦(たじま・やすひこ/上智大学教授)、
原寿雄(はら・としお/ジャーナリスト)
「(鼎談)時代とメディア:メディア不信とメディア規制の狭間で」
『放送レポート』163号018-035頁☆2000/03/01
<かとう>

・加藤久晴(かとう・ひさはる)

 加藤久晴・2001「松本サリン」

加藤久晴
「映画の中のマスコミ・ワイド版/松本サリン事件とテレビの“飛ばし”報道を問う/『日本の黒い夏−冤罪』」
『放送レポート』169号042-045頁 2001/03/01
 加藤久晴・2002「密着取材」
加藤久晴
「映画の中のマスコミ/CATVが刑事コンビを密着取材『ショウタイム』」
 ※「日本製の警察番組は、ヤラセが大半にしろ、大真面目に作られているため、視聴者をして信じこませる側面を持っている。」(049頁)
『放送レポート』180号049頁 2003/01/01
 加藤久晴・2003「視聴率」
加藤久晴(東海大学教授(放送ジャーナリズム論))《顔Ph有》
「私の視点/視聴率「買収」工作/視聴者は放送局に発言を」
『朝日新聞』朝刊 2003/11/01
・加藤 博

 加藤博・1986「ピープルズ」

加藤 博
「マルコス国営テレビがピープルズ・テレビに変わった日」
『放送レポート』80号002-008頁 1986/05/01
 加藤博・1986「マルコス」
加藤 博
「『マニラ・タイムス』解雇事件が垣間見せたマルコス・クローニーの逆襲」
『放送レポート』81号034-037頁 1986/07/01
 加藤博・1987「フィリピン」
加藤 博(フォト・ジャーナリスト)
「フィリピンのラジオが踏み込んだ情報心理戦争の泥沼」
『放送レポート』87号054-057頁 1987/07/01
 カドゥム・2003「イラク新聞」
アッバース・カドゥム(Abbas Kadom/新聞『アルイラクルジャディード(新イラク)』編集長。バクダッド大学教授(歴史学、言語学)。47歳) 《顔Ph有》
  「〔インタビュー記事〕ひと/イラク初の独立系新聞を発行した編集長/アッバース・カドゥムさん(47)/「イラクでは、つらい日々を洗い流す希望の雨が降っています」」
 ※文・写真:塚本和人。
『朝日新聞』朝刊 2003/05/31
・蟹瀬誠一(かにせ・せいいち)

 蟹瀬&田島・2002「メディア規制」

蟹瀬誠一(『スーパーモーニング』キャスター。1950年生まれ)、
田島泰彦(上智大学教授。1952年生まれ。)、
原寿雄(ジャーナリスト。1925年生まれ)
「座談会 メディア規制の正念場」
 ※司会:編集部。
『放送レポート』175号002-012頁 2002/03/01
・蟹瀬誠一( かにせ・せいいち)

 蟹瀬誠一・2002「硬派TV」

蟹瀬誠一(ジャーナリスト)
「私の視点/メディア/逆風下の硬派TV報道番組」
 ※「そしてその象徴的な現象がテレビ朝日の調査報道番組「ザ・スクープ」の打ち切りである。」
『朝日新聞』朝刊 2002/08/03
 蟹瀬誠一・2003「記事捏造」
蟹瀬誠一(ジャーナリスト。キャスター)
「私の視点/メディア/記事捏造を生んだ背景は」
 ※「ニューヨーク・タイムズ紙前記者ジェイソン・ブレア氏の場合」。
『朝日新聞』朝刊 2003/05/17
 金子マーティン・1997「月刊現代」
金子マーティン(かねこ・まーてぃん/日本女子大学人間社会学部教授)
「今秋の反撃/講談社『月刊現代』で改竄されたJ・ラーベの南京大虐殺事件資料」
 ※同誌1997年11月号の論文について。
『週刊金曜日』5巻42号(通巻198号)061頁 1997/11/07
 樺山智美・1993「やらせ」
樺山智美(フリーライター)
「星条旗は何処に (2) 番外編/「やらせ」はひとごとか」
 ※NHK「ムスタン」報道で。
『マスコミ市民』293号060-062頁 1993/04/01
<かま>

 鎌田慧・2002「ジャーナリスト」

鎌田 慧(かまた・さとし/ルポライター。1939年生まれ)
「ジャーナリストの責務/言わねばならぬことを言う/「反骨」を貫いた先人たち/戦争への対峙が究極の課題」
 ※「さいきん、わたしは、「反骨のジャーナリスト」とのタイトルで、明治以来のジャーナリスト8人を選び、NHK教育テレビの講座で紹介した。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/11
 鎌田&辛・1999「市民と」
鎌田 慧(かまた・さとし/ルポライター)、
辛 淑玉(しん・すご/人材育成コンサルタント)、
原 寿雄(はら・としお/ジャーナリスト)、
柳川喜郎(やながわ・よしろう/岐阜県御嵩町町長)、
青木貞伸(あおき・さだのぶ/メディア総研所長)
「メディア総研設立5周年記念シンポジウム/パネル・ディスカッション 市民とメディア」
 ※1999年3月・東京にて開催の記録のまとめ。コーディネーターは青木氏。
『放送レポート』159号002-019頁 1999/07/01
 紙谷雅子・2004「文春問題」
紙谷雅子(かみや・まさこ/学習院大学教授(英米法))《顔Ph有》
「三者三論 「文春問題」その先/「プライバシーとは?」問え」
 ※聞き手:塩倉裕。
 ※「仮に米国で、ケネディ家など有名政治家の一族の家族が私生活情報を報道されたとしても、裁判に訴えることはほぽ考えられない。勝てないはずだからだ。」
『朝日新聞』朝刊 2004/04/09
 ※同時掲載:竹田稔・2004「文春問題」宮崎哲弥・2004「文春問題」
・亀井 淳(かめい・じゅん)

 亀井淳・1987「写真誌」

亀井 淳(元『週刊新潮』編集次長、フリー・ジャーナリスト)
 「ノゾキ写真誌の犯罪:行き詰まりと自壊の兆し」
『マスコミ市民』221・222号171-181頁 1987/02/01
 亀井淳・1997「パパラッチ」
亀井 淳(ジャーナリスト)
 「(メディアとプライバシー)裁くのは誰だ!? 異論・反論パパラッチ/パパラッチに対する幻想・誤解」
『週刊金曜日』5巻37号(通巻193号)015頁 1997/10/03
 亀井淳・1998「文藝春秋」
亀井 淳(フリーランスジャーナリスト)
 「報道/報道の自由・知る権利をはき違えている文藝春秋」
『週刊金曜日』6巻8号(通巻212号)060頁 1998/02/20
 亀井淳・2004「週刊文春」
亀井 淳(ジャーナリスト。1935年東京都生まれ)
 「(『週刊文春』問題の波紋)雑誌ジャーナリズムの慢心を憂う」
『中央公論』2004年5月号(第119年第5号・1440号)192-193頁 2004/05/01
 亀和田武・2002「極右」
亀和田武(作家)
「マガジンウオッチ/私も知りたい「極右」の線引き」
 ※石原慎太郎の「民族的DNA」発言について、「ルペンもこんな人種差別的発言はしなかった。」「海外の極右には敏感でも、自国の政治体質には鈍感な日本のメディア。」
『朝日新聞』朝刊 2002/07/27
 亀和田武・2004「幕引き」
亀和田武(作家)
「マガジンウオッチ/伝説を残す一番の幕引き」
 ※「最近の雑誌ジャーナリズムはある意味で「噂の真相」を軸に回転した。」
『朝日新聞』朝刊 2004/03/16
 鴨下一郎・2002「個人情報保護法案」
鴨下一郎(かもした・いちろう/自民党代議士。東京13区選出。自民党内閣部会長、個人情報保護法案PRチーム、与党個人情報保護システム検討部会委員。53歳)
「〔インタビュー記事〕どうする個人情報保護法案 (上)/ルールないと野放図に」
 ※聞き手:山浦一人。
 ※読売新聞社の修正試案について、「大変建設的な意見がマスコミからも出てきたと評価したい。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/16
 仮谷実・2002「犯罪被害者・01」
仮谷 実(オウム拉致事件の遺族。42歳)
「〔インタビュー記事〕報道へ 犯罪被害者からの提言 (1)/オウム拉致事件の遺族 仮谷実さん/テレビに顔や実名、家族の安全考えて/会見求めるなら 場所や方法も提示を」
 ※聞き手:河原理子。
『朝日新聞』朝刊 2002/05/08
 河合善久・1993「ワープロ」
河合善久(ジャーナリスト)
「マスコミ現場/ワープロの功罪」
 ※情報提供のためのフロッピイディスクのフォーマット標準化を求める日本新聞協会。
『マスコミ市民』294号74-79頁 1993/05/01
・川上和久(かわかみ・かずひさ)

 川上和久・1996「学生の目」

川上和久(明治学院大学助教授)
「学生の目からみた「報道と人権」:大学の一年生ゼミにおける取り組みから」
『マスコミ市民』336号026-031頁 1996/11/01
 川上和久・2003「総選挙報道」
川上和久(明治学院大学教授(政治心理学))
「私の視点/総選挙報道/政党を監視し政策検証を」
『朝日新聞』朝刊 2003/11/18
 川久保勲・2002「松井やより」
川久保勲(かわくぼ・いさお/学習塾自営。1941年東京生まれ)
「松井やより講演会で逮捕された私の「不当勾留136日の記」」
 ※「講演会」とは、2001年7月7日・神奈川県民センターでの日中友好神奈川県婦人連絡会主催のもの。
 ※「このように言論の自由の名の下に反日左翼活動の跳梁を許している日本国を再生するには、」「先ず不敬罪を復活」させ、「更に「国家侮辱罪」」の「法律を作って、反日左翼分子を根絶すること」が必要である(329頁)。
『正論』364号316-329頁 2002/12/01
 川崎泰資・1996「ワイドショー」
川崎泰資(大谷女子短期大学教授)
「(特集:TBS事件?問われる報道の倫理)背景に、ワイドショーは放送界の「住専」論」
『マスコミ市民』330号002-012頁 1996/05/01
 川添永津子・2002「セクハラ」
川添永津子(ジャーナリスト)
「放送局から「セクハラ」を追放しよう」
『放送レポート』180号002-006頁 2003/01/01
 河田&青島・2003「プロ野球」
河田弘道(かわだ・ひろみち/元巨人軍編成本部付アドバイザー。1985年からNEC強化スポーツアドバイザー。1947年生まれ)、
青島健太(あおしま・けんた/スポーツキャスター。1985年から1985年までヤクルト・スワローズ。1958年生まれ)、
佐野眞一(さの・しんいち/ノンフィクション作家)、
辻口信良(つじぐち・のぶよし/弁護士。1991年・スポーツ問題研究会設立。関西大学・龍谷大学講師。1947年生まれ)、
西村欣也(にしむら・きんや/朝日新聞編集委員兼論説委員。1956年生まれ)、
コーディネーター:谷口源太郎(たにぐち・げんたろう/スポーツジャーナリスト。1938年生まれ。)
「シンポジウム どうなる日本のプロ野球」
 ※2002年12月14日・メディア総合研究所主催のシンポジウムをまとめたもの。
『放送レポート』181号014-035頁 2003/03/01
 川田龍平・1998「薬害エイズ」
川田龍平
「薬害エイズと闘って見えてきたもの」
 ※1998年2月・メディア総研主催の「第2回全国視聴者交流集会」での講演をまとめたもの。報道についても言及あるため、「医療」と「報道」の双方に掲載。
『放送レポート』152号010-018頁 1998/05/01
 川邊克朗・2002「テレビ報道」
川邊克朗(かわべ・かつろう/ジャーナリスト。元TBS記者)
「私の視点/メディア/テレビ報道に崩壊の危機」
 ※テレビ東京が情報提供者に金銭を払っていた問題など。
『朝日新聞』朝刊 2002/07/13
 川村晃司・2003「イラク戦争」
川村晃司(テレビ朝日コメンテーター。1950年生まれ)
「イラク戦争を問う 戦場・暴力・報道/情報操作に抗し実態を」
『朝日新聞』朝刊 2003/03/22
 川原崎剛雄・2003「イラク戦争」
川原崎剛雄(かわらさき・たけお/教員。61歳)
「論争/NHKのイラク戦争報道は許されるのか」
『週刊金曜日』11巻16号(通巻467号)077頁 2003/04/25
<かん>

 姜恵△(木+貞)・1998「毎日新聞」

姜恵△(木+貞)(かん・へじょん/通訳翻訳業)
「コラム「憂楽帳」と「訂正」の虚報で問われる『毎日新聞』の報道姿勢」
『週刊金曜日』6巻12号(通巻216号)054-055頁 1998/03/20
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<き>

<きうち>

・木内宏(きうち・ひろし)

 木内宏・1997「追分節・01」

木内 宏(朝日新聞記者を経て1994年からフリー)
「盗まれた追分節/NHKの犯罪 第1回/疑惑」
『週刊金曜日』5巻13号(通巻169号)028-031頁 1997/04/04
 木内宏・1997「追分節・02」
木内 宏(朝日新聞記者を経て1994年からフリー)
「盗まれた追分節/NHKの犯罪 第2回/虚言」
『週刊金曜日』5巻14号(通巻170号)026-029頁 1997/04/11
 木内宏・1997「追分節・03」
木内 宏(朝日新聞記者を経て1994年からフリー)
「盗まれた追分節/NHKの犯罪 第3回/姑息」
『週刊金曜日』5巻15号(通巻171号)028-031頁 1997/04/18
 木内宏・1997「追分節・04」
木内 宏(朝日新聞記者を経て1994年からフリー)
 「盗まれた追分節/NHKの犯罪 第4回/贋作」
『週刊金曜日』5巻16号(通巻172号)050-053頁 1997/04/25
 木内宏・1999「追分節」
木内 宏(ジャーナリスト)
「司法/「盗まれた追分節」裁判の二審判決を包む深い闇」
『週刊金曜日』7巻14号(通巻268号)058頁 1999/04/16
 菊池雅志・2003「日経自殺」
菊池雅志(きくち・まさし/ジャーナリスト)
「「驕れる巨像」日本経済新聞の自殺:鶴田卓彦前会長の絶頂と転落」 
 ※キーワード:大塚将司ベンチャー市場部長、「大塚斬奸状」、名誉毀損訴訟、佐野正人論説委員。
『文芸春秋』81巻8号162-169頁 2003/07/01
 北川れん子・2002「個人情報保護法案」
北川れん子(きたがわ・れんこ/社民党代議士。比例区近畿ブロック。衆院内閣委員、社民党個人情報保護法案チーム座長。元尼崎市議。48歳)
「〔インタビュー記事〕どうする個人情報保護法案 (下)/官僚の権限 増やすだけ」
 ※「税金を払って市民は行政マンに託しているのだから処罰規定がないのは許せない。…… 教育、医療、信用については情報化してはいけないようにすべきだと思う。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/18
・北 健一(きた・けんいち)

 北健一・2002「えひめ丸」

北 健一(フリーライター)
「「自主規制」を打ち破れ:えひめ丸事件をめぐる二つの報道から」
 ※2002年2月10日・NHKローカル枠放映のNHK松山の特番「えひめ丸事故から1年」と、2001年6月26日・テレビ愛媛放映の『一番出しスーパーニュース』について。
『放送レポート』176号016-019頁 2002/05/01
 北健一・2004「報道統制」
北 健一(ジャーナリスト。1965年広島県生まれ。「同時ルポ武富士裁判」(『週刊金曜日』連載)などを執筆)《顔Ph有》
 「司法による「報道統制」に潜む危うさ:高額賠償から事前差し止めへ」
 ※「背景にはメディア、特に雑誌ジャーナリズムに対する司法界の認識の厳しさがある。実際、名誉毀損訴訟での賠償額高額化に先鞭を着けた東京高裁判事・塩崎勤氏(退官後弁護士登録)の論文も、それを受けた東京弁護士会・人権と報道部会(部会長・弘中惇一郎弁護士)がまとめた「名誉毀損における500万円基準と点数表試案について」という文書も、ともに報道を交通死亡事故に見立て、表現の自由を定めた憲法21条を無視して、ひたすら賠償額引き上げを目指す内容となっている。」「塩崎氏も弘中氏も武富士が起こした名誉毀損訴訟で原告側代理人を務めたことは、司法を通じた報道統制の危うさを象徴しているようにみえる。」(039頁)
『世界週報』85巻15号(通巻4143号)036-039頁 2004/04/20
 北健一・2004「武富士」
北 健一(ジャーナリスト)
「武富士報道をつぶした「広告の力」」
『放送レポート』190号022-025頁 2004/09/01
 北野隆一・2002「9・11」
北野隆一(きたじま・りゅういち/新聞記者。2002年6月まで米国・ボストンに留学)
「(9・11後の世界(2) 沈黙する米国メディア)思考を停止した主要メディア:自覚なき「自粛」」
『週刊金曜日』10巻35号(通巻436号)009-011頁 2002/09/13
 北田暁大・2003「感受性」
北田暁大(きただ・あきひろ/筑波大専任講師(社会学・メディア史)。1971年生まれ)
「「プロジェクトX」を笑う感受性/TVへの皮肉な視線が生む妖しげな政治的ロマン主義」
『朝日新聞』朝刊 2003/02/18
 北野宏・1988「極悪非道」
北野宏
「(犯罪報道と人権)新聞を開くと極悪非道のまるで別人の私がいた」
 ※1988年6月のシンポジウムでの報告のまとめ。文責編集部。
『放送レポート』94号014頁 1988/09/01
 北原みのり・2003「バカ女」
北原みのり(ラブピース代表) きたはら・みのり
「今週の反撃/六〇人の『まれに見るバカ女』斬れなかったダメ本:被害妄想オジサンの鬱憤晴らしか?」
 ※批判対象書:別冊宝島・2003『バカ女』
『週刊金曜日』11巻9号(通巻460号)032-033頁 2003/03/07
・北村 肇(きたむら・はじめ)

 北村肇・1996「記者倫理」

北村 肇(新聞労連委員長)
「(マスメディアの責任と報道の自由)新聞労連・記者倫理綱領/自らの襟を自らの手で正すときが来た」
浅野健一・1996『無責任』202-212頁 1996/12/10
 北村肇・2001「記者クラブ」
北村 肇(『サンデー毎日』編集長)
「(ここがへんだよ記者クラブ)「心ある記者が一人でも始められること」
 ※聞き手:編集部。
『週刊金曜日』9巻33号(通巻385号)018頁 2001/09/07
・喜田村洋一(きたむら・よういち)

 喜田村洋一・2001「出版被害」

喜田村洋一(弁護士)
「(第1部 犯罪報道とプライバシーの保護/第4章)出版による被害に対する救済」
 ※初出『ジュリスト』1999年11月号(…)に加筆・修正。
青弓社・2001『プライバシー』123-140頁 2001/02/10
 喜田村洋一・2002「公人」
喜田村洋一(弁護士。51歳)
「私の視点 特集・個人情報保護法案とメディア/公人に関する報道減少招く」
 ※「ところがこの法案では、情報の商業的利用と憲法的利用を区別せず、原則として同じ規制を及ぼすことにしている。」
『朝日新聞』朝刊 2002/03/17
 北陽一郎・1988「日弁連シンポ」
北陽一郎(フリーライター)
「対話を逃げる記者たち:日弁連「人権と報道」シンポ報告書から」
 ※記者を対象にしたアンケート調査から.
『マスコミ市民』232号028-031頁 1988/01/01
 木附千晶・1996「オウム報道」
木附千晶(きづき・ちあき/フリーライター)
「(報道被害とマスメディアの謝罪)オウム報道/いま、信者に何が起こっているのか?」
浅野健一・1996『無責任』100-114頁 1996/12/10
 紀国渡・1999「カレー事件」  木俣正剛・2002「ヤマタク」
木俣正剛(『週刊文春』編集長)
「〔インタビュー記事〕「ヤマタクの提訴は法案の先取りだ:『週刊文春』編集長・木俣正剛氏インタビュー」
 ※泉あつこ・2002「ナベツネ帝国」の一部として。 
 ※「『週刊文春』では、今年になってから山崎幹事長の女性問題を連続して追及してきました」(025頁)
『週刊金曜日』10巻19号(通巻420号)025頁 2002/05/24
 金京煥・2002「韓国放送」
金京煥(上智大学大学院新聞学専攻)
「不安と期待 --- 韓国放送の市民参加」
 ※2002年3月1日放送開始の韓国初のデジタル衛星放送「SkyLife」のチャンネルの一つ「市民放送」(のち「RTV)や韓国放送公社(KBS)での番組「開かれたチャンネル」などについて。背景には2000年3月13日実行の新放送法第69条。
『放送レポート』179号066-069頁 2002/11/01
 金忠植・2002「日朝報道」
金忠植(きむ・ちゅんしく/東亜日報東京支社長)
「私の視点/メディア/歴史ふまえた日朝報道を」
 ※「人権と国家主権が絡んだ問題は理性的に扱うべきだ。」「横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんについても、日本国籍と決めつけているが、韓国(朝鮮半島)と日本の血統観念の違いを説明するべきだ。」
『朝日新聞』朝刊 2002/11/09
 金哲洙・1997「韓国」
金哲洙(きむ・ちょるす/韓国ソウル大学法学部教授)
「(表現の自由論の現況)韓国における表現の自由の現況」
『ジュリスト増刊/メディア』253-257頁。 1997/06/25
・木村京子

 木村京子・1998「山田悦子さん」

木村京子
「報道と人権/山田悦子さんの手」
 ※顔写真・イラストの使用について。
『マスコミ市民』356号030-032頁 1998/08/15
 木村京子・1998「被害者」
木村京子
「報道と人権/被害者の人権と報道」
 ※『西日本新聞』のシリーズ記事について。
『マスコミ市民』358号038-040頁 1998/10/15
 木村京子・1998「放送映像祭」
木村京子
「報道と人権/「'98九州放送映像祭」の一歩」
 ※「報道と人権」をテーマにした映像祭に参加して。なお掲載時の題名は「映像発」となっていたが誤植と思われる。
『マスコミ市民』360号049-051頁 1998/12/15
・木村哲也( きむら・てつや)

 木村哲也・1988「善意の報道」

木村哲也(弁護士)
「ある善意の報道」
 ※1988年1月、住居侵入者が殴り殺された事件について。
『マスコミ市民』238号016-023頁 1988/07/01
 木村&潮見・2000「メディア責任」
木村哲也(『人権と報道関西の会』世話人、弁護士)、
潮見憲三郎(しおみ・けんざぶろう/著述業)、
山口正紀(やまぐち・まさのり/「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「(メディアの犯罪/報道被害→責任の取り方、取らせ方)座談会/どう確立する? メディア責任制度」
『週刊金曜日』8巻10号(通巻314号)012-016頁 2000/03/17
 共同通信記者・1991「共同通信」
共同通信記者
 「共同通信「引き写し」事件:背景にあるチェック機能の甘さと合理化政策」
 ※1974年『朝日新聞』連載「からだの数字学」を1990年4月から盗作して配信した事件について。
『マスコミ市民』273号002-005頁 1991/06/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<く>

 草柳大蔵・2001「忘却国家」

草柳大蔵(作家)
「漂流 日本社会/忘却国家の悲しき晩秋」
 ※「私は今年で放送番組向上委員会の委員を累計すると一六年間つとめている。その間、涙にくれる遺族にマイクを突き付けるのはやめようではないかと、何十回となく議論をし、放送会社の報道倫理要綱の中に組み入れてもらった。しかし、事態はエスカレートするばかりで」ある(047頁)。
 ※「テロに報復するとテロの循環が始まるという言葉遊びが、真剣なテロ対策と同じスペースで新聞に載るようになった。」(047頁)。
『世界週報』82巻41号(通巻4021号)046-047頁 2001/10/30
 工藤泰志・2003「当事者意識」
工藤泰志(くどう・やすし/「言論NPO」代表。青森市生まれ。43歳)
  「私の視点/特集:新聞の言論力/当事者意識もち対案を示せ」
『朝日新聞』朝刊 2002/03/30
・熊谷耕三

 熊谷耕三・1987「事件報道」

熊谷耕三(レポーター)
「何のための事件報道か:人権に鈍感な病状と司法の変化」
『マスコミ市民』221・222号144-155頁 1987/02/01
 熊谷耕三・1989「サンゴの傷」
熊谷耕三(ジャーナリスト)
「朝日新聞“KY事件”/サンゴの傷が問うもの」
『マスコミ市民』253号024-033頁 1989/08/01
・球磨祐次

 球磨祐次・1986「番組審査方針」

球磨祐次
「民放連の新「番組審査方針」を審査する」
 ※「テレビ朝日「アフタヌーンショー事件」日記を含む。
『放送レポート』78号010-014頁 1986/01/01
 球磨祐次・1986「やらせ事件」
球磨祐次
「“やらせ事件”とは何だったのか:いま中川「ディレクター」に問う」
 ※「資料 逓信委員会議事録」含む。
『放送レポート』79号052-061頁 1986/03/01
 クラインシュトイバー・1995「メディア政策」
ハンス・クラインシュトイバー(ハンブルク大学政治研究所教授)
「「欧州(EC)におけるメディア政策」は何をもたらしたか」
 ※メディア総研主催の講演会(1999年9月)
『放送レポート』131号050-057頁 1995/01/01
 倉田保雄・2001「プライバシー」
倉田保雄(くらた・やすお/国際問題評論家)
「(第3部 芸能人とプライバシー/第8章)プライバシー報道:自由なアメリカ、禁止のフランス」
 ※初出『潮』1998年6月号に加筆・修正。
青弓社・2001『プライバシー』185-195頁 2001/02/10
 クレーマー・2002「悲劇の場面」
クリス・クレーマー(CNNインターナショナルネットワーク部門社長)
「私の視点/9・11報道/悲劇の場面 扱いにジレンマ」
『朝日新聞』朝刊 2002/09/13
 呉智英・2003「遍路」
呉 智英(評論家)《顔Ph有》
「ゼロサン時評/エゴイズムとしての遍路」
 ※「NHKのドキュメンタリー番組に、俳句を詠みながら四国を遍路で回る八十歳の男が紹介されていたが、彼は殺人未遂で指名手配中の容疑者で、番組を見ていた警察官が気づき逮捕されていた、という。」「あるカメラマンはその姿に感動して写真集を出し」た。
『朝日新聞』朝刊 2003/07/15
※→岩辻賢一郎・2003「NHK」と同じ番組か。
 黒井文太郎・2003「北朝鮮」
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう/軍事アナリスト、1963年福島県生まれ)
「(第2章 核疑惑報道の真相)推定だらけの「北朝鮮報道」 その正しい見方」
黒井文太郎・2003『北朝鮮空爆』【行政】084-098頁 2003/08/26
 黒田勇・1988「現代のえん罪」
黒田勇(弁護士)
「(犯罪報道と人権)マスコミ報道が契機をつくる現代のえん罪:富山・長野連続誘拐殺人事件の北野宏被告を弁護して」
 ※1988年6月のシンポジウムでの報告のまとめ。文責編集部。
『放送レポート』94号010-013頁 1988/09/01
 黒田秀俊・1987「権力と言論」
黒田秀俊(評論家・元『中央公論』編集長)
「権力と言論」
『マスコミ市民』221・222号068-069頁 1987/02/01
・黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)

 黒薮哲哉・2002「押し紙」

黒薮哲哉(ルポライター)
 「『京都新聞』で露呈した日本の新聞の恥部「押し紙」の実態」
 ※「新聞社が販売店に強制的に買い取らせる新聞を俗に「押し紙」という。」(055頁) 「八〇年代に社会・共産・公明の各党が国会で問題を追及したことがあるが、新聞は一行も報道していない。「押し紙」の問題だけは絶対に触れるなというのが、新聞業界の暗黙の取り決めで、新聞専門紙も「押し紙」という用語は禁句にしている。違法である上に、新聞社経営に大きな影響を与えているからだ。」(056頁)
『週刊金曜日』10巻5号(通巻406号)0055-057頁 2002/02/08
 黒薮哲哉・2002「折込広告」
黒薮哲哉(ルポライター)
「新聞のブラックボックス 第2弾/折込広告のからくりを追う」
『週刊金曜日』10巻37号(通巻438号)030-031頁 2002/09/27
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<け>

 毛塚恵美子・2002「奇跡の詩人」

毛塚恵美子(群馬県立女子大学教授)
「NHK「奇跡の詩人」の罪を問う!」
 ※2002年4月28日放映「NHKスペシャル」放映の「奇跡の詩人:11才 脳障害児のメッセージ」について。キーワード:FC(Facilitated Communication)、知的障害、D・ ビクレン(Biklen)、ドーマン法(人間能力開発研究所による脳障害児のための訓練プログラム)。
 ※「放映二ヵ月後には、インターネット上での匿名の人々による議論、情報収集をもとに批判本も出版された。」(026頁)として滝本&石井・2002『奇跡の詩人』【報道】に言及あり。
『放送レポート』179号026-027頁 2002/11/01
 ※群馬県立女子大学ウェブサイト:http://www.gpwu.ac.jp/
<こ>

<こいず>

・小泉哲郎

 小泉哲郎・1990「制作指針・01」

小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(1):なぜ基準・指針なのか」
『放送レポート』107号018-022頁 1990/11/01
 小泉哲郎・1991「制作指針・02」
小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(2):ニュースの「公正」とは何か」
『放送レポート』108号026-029頁 1991/01/01
 小泉哲郎・1991「制作指針・03」
小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(3):デモ・騒動取材と戦争報道」
『放送レポート』109号026-029頁 1991/03/01
 小泉哲郎・1991「制作指針・04」
小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(4):報道番組の「提供」・取材源の秘匿」
『放送レポート』110号020-023頁 1991/05/01
 小泉哲郎・1991「制作指針・05」
小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(5):隠しカメラ・マイク インタビュー」
『放送レポート』111号026-029頁 1991/07/01
  小泉哲郎・1991「制作指針・06」
小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(6):インタビューと編集」
『放送レポート』112号042-045頁 1991/09/01
 小泉哲郎・1991「制作指針・07」
小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(7):やらせ(演出)・解説と論説・プール取材」
『放送レポート』113号022-025頁 1991/11/01
 小泉哲郎・1992「制作指針・08」
小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(8):品位・調査報道」
『放送レポート』114号026-029頁 1992/01/01
 小泉哲郎・1992「制作指針・09」
小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(9):不快な素材・世論調査・大統領の演説」
『放送レポート』115号028-031頁 1992/03/01
 小泉哲郎・1992「制作指針・10」
小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(10):事件報道」
『放送レポート』116号014-018頁 1992/05/01
 小泉哲郎・1993「制作指針・11」
小泉哲郎、『放送レポート』編集部
「米英のテレビニュース基準制作指針の研究(11):少数者への配慮」
『放送レポート』120号016-019頁 1993/01/01
 小泉哲郎・1997「原発推進」
小泉哲郎(ジャーナリスト)
「大新聞の論説委員らがまとめた原発推進PR作戦の一読三嘆」
 ※日本原子力振興財団が1991年に作成した『原子力PA方策の考え方』について。これを「まとめた財団の「原子力PA方策委員会」の委員長は著名な原発推進記者、中村政雄氏である。」(029頁) 中村氏は「読売新聞退職後、電力中央研究所の顧問に再就職した」(029頁)。「原発担当記者が退職後、原子力関係の企業や団体に再就職する例は少なくない。… 原発記者は退職後まで、丸抱えなのである。」(029頁)
 ※同『考え方』抜粋は031-041頁。
『放送レポート』146号028-041頁 1997/05/01
※→その中村氏の論稿の例:中村政雄・2002「原子力発電」【ビジネス】
 小泉博義・2002「メディア」
小泉博義(こいずみ・ひろよし/会社員(横浜市在住))
「私の視点/メディア/情報を読み解く力を養え」
 ※「「フォーラム21 梅下村塾」という異業種交流会でメディアの問題を考えている」。メディア・リテラシー教育について。
『朝日新聞』朝刊 2002/08/31
 小出昭一郎・1997「マス・メディア」
小出昭一郎(山梨県立女子短期大学学長)
「特集:創刊30周年記念〈マスコミ・平和・人権〉)次にコケるのはマス・メディアか」
 ※松本サリン事件報道被害者の河野氏を講師に招いた長野短期大学学園祭講演会報告書に。
『マスコミ市民』343号007-009頁 1997/06/01
 小出鐸男・2003「万引き」
小出鐸男(こいで・たくお/日本出版学会員)《顔Ph有》
「私の視点/デジタル万引き/雑誌づくりにも再考必要」
 ※キーワード:携帯電話、著作権侵害、著作物。
『朝日新聞』朝刊 2003/08/09
<こうの>

・河野義行(こうの・よしゆき)

 河野&河野・1996「松本サリン」

河野義行、河野仁志(こうの・ひとし)
「(報道被害とマスメディアの謝罪)松本サリン事件報道/報道被害で見えてきたマスメディアの構造」
 ※聞き手は編集部。
浅野健一・1996『無責任』076-086頁 1996/12/10
 河野義行・1997「わが闘争」
河野義行
「松本サリン事件とマスコミとわが闘争」
『放送レポート』145号002-009頁 1997/03/01
 河野義行・2001「特別寄稿」
河野義行
 「特別寄稿」
テレビ信州・2001『松本サリン』156-159頁 2001/03/04
 河野義行・2003「週刊新潮」
河野義行(会社員。2002年、長野県公安委員に就任。1950年愛知県生まれ)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕約束した謝罪内容を無断で反故にした『週刊新潮』」
 ※松本サリン事件報道にて。
第三文明・2003『週刊誌』 【報道】063頁 2003/
 河野&磯貝・2004「松本サリン」
河野義行(松本サリン事件第一通報者、被害者。長野県公安委員)、
磯貝陽悟(いそがい・ようご/テレビ朝日『報道ステーション』スタッフ)、
下村健一(しもむら・けんいち/市民メディア・アドバイザー)、
森達也(もり・たつや/映画監督、ドキュメンタリー作家)、
林直哉(はやし・なおや/長野県梓川高校教諭)《顔Ph有》
「座談会/松本サリン事件から10年:報道は変わったのか」
 ※司会:林直哉。
 『世界』728号224-236頁 2004/07/01
 児玉和夫・2002「奇跡の詩人」
児玉和夫(心身障害児総合医療療育センター・むらさき愛育園園長)
「特別寄稿/流奈君とドーマン法 --- その閉ざされた世界」
 ※2002年4月28日・「NHKスペシャル」放映の「奇跡の詩人:11才 脳障害児のメッセージ」について。キーワード:ドーマン法、ボイタ法。
 ※「NHKは数年前にも早期教育に関連してドーマン法をほとんど無批判に取り上げ、脳解剖学者の養老先生や文化人を登場させて、賛美させています。」(172頁)
滝本&石井・2002『奇跡の詩人』【報道】172-187頁 2002/06/28
 後藤弘子・1998「立花隆氏」
後藤弘子(ごとう・ひろこ/富士短期大学助教授)
「(「文春」「新潮」のここが間違っている)立花隆氏への公開質問状」
 ※少年犯罪と少年法について。
『週刊金曜日』6巻10号(通巻214号)024頁 1998/03/06
 後藤幸信・1999「ジャーナリズム」
後藤幸信(フリージャーナリスト)
「放送ジャーナリズムの確立を」
 ※TBS社員やフジテレビ社員などの破廉恥行為について。
『マスコミ市民』369号066-067頁 1999/09/15
 小早川光郎・2002「報道の自由」
小早川光郎(こばやかわ・みつお/東京大学大学院教授。行政法。第3次行革審・行政手続部会専門委員、住民記録システムのネットワークの構築等に関する研究会座長、地方分権推進委員会参与などを歴任。情報公開審査会委員。55歳)
「私の視点 特集・「メディア規制」法案/「報道の自由を制約」は杞憂」
 ※「個人情報保護法の標的はメディアだとする意見が相次ぎ表明されている。それは誤解だが、そうした波紋を広げた一半の責任は、個人情報保護法制化専門委員会の委員長代理として同法の骨格づくりに参画した私にもあると考え、若干述べてみたい。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/24
 小林至・2003「代理人」
小林 至(江戸川大学助教授)
「世界百一話/スポーツ/プロ野球選手生命を左右する「代理人」
 ※代理人の仕事の一つとして、「例えば選手が結婚する時、まず、それまで付き合いのあった女性たちには金を渡し、暴露本など出さぬよう一筆取る。」(063頁)
『世界週報』84巻16号(通巻4095号)062-063頁 2003/04/29
 小松健一・1994「ムスタン」
小松健一( こまつ・けんいち/フォトジャーナリスト)
「忘れられたNHK「ムスタン事件」の宿題を問う」
 ※聞き手:編集部・太田。
『放送レポート』126号016-024頁 1994/01/01
 小松東悟・2004「選択」
小松東悟(こまつ・とうご/ジャーナリスト)
「硬派ブランドで利権を漁った政官財の“バイブル”誌/月刊情報誌『選択』に何が起きた」
『週刊金曜日』2004年4月16日号(12巻15号通巻514号)052-053頁 2004/04/16
・小谷野敦(こやの・あつし)

 小谷野敦・2001「文芸と人権」

小谷野敦(明治大学講師・比較文学)
「「石に泳ぐ魚」出版差し止め/文芸と人権 常に背馳の危険/判決に照らせば文学史変わる」
『朝日新聞』朝刊 ☆2001/02/22
 小谷野敦・2002「荻野目慶子」
小谷野敦(東大非常勤講師)
「ベストセラー快読/『女優の夜』荻野目慶子[著]/痛ましすぎる「告白本」」
 ※幻冬舎刊、1400円。
 ※「二人の監督との関係も、何やら相手の意向に引きずられて持たされてしまったような趣がある。特に深作の場合、本書の記述によれば最初は強姦だったのだ。」「著者をまるで自分の母親兼娼婦のように扱う監督たちの描写は不快で、荻野目はもっと彼らを憎むべきではないかと思える。」
『朝日新聞』朝刊 2002/12/08
※→その「監督」の一人深作欣二氏は2003年1月12日死去(72歳・前立腺がん)。とある追悼記事の題名は、「「抵抗者への共感」映像にこめ」でありました(『朝日新聞』朝刊2003年1月28日付「惜別」)。でもって記事の筆者は「深津純子」という女性のもよう。
 近藤昭二・1997「ワイドショー」
近藤昭二(ジャーナリスト)
「ワイドショーの制作構造と制作技術」
 ※筆者はTBS『スーパーワイド』『スペースJ』などの制作スタッフの一人。
服部孝章・1997『放送』160-182頁 1997/08/08
 近藤二郎・1998「コルチャック先生」
近藤二郎(国際コルチャック協会理事)
「論争/『コルチャック先生』絶版の背景とその波紋:メディアの倫理を求めて」
『週刊金曜日』6巻34号(通巻238号)080頁 1998/09/04
※2001年8月28日・大阪地裁で原告(近藤二郎氏)請求棄却の判決。同年9月4日に近藤氏は大阪高裁に控訴。2002年6月・控訴審判決。2002年11月12日、最高裁が上告棄却の決定(2002.11.13『朝日新聞』朝刊「朝日新聞社の勝訴が確定」)。
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<さ行>

<さ>

・斎藤貴男(さいとう・たかお)

 斎藤貴男・2002「規制法案」

斎藤貴男(ジャーナリスト)
「私の視点/メディア/規制法案阻止に責任果たせ」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/13
 斎藤貴男・2003「イラク報道」
斎藤貴男(ジャーナリスト)
 「(渡邉恒雄と読売新聞)歪められたイラク報道」
 ※「他国に向けては武力による侵略を、国内においては国民総背番号制度などによる相互監視システムの構築を。完全な戦時体制の到来を、『読売』は望んでいるかのようだ。」(015頁)
『週刊金曜日』11巻37号(通巻488号)014-015頁 2003/10/03
 斎藤環・2003「原因追及」
斎藤 環(さいとう・たまき/精神科医)《顔Ph有》
「少年犯罪と性衝動/原因追及だけでは被害者は救われない」
 ※「ちょうど私は最近、まさに性とメディアが絡む裁判に関わった。これは通称「松文館裁判」などと呼ばれており、史上初めて漫画の猥褻性が問われている裁判だ。」(205頁)
『諸君!』35巻10号202-211頁 2003/10/01
・斎藤文男(さいとう・ふみお)

 斎藤文男・1989「ビデオ押収」

斎藤文男(九州大学教授)
「検察のビデオ押収と「報道の自由」」
 ※リクルートコスモス社による楢崎弥之助衆院議員への贈賄工作の隠し撮り(日本テレビ)で。
『マスコミ市民』244号026-033頁 1989/01/01
 斎藤文男・1996「テレビの復権」
斎藤文男(元九州大学教授)
「(特集:TBS事件−問われる報道の倫理)ジャーナリズムとしてのテレビの復権を」
『マスコミ市民』330号042-046頁 1996/05/01
 酒井昭・1997「放送倫理」
酒井 昭(さかい・あきら/民放連専務理事。1933年生まれ)
「(放送事業者の立場から)表現の自由と放送倫理:あとがきに代えて」
民放連研・1997『放送の自由』241-258頁 1997/09/05
・坂井 眞

 坂井眞・1999「石に泳ぐ魚」

坂井 眞(東京・弁護士)
「小説とモデルの名誉・プライバシー:「石に泳ぐ魚」訴訟で問われたものは何か」
 ※筆者は原告代理人の一人。一審判決について。
 ※「要するに、「石に泳ぐ魚」裁判において問われたものは、この小説が、モデルである原告の名誉・プライバシー・名誉感情に対して如何に配慮のない記述を含むものであったのかという具体的事実と、これに対する評価という点につきるのである。それを「作家の表現の自由とモデルのプライバシー」などという一般論に拡散させてしまうことは、「石に泳ぐ魚」の具体的記述がはらむ問題点を視界から失わせ、問題の本質をすりかえるものでしかない。」(012頁)
『青年法律家』344号011-013頁 1999/08/25
※→2002年9月24日・上告審判決について同じく原告代理人から、佃克彦・2002「石に泳ぐ魚」
 坂井眞・2001「メディア」
坂井 眞(報道被害救済弁護士ネットワーク代表)
「(特集:言論・表現の自由の転機:「個人情報保護法案」とメディア)インタビュー/メディアの暴力を許さない」
 ※聞き手:編集部・三輪英毅。
『世界』693号128-131頁 2001/10/01
 坂上香・2002「NHK・下」
坂上 香(映像ジャーナリスト)
「NHK・歪められた「改編」の真実 (下):「希望の法廷」とETV2001をめぐって」
 ※「昨年4月、私がかかわったNHKの番組で、またしても局上層部からの「改編」命令が出された。ETV2001の「改編」騒動から三ヵ月後のことだった。〔改行〕 今回は、NHK衛星第一放送のウィークエンドスペシャル『希望の法廷〜米・地域で向き合う少年犯罪〜』」だった(028頁) この取材では「少年や保護者に対しては、センターと相談のうえで「合意書」を作成した。」(029頁)
『放送レポート』176号028-033頁 2002/05/01
 坂本衛・1994「氏家発言」
坂本 衛(ジャーナリスト)
「視聴者の眼/テレビの言論機能を放棄する氏家発言の異常」
 ※「椿発言」をめぐる日本テレビ社長・氏家斉一郎氏の1993年10月21日の記者会見発言に。
『放送レポート』126号015頁 1994/01/01
 佐木隆三・2002「個人情報」
佐木隆三(作家)
「漂流 日本社会/個人情報の保護とメディア規制」
 ※「…… ただ、自分が進めている仕事を通じて、個人情報の保護とはどういうことかを実感させられた。やはり本来的に「個人情報保護法」は必要なのである。」(044頁) その仕事とは一世紀前、福岡県八幡の官営製鉄所のために招聘されドイツから来日した技師や職工長についての調査。
『世界週報』83巻22号(通巻4051号)044-045頁 2002/06/11
 佐木隆三・2003「ロス疑惑」
佐木隆三(作家)
「漂流日本社会/「ロス疑惑」とは何だったのか」
 ※「私は最初から「三浦被告は無罪」という立場だったので、「なぜ悪党の肩を持つのか」と世間から非難された。」(044頁)
『世界週報』84巻12号(通巻4091号)044-045頁 2003/04/01
 佐木隆三・2003「長崎少年」
佐木隆三(作家)
「漂流 日本社会/「長崎少年事件」の歯がゆさ」
 ※12歳少年に対する長崎少年鑑別所での「精神鑑定で明らかになったことは、可能な限り開示されるべきである。」(049頁)
『世界週報』84巻32号(通巻4111号)048-049頁 2003/09/02
・佐久間準

 佐久間準・1993「読売TBS」

佐久間準(ジャーナリスト)
「読売vsTBS/読売・佐川土地取引の深淵/読売・TBS訴訟 序盤戦 報告」
『マスコミ市民』291号010-021頁 1993/02/01
 佐久間準・1994「読売TBS」
佐久間準(ジャーナリスト)
「読売vsTBS/「真向かいは中曽根さん」:“料亭会談”渡辺広康証言 全容」
 ※読売・佐川土地取引をめぐる名誉毀損訴訟で。
『マスコミ市民』304号026-034頁 1994/03/01
 佐久間準・1994「TBS読売」
佐久間準(ジャーナリスト)
「TBSvs.読売訴訟/取材源「秘匿」・「管理」の考察:読売主張にみる相互不信の構図」
 ※読売・佐川土地取引をめぐる名誉毀損訴訟で。
『マスコミ市民』308号030-040頁 1994/07/01
 佐久間準・1995「TBS読売」
佐久間準(ジャーナリスト)
「新たに浮かぶ“疑惑”:TBS・読売訴訟が結審」
『マスコミ市民』314号044-055頁 1995/01/01
 櫻井よしこ・2002「取材阻止」
櫻井よしこ(さくらい・よしこ/ジャーナリスト)
「私の視点 特集・個人情報保護法案とメディア/取材阻止に悪用される恐れ」
 ※「究極的には国民の個人情報を一元的に国が管理することになる住基ネットを国民を欺いてでも実現しようとするのは、彼らが情報こそが力の源泉だと知り抜いているからだ。」
『朝日新聞』朝刊 2002/03/17
 佐々木敏裕・1994「超能力」
佐々木敏裕(『科学朝日』編集長。1948年生まれ)
「(第4章 日本の科学雑誌編集部に聞く)〔インタビュー記事〕二十年前も超能力や血液型性格判断を取り上げた」
 ※聞き手:佐竹大心(さたけ・だいしん/フリーライター。1950年生まれ)。
呉智英・1994『オカルト』157-160頁 1994/05/15
 佐々木英治・1997「懇談会」
 
佐々木英治(ささき・ひではる/郵政省放送行政局放送政策課長)
「(放送メディア)「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会」について」
 ※1996年12月に同懇談会による最終報告書提出。
『ジュリスト増刊/メディア』098-102頁。 1997/06/25
 佐々木隆一・1987「島根県警」
佐々木隆一(江津事件、後房市さんを守る会事務局長)
「市民の広場/記者会見と報道の自由を妨害する島根県警」
 ※島根県警本部の記者室での記者会見を妨害。
『マスコミ市民』224号056-057頁 1987/04/01
 佐々淳行・2003「被害者」
佐々淳行(さっさ・あつゆき)
「インテリジェンス・アイ 第16回/「被害者の人権蹂躙」を放置するなかれ!」
 ※「せめて、被害者のための「国選弁護人制度」を導入し、犯行の顛末を「知る権利」を保障すべきである。」(244頁)
『諸君!』35巻9号244-246頁 2003/09/01
 薩摩耕太・1992「記者クラブ」
薩摩耕太
「電通PRセンター刊「新記者クラブハンドブック」を読む」
『放送レポート』115号020-022頁 1992/03/01
 佐藤亜紀・2003「物書き」
佐藤亜紀(さとう・あき/作家)《顔Ph有》
「Cross Line/物書きの業」
 ※「柳美里氏の『石に泳ぐ魚』裁判の件」について。「ここにはいかなる〈表現の自由〉問題も存在しない。」(033頁)
『正論』367号032-033頁 2003/02/01
 佐藤卓己・2004「言論の自由」
佐藤卓己(京都大学大学院助教授)
「〔書評〕BOOK PLAZA/REVIEW/「●●の××」は不自由なのか?/『「言論の自由」vs.「●●●」』立花隆[著]文藝春秋[刊]」
 ※「伏字は決して萎縮した言論の象徴ではない。」(335頁)
『諸君!』2004年7月号(36巻7号)334-335頁 2004/07/01
 佐藤毅・1996「TBS事件」
佐藤 毅(大東文化大学教授)
「(特集:TBS事件?問われる報道の倫理)TBS事件とその「報道」「論評」:事件の点火と展開」
『マスコミ市民』330号030-033頁 1996/05/01
・眞田範行(さなだ・のりゆき)

 眞田範行・1998「オーストラリア」

眞田範行(弁護士。千葉県弁護士会会員。日弁連人権と報道に関する調査特別委員会委員)
「(報道加害大国日本/マスコミにこそPL法を)オーストラリアの場合/発行者による自主的規制制度」
『週刊金曜日』6巻46号(通巻250号)014頁 1998/11/27
 眞田範行・1998「スウェーデン」
眞田範行(弁護士)
 「(報道加害大国日本/マスコミにこそPL法を)スウェーデンの場合/報道被害を未然に防ぐ法体系」
『週刊金曜日』6巻46号(通巻250号)017頁 1998/11/27
・佐野眞一(さの・しんいち)

 佐野眞一・2001「私の視点」

佐野眞一(ノンフィクション作家)
「私の視点/個人情報保護/法案は言論の奴隷化招く」
『朝日新聞』朝刊 ☆2001/06/07
 佐野眞一・2001「固有名詞」
佐野眞一(作家)
「(個人情報保護法に騙されるな!!)ノンフィクション作品に固有名詞は不可欠」
 ※「『東電OL殺人事件』(新潮社)を書いたけど、「娘をさらしもにして」とお母さんが言ってきても、ぼくは喜んで甘受します。むしろお母さんと議論もしたい、そういうイイ場にしたいんです。」 〔「さらしもにして」は原文のママ。〕
 ※2001年9月2日開催の「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会」出席者に編集部がインタビューしたもの。
『週刊金曜日』9巻第34号(通巻386号)011頁 2001/09/14
※→この『東電OL殺人事件』について、今井恭平・2002「ゴビンダ氏」が言及。
・沢田 博(さわだ・ひろし/1952年東京生まれ)

 沢田博・2003「選択」

沢田 博(ニューズウィーク日本版編集顧問)
「沢田博と英字紙を読む/苦渋の選択」
 ※「独裁的な国家」での『暴力的な人権侵害の現実を、外国のジャーナリストはどう伝えればいいのか」をめぐるCNNの報道姿勢について。
『世界週報』84巻18号(通巻4097号)066-067頁 2003/05/20
 沢田博・2003「辞職」
沢田 博(ニューズウィーク日本版編集顧問)
「沢田博と英字紙を読む/辞職の論理」
 ※ニューヨーク・タイムズ紙記者ジェイソン・ブレアの記事捏造疑惑でレインズ編集主幹とジェラルド・ボイド副編集長が辞任して。
『世界週報』84巻24号(通巻4103号)068-069頁 2003/07/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<し>

 ジェームソン・2002「北朝鮮報道」

サム・ジェームソン(ジャーナリスト。世界平和研究所客員研究員。66歳)
「私の視点 特集・北朝鮮報道を考える/代償払う「特ダネ」よりも」
 ※原文は英語。
 ※「独裁体制の下での取材は様々な制限を受けるが、その制限を明示した上でなお報道するのがメディア本来の姿だ。」「…拉致被害者や家族の記者会見で「救う会」が行った情報の選別提供は、報道の自由を制限する危うさがある。」
『朝日新聞』朝刊 2002/12/08
 塩見元彦・2002「浅野氏」
塩見元彦(学習塾経営。60歳)
「投書/浅野氏が批判した新聞記事は日本への警告と読むべきでは?」
 ※同誌2002年5月24日号掲載の浅野健一・2002「メディア・163」について。
『週刊金曜日』10巻24号(通巻425号)002頁 2002/06/21
・重松 清(しげまつ・きよし)

 重松清・2002「メディア規制」

重松 清(フリーライター。1963年生まれ)
「(焦点 「メディア規制」法案と文学/文学界にも危機感/受け止め方、作家3人に聞く)作品評価 読者に任せて」
 ※聞き手:学芸部・加藤修。
『朝日新聞』朝刊 2002/04/19
 重松清・2002「甘い言葉」
重松 清(作家)
 「eメール時評/「メディア規制」法案を考える/甘い言葉にご用心」
 ※「だが、「保護」「擁護」の手段は、立場を裏返せばすぐに「攻撃」の手段になりうる。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/14
 重村智計・2003「北朝鮮報道」
重村智計(しげむら・としみつ/拓殖大学教授。1945年・中国遼寧省出身)
「〔インタビュー記事〕北朝鮮報道/メディアへの注文」
 ※聞き手:鈴木理栄。
『放送レポート』182号002-005頁 2003/05/01
 篠田博之・2003「石原知事」
篠田博之(しのだ・ひろゆき/メディア批評誌「創」編集長)《顔Ph有》
「私の視点/石原知事発言/容認する「空気」こそ異様」
『朝日新聞』朝刊 2003/09/20
 篠塚公・1999「海外放送局」  柴田秀一・1996「TBSビデオ」
柴田秀一( しばた・しゅういち/TBSアナウンサー)
「(報道の現場から --- 報道の自由と報道被害の間で)TBSビデオ問題/嵐の中での再出発」
浅野健一・1996『無責任』154-169頁 1996/12/10
 芝生瑞和・2002「米の視点」
芝生瑞和(国際ジャーナリスト)
「私の視点/メディア/米の視点に惑わされるな」
 ※キーワード:オーウェル『1984年』、憎悪週間。
『朝日新聞』朝刊 2002/12/21
 島田四郎・2002「石原宣伝」
島田四郎(しまだ・しろう/ジャーナリスト。1975年生まれ)
「ザ・石原宣伝機関 --- フジ・サンケイグループからテリー伊藤まで:「マスコミ人脈」の全容」
 ※「三人のジャーナリストたちは、いずれも石原に不利な記事を書いたことで都庁を追われている。」(141頁)
別冊宝島・2002『石原慎太郎』【行政】139-146頁 2002/11/02
 島本慈子・2003「開かれた司法」
島本慈子(ノンフィクションライター)
「ゼロサン時評/どこが「開かれた」司法?」
 ※「連載を書いている雑誌」のために最高裁判所ホールにある天秤女神像を撮影しようとして。
『朝日新聞』朝刊 2003/04/16
 清水潔・2001「特権意識」
清水 潔( しみず・きよし/元『FOCUS』記者)
「(ここがへんだよ記者クラブ)記者の特権意識が取材の壁に」
『週刊金曜日』9巻33号(通巻385号)010-011頁 2001/09/07
・清水英夫(しみず・ひでお)

 清水英夫・1978「報道の自由」

 清水英夫・1989「押収事件」
清水英夫(青山学院大学法学部教授)
「日本テレビ未放映ビデオ押収事件を考える」
『放送レポート』96号030-033頁 1989/01/01
 清水英夫・1993「椿喚問」
清水英夫(民放連・放送番組調査会前委員長。青山学院大学名誉教授)
「(特集:テレ朝 前報道局長発言問題)椿喚問は報道の自由を侵す憲法違反」
 ※文責編集部。
『マスコミ市民』301号010-013頁 1993/12/01
 清水英夫・1996「放送」 清水英夫・2003「BPO」
清水英夫(2003年7月1日発足の「放送倫理・番組向上機構(BPO)」新理事長)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕新理事長の清水英夫氏に聞く/市民と橋渡し目指す」
 ※記事「視聴者の声集め迅速審理」と同時掲載。
『朝日新聞』朝刊 2003/06/26
・清水泰

 清水泰・1997「取材洪水」

 清水泰・1997「官報接待」  清水泰・1998「テレビカメラ」
清水 泰(フリーライター)
「テレビカメラが法廷に入る日:オウム裁判はなぜ生中継できないか」
『放送レポート』154号016-022頁 1998/09/01
 下條信輔・2003「情報操作」
下條信輔(カリフォルニア工科大学(認知神経科学))《顔Ph有》
「ヒト科学21/大衆誘導の時代/情報操作で揺らぐ「自由な個人」」
 ※「人々の意識下の認知過程に注目しながら、そうした情報操作のメカニズムを分析してみたい。」
『朝日新聞』朝刊 2003/10/15
・『週刊金曜日』編集部
  ※同誌発行所:「(株)金曜日」(ウェブサイト:)

 週刊金曜日・2000「ラグビー」

『週刊金曜日』編集部
「(メディアの犯罪/報道被害→責任の取り方、取らせ方)許しません、テレビの捏造報道/帝京大ラグビー部員事件の報道被害学生の父語る」
『週刊金曜日』8巻10号(通巻314号)017頁 2000/03/17
 週刊金曜日・2000「認知度」
『週刊金曜日』編集部
「(メディアの犯罪/報道被害→責任の取り方、取らせ方)認知度は高まっている/BRO専務理事 矢澤章二(談)」
『週刊金曜日』8巻10号(通巻314号)019頁 2000/03/17
 週刊金曜日・2000「きれいごと」
『週刊金曜日』編集部
「(メディアの犯罪/報道被害→責任の取り方、取らせ方)きれいごとですます新聞・雑誌の言い分」
『週刊金曜日』8巻10号(通巻314号)009-011頁 2000/03/17
 週刊金曜日・2001「記者クラブ」
『週刊金曜日』編集部:編
「(ここがへんだよ記者クラブ)若手記者匿名座談会/役所の下請け化する記者クラブ」
 ※出席者:政治部記者、地方紙記者、社会部記者、経済部記者。司会:伊田浩之(編集部)。
『週刊金曜日』9巻33号(通巻385号)012-018頁 2001/09/07
 週刊金曜日・2003「広報支援」
『週刊金曜日』取材班
「(自衛隊派兵のイラク特措法No!)自衛隊を広報支援する「ピースチャンネル」って何?:衛星放送で“勇姿”を垂れ流し」
 ※キーワード:ピースチャンネル株式会社、防衛庁共済組合、スミエプランニング株式会社、陸上自衛隊広報センター。
『週刊金曜日』11巻26号(通巻477号)014-015頁 2003/07/11
 週刊金曜日・2003「正論」
『週刊金曜日』取材班
「これでも“正論”ですか:産経新聞社の月刊『正論』が怪文書真に受け暴走」
 ※仁上妃芽「「拉致事件に革新政党関与」の告発投書を追った三か月の取材報告」(『正論』2003年6月号→仁上妃芽・2003「拉致事件」)、同「「拉致事件に旧社会党関与」疑惑追跡第2弾」(同誌8月号)について。
『週刊金曜日』11巻37号(通巻488号)020-021頁 2003/10/03
 白石勝己・2004「犯罪報道」
白石勝己(しらいし・かつみ/アジア学生文化協会理事)《顔Ph有》
「私の視点/留学生犯罪報道/客観的・冷静な議論を」
 ※「しかし、当局の発表のしかたやマスコミのデータの切り盛り次第で世論がある一定の方向へ流されるとすれば、憂うべき事態といわざるを得ない。」
『朝日新聞』朝刊 2004/06/05
 白石草・2003「電波を市民に」
白石 草(しらいし・はじめ/インターネット放送局「Our Planet TV」共同代表)
「私の視点/テレビ50年/電波を市民に再配分せよ」
 ※「商業チャンネルは増えても、市民のメディアへのアクセス権が保障される機運は一向に高まらない。」
『朝日新聞』朝刊 2003/02/01
 白石勝・2002「メディア規制」
白石 勝(文芸春秋社長)
「〔インタビュー記事〕「メディア規制法案」こう見る/文芸春秋 白石勝社長/権力者救い 市民は損」
 ※「私たちも苦情を受ける「雑誌人権ボックス」の設置など取り組みを始めている。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/25
・ヒロミ・ジョンソン

 ヒロミ・ジョンソン・1994「イエロー・キャブ」

ヒロミ・ジョンソン(ニューヨーク在住・フリーライター)
「ニューヨーク発/イエロー・キャブ問題を考える」
 ※1991年刊・家田壮子著『イエロー・キャブ』と「イエローキャブを考える会」について。
『マスコミ市民』303号067-069頁 1994/02/01
 ヒロミ・ジョンソン・1994「続・イエロー・キャブ」
ヒロミ・ジョンソン(ニューヨーク在住・フリーライター)
「ニューヨーク発/続 イエロー・キャブ問題を考える」
 ※1993年1月放映・TBS『イエロー・キャブ』について。
『マスコミ市民』304号056-060頁 1994/03/01
 シュリーターマン容子・1997「やらせ」
シュリーターマン容子( しゅりーたーまん・ようこ/通訳翻訳業)
「さんぽ道/ドイツの“やらせ”の結末」 ※1996年12月に記者に禁固刑の判決。
『週刊金曜日』5巻8号(通巻164号)025頁 1997/02/28
 辛淑玉・2003「外国人」
辛淑玉( しん・すご/人材育成コンサルタント)
「私の視点/「外国人」/無自覚な区別、差別を追認」
 ※2003年2月15日付掲載の根元武・2003「刑務所」【行政】について。
『朝日新聞』朝刊 2003/02/22
 新谷恵司・2003「記者殺傷」
新谷恵司(しんたに・けいじ /アラビア語通訳)
「私の視点/記者殺傷/報道封じる意図的な攻撃」
 ※衛星テレビ・アルジャジーラのバクダッド支局爆撃、パレスチナ・ホテル攻撃などについて。
『朝日新聞』朝刊 2003/04/12
 新藤健一・1989「KY事件」
新藤健一(共同通信社カメラマン)
「朝日新聞“KY事件”を追う:ダイバー・行政・メディアの複雑な背景」
『マスコミ市民』253号002-023頁 1989/08/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<す>

 図・2003「図書館」


「季節風/図書館の利用制限」
 ※柳美里「石に泳ぐ魚」掲載の『新潮』1994年9月号の図書館での利用制限について。「余談だが筆者はこれまで何人かの知人に「新潮」を貸し、頼まれればコピーもしてあげている。」
『山形新聞』朝刊 2003/01/23
 杉浦和彦・1989「サンゴ」
杉浦和彦
「ジャーナリズムを汚したのは誰だ:朝日新聞サンゴ落書事件を考える」
『放送レポート』99号024-027頁 1989/07/01
 杉下恒夫・2002「NGO騒動」
杉下恒夫(ジャーナリスト。茨城大学人文学部教授))
「from the MEDIA 最近の報道記事から/国際会議へのNGO参加拒否問題の波紋/NGO騒動、メディアの責任は」
『国際協力プラザ』94号026頁 2002/04/10
 杉嶋岑・2003「北朝鮮」
杉嶋 岑(すぎしま・たかし/ジャーナリスト。1999年6月に日本経済新聞社を定年退社。1999年12月、5回目の訪朝時に帰国直前、ピョンヤンで拘束され2年2か月の抑留生活を送る。1939年静岡県生まれ)
「“囚人”の眼から見た北朝鮮の素顔:スパイ容疑で抑留二年二か月! 元日経記者の衝撃証言」
『正論』371号126-139頁 2003/06/01
 杉山丞・2004「多様な意見」
杉山 丞(すぎやま・すすむ/東北大学大学院工学研究科助教授)《顔Ph有》
「紙面センサー/多様な意見ぜひ署名を」
 ※「初回のセンサーでは、イラクで起こった日本人拉致事件に対する読売、朝日、河北新報各紙の「社説」を比較してみたい。」
『河北新報』朝刊 2004/04/30
 鈴木一男・1992「社長殺人事件」
鈴木一男(ジャーナリスト)
「マスコミ現場から/山梨・不動産会社社長殺人事件」
『マスコミ市民』282号044-049頁 1992/05/01
・鈴木健二(すずき・けんじ)

 鈴木健二・2001「湾岸後遺症」

鈴木健二(成蹊大学教授(メディア論))
「私の視点/「湾岸」後遺症 報道も脱却を」
 ※「私が不思議に思うのは、日本の報道機関までが米国と一緒に熱くなっていることだ。」
『朝日新聞』朝刊 2001/10/10
 鈴木健二・2001「米国メディア」
鈴木健二(成蹊大学教授)
「政治/監視強化・弾圧が強まるなか 権力に従順な米国メディア」
 ※UCLAの図書館職員は「政府のイスラエル政策を批判するメールを同僚に送っただけで」「図書館のパソコンを使って政治的発言をしたため」として「大学から停職処分を受けた。」(018頁)
『週刊金曜日』9巻45号(通巻397号)018頁 2001/11/23
 鈴木健二・2002「野心家」
鈴木健二(成蹊大学教授)
「政治/“野心家”の政治記者がトップを占める大手新聞社の悲惨な現状」
 ※「政府の審議会や懇談会に名を連ねている論説委員クラスの中堅記者がいかに多いことか。審議会が政府の隠れ蓑になっていると叩きながら、その委員に幹部が就いているのは大いなる矛盾である。」(008頁)
『週刊金曜日』10巻2号(通巻403号)008頁 2002/01/18
 鈴木健二・2003「イラク侵略」
鈴木健二(成蹊大学教授)
「鈴木健二の政治時評/米英のイラク侵略で次々と捏造される報道! メディアは被害者か加害者か」
 ※米国の政府迎合報道の「旗振りをしているのが新興のネットワーク、FOXテレビである。」(008頁)
『週刊金曜日』11巻13号(通巻464号)008頁 2003/04/04
 鈴木健二・2003「マードック」
鈴木健二(成蹊大学教授)
「鈴木健二の政治時評/米・マスメディアの規制緩和はブッシュからマードックへのイラク戦争の論功行賞」
『週刊金曜日』11巻29号(通巻480号)031頁 2003/08/01
 鈴木秀美・1997「ドイツ」
鈴木秀美(すずき・ひでみ/北陸大学法学部助教授)
「(表現の自由論の現況)表現の自由論の現況 --- ドイツ」
『ジュリスト増刊/メディア』237-241頁。 1997/06/25
 鈴木秀美・2004「事前差止め」
鈴木秀美(すずき・ひでみ/大阪大学教授)
「ロー・ジャーナル/「週刊文春」事前差止めと表現の自由:東京地裁2004年3月16・19日決定と東京高裁3月31日決定」
『法学セミナー』2004年7月号(49巻7号・通巻595頁)070-074頁 2004/07/01
 杉本健郎・2002「奇跡の詩人」
杉本健郎(関西医科大学男山病院小児科助教授)
「(第3章 ドーマン法とFCの真実)寄稿/「奇跡の詩人」についての小児神経学専門医の立場から」
 ※2002年4月28日・「NHKスペシャル」放映の「奇跡の詩人:11才 脳障害児のメッセージ」について。
 ※キーワード:ドーマン法、脳障害、子どもの権利条約。
 ※「流奈君の表情が子どもらしい快適な表情になるときは、妹を見たときの目と、風呂に入って気持ちよくなったときの表情でした。」(130頁)
滝本&石井・2002『奇跡の詩人』【報道】128-130頁 2002/06/28
 鈴木紀夫・2002「過熱取材」
鈴木紀夫(すずき・のりお/日本雑誌協会取材委員長・光文社常務)
「私の視点/過熱取材対策/雑誌の特性踏まえ議論を」
 ※「今回、日本雑誌協会は、5人の拉致被害者の帰国を目前に控えた段階で3項目の申し合わせを行い、会員誌に通達した。」
『朝日新聞』朝刊 2002/11/16
 鈴木秀美・2004「週刊文春」
鈴木秀美(すずき・ひでみ/日本大教授。44歳)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕週刊文春出版禁止 どう考える/憲法研究者/メディア萎縮する恐れ」
 ※聞き手・北郷美由紀。
『朝日新聞』朝刊 2004/03/23
・すずき史彦

 すずき史彦・1994「読売新聞・01」

すずき史彦(フリージャーナリスト)
「素顔の読売新聞 (1)/販売からめば特ダネもボツ」
『マスコミ市民』313号012-017頁 1994/12/01
 すずき史彦・1995「読売新聞・02」
すずき史彦(フリージャーナリスト)
「素顔の読売新聞 (2)/十分な取材保障なく、構造的な不正続出」
『マスコミ市民』314号056-060頁 1995/01/01
 すずき史彦・1995「読売新聞・03」
すずき史彦(フリージャーナリスト)
「素顔の読売新聞 (3)/おごりとゆ着、行き着く先は…」
『マスコミ市民』315号040-044頁 1995/02/01
 すずき史彦・1995「読売新聞・04」
すずき史彦(フリージャーナリスト)
「素顔の読売新聞 (4)/暴力団まがいの拡張員も」
『マスコミ市民』316号059-063頁 1995/03/01
・鈴木みどり(すずき・みどり)

 鈴木みどり・1992「メディア」

鈴木みどり(テレビ問題研究家)
「メディア・スコープ/メディアがメディアを検証・報道する時代」
 ※『朝日新聞』「メディア欄」新設から1年。
『マスコミ市民』282号081-084頁 1992/05/01
 鈴木みどり・1992「権利憲章」
鈴木みどり(子どものテレビの会・市民のテレビの会代表)
「視聴者の権利とは何か:フランス版「テレビ視聴者の権利憲章」を読む」
『放送レポート』116号020-023頁 1992/05/01
 鈴木みどり・1993「権利憲章」
鈴木みどり(FCT(市民のテレビの会)代表)
 「テレビ視聴者の権利憲章を問う:FCT活動の15年を支えてきたもの」
『放送レポート』120号012-015頁 1993/01/01
・鈴木理栄(すずき・りえ)

 鈴木理栄・2003「共同アピール」

鈴木理栄(業界紙記者)
「視聴者の眼/新しい“うねり”示した「共同アピールの会」」
 ※2001年4月18日に第1回共同アピールを発表、2003年6月20日に解散した「個人情報保護法案拒否!共同アピールの会」について。「何の因果か事務局で会計なんぞやっていた関係上、本当にもう、いつ破綻するかとハラハラさせられっぱなしの日々。」(025頁)
『放送レポート』184号025頁 2003/09/01
 鈴木理栄・2003「ETV」
鈴木理栄(フリーライター)
「視聴者の眼/『ETV2001』プロデューサーへの手紙」
 ※「問われる戦時性暴力」について。
『放送レポート』185号011頁 2003/11/01
・巣原 隆

 巣原隆・1986「自民党」

巣原 隆(放送評論家)
「(マスコミと国家秘密法)『11PM』ディレクターの奇妙な配置転換ではっきりした“自民党の圧力”」
『放送レポート』80号048-051頁 1986/05/01
 巣原隆・1990「下請け依存」
巣原 隆(放送評論家)
「下請け依存がトラブル番組を生む」
 ※1990年3月TBS「ギミア・ぶれいく」が暴力団の債権取り立て現場を放映して。
『マスコミ市民』265号022-029頁 1990/10/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<せ>

 政治部記者・1997「ペルー人質」

政治部記者
「マスコミ現場から/ペルー人質事件−マスコミの取材と外務省の秘密主義」
『マスコミ市民』340号002-005頁 1997/03/01
瀬川裕司・2002「リーフェンシュタール」
瀬川裕司(せがわ・ゆうじ/明治大教授(独文学)。1957年生まれ)
「リーフェンシュタール、100歳で新作映画/美を欠いた質高き「記録」」
 ※新作映画「海中の印象」について。「…しかし、今年になってロマ協会が彼女を訴えたという事実は、そのような曖昧な「名誉回復」ムードに冷水を浴びせるものだった。」
『朝日新聞』朝刊 2002/12/19
 関千枝子・2003「ラブ・レター」
関千枝子(『女性ニューズ』)
「テレビの泣きどころ(20)/“人身売買”容認が腹立たしい『ラブ・レター』」
 ※2003年6月18日・テレビ東京放送のドラマ『ラブ・レター』(原作:浅田次郎、主演:西田敏行)について。「いま歌舞伎町で生きている吾郎は町の顔役に頼まれ五〇万円をもらい、戸籍を貸し、会ったこともない中国人女性・白蘭と偽装結婚したが、“結婚”したことも忘れていた。」(036頁)
『放送レポート』184号036-037頁 2003/09/01
 関千枝子・2003「ドキュメンタリー」
関千枝子(『女性ニューズ』)
「テレビの泣きどころ(21)/60〜70年代のドキュメンタリーの秀作を再放送して!」
 ※『ベトナム海兵大隊戦記』の再上映を見て。
『放送レポート』185号034-035頁 2003/11/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<そ>

 曽我陽三・1997「パパラッチ」

曽我陽三( そが・ようぞう/カメラマン)
「(メディアとプライバシー)裁くのは誰だ!? 異論・反論パパラッチ/私はパパラッチだった」
『週刊金曜日』5巻37号(通巻193号)017頁 1997/10/03
 杣道郎・1988「実名報道」
杣 道郎(北九州市・元地方紙経営者)
「市民のひろば/「実名報道」の裏表」
 ※これへの批判が、浅野健一・1988「実名報道」
『マスコミ市民』239号036-037頁 1988/08/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<た行>

<た>
 

・臺 宏士(だい・ひろし)

 臺宏士・2000「個人情報」

臺宏士(『毎日新聞』サイバー編集部)
「(人権侵す「ヒトゲノム」ビジネス)狙われるあなたの個人情報/早大事件は氷山の一角」
『週刊金曜日』8巻26号(通巻330号)024-026頁 2000/07/14
 臺宏士・2001「法規制」
臺 宏士(『毎日新聞』サイバー編集部)
「権力の動き/取材もできない法規制の危険なカラクリ」
『週刊金曜日』9巻362号018-020頁☆ 2001/03/16
 臺宏士・2001「旧内務省」
臺 宏士(聞き手/『毎日新聞』記者)
「(知らなかったではすまされない/ニッポンの自由の危機/個人情報保護法案・教育改革3法案)公明党国会対策副委員長 高木陽介衆議院議員に聞く/旧内務省と変わらない役人の統制感覚」
『週刊金曜日』9巻23号(通巻375号)014-015頁 2001/06/22
 臺宏士・2002「法案成立」
臺宏士(『毎日新聞』サイバー編集部記者)
「危ない! メディア規制3法案/法案成立に攻勢を強める政府・与党の最新の動き」
『週刊金曜日』10巻8号(通巻409号)062-067頁 2002/03/01
 田岡俊次・2002「体験記創作」
田岡俊次(朝日新聞社会部)
「記者は考える/体験記、どこまで「創作」か」
 ※青山健煕(通称)の著書『北朝鮮という悪魔』(光文社)についての批判。北朝鮮で准博士号を得たと自称するのに「技術的な面で基本的な誤りが目につく」。「光文社で本人に会って尋ね」た際には「この本に解説を書いている現代コリア研究所の佐藤勝巳所長も同席した。」
『朝日新聞』朝刊 2002/12/06
 高井潔司・2002「SARS」
高井潔司(北海道大学大学院教授)
「躍動アジア/中国/SARS報道に見る中国のメディア事情」
 ※キーワード:新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)、非典型肺炎=非典(フェイディエン)、「衆志成城」晩会、胡錦濤・温家宝体制。
『世界週報』84巻20号(通巻4099号)044-045頁 2003/06/03
 高市&クライン・2002「女性たちよ」
高市早苗(たかいち・さなえ/衆議院議員。2001年1月から2002年1月まで衆院文部科学委員長。1961年奈良市生まれ)、
クライン孝子(くらいん・たかこ/ノンフィクション作家。フランクフルト在住。EUプレスクラブ、ドイツ婦人ジャーナリスト連盟会員。1939年満州生まれ)《顔Ph有》
「対談/女性たちよ 覚悟と気概をお持ちなさい!」
 ※司会「お二人は、靖国神社問題を取りあげたテレビ朝日の『サンデープロジェクト』で高市さんが田原総一朗氏から「無知」「下品」とまさに暴言を吐かれ、クラインさんが激励の電子メールを送って意気投合されたと伺いました。」(302頁)
『正論』364号302-311頁 2002/12/01
 高木宏行・2002「不正アクセス」
高木宏行( たかぎ・ひろゆき/第二東京弁護士会弁護士。1968年生まれ)
「(特集:インターネット社会とインシデント --- 教育利用の保全対策と配慮 --- )不正アクセス禁止法とプライバシー侵害への対処」
 ※キーワード:プロパイダー責任法、差止、損害賠償。
『コンピュータ&エデュケーション』12号045-051頁 2002/05/31
 高倉克祐・1994「宜保愛子」
高倉克祐(たかくら・かつすけ/サイエンス・エディター。1947年生まれ)
「宜保愛子の霊視の真相を暴く:テレビ特番の徹底検証から」
 ※「私が見る限り、宜保愛子特番は事前リサーチと取材VTRの見事な編集によって構成された可能性がきわめて濃厚である。」(047頁)。
呉智英・1994『オカルト』046-054頁 1994/05/15
 高崎隆治・2002「新潮社」
高崎隆治( たかさき・りゅうじ/ジャーナリズム研究家)
「今週の反撃/新潮社よ、戦争礼賛雑誌の発行責任を忘れたのか」
 ※『週刊新潮』2002年8月29日号掲載の「『朝日新聞』の戦争責任」について。新潮社の雑誌『日の出』を例に。
『週刊金曜日』10巻41号(通巻442号)030-031頁 2002/10/25
 高作正博・2001「実名報道」
高作正博(たかさく・まさひろ /琉球大学助教授)
「なるほど憲法Q&A (18)/凶悪犯罪者なら実名報道されて当然?」
『週刊金曜日』9巻31号(通巻383号)032頁 2001/08/24
・高嶋伸欣(たかしま・のぶよし)

 高嶋伸欣・1992「華僑虐殺・01」

高嶋伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「「華僑虐殺」と日本のジャーナリズム (1):事実を発掘する市民運動の後を歩いている日本のマスコミ」
 ※『中国新聞』1990年8月〜1991年5月連載記事「B・C級戦犯」の誤りについて。
『マスコミ市民』289号006-015頁 1992/12/01
 高嶋伸欣・1993「華僑虐殺・02」
高嶋¥伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「「華僑虐殺」と日本のジャーナリズム (2):見すごされた“自虐的史観”批判の問題点」
 ※『中国新聞』1990年〜1991年連載記事「B・C級戦犯」についての執筆者・御田重宝(同紙解説委員)とのやりとりなど。
『マスコミ市民』290号054-063頁 1993/01/01
 高嶋伸欣・1993「華僑虐殺・03」
高嶋伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「「華僑虐殺」と日本のジャーナリズム (3):問題点だらけの長期連載『B・C級戦犯』」
 ※『中国新聞』1990年〜1991年連載記事について。
『マスコミ市民』291号074-082頁 1993/02/01
 高嶋伸欣・1993「華僑虐殺・04」
高嶋伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「「華僑虐殺」と日本のジャーナリズム (4):ずさんな長期連載の下地を作った報道界の怠慢」
 ※『中国新聞』1990年〜1991年連載記事「B・C級戦犯」について。
『マスコミ市民』292号060-067頁 1993/03/01
 高嶋伸欣・1993「華僑虐殺・05」
高嶋伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「「華僑虐殺」と日本のジャーナリズム (5):引用文をやりたい放題に書き替えた『B・C級戦犯』」
 ※『中国新聞』1990年〜1991年連載記事について。
『マスコミ市民』293号042-049頁 1993/04/01
 高嶋伸欣・1993「華僑虐殺・06」
高嶋伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「「華僑虐殺」と日本のジャーナリズム (6):手遅れ寸前で事態の深刻さを認識した中国新聞」
 ※同紙1990年〜1991年連載記事「B・C級戦犯」について。
『マスコミ市民』295号040-047頁 1993/06/01
 高嶋伸欣・1993「華僑虐殺・07」
高嶋伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「「華僑虐殺」と日本のジャーナリズム (7):責任を認めた中国新聞社と話題にする必要なしとした共同通信社」
 ※『中国新聞』1990年〜1991年連載記事「B・C級戦犯」について。
『マスコミ市民』296号054-061頁 1993/07/01
 高嶋伸欣・1993「華僑虐殺・08」
高嶋伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「「華僑虐殺」と日本のジャーナリズム (8):御田氏と同じ手法を用いた中島みち氏の著作」
 ※1991年刊『日中戦争いまだ終らず』について。
『マスコミ市民』297号062-069頁 1993/08/01
 高嶋伸欣・1993「華僑虐殺・09」
高嶋伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「「華僑虐殺」と日本のジャーナリズム (9):歪曲と事実誤認のインタビューを土台にした中島みち氏の主張」
 ※1991年刊『日中戦争いまだ終らず』について。
『マスコミ市民』299号032-039頁 1993/10/01
 高嶋伸欣・1993「華僑虐殺・10」
高嶋伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「「華僑虐殺」と日本のジャーナリズム (10/完):責任を問われる文藝春秋と信頼を回復した中国新聞」
 ※『中国新聞』連載の「B・C級戦犯」と文春刊『日中戦争いまだ終らず』。
『マスコミ市民』300号062-073頁 1993/11/01
 高嶋伸欣・1993「大誤報」
高嶋伸欣(筑波大学付属高校教諭)
「《教科書裁判レポート》産経新聞の「大誤報」」
 ※1993年10月第三次家永訴訟東京高裁判決と横浜教科書訴訟。
『マスコミ市民』301号46-49頁 1993/12/01
 高嶋伸欣・2003「社説批判」
高嶋伸欣(琉球大学教育学部教授、社会科教育、高嶋教科書裁判原告)
 「<社説論争を斬る>社説批判を口実にしたリベラル派叩き」
 ※朝日新聞2003年1月1日付社説「『千と千尋』の精神で」への批判について。
『週刊金曜日』11巻8号(通巻459号)056-057頁 2003/02/28
 高嶋伸欣・2003「歴史観・017」
高嶋伸欣(琉球大学教授)
 「歴史観×メディア=ウォッチング (17)/「つくる会(扶桑社)」本問題と拉致問題を教室で扱う:読売・産経と藤岡氏の言動を反面教師として」
『季刊 戦争責任研究』40号088-095頁 2003/06/16
 高嶋伸欣・2003「歴史観・018」
高嶋伸欣(琉球大学教授)
「歴史観×メディア=ウォッチング (18)/歪曲が続く北朝鮮情勢:拉致問題の授業化は時期尚早」
『季刊 戦争責任研究』41号頁 2003/09/16
 高瀬毅・1991「記者会見場」
高瀬 毅(文化放送報道部)
「マスコミ取材現場から/記者会見場から『出て行け」なんて誰が決めたんだ!」
 ※1990年12月の少女殺害事件での群馬県警記者クラブのの対応について。
『マスコミ市民』269号016-019頁 1991/02/01
 高梨純一・1994「UFO」
高梨純一(日本UFO科学協会会長。1923年生まれ)
「UFO番組のデタラメを斬る」たかなし・じゅんいち
 ※「トリックが暴かれていても懲りずに本物として紹介する」困ったテレビ番組製作者として、「元日本テレビのディレクター、矢追純一氏」(012頁)を主に批判。
呉智英・1994『オカルト』010-020頁 1994/05/15
 高梨正樹・1987「新聞と戦争・11」
高梨正樹(たかなし・まさき)
「新聞と戦争 (11)/スパイ政治との対決」
 ※1930年・浜口雄幸首相狙撃事件容態報道で。
『マスコミ市民』220号046-051頁 1987/01/01
 高橋邦典・2003「従軍記者」
高橋邦典(たかはし・くにのり/フォト・ジャーナリスト。1966年生まれ)
「(イラク侵略の真実)アメリカのメディアは死んだか?:従軍記者が見た戦争」
『週刊金曜日』11巻20号(通巻471号)024-026頁 2003/05/30
 高橋シズヱ・2002「犯罪被害者・05」
高橋シズヱ(地下鉄サリン事件の遺族)
「〔インタビュー記事〕報道へ 犯罪被害者からの提言 (5/完)/地下鉄サリンで夫を亡くした高橋シズヱさん(55)/思い伝える方策 共に考えたい/威圧的な取材者には話せない」
 ※聞き手:河原理子。
『朝日新聞』朝刊 2002/05/14
 高橋千劔破・1999「柳美里裁判」
高橋千劔破(たかはし・ちはや/作家・評論家、日本ペンクラブ理事)
「(柳美里「石に泳ぐ魚」裁判にみる)ペンが凶器に変わるとき」
『週刊金曜日』7巻28号(通巻282号)053頁 1999/07/23
 高橋哲哉・2003「原点」
高橋哲哉(たかはし・てつや/東京大学大学院総合文化研究科教授。哲学専攻。1956年福島県生まれ)《顔Ph有》
「ジャーナリズムの原点に立て:「遅い、暗い、闘わない」を越えて」
 ※2003年6月21日開催のシンポジウム「報道フォーラム2003 戦争・有事法制とメディア」(民放労連とメディア総合研究所の共催)での基調講演をまとめたもの。
『放送レポート』184号002-010頁 2003/09/01
 高橋康夫・2004「週刊文春」
高橋康夫(たかはし・やすお/映像プロデューサー。62歳)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕週刊文春出版禁止 どう考える/書かれる側/「有名人報道」の議論を」
 ※聞き手・川本裕司。
『朝日新聞』朝刊 2004/03/23
 高柳寛樹・1999「インターネット」
高柳寛樹(ウェブハット代表/発起人)
「「少年の健やかな成長」を大義に始まったインターネット封じの皮相:警察庁・調査委報告を読んで」
 ※警察庁生活安全局長の諮問機関「ネットワーク上の少年に有害な環境に関する調査委員会」の報告書(1998年10月22日発表)について。
『放送レポート』157号046-049頁 1999/03/01
 田北康成・1999「青少年」 ←メディア規制の側面強いとして【行政】から移動((2002.3.27)
田北康成(立教大学大学院博士課程)
「「青少年と放送に関する専門家会合」に保護者代表で参加した「PTA」と「子ども会」代表の唖然、茫然」
『放送レポート』160号050-052頁☆ 1999/09/01
 田北康成・2004「信頼」
田北康成(たきた・やすなり/聖母大学非常勤講師)
「ロー・フォーラム/メディアフォーラム/誰が信頼を損ねたのか」
 ※東京地裁のNHK「女性戦犯国際法廷」番組改編裁判判決(2004年3月24日)について。
『法学セミナー』2004年7月号(49巻7号・通巻595号)134-135頁 2004/07/01
 宅&本多・1997「裁くのは」
宅八郎(おたく評論家)、
本多勝一(ほんだ・かついち/本誌編集委員)
 「(メディアとプライバシー)対談 裁くのは俺だ!!:これが対パパラッチ唯一の撃退法」
『週刊金曜日』5巻37号(通巻193号)010-013頁 1997/10/03
 武井東子・1997「ダイアナ」
武井東子(たけい・あこ/ジャーナリスト、パリ在住)
「(メディアとプライバシー)裁くのは誰だ!? 異論・反論パパラッチ/職業倫理が問われたダイアナ事件」
『週刊金曜日』5巻37号(通巻193号)016頁 1997/10/03
 武市英雄・1996「ジャーナリスト」
武市英雄(上智大学教授)
「(特集:TBS事件−問われる報道の倫理)ジャーナリスト教育のシステム化を」
『マスコミ市民』330号018頁 1996/05/01
・竹内一晴(たけうち・かずはる)

 竹内一晴・2001「メディア規制法」

竹内一晴(本誌記者)
「(知らなかったではすまされない/ニッポンの自由の危機/個人情報保護法案・教育改革3法案)個人情報保護法案/表現の自由を奪うメディア規制法」
『週刊金曜日』9巻第23号(通巻375号)010-015頁 2001/06/22
 竹内一晴・2001「市民運動」
竹内一晴(本誌記者)
「(米国テロと日本 10)メディアを活用した市民運動の動き/大マスコミに頼ってられない」
『週刊金曜日』9巻45号(通巻397号)022-023頁 2001/11/23
 竹内一晴・2003「BRC・上」
竹内一晴(フリーライター)
 「『ETV2001』問題・BRC決定をどう見るか(上)」
 ※2001年放送「シリーズ戦争をどう裁くか」第2回「問われる戦時性暴力」について、放送と人権等権利に関する委員会(BRC)が2003年3月31日に決定。
『放送レポート』183号042-045頁 2003/07/01
 竹内一晴・2003「BRC・下」
竹内一晴(フリーライター)
「『ETV2001』問題・BRC決定をどう見るか(下)」
 ※放送と人権等権利に関する委員会(BRC)が2003年3月31日に出した「決定第20号」のその後について。
『放送レポート』184号032-035頁 2003/09/01
・竹内希衣子(たけうち・きえこ)

 竹内希衣子・1991「視聴者」

竹内希衣子(フリーライター・FCT)
「メディア・スコープ/番組の作り手と視聴者の関係を変えよう」
『マスコミ市民』277号032-035頁 1991/11/01
 竹内希衣子・1992「権利憲章」
竹内希衣子(FCT・フリーライター)
「メディア・スコープ/テレビのよきパートナーとなるために私たちが創った「テレビ視聴者の権利憲章」」
『マスコミ市民』288号060-063頁 1992/11/01
 竹内希衣子・1997「視聴者」
竹内希衣子(FCT市民のテレビの会スタッフ。1937年生まれ)
 「(市民・視聴者の立場から)視聴者と放送についての提言:「不幸な関係」を「信頼しあえる関係」に修復するために」
民放連研・1997『放送の自由』091-125頁 1997/09/05
 竹内謙・2003「市民メディア」
竹内 謙(たけうち・けん/インターネット新聞「JanJan」編集委員長。前神奈川県鎌倉市長)《顔Ph有》
  「私の視点/市民メデイア/みんなが発信する社会を」
 ※「「JanJan」という名前のインターネット新聞を今年2月に創刊した。」
 ※ウェブサイト:www.janjan.jp/。
『朝日新聞』朝刊 2003/08/16
 竹田青嗣・2001「柳美里氏」
竹田青嗣(たけだ・せいじ/哲学者、明治学院大学教授)
「(第2部 小説とプライバシーと表現の自由/第7章)柳美里氏の小説、出版差し止め判決をめぐって」
 ※初出『朝日新聞』1999年7月1日付夕刊(…)に加筆・修正。
青弓社・2001『プライバシー』177-180頁 2001/02/10
・武田 徹(たけだ・とおる/1958年東京都生まれ)

 武田徹・2003「イラク戦争」

武田 徹(評論家。44歳)
「〔インタビュー記事〕イラク戦争を問う/評論家 武田徹さんに聞く/生中継にも情報操作の危うさ/メディア側は多元化工夫/解説・論説で戦争の本質を」
『朝日新聞』朝刊 2003/03/31
 武田徹・2004「公共性」
武田 徹(ジャーナリスト。東京大学先端科学技術研究センター特任教授(科学技術ジャーナリスト育成講座))《顔Ph有》
 「(特集:改めて問う、日本の自己責任)戦場で人質となったジャーナリストの幻想:呆気なく打ち砕かれた「公共性」という大義」
 ※「青臭いことを言うようだが、やはりジャーナリズムは国家や企業の利害を超えた公共性を担うべきであり、ハーバーマスの理想はいかに困難でも追求されるべきだろう。」(061-062頁)
『中央公論』第119年第6号(1441号)054-063頁 2004/06/01
 竹田稔・2004「文春問題」
竹田 稔(たけだ・みのる/弁護士)《顔Ph有》
「三者三論 「文春問題」その先/明確な差し止め要件示せ」
 ※聞き手:吉田貴文。
『朝日新聞』朝刊 2004/04/09
※同時掲載:紙谷雅子・2004「文春問題」宮崎哲弥・2004「文春問題」
・田島泰彦(たじま・やすひこ)

 田島泰彦・1993「国際的動向」

田島泰彦(神奈川大学)
「コミュニケーション倫理をめぐる国際的動向:メディア倫理・責任システムの研究と展開を中心に」
『コミュニケーション研究』42号059-079頁 1993/
  田島泰彦・1996「TBS」
田島泰彦(神奈川大学短期大学部教授)
「TBS坂本弁護士ビデオテープ事件が問うたもの」
 ※3月20日付『読売新聞』朝刊「論点」を加筆したもの。
『マスコミ市民』329号014-017頁 1996/04/01
 田島泰彦・1997「イギリス」
田島泰彦(神奈川大学短期大学部教授)
「(表現の自由論の現況)苦情申立制度と放送の自由:イギリス・放送苦情委員会の経験」
『ジュリスト増刊/メディア』232-236頁。 1997/06/25
 田島泰彦・2000「論壇」  田島泰彦・2001「石に泳ぐ魚」
田島泰彦(上智大学教授)
「(第2部 小説とプライバシーと表現の自由/第6章)『石に泳ぐ魚』東京地裁判決を考える:プライバシー・名誉・差し止め判断をめぐって」
 ※初出『法学セミナー』1999年12月号(…)の再録。
青弓社・2001『プライバシー』159-176頁 2001/02/10


 田島泰彦・2001「個人情報保護」

田島泰彦(上智大学教授)
「「個人情報保護法案とメディア」を問う」
 ※4.21開催の「緊急! 報道フォーラム」より
『放送レポート』171号002-009頁 ☆2001/07/01
 田島泰彦・2002「個人情報保護」
田島泰彦(上智大学教授。憲法・メディア法)
「私の視点/個人情報保護/法案、国際標準に届かず」
 ※「なぜ表現の自由を重視するアメリカ方式を手本にするという選択肢を示さないのか説得的な説明はない。」
『朝日新聞』朝刊 2002/03/24
 田島泰彦・2002「窃盗団」
田島泰彦(上智大学教授)
「窃盗団報道が問いかけているもの」
 ※2002年5月27日・テレビ東京の番組『ニュース・アイ』での報道について。取材対象者への金銭の提供や、捜査機関や被害者への通報の問題など。
『放送レポート』179号023-024頁 2002/11/01
 田島&原・2003「表現の自由」
田島泰彦(1999年より上智大学教授。1952年生まれ)《顔Ph有》、
原 寿雄(はら・としお/元共同通信編集主幹。2000年4月から「放送と青少年に関する委員会」委員長。1925年生まれ)《顔Ph有》、
藤森 研(ふじもり・けん/2002年から朝日新聞編集委員。1949年生まれ)《顔Ph有》
「座談会/窒息する表現の自由」
 ※個人情報保護法、有事法制、裁判員制度。
『放送レポート』183号026-038頁 2003/07/01
 田島ゼミ・1995「松本サリン」
田島ゼミナール(神奈川大学)
「検証・松本サリン事件報道:「犯罪報道」はどうあるべきか」
 ※共同卒業論文をもとに。
『放送レポート』137号028-032頁 1995/11/01
 田島ゼミ・2002「薬害エイズ」
田島ゼミナール(上智大学文学部新聞学科)
「新聞は何を伝えたか:薬害エイズ・安倍被告無罪判決報道を検証する」
『放送レポート』175号058-062頁 2002/03/01
 立花隆・2003「東大論・048」 ※立花隆・2003「満州事変」から変更
立花 隆(たちばな・たかし/評論家)《顔Ph有》
「私の東大論 (48)/昭和天皇と満州事変:天皇主権説を唱える陸軍は、やがて天皇の意思に反して暴走を重ねる」
 ※「この連載の第四十二回「狂信右翼・蓑田胸喜と滝川事件」(二〇〇三年一月号)の記述について、蓑田胸喜の遺族から、一部誤りの指摘と記述内容についての求釈明がきているので、ここに一部訂正と釈明をしておく。」として、「「狂死」「真正の狂人」の記述は不適切な表現であったとして、ここに取り下げさせていただく。」(381頁)
『文芸春秋』81巻10号368-381頁 2003/08/01
 達増拓也・2002「個人情報保護法案」
達増拓也(たっそ・たくや/自由党代議士。岩手1区選出。自由党副幹事長、「日本型情報社会構築委員会」委員長。元外交官。37歳)
「〔インタビュー記事〕どうする個人情報保護法案 (下)/報道の定義、法では無理」
 ※「99年に出た審議会の中間報告までは非常にいい内容だった。行政機関が保有する個人情報の乱用禁止の制度化を目指していた。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/18
・田中 明(たなか・あきら)

 田中明・2003「民主化」

田中 明(拓殖大学海外事情研究所客員教授)
「倭人の呟き(96)/安気な「民主化」論者」
 ※T・K生『韓国からの通信』への批判。「当時の日本人の韓国に対する無知に乗じた戦術的・党派的なもの」(050頁)。
『現代コリア』434号050-053頁 2003/09/22
 田中早苗・2003「ポルノ」
田中早苗(たなか・さなえ/弁護士)
「(痴漢/女と男のゆがんだ構図)電車内ポルノは痴漢の「共謀者」?」 
 ※キーワード:性的表現、袋とじ企画、中吊り広告、嫌ポルノ権、新聞倫理綱領(広告掲載基準)。
『週刊金曜日』11巻27号(通巻478号)056頁 2003/07/18
・田中輝和(たなか・てるかず)

 田中輝和・2000「適正手続」

田中輝和(東北学院大学法学部教授)
「適正手続の保障を受ける権利と捜査報道:警察視点依存報道の法的問題点」
『刑事・少年司法の再生(梶田英雄判事・守屋克彦判事 退官記念論文集)』〔現代人文社〕159-175頁 ☆2000/10/30
 田端能明・1987「豊田商事」
田端能明(読売テレビ/カメラマン)
「(総点検!豊田商事会長刺殺事件現場「報道陣告発」事件)社員ひとり守れなくて何が社会正義の報道か」
 ※1986年・民放労連主催「報道フォーラム86」での報告の要約。文責編集部。
『放送レポート』85号044-048頁 1987/03/01
 田場洋和・1997「法廷カメラ」
田場洋和(たば・ひろかず/社団法人日本民間放送連盟編集部副部長)
「(取材・報道の課題)法廷カメラ取材の要請」
『ジュリスト増刊/メディア』288-292頁。 1997/06/25
・田原総一朗(たはら・そういちろう)

 田原総一朗・2001「雑誌つぶし」

田原総一朗(ジャーナリスト)
 「(個人情報保護法に騙されるな!!)これは明らかに「雑誌つぶし」法案」
 ※2001年9月2日開催の「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会」出席者に編集部がインタビューしたもの。
『週刊金曜日』9巻第34号(通巻386号)014頁 2001/09/14
 田原総一朗・2002「歴史観」
田原総一朗(テレビキャスター、評論家)
「私の視点/歴史観/自虐でなく正しい認識を」
 ※2002年8月18日「サンデープロジェクト」での発言に対する批判について。
『朝日新聞』朝刊 2002/08/31
 玉木明・2002「政治家」
玉木 明(たまき・あきら/フリージャーナリスト。新潟日報記者を経て、現職。61歳)
「私の視点 特集・「メディア規制」法案/政治家の疑惑逃れの盾にも」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/24
 玉蟲由樹・2004「表現の自由」
玉蟲由樹(仙台白百合女子大学講師)
「(特集:憲法学習のキーワード)IV 表現の自由:メディア規制法」
『法学セミナー』2004年5月号(49巻5号・通巻593号)019-021頁 2004/05/01
 田宮武・1996「テレビメディア」
田宮 武(関西大学教授)
「(特集:TBS事件−問われる報道の倫理)暴走しかねないテレビメディア:自己点検の強化を期待する」
『マスコミ市民』330号026-029頁 1996/05/01
 田村紀雄・1997「職業意識」
田村紀雄(東京経済大学コミュニケーション学部教授)
「特集:創刊30周年記念〈マスコミ・平和・人権〉)ジャーナリストの職業意識の教育の場は?」
 ※「ジャーナリストの倫理」について。
『マスコミ市民』343号009-010頁 1997/06/01
 俵義文・2001「産経新聞」
俵 義文(たわら・よしふみ/子どもと教科書全国ネット21事務局長)
「論争/『産経新聞』の謀略的報道を許してはならない」
 ※「新しい歴史教科書をつくる会」への放火事件を報じた同紙2001年8月8日付夕刊が「教科書ネット21」など「三団体をあげて、あたかもこれら三団体が放火犯人と関係があるかのように思わせる記事を掲載した。」(080頁)
『週刊金曜日』9巻37号(通巻389号)080頁 2001/10/05
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<ち>

・筑紫哲也(ちくし・てつや)

 筑紫哲也・2002「悪役」

筑紫哲也(ニュースキャスター)
「私の視点/メディア/「悪役」の弁明、聞くのは当然」
 ※「どんなに悪評に包まれていようと、当事者がどんな人物で、何を考えているか、当人の言い分を伝えるのは報道の基本動作である。」
『朝日新聞』朝刊 2002/07/06
 筑紫哲也・2002「教える側」
筑紫哲也
「自我作古 第296回/「教える」側と「教えられる」側」
 ※長崎県立シーボルト大学で非常勤講師として「マスコミ特論」を講義して。学生に課す15分のビデオドキュメンタリー制作の今年のテーマは「1945・8・9」。
『週刊金曜日』10巻41号(通巻442号)055頁 2002/10/25
 筑紫哲也・2002「北朝鮮」
筑紫哲也
「風速計/北朝鮮になりたくない」
 ※「早稲田大学のある学生サークルが北朝鮮の拉致事件について、シンポジウムへの出席をかなり執拗に依頼してきた」のを受けたところ、学生の方から出席をキャンセルしてきたことについて。
『週刊金曜日』10巻45号(通巻446号)007頁 2002/11/22
 筑紫哲也・2002「拒否リスト」
筑紫哲也
「自我作古 第302回/会わなくてよかった“拒否リスト”の新顔」
 ※拉致被害者近親者取材についての筆者に対する『サンデー毎日』記者の取材と記事。
『週刊金曜日』10巻49号(通巻450号)059頁 2002/12/13
 筑紫哲也・2002「北朝鮮報道」
筑紫哲也(ニュースキャスター。ジャーナリスト。1989年からTBS「NEWS223」メーンキャスター。「週刊金曜日」編集委員。67歳)
「私の視点 特集・北朝鮮報道を考える/伝える努力 放棄は自殺行為」
 ※「北朝鮮のように、相手に意図と計算があり、しかも自由な取材ができない場合、それが相手の宣伝の具となる危険はある。だがどんな制約下でも、それを超えて透けて見えてくる肉声、事実、情報はある。」
『朝日新聞』朝刊 2002/12/08
 筑紫哲也・2003「ブッシュの戦争」
筑紫哲也
「自我作古 第308回/『ブッシュの戦争』の読み方」
 ※ボブ・ウッドワード『ブッシュの戦争』(日本経済新聞社)について。「書く側とその対象者との“目線”」の相同、「石油、天然ガスなどエネルギー資源のことが、これだけ克明な記録のなかに全く出てこないこと」(017頁)など。
『週刊金曜日』11巻14号(通巻465号)017頁 2003/04/11
 筑紫哲也・2003「その気」
筑紫哲也
「自我作古 第309回/その気になれば見えるものもある」
 ※イラク戦争報道におえる情報操作について。
『週刊金曜日』11巻15号(通巻466号)057頁 2003/04/18
・茶本繁正(ちゃもと・しげまさ)

 茶本繁正・1985「スパイ防止法」

茶本繁正(ジャーナリスト)
「言論ロボットへの企み:スパイ防止法(国家機密法)とジャーナリズム」
 ※「資料1:国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案(試案)」、「資料2:スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会役員名簿」、「資料3:スパイ防止法制定国民会議役員名簿」を含む。
『放送レポート』75号058-063頁 1985/07/01
 茶本繁正・1986「国家秘密法案」
茶本繁正(ジャーナリスト)
 「メディア・レポート (1)/再提出を急ぐ国家秘密法案:「出版、報道は除外」のギマン的修正で」
『放送レポート』83号036-039頁 1986/11/01
 茶本繁正・1987「戦争と・06」
茶本繁正
「戦争とジャーナリズム (6)/沖縄密約暴露事件」
『マスコミ市民』220号052-059頁 1987/01/01
 茶本繁正・1987「法律家」
茶本繁正(ジャーナリスト)
「メディア・レポート (3)/『ジャーナリストに訴える』:法律家たちのこのアピールに応えて」
 ※「国家秘密法」案について。
『放送レポート』85号032-035頁 1987/03/01
 茶本繁正・1989「現代と・009」
茶本繁正
「現代とジャーナリズム 9/誤報か虚報か:『朝日』サンゴ、『毎日』グリコ犯報道の教訓」
『マスコミ市民』253号084-091頁 1989/08/01
 茶本繁正・1990「現代と・15」
茶本繁正(評論家)
「現代とジャーナリズム 15/マスコミと金権選挙の“常識”を問う」
 ※1990年2月、NHKの衆院選世論調査結果の漏洩事件など。
『マスコミ市民』260号006-013頁 1990/04/01
 茶本繁正・1997「フォーカス」
茶本繁正(ジャーナリスト)
「メディアリポート (64)/少年法無視の『フォーカス』暴走と悪書追放・マスコミ規制の危険な短絡」
『放送レポート』148号025-028頁 1997/09/01
 茶本繁正・1999「盗聴法案」
茶本繁正(ジャーナリスト)
「メディアリポート (76)/違憲のおそれもある盗聴法案に新聞協会会長のこの発言はなぜだ!」
『放送レポート』160号012-015頁☆ 1999/09/01
 茶本繁正・2002「強制改宗」
茶本繁正(ジャーナリスト)
「メディアリポート (91)/東京地裁も認めた「知られざる『強制改宗』めぐる攻防」の名誉毀損」
 ※2001年12月17日・東京地裁判決(『創』掲載の室生忠氏の記事による浅見定雄氏への名誉毀損を認めたもの)について。
『放送レポート』175号032-035頁 2002/03/01
 茶本繁正・2002「北朝鮮報道」
茶本繁正(ジャーナリスト)
「メディアレポート (96)/北朝鮮報道二つのスクープが問う取材と報道のあり方」
『放送レポート』180号014-017頁 2003/01/01
 茶本繁正・2003「拉致問題」
茶本繁正(ジャーナリスト)
「メディアレポート(101)/拉致問題に揺れ続けた報道の“歪み”を一刻も早く正常に戻せ」
『放送レポート』185号030-033頁 2003/11/01
 長新太・2002「名前」
長 新太(ちょう・しんた/絵本作家。1927年生まれ)
「自分と出会う/断りなく名前をつけられて」
 ※新聞連載マンガの筆名を「長新太」にされて。
『朝日新聞』朝刊 2002/10/22
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<つ>

・塚本みゆき(つかもと・みゆき)

 塚本みゆき・1998「郵政省・02」

塚本みゆき(報道の自由を求める市民の会)
「おばさん三人郵政省を行く (2)/えっ、あれは取材じゃなくて“突入”なの?」
『放送レポート』149号062-066頁 1997/11/01
 塚本みゆき・1998「郵政省・04」
塚本みゆき(報道の自由を求める市民の会)
「おばさん三人郵政省を行く (4)/えっ、あの「珠玉の暴露記事」が新聞協会賞?」
『放送レポート』151号066-071頁 1998/03/01
 塚本みゆき・1998「郵政省・05」
塚本みゆき(報道の自由を求める市民の会)
「おばさん三人郵政省を行く (5)/「政治的公正の判断は最終的には郵政省で…」」
『放送レポート』152号064-069頁 1998/05/01
 塚本みゆき・1998「郵政省・07」
塚本みゆき(報道の自由を求める市民の会)
「おばさん三人郵政省を行く (7)/「私はただ、公正中立にとお願いしただけ」か!?」
『放送レポート』154号064-069頁 1998/09/01
 塚本みゆき・1998「郵政省・08」
塚本みゆき(報道の自由を求める市民の会)
「おばさん三人郵政省を行く (8/完)/世におばさんほど恐いものはない!」
『放送レポート』155号062-067頁 1998/11/01
 塚本みゆき・1999「郵政省・09」
塚本みゆき(報道の自由を求める市民の会)
「おばさん三人郵政省を行く 番外編/郵政省と市民との論争:放送法の解釈をめぐって」
 ※郵政大臣・野田聖子、放送行政局長・品川萬里あての「質問書」(1998年10月1日)含む(062-063頁)。
『放送レポート』156号056-063頁 1999/01/01
 塚本みゆき・2000「政党の意識」
塚本みゆき(報道の自由を求める市民の会)
「放送における報道の自由に関する政党の意識を調査して」
 ※調査結果は040-047頁。実施団体は「人権と報道・連絡会」と「報道の自由を求める市民の会」。
『放送レポート』162号036-047頁 2000/01/01
 塚本みゆき・2002「知る権利」
塚本みゆき(「報道の自由を求める市民の会」事務局担当。52歳)
「私の視点 特集・個人情報保護法案とメディア/市民の知る権利 制約は必至」
 ※「個人情報保護と報道の問題は、あくまで自主自律的に検討されるべきである。」
『朝日新聞』朝刊 2002/03/17
 津川敬・2003「ごみ発電」
津川 敬(つがわ・けい/環境問題フリーライター)
「今週の反撃/ごみ発電を持ち上げた『毎日』の“ヨイショ論説”/持続可能な社会づくりに逆行」
 ※『毎日新聞』2002年11月7日付「視点」について。「以下の趣旨とほぼ同様の抗議文を配達証明つきで論説委員室に送った。」(050頁)
『週刊金曜日』11巻6号(通巻457号)050頁 2003/02/14
・築山尚美(つきやま・なおみ)

 築山尚美・2002「児童ポルノ」

築山尚美
「マンガは児童ポルノじゃない!:横浜会議ワークショップ報告」
 ※2001年12月横浜で開催の「第2回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議での「マンガはCSEC(子どもの商業的性的搾取)ではない」ワークショップの報告。筆者は後半の司会を担当。
『放送レポート』175号064-066頁 2002/03/01
 築山尚美・2002「メディア規制」
築山尚美(文芸評論家。女性表現者ネットワーク代表)
「私の視点/メディア規制/だれにとっての「有害」か」
 ※「私たちは、女性の漫画家や小説家、文芸などの研究者らが表現活動を考えるために結成したネットワークである。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/20
 佃克彦・2002「石に泳ぐ魚」
佃 克彦(東京・弁護士)
「柳美里氏『石に泳ぐ魚』出版差止事件に最高裁判決」
 ※2002年9月24日・上告審判決。「私は、題材にされた女性の代理人として提訴時の一九九四年からこの事件に関与してきており、本紙三四四号(一九九八・八・二五)では同じ代理人である坂井眞弁護士が一審判決の報告をしている。」(002頁) 
『青年法律家』381号002-003頁 2002/11/25
※→坂井氏の報告は坂井眞・1999「石に泳ぐ魚」【報道】なので、発行年の「一九九八」は「一九九九」の誤植でしょう。
 辻井喬・2002「メディア3法」
辻井 喬(つじい・たかし/作家。本名・堤清二。セゾン文化財団理事長。日本ペンクラブ副会長。75歳)
「私の視点 特集・「メディア規制」法案/歴史認識欠くメディア3法」
 ※「「有事立法」の場合もそうだが、時の政府が恣意的に運用し得る危険性を内に孕んだ法律はない方がいい。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/24
 辻和彦・2003「メディア」
辻 和彦(国立大学教員。32歳)
「投書/メディアは三度死ぬ」 
 ※『毎日新聞』朝刊・2003年6月24日付掲載「記者ノート/国立大教員よ甘えるな」(横井信洋)について。
『週刊金曜日』11巻28号(通巻479号)058-059頁 2003/07/25
 土屋正忠・2002「医療報道」
土屋正忠(つちや・まさただ/東京都武蔵野市長)
「私の視点/メディア/長期的展望から医療報道を」
『朝日新聞』朝刊 2002/07/27
 角田由紀子・2002「メディア規制」
角田由紀子(弁護士)
「〔インタビュー記事〕「メディア規制法案」こう見る/性暴力裁判手がける 角田由紀子弁護士/迅速な被害救済 疑問」
 ※「人権擁護法案も個人情報保護法案も、なぜいまなのかという気がする。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/25
 坪井隆良・1999「裁判撮影」
坪井隆良(つぼい・たかよし/フリー映画ディレクター)
「自分たちの裁判をなぜ撮影できないのか」
『週刊金曜日』7巻10号(通巻264号)030-031頁 1999/03/19
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<て>

 デウィット・2004「世論調査」

A・デウィット(Andrew DeWit/立教大学助教授)
 「A・デウィットの実践するクリティカル・シンキング 〈セカイ〉の文脈 (07)/怪しげなイラク戦争への世論調査」
 ※2004年3月16日に出された国際的メディアによる世論調査である。…… 英企業オックスフォード・リサーチ・インターナショナルにイラクでの調査を依頼した。」(034頁)
『週刊金曜日』2004年4月16日号(12巻15号通巻514号)034頁 2004/04/16
 出口正之・2003「NPO」
出口正之(でぐち・まさゆき/国立民族学博物館教授(NPO・メセナ論)。企業メセナ協議会専務理事、国際NPO・NGO学会副会長。1955年福岡県生まれ)《顔Ph有》
「角川の新雑誌名商標登録/「NPO」は誰のものか:所有と共有の軋轢が問う「われわれ意識」」
 ※キーワード:角川書店(現角川ホールディングス)、NPO、ボランティア、特許庁、オープンソース運動。
『朝日新聞』朝刊 2003/07/23
 寺門和夫・1994「オカルト」
寺門和夫(『ニュートン』副編集長。1947年生まれ)
 「(第4章 日本の科学雑誌編集部に聞く)〔インタビュー記事〕オカルト、超能力、UFOは完全無視ですネ」
 ※聞き手:佐竹大心(さたけ・だいしん/フリーライター。1950年生まれ)。
呉智英・1994『オカルト』148-151頁 1994/05/15
 寺西和史・2002「バカヤロー」
寺西和史(てらにし・かずし/裁判官)
「司法/バカヤローと被疑者を怒鳴る検事/その氏名を伝えないマスメディア」
 ※「北海道拓殖銀行の特別背任事件」の捜査で被告人を取り調べた検事・大久保和征氏について。「知る権利、犯罪報道の公益性を理由に、私人でも被疑者、被告人の実名報道を原則とする報道機関(私見では私人は原則匿名)が、密室での取調べで被疑者を「バカヤロー」と怒鳴る検事の氏名をなぜ報道しないのか。」(024頁)
『週刊金曜日』10巻8号(通巻409号)024頁 2002/03/01
 テレビ朝日社員・1993「椿喚問」
テレビ朝日社員
「(特集:テレ朝 前報道局長発言問題)椿喚問、テレビ朝日の内部では…」
『マスコミ市民』301号018-021頁 1993/12/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<と>

 東京都人権擁護委・1985「プライバシー」

東京都人権擁護委員連合会
「(資料)マスコミのプライバシー侵害に関するアンケート 調査結果報告」
『人権通信』118号107-127頁 1985
 徳山喜雄・2001「盗用写真」
徳山喜雄(朝日新聞・総合研究センター)
「記者は考える/ネット上盗用写真に法の網を」
『朝日新聞』朝刊 2001/09/28
 利根豊・1986「東京新聞」
利根 豊
「(マスコミと国家秘密法)「テレビ」欲しさに社論を曲げる東京新聞の揺れる事情」
『放送レポート』80号046-047頁 1986/05/01
 外木正合・2002「パパラッチ」
外木正合(とのき・まさお/1944年生まれ。『女性セブン』フリー契約を経て『FOCUS』誌へ。2001年の休刊に伴い引退。都内に陶芸教室兼調査事務所「フォーカス調査事務所」開設)
「〔インタビュー記事〕メディアウオッチ 異彩面談/“伝説のパパラッチ” 探偵業で第2の人生 ノウハウには自身あり」
 ※「以前からカメラマン仲間で『おれたちに調査会社やらせれば楽にできるよな』と冗談で言ってたんですよ。ノウハウも自信もある。」 「芸能人は“公人”。プライバシーを切り売りして商売する人もいる。われわれとは持ちつ持たれつ。」
『河北新報』朝刊 2002/01/21
 冨板敦・2002「地方紙」
冨板 敦(とみいた・あつし/フリーライター)
「書評/『地方紙の研究』鎌田慧:著/国を司る者の圧力とジャーナリズムとの闘い」
 ※潮出版社刊、2800円。
『週刊金曜日』10巻20号(通巻421号)038-039頁 2002/05/31
 豊田清史・2002「黒い雨」
豊田清史(とよた・せいし/ヒロシマの心を貫く文学の会会長)
「井伏鱒二『黒い雨』の真実:全文の9割以上が引用だった!」
 ※同誌1995年12月15日号掲載「井伏鱒二の『黒い雨』は盗作だったのか」の続編。
『週刊金曜日』10巻13号(通巻414号)058-061頁 2002/04/05
 鳥越俊太郎・2002「人権擁護法案」
鳥越俊太郎(とりごえ・しゅんたろう/ニュースキャスター)
「私の視点/人権擁護法案/真の被害者救済にならない」
 ※「私はテレビ報道番組「ザ・スクープ」で2000年1月から10月まで6回にわたって「桶川女子大生ストーカー殺人事件」を取材、報道した。」
『朝日新聞』朝刊 2002/03/29
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<な行>

<な>

 長井伸二・1997「信濃毎日新聞」

長井伸二(ライター)
「長野五輪は誰のため (6)/五輪“御用”メディア『信濃毎日新聞』」
『週刊金曜日』5巻44号(通巻201号)054-055頁 1997/11/28
 永井大介・1997「ペルー人質」
永井大介(ジャーナリスト)
「特集:創刊30周年記念〈マスコミ・平和・人権〉)ペルー人質事件が残した問題」
『マスコミ市民』343号010ー012頁 1997/06/01
 中江要介・2002「瀋陽事件」
中江要介(なかえ・ようすけ/元駐中国大使)
「私の視点/瀋陽事件/独断と偏見 目立った報道」
 ※「人権を守るという目的のため、外国公館の目と鼻の先で公館出入者を盗み撮りするという手段は、“目的のために手段を選ばず”との謗りは免れ得まい。」
『朝日新聞』朝刊 2002/06/08
永江朗・2002「日垣隆」
永江 朗
「〔書評〕新書漂流 (37)/メディアの疑いかたを教えます(日垣隆『情報の「目利き」になる!』ちくま新書・700円)」
『週刊朝日』107巻46号(通巻4525号)108頁 2002/10/11
 永江朗・2003「徳山喜雄」
永江 朗
「メディア異人列伝/徳山喜雄」
 ※「徳山喜雄の2冊の新書、『フォト・ジャーナリズム』と『報道危機』は、いまメディアにたずさわる者にとって必読だ。」(078頁)
『噂の眞相』25巻11号(通巻300号)078-079頁 2003/10/01
 ※→徳山喜雄・2003『報道危機』【報道】
 長岡義幸・2001「大垣市」
長岡義幸(ながおか・よしゆき/フリーランス記者)
「ルポ/市民の6割超が署名したワケ:“有害”メディア規制推進の大垣市」
『週刊金曜日』9巻362号016-017頁 2001/03/16
 中北龍太郎・1998「コラージュ」
中北龍太郎(なかきた・りゅうたろう/弁護士。富山県立近代美術館訴訟原告代理人)
「天皇コラージュと表現の不自由:「富山県立近代美術館事件」地裁判決の意味」
『週刊金曜日』6巻50号(通巻254号)020-023頁 1998/12/25
 仲佐秀雄・1997「公規制」
仲佐秀雄(なかさ・ひでお/山梨英和短期大学教授・情報文化学科長。1930年生まれ)
「(放送制度論の立場から・2)放送発信の多元化と公規制原理の転換:「放送による表現の自由」確保のための論点整理と提案」
民放連研・1997『放送の自由』063-089頁 1997/09/05
 中沢卓実・1994「読売新聞社」
中沢卓実(常磐平団地自治会会長)
「“ちょうちん記事”を書く読売新聞社の姿勢を質す」
 ※住宅・都市整備公団寄りの1994年3月6日付「異見小見」についての同紙とやりとり。
『マスコミ市民』308号042-043頁 1994/07/01
 中島定彦・2002「奇跡の詩人」
中島定彦(関西学院大学文学部心理学科助教授(心理学))
「(第3章 ドーマン法とFCの真実)寄稿/「奇跡の詩人」とファシリテイテッド・コミュニケーション(FC)」
 ※2002年4月28日・「NHKスペシャル」放映の「奇跡の詩人:11才 脳障害児のメッセージ」について。
 ※キーワード:FC(Facilitated Communication)、障害者、ドーマン法。
滝本&石井・2002『奇跡の詩人』【報道】115-123頁 2002/06/28
・中嶋啓明(なかじま・ひろあき)

 中嶋啓明・2000「メディア・081」

中嶋啓明(共同通信社記者、「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第81回/労連が『下野新聞』に賞/「良心宣言」違反を免罪」
『週刊金曜日』8巻30号(通巻334号)029頁 2000/08/11
 中嶋啓明・2000「メディア・085」
中嶋啓明(共同通信社記者、「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第85回/社外言論 締め付け/記者の批判精神をそぐ」
 ※『下野新聞』事件での新聞労連への救済申し立てについて。
『週刊金曜日』8巻34号(通巻338号)060頁 2000/09/15
 中嶋啓明・2000「メディア・089」
中嶋啓明(共同通信社記者、「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第89回/『下野』の不当圧力問題/申し立て却下 再考を」
 ※『下野新聞』事件での新聞労連への救済申し立てについて。
『週刊金曜日』8巻38号(通巻342号)023頁 2000/10/13
 中嶋啓明・2001「メディア・100」
中嶋啓明(共同通信社記者、「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第100回/英国人女性失踪その後/当局側の人間こそ実名を」
『週刊金曜日』9巻2号(通巻354号)060頁 2001/01/19
 中嶋啓明・2001「メディア・130」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第130回/首相の靖国参拝前倒し/納得いかぬぶら下がり取材」
『週刊金曜日』9巻33号(通巻385号)009頁 2001/09/07
 中嶋啓明・2001「メディア・134」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第134回/米国同時多発テロ報道/「新たな戦争」に加担するな」 
 ※「タリバン側が、証拠の開示を求め、国連とイスラム諸国会議機構での調査を要求するのは、米政府の一方的な姿勢よりその限りでははるかに正当だと思う。証拠を明示しないのに、ある個人の身柄を拘束して引き渡せというのは無茶な話だ。」(016頁)
『週刊金曜日』9巻37号(通巻389号)016頁 2001/10/05
 中嶋啓明・2001「メディア・138」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第138回/まもなく皇太子妃出産?!/許すな「戦争」隠す奉祝報道」
 ※「先例」となりそうな1960年2月の浩宮誕生当時の報道を紹介。「当時の最大の政治課題の一つは日米安保条約の改定問題だった。浩宮誕生に関するマスコミの「奉祝」キャンペーンが、そうした政治課題から民衆の目をそらす役割を果たしたといわれている。」(010頁)
『週刊金曜日』9巻42号(通巻394号)010頁 2001/11/02
 中嶋啓明・2002「メディア・145」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第145回/オウム排斥運動の記録/「ファシズム」状況作り出す」
 ※社会評論社刊『『悪魔のお前たちに人権はない!」:学校に行けなかった「麻原彰晃の子」たち』の紹介。
  「本書は、子どもたちのプライバシーを追いかけ回すことに血道を上げ、行政の違法行為を一向に追及しない記者たちの実名を挙げて記している。」(009頁)
『週刊金曜日』10巻1号(通巻402号)009頁 2002/01/11
 中嶋啓明・2002「メディア・149」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第149回/「不審船」撃沈事件/“脅威”煽って“戦争”後押し」
『週刊金曜日』10巻5号(通巻406号)025頁 2002/02/08
 中嶋啓明・2002「メディア・153」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第153回/日米首脳“居酒屋会談”報道/外務省の“自作自演”に迎合」
 ※2002年2月18日の「夕食会は、民衆の正当な権利を侵害した違法で過剰な警備によって守られ、市民を排除した中で行なわれていたわけだ。」(058頁)
『週刊金曜日』10巻9号(通巻410号)058頁 2002/03/08
 中嶋啓明・2002「メディア・157」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第157回/和歌山・取材ビデオ証拠採用/報道は捜査機関の下請けか」
『週刊金曜日』10巻13号(通巻414号)075頁 2002/04/05
 中嶋啓明・2002「メディア・161」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第161回/9・11報道を振り返って/メディアによる隠蔽明るみに」
『週刊金曜日』10巻17号(通巻418号)019頁 2002/05/10
 中嶋啓明・2002「メディア・169」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第169回/人報連の共同アピール/メディア責任制度に賛同を」
 ※民放連発行の『月刊民放』2002年6月号掲載の「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)」シンポジウムの記録について。
『週刊金曜日』10巻26号(通巻427号)066頁 2002/07/05
 中嶋啓明・2002「メディア・173」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第173回/統合失調症に変更/病歴に触れない匿名原則への転換を」
 ※日本精神神経学会が「精神分裂病」としてきた精神疾患の病名を「統合失調症」に変更し、日本新聞協会にも表記変更を申し入れたことで。
『週刊金曜日』10巻30号(通巻431号071頁 2002/08/02
 中嶋啓明・2002「メディア・181」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第181回/日本人「拉致」報道/「嫌がらせ」を招く扇情的報道」
『週刊金曜日』10巻39号(通巻440号)028頁 2002/10/11
 中嶋啓明・2003「メディア・192」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第192回/「皇孫」誕生取材要領/宮内記者会はいらない」
『週刊金曜日』11巻2号(通巻453号)020頁 2003/01/17
 中嶋啓明・2003「メディア・196」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第196回/「万景峰号」報道/公安の手で踊る別件報道」
 ※2003月1月29日付各紙報道について。
『週刊金曜日』11巻6号(通巻457号)056頁 2003/02/14
 中嶋啓明・2003「メディア・200」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第200回/ロス疑惑無罪確定/報道被害者の声に耳傾けよ」
 ※『朝日新聞』の「報道と人権委員会」、『毎日新聞』の「開かれた新聞委員会」への批判。
『週刊金曜日』11巻10号(通巻461号)023頁 2003/03/14
 中嶋啓明・2003「メディア・203」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
 「人権とメディア 第203回/「イラク戦争」報道/報じられない警察国家化の実態」
『週刊金曜日』11巻14号(通巻465号)053頁 2003/04/11
 中嶋啓明・2003「メディア・207」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第207回/「白装束集団」騒動/「異質」を排除する異様な“報道”」
『週刊金曜日』11巻18号(通巻469号)051頁 2003/05/16
 中嶋啓明・2003「メディア・215」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
 「人権とメディア 第215回/幻の大量破壊兵器/犯人視報道に通じるメディアの姿勢」
『週刊金曜日』11巻26号(通巻477号)034頁 2003/07/11
 中嶋啓明・2003「メディア・218」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第218回/長崎幼児死亡事件/少年を窒息させる犯人視報道」
『週刊金曜日』11巻30号(通巻481号)073頁 2003/08/08
 中嶋啓明・2003「メディア・222」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第222回/「米軍細菌戦」訪朝取材/北朝鮮の被害報道を避けるメディア」
『週刊金曜日』11巻34号(通巻485号)027頁 2003/09/12
 中嶋啓明・2003「メディア・226」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第226回/03年版警察白書/メディアは警察の下請け機関か」
 ※警察庁が白書に載せた「日本の警察は絶対に殴らない」との外国人容疑者の発言について。
『週刊金曜日』11巻38号(通巻489号)021頁 2003/10/10
 中嶋啓明・2004「メディア・269」
中嶋啓明(共同通信社記者・「人権と報道・連絡会」会員)
「人権とメディア 第269回/アルカイダ冤罪報道/公安警察の手で踊らされるメディア」
『週刊金曜日』2004年9月10日号(12巻35号通巻534号)038頁 2004/09/10
 中瀬ゆかり・2002「新潮45」
中瀬ゆかり(『新潮45』編集長。『新潮』編集部から3年前に同誌に異動)
 「〔インタビュー記事〕人物点描2002/「新潮45」編集長 中瀬ゆかりさん/感情の琴線に触れたい」
 ※記事の筆者によると、同誌は2002年「一月号から大幅にリニューアルした。…事件を中心に世相を切る誌面に大きく転換」とのこと。
 ※「社会を表層でとらえて分析し、一般化するのでは、事の深層に切り込めない。現実から目を背けず、机上の空論でない人間の真実に迫りたいと思った。」 
『山形新聞』夕刊 2002/03/07
※→同誌記事への批判の一つが、山口正紀・2002「メディア・152」
 中西秀夫・1996「みどり荘報道」
中西秀夫(なかにし・ひでお/同志社大学大学院)
「(報道被害とマスメディアの謝罪)大分・みどり荘報道/言っていることとやっていることは大違い」
浅野健一・1996『無責任』115-129頁 1996/12/10
 中西寛・2004「攻撃計画」
中西 寛(京都大学教授(国際政治学))
 「〔書評〕迫真の描写で追う政策決定の内幕/『攻撃計画:ブッシュのイラク戦争』ボブ・ウッドワード[著]/日本経済新聞社」
 ※「また、本書のスタイルは、真実に迫ろうとするジャーナリズムが政治過程の一部に組み込まれてしまう今日の状況を象徴しているとも読める。」
『朝日新聞』朝刊 2004/08/22
 中西正之「教唆事件」
中西正之
「テレビ大阪/暴走行為教唆事件と報道の自由」
『放送レポート』167号010-013頁 2000/11/01
 長沼節夫・1995「マルコポーロ」
長沼節夫(ジャーナリスト)
「(特集:相次ぐ廃刊、問われる雑誌ジャーナリズム)『マルコポーロ』強気の紙面も外圧にはもろく:「ナチ『ガス室』はなかった」であえなく破綻」
『マスコミ市民』317号006-013頁 1995/04/01
 長野智子・2002「真紀子報道」
長野智子(ながの・ともこ/テレビキャスター)
「私の視点/メディア/もの足りない「真紀子報道」」
 ※「辻元さんには舌鋒鋭かった朝日新聞も、真紀子さんに関しては疑惑の概略を示す程度で、カネの流れについて突っ込んだ検証報道を見せていない。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/27
 中俣義明・1996「言論の自由」
中俣義明(聖教新聞学芸部記者)
「マスコミ110番/人権を侵す言論の自由はない」
『マスコミ市民』329号044-048頁 1996/04/01
中宮崇・2003「筑紫哲也」
中宮 崇(なかみや・たかし/カルトウォッチャー。プロ2ちゃんねらー。1970年生まれ)《顔Ph有》
「(総力特集:屈辱の「9・17」から一年/拉致は続いている)天晴れ!? 筑紫哲也(NEWS23)「反日親朝」報道全記録:言わず語らず、それでもミエミエ」
『諸君!』35巻10号140-151頁 2003/10/01
・中村 粲(なかむら・あきら)

 中村粲・2003「NHK・076」

中村 粲(獨協大学教授。昭和史研究所代表。1934年東京生まれ)
「NHKウオッチング 第76回」 ※「2003年7月2日放映「その時歴史が動いた」(盧構橋事件)、SARS放送、2003年6月20日放映・「原潜クルスクへの鎮魂歌・ロシア軍合唱団」などへの批判。
『正論』375号202-208頁 2003/09/01
 中村粲・2003「NHK・077」
中村 粲(獨協大学教授。昭和史研究所代表)
「NHKウオッチング 第77回」
 ※1998年11月放映「私のゾルゲ事件」、2003年7月30日放映「スパイ・ゾルゲ/最後の暗号電報」(「その時歴史が動いた」)などへの批判。
『正論』376号200-205頁 2003/10/01
 中村&加藤・2002「ザ・スクープ」
中村梧郎(なかむら・ごろう/フォト・ジャーナリスト。岐阜大学教授)、
加藤久晴(東海大学教授。元日本テレビディレクター)、
原寿雄(元共同通信編集主幹)、
猪野憲一(桶川ストーカー殺人事件被害者家族)、
吉永春子(TVプロデューサー)、
紀藤正樹(弁護士)、
コーディネーター:田島泰彦(上智大学教授)
 「パネル・ディスカッション/『ザ・スクープ』存続を求めるこれだけの声」
 ※2002年8月24日・「テレビ朝日報道番組『ザ・スクープ』存続を求める会」によるシンポジウムの一部をまとめたもの。
『放送レポート』179号002-018頁 2002/11/01
 中村美千代・2002「メディア規制」
中村美千代(なかむら・みちよ/在米国・フリーランス・ジャーナリスト。ワシントンDCを拠点に海外在住の実務家や学者らで作るバーチャル・シンクタンク「政策海外ネットワーク(PRANJ)」のメンバー。1967年生まれ)
「「9・11」後強まった米国のメディア規制」
 ※キーワード:アメリカの情報自由法(FOIA)。フリーダム・フォーラム。米国科学者連盟。政府の秘密プロジェクト。OMBウオッチ。米国新聞編集者協会(ASNE)・情報の自由委員会。
『世界週報』(83巻24号・通巻4053号)020-023頁 2002/06/25
・中村泰次(なかむら・やすじ)

 中村泰次・1988「日弁連シンポ」

中村泰次(マスコミ倫理懇談会全国協議会顧問)
「「人権と報道」日弁連シンポを傍聴して」
『マスコミ市民』232号022-026頁 1988/01/01
 中村泰次・1992「選挙報道」
中村泰次(ジャーナリズム研究家)
「選挙報道規制考」
 ※自民党の選挙予測報道規制案について。
『マスコミ市民』285号022-027頁 1992/08/01
 中山元・2002「ネットの自由」
中山 元(なかやま・げん/哲学者。哲学サイト「ポリロゴス」主宰。53歳)
「〔インタビュー記事〕焦点 言論はいま (下) 自由と統制/ネットの自由さを力に」
 ※聞き手:報道プロジェクト室・伊藤誠。
 ※同時掲載:枝野幸男・2002「報道の是非」【報道】。
『朝日新聞』朝刊 2002/05/03
 夏原武・2003「内部告発」
夏原 武(なつはら・たけし/フリーライター。1959年生まれ)
「(第3章 暴露の法則)内部告発ブローカーたちのホンネ/政治・経済専門誌、そのあこぎな錬金術」
 ※「不純な動機の告発を受け入れるメディア」について。
別冊宝島・2003『内部告発』【ビジネス】180-188頁 2003/01/27
 波野始・1997「民放報道」
波野 始(放送ジャーナリスト)
「民放報道・制作現場の悩みと課題」
服部孝章・1997『放送』120-159頁 1997/08/08
 楢崎憲二・2003「肩書き」
楢崎憲二(ならざき・けんじ/読売新聞東京本社広報部長)
 「論争/読者の混乱を招いた「記者」の肩書き」
 ※20031月24日付掲載:山口正紀・2003「メディア・193」への反論。
『週刊金曜日』11巻11号(通巻462号)061頁 2003/03/21
・成澤宗男(なるさわ・むねお)

 成澤宗男・2003「アルジャジーラ」

成澤宗男(『週刊金曜日』編集部)
「アルジャジーラを攻撃した米国の非道」
『週刊金曜日』11巻15号(通巻466号)020頁 2003/04/18
 成澤宗男・2004「読売産経」
成澤宗男(『週刊金曜日』編集部)
 「イラク報道/いかに『読売』『産経』はデマを流したか:侵略を煽った右派メディアの犯罪と居直り」
『週刊金曜日』12巻24号通巻523号026-028頁 2004/06/25
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<に>

 仁上妃芽・2003「拉致事件」

仁上妃芽(にうえ・ひめ/ジャーナリスト)
「「拉致事件に革新政党関与」の告発投書を追った三か月の取材報告」
『正論』371号048-057頁 2003/06/01
 ※→これへの批判:週刊金曜日・2003「正論」
西岡 力(にしおか・つとむ)

 西岡力・2002「北朝鮮報道」

西岡 力(「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」副会長。東京基督教大学教授。46歳)
「私の視点 特集・北朝鮮報道を考える/検証なき報道は犯罪への加担」
 ※「誘拐事件の際、マスコミは人命尊重を第一に報道協定を結ぶ。それに準じる扱いがなされて当然なのだ。〔改行〕 取材するなと言っているのではない。犯人側の宣伝を検証なしに報じることは、犯罪への加担になると言っているのだ。」
『朝日新聞』朝刊 2002/12/08
 西岡力・2003「T・K生」
西岡 力(東京基督教大学教授)《顔Ph有》
「覆面を取った「T・K生」(『韓国からの通信』)恥知らずの良心:所詮はトンデモ・コリア本だった」
 ※池明観氏へのインタビュー記事「国際共同プロジェクトとしての「韓国からの通信」」(『世界』2003年9月号)への批判など。
『諸君!』35巻10号177-191頁 2003/10/01
 西川哲郎・1998「Sure」
西川哲郎 (※長野冬季五輪ボランティア参加者)
 「「Sure!」と言えないジャーナリストたち:ボランティアが見たオリンピック報道の裏側」
 ※白馬アルペン会場コースに無許可侵入して拘束された時事通信記者、入場チェックを振り切って会場に進入した朝日新聞記者など。「「お客様!」と声をかけると、こちらに背を向けたまま、その男性はADカードを振りかざし「朝日新聞、朝日だよ!」とボランティアを怒鳴りつけた。」(009頁)
『放送レポート』152号008-009頁 1998/05/01
 仁科洋次・1987「エイズ訴訟」
仁科洋次(フリーライター)
「エイズ訴訟の射程:“違法”と問われるマスコミ取材」
 ※神戸・エイズ死女性の遺影報道。
『マスコミ市民』229号002-015頁 1987/10/01
 西信博・1997「人の名前」
西 信博(北海道医師会広報部長)
「内視鏡/新聞に載る人の名前」
 ※「4月の年度替わり」に新聞が大きく報じる「人事異動の紙面掲載は、高校や大学の合格発表よりも、はるかに大きなプライバシーの侵害となることがある。」(044頁)
『北海道医報』(北海道医師会)877号044頁 1997/04/01
 西村和雄・2002「ゆとり教育」
西村和雄(にしむら・かずお/京都大学教授(経済学))
「私の視点/メディア/ゆとり教育はなぜ続いた」
『朝日新聞』朝刊 2002/10/12
 西村幸祐・2003「メディア」
西村幸祐(にしむら・こうゆう/フリージャーナリスト。1996年からサッカー情報サイト「2002CLUB」編集長。1952年生まれ)
「メディアの解体:ワールドカップと北朝鮮報道の正体を暴く、メディアリテラシーの新しい波」
『現代コリア』428号052-065頁 2003/03/10
 西村佳寿子・2002「テレビ」
西村佳寿子(にしむら・かずこ/長野県佐久町議)
「私の視点/テレビ/見ずに育った息子たちは…」
 ※2001年12月25日付掲載の有田芳生・2001「乳児から」に応じて。
『朝日新聞』朝刊 2002/01/26
 西村博之・2003「ネット心中」
西村博之( にしむら・ひろゆき/ネット掲示板「2ちゃんねる」管理人)
「〔インタビュー記事〕三者三論/ネット心中/ネット「救いの場」にも」
 ※聞き手:岡本行正。
 ※「いまの日本は、命を軽く見る方向に動いていますよね。」
『朝日新聞』朝刊 2003/05/02
 西山武典・1996「記者クラブ・01」
西山武典
「鎌倉市の「広報メディアセンター」設置が記者クラブに問うもの」
『マスコミ市民』330号068-074頁 1996/05/01
・西山武典

 西山武典・1996「記者クラブ・02」

西山武典
「鎌倉市の「広報メディアセンター」設置が記者クラブに問うもの 二」
『マスコミ市民』331号042-049頁 1996/06/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<の>

・野口 悟

 野口悟・1988「内部的自由」

野口 悟(日本放送労働組合・企画調査部長)
「「内部的放送の自由」論」
『マスコミ市民』234号058-077頁 1988/03/01
 野口悟・1989「内部的自由」
野口 悟(日本放送労働組合・企画調査部長)
「「放送活性化会議」への道程:「内部的自由」への日放労の取り組み」
『マスコミ市民』245号100-106頁 1989/02/01
 野中章弘・2003「イラク戦争」
野中章弘(アジアプレス代表。1953年生まれ)
「イラク戦争を問う 戦場・暴力・報道/市民側に立ち記録せよ」
『朝日新聞』朝刊 2003/03/22
 野中広務・2004「政治家」
野中広務(のなか・ひろむ/1983年から2003年まで衆院議員。京都府身体障害者団体連合会長、社会福祉法人「京都太陽の園」理事長)《顔Ph有》
「インタビュー 野中広務氏に聞く:戦争・人権・政治家とメディア」
 ※聞き手:田島泰彦(上智大学教授)
『放送レポート』188号018-026頁 2004/05/01
 野原仁・1998「放送委員会」
野原 仁(同志社大学大学院・元名古屋テレビ記者)
「官製「通信放送委員会」の欺瞞と市民参加の論理」
『マスコミ市民』350号036-039頁 1998/02/15
 野村&浅野・2000「メディア」
野村沙知代(のむら・さちよ/少年野球チーム「港東ムース(シニアリーグ)」オーナー)、
浅野健一(あさの・けんいち/同志社大学文学部社会学科教授(新聞学専攻))
「メディアは私を殺したかったのか?!/「サッチー・バッシング」から1年」
『週刊金曜日』8巻8号(通巻312号)019-023頁 2000/03/03
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<は行>

<は>

 は・2004「番組改編」


「ロー・フォーラム/法曹フォーラム/弱者に責任を押しつけた判決:NHK番組改編裁判への疑問」
 ※東京地裁のNHK「女性戦犯国際法廷」番組改編裁判判決(2004年3月24日)について。
『法学セミナー』2004年6月号(49巻6号・通巻594号)125頁 2004/06/01
 ハーマン・2001「外国人記者」
スティーブ・ハーマン(Steven L Herman/在日外国人報道協会長)
「(ここがへんだよ記者クラブ)在日外国人記者にも平等なシステムを」
『週刊金曜日』9巻33号(通巻385号)013頁 2001/09/07
 灰谷健次郎・1998「出版社」
灰谷健次郎(はいたに・けんじろう/作家)
「(「文春」「新潮」のここが間違っている)危険な出版社の腐敗度」
『週刊金曜日』6巻10号(通巻214号)022-023頁 1998/03/06
・萩野弘巳(はぎの・ひろみ)

 荻野弘巳・2001「論壇」

 萩野弘巳・2002「やじ馬」
萩野弘巳(県立長崎シーボルト大学教授。元NHK欧州総局長)
「私の視点/メディア/「やじ馬」でなく自制心を」
 ※10月26日付掲載の二木啓孝・2002「記者よ」への反論。
『朝日新聞』朝刊 2002/11/02
 萩原誠司・2002「管理権限」
萩原誠司(岡山市長)
「〔インタビュー記事〕岡山市長「管理権限、明確に」
 ※聞き手:企画報室・南島信也。
 ※2002年3月19日可決成立、5月1日施行の「岡山市電子掲示板に係る有害情報の記録行為禁止に関する条例」について。同条例は資料集の【報道】●電子掲示板・電子メールへ。
『朝日新聞』朝刊 2002/04/25
 萩原遼・1987「韓国」
萩原遼( はぎわら・りょう/ジャーナリスト)
「韓国「言論基本法」とジャーナリストとのたたかい」
『放送レポート』88号056-059頁 1987/09/01
 橋口譲次・1989「連続幼女」
橋口譲次(記者)
「連続幼女誘拐殺人事件と取材記者」
『マスコミ市民』256号010-016頁 1989/12/01
 橋本晃・2003「従軍取材」
橋本 晃(はしもと・あきら/北海道大学助教授。研究テーマは戦争とメディア、ジャーナリズム史。1958年生まれ)
「(特集:試練に立つ平和主義)メディア統制 --- 従軍取材はなぜ実現したか」
『論座』97号070-075頁 2003/06/01
 橋本宏・1997「記者会見・11」
橋本 宏(外務省外務報道官)
 「記者会見の現場から 第11回《特別編》/“突撃”取材の是非を問う」
 ※1996年末のペルー日本大使公邸人質事件報道で。
『外交フォーラム』10巻4号(通巻104号)016頁 1997/04/05
 橋本宏・1997「記者会見・12」
橋本 宏(外務省外務報道官)
「記者会見の現場から 第12回《特別編》/プレスの“正当性”とは何か」
 ※1996年末〜1997年1月のペルー日本大使公邸人質事件報道で。
 ※「彼らの個人的な“満足感”や“正当性”に拘わらず、その行動が事件の早期解決を阻害することはあっても、益することのなかったことだけはたしかである。」(101頁)
『外交フォーラム』10巻5号(通巻105号)101頁 1997/05/05
 橋本正邦・1975「APME」 ・蓮池 透(はすいけ・とおる)

 蓮池&荒木・2003「揺さぶり」

蓮池 透(はすいけ・とおる/北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)事務局長)、
荒木和博(あらき・かずひろ/拓殖大学助教授。特定失踪者問題調査会代表)《顔Ph有》
〔対談〕「(総力特集:屈辱の「9・17」から一年/拉致は続いている)拉致家族からすべての日本人へ/北の揺さぶりには負けない」
 ※「人道支援NGOレインボーブリッヂ」について。
 ※「蓮池 この一年間は、マスコミ報道に対して様々な疑問や不信を抱き続ける日々でもありました。」「NHK、民放、こぞって“日本人帰せキャンペーン”を張ってもいいじゃないかと密かに思うのですが、決してそういう状況にはならない。」(080頁)
『諸君!』35巻10号074-085頁 2003/10/01
 蓮池&増元・2003「拉致救出」
蓮池 透(被害者家族会)、
増元照明(家族会)、
西岡力(救う会副会長)、
司会:平田隆太郎(救う会事務局長)
〔対談〕「(特集:五カ国から追いつめられる北朝鮮)拉致救出活動この一年」
 ※「蓮池 そこで、一つマスコミに対して不満があるのは、本当に悪い意味での客観報道しかしないですね。」(020頁)
『現代コリア』434号010-026頁 2003/09/22
 蓮實重彦・2004「醜い戦争」
蓮實重彦(はすみ・しげひこ/映画評論家。前東京大学学長。1936年生まれ)《顔Ph有》
「 (特集:混迷するイラク情勢と世界/インタビュー記事)「呪われた人」の醜い戦争」
 ※聞き手:本誌編集長・松本一弥。
 ※「例えば、私が東大学長の時に、なぜか「国立大学の独立行政法人化はいいことだ」と思われてしまった一時期がありました。しかし、あれは、元通産省の官僚が中心となり、制度を絶対に変えず、しかも、すべてを変えたかのように見せかけて政治家や国民の目をくらますために作った案です。」(123頁)
『論座』110号116-123頁 2004/07/01
 長谷川清美・1999「ハラスメント」
長谷川清美(はせがわ・きよみ/ジャーナリスト)
 「テクスチュアル・ハラスメント/女はものを書けない 男が書いたに決まっている」
『週刊金曜日』7巻6号(通巻260号)030-033頁 1999/02/19
 長谷川孝・2003「横浜事件」
長谷川孝(大学講師。神奈川県相模原市。62歳)
「声/即時抗告やめ戦前の清算を」
 ※横浜事件再審決定で。
『朝日新聞』朝刊 2003/04/21
・長谷部恭男( はせべ・やすお)

 長谷部恭男・1997「公平性」

長谷部恭男(東京大学法学部教授)
「(メディア・コンテンツの課題)放送の公平性」
『ジュリスト増刊/メディア』258-262頁 1997/06/25
 長谷部恭男・1997「放送の自由」
長谷部恭男(東京大学法学部教授。1956年生まれ)
 「(放送制度論の立場から・1)多チャンネル化と放送の自由:規律の根拠と在り方は変化するか?」
民放連研・1997『放送の自由』039-061頁 1997/09/05
・服部孝章(はっとり・たかあき)

 服部孝章・1988「逆転」

服部孝章(東海大学文学部広報学科助教授)
「裁判批判ノンフィクションにおける実名使用とプライバシー侵害:『逆転』プライバシー訴訟をめぐって」
 ※1987年11月・東京地裁判決。
『マスコミ市民』233号002-011頁 1988/02/01
 服部孝章・1997「放送制度」
服部孝章(立教大学社会学部教授)
「迫られる放送制度改革:市民・視聴者との連帯」
服部孝章・1997『放送』223-252頁 1997/08/08
 服部孝章・1997「議会放送」
服部孝章(立教大学社会学部社会学科教授。マスコミ法制論・情報社会論)
「議会中継録画放送は報道か、広報か」
 ※岡山県金光町議会とCATV。
『週刊金曜日』5巻32号(通巻188号)049頁 1997/08/29
 服部孝章・1999「ダイオキシン」
服部孝章(立教大学教授/メディア法制)
「『ニュースステーション』発所沢ダイオキシン報道と報道の自由」
『放送レポート』158号020-023頁 1999/05/01
 服部孝章・2001「ブッシュの戦争」
服部孝章(立教大学社会学科教授(メディア法・情報社会論))
「(特集:米国テロと日本 (3))「ブッシュの戦争」へ風を煽る報道機関」
 ※「事件の実行犯・支援者を適正な法手続きの下で糾弾することが、第一に指向されねばならないはずが、軍事行動を基軸とした論議にすりかえられようとしている。」(015頁)
『週刊金曜日』9巻37号(通巻389号)014-015頁 2001/10/05
 服部孝章・2002「話題の本」
服部孝章
「〔書評〕話題の本から」
 ※『新聞社襲撃』(朝日新聞社116号事件取材班編・岩波書店刊)と『2001年の365日』(橋本勝著・ラピュタ新書)。
『放送レポート』179号078頁 2002/11/01
 服部孝章・2003「報道機関」
服部孝章(立教大学社会学部教授)
「報道機関としての視座が歴史に刻まれる」
『週刊金曜日』11巻15号(通巻466号)017-019頁 2003/04/18
 服部孝章・2004「防衛庁」
服部孝章(立教大学教授)
「防衛庁の“連続攻撃”に従順なメディア:政府広報から取材申請書まで」
『放送レポート』188号010-013頁 2004/05/01
 服部幸応・2001「ドンマイ」
服部幸応(服部栄養専門学校校長)
「〔インタビュー記事〕わたしのドンマイ人生/調理師専門学校校長 服部幸応さん(55)/報道でとんだ“災難”」
 ※「写真週刊誌「フライデー」が今年五月、服部さんが調理師免許を持っていないことが「バレた」と報じた。」
『朝日新聞』朝刊 2001/12/06
 塙藤徳・2001「学問的事実」
塙 藤徳(公務員)
「論争/「学問的事実」の報道と学者・政府・マスコミの責任」
『週刊金曜日』9巻362号064頁 ☆2001/03/16
 馬場千奈津・2004「BBC」
馬場千奈津(時事通信ロンドン支局)
「「解体の危機」に直面する英BBC」
『世界週報』85巻12号(通巻4140号)032-033頁 2004/03/30
 浜田純一・2004「週刊文春」
浜田純一(はまだ・じゅんいち/東京大学教授)
「(緊急企画:「週刊文春」差止め事件)差止め事件後の報道環境」
『法律時報』2004年6月号(76巻7号・通巻945号)092-097頁 2004/06/01
 林重見・1994「オカルト」
林 重見(『クォーク』編集長。1946年生まれ)
「(第4章 日本の科学雑誌編集部に聞く)〔インタビュー記事〕オカルトで遊ぶのは構わないんじゃないんですか」
 ※聞き手:佐竹大心(さたけ・だいしん/フリーライター。1950年生まれ)。
呉智英・1994『オカルト』144-147頁 1994/05/15
 林田英司・1991「まる写し」
林田英司
「メディア・ジャーナル/新聞/発表文まる写しの体質が身につくと」
『マスコミ市民』274号030-031頁 1991/07/01
 林克明・2001「対処法」
林克明(はやし・まさあき/本誌記者)
 「大阪児童殺傷事件・東京浅草事件で考える(3)/マスコミがやってきたときの対処法/京都市・日野学区社会福祉協議会会長・上野修さんに聞く」
『週刊金曜日』9巻25号(通巻377号)062-064頁 2001/07/06
 林雅行・2002「オカルト・上」
林 雅行(クリエィティブ21代表。映画監督)
「オカルト・バラエティの「犯罪」 (上)」
 ※沖縄戦の「白梅学徒隊」を取材したフジテレビ系放映の「大晦日特別緊急企画!! 総力取材!!戦慄の日本列島 最恐のミステリースポットに大潜入!!」(2001年12月31日)について。
『放送レポート』176号012-015頁 2002/05/01
 林雅行・2002「オカルト・下」
林 雅行(クリエィティブ21代表。映画監督)
「オカルト・バラエティの「犯罪」 (下)」
『放送レポート』177号030-033頁 2002/07/01
・原 寿雄(はら・としお)

 原寿雄・1996「ユナボマー」

原寿雄(ジャーナリスト)
「人命か それともジャーナリズムの自由か:テロとマスコミ 米ユナボマー事件を考える」
 ※「ユナボマー論文抜粋を含む。
『放送レポート』138号018-025頁 1996/01/01
 原寿雄・1997「人質事件」
原 寿雄(民放連放送番組調査会委員長)
「ペルー人質事件報道を考える:大使公邸内取材は“暴挙”か!?」
『放送レポート』146号008-015頁 1997/05/01
 原寿雄・1997「危険性」
原 寿雄(元・共同通信社編集主幹)
「特集:創刊30周年記念〈マスコミ・平和・人権〉)一色に染まるマスコミの危険性」
 ※ペルー人質事件での独自取材について。
『マスコミ市民』343号012-013頁 1997/06/0
 原寿雄・1998「視聴者」
原 寿雄(ジャーナリスト/民放連放送番組調査会委員長)
 「「視聴者」とはどんな存在か」
『放送レポート』152号020-025頁 1998/05/01
 原寿雄・2002「テロ・戦争」
原 寿雄(ジャーナリスト)
「テロ・戦争とジャーナリズム」
『放送レポート』174号002-010頁 2002/01/01
 原寿雄・2002「表現規制」
原 寿雄(放送と青少年に関する委員会委員長)
「危ない! メディア規制3法案/〔インタビュー記事〕「政府の狙いは、表現規制による国民の再教育だ」」
 ※まとめ:編集部 伊田浩之。
 ※「自民党政権は、有事法制づくりを含め、国のかたちを再編成しようとしている。そこで「国民」を再育成し、国家に対する忠誠心を強めようとしている。」(067頁)
『週刊金曜日』10巻8号(通巻409号)066-067頁 2002/03/01
 原寿雄・2003「提言報道」
原 寿雄(ジャーナリスト)
 「(渡邉恒雄と読売新聞)問題だらけの提言報道」
 ※「読売新聞調査研究本部編『提言報道』によると、「提言報道とは、特定の問題について、見解、主張を掲げ、その問題の解決策なり処方箋を提示するものである。」(016頁)
『週刊金曜日』11巻37号(通巻488号)016-017頁 2003/10/03
 原&濱田&田島・1997「第三者機関」
原 寿雄(民放連放送番組調査会委員長、元共同通信編集主幹)、
濱田純一(東京大学社会情報研究所所長、「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会」委員)、
田島泰彦(神奈川大学教授/憲法・言論法)
「鼎談:編集権絶対論と第三者機関設置の狭間で/多チャンネル懇「最終報告」の攻防」
『放送レポート』145号038-049頁 1997/03/01
 原&田島・2001「メディア規制」
原寿雄(元(株)共同通信社社長)、
田島泰彦(上智大学文学部新聞学科教授)、
桂敬一(東京情報大学経営情報学部教授)
「(特集:言論・表現の自由の転機:「個人情報保護法案」とメディア)座談会:メディア規制にどう対抗するか」
『世界』693号096-116頁  2001/10/01
 パルバース・2002「無職」
ロジャー・パルバース(作家・劇作家。東京工業大学教授)
 「私の視点 ウイークエンド/肩書き/「無職」は偏見を助長する」
『朝日新聞』朝刊 2002/08/03
・韓桂玉(はん・けおく)

 韓桂玉・1987「虚報事件」

韓桂玉(はん・けおく/アジア動向研究会)
「韓国・虚報事件とマスコミ:「報道指針」による言論統制」
 ※「金日成主席死亡説」騒動から。
『マスコミ市民』221・222号224-237頁 1987/02/01
 韓桂玉・1988「言論民主化」
韓桂玉(アジア動向研究会代表)
「韓国の言論民主化はどこまで?:軍の記者襲撃や「報道要綱」の背景」
『マスコミ市民』243号086-095頁 1988/12/01
 韓桂玉・1990「韓国マスコミ」
韓桂玉(アジア動向研究会)
「韓国マスコミ再生への激動」
『マスコミ市民』259号079-085頁 1990/03/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<ひ>

 日枝久・2003「民放連新会長」

日枝 久(ひえだ・ひさし/フジテレビ会長)
「〔インタビュー記事〕ひと/日本民間放送連盟新会長になったフジテレビ会長/日枝久さん(65)/「テレビはモノではなく文化。暮らしに彩りと豊かさを加える」」
 ※聞き手:羽毛田弘志。
『朝日新聞』朝刊 2003/04/29
 日垣隆・2001「メディア」
日垣 隆(ひがき・たかし/作家、ジャーナリスト)
 「私の視点/メディア/新聞が記事にしないこと」
 ※吉岡忍『編集者の学校』講談社、佐野眞一『私の体験的ノンフィクション術』集英社に言及。
 ※「… 事件の重層的な背景を伝えることが報道の使命の一つだと新聞社が本気で考えているならば、安直な“人権”概念の暴走は犯罪的でさえあると気づかねばならない。」
『朝日新聞』朝刊 2001/11/24
 光・1989「ファクト主義」

「ジャーナリストの眼/批判精神を欠くジャーナリズム:体制にとりこまれるファクト主義」
『マスコミ市民』255号016-019頁 1989/11/01
久間十義・2002「メディア規制」
久間十義(ひさま・じゅうぎ/作家。1953年生まれ)
「(焦点 「メディア規制」法案と文学/文学界にも危機感/受け止め方、作家3人に聞く)創作視点 失う気がする」
 ※聞き手:学芸部・加藤修。
『朝日新聞』朝刊 2002/04/19
 火田江梨子・1987「事件報道」
火田江梨子(レポーター)
「事件報道にみる女性への「思いこみ」の構図」
『マスコミ市民』227号002-011頁 1987/07/01
 辺真一・1987「金日成」
辺真一(ぴょん・じんいる/『コリア・レポート』編集人)
「「金日成主席死亡説」 情報の流れを追う」
『マスコミ市民』220号002-009頁 1987/01/01
 平井佐和子・1998「被害者」
平井佐和子(報道について語る福岡の会会員)
「報道と人権/「容疑者の言い分」と被害者の人権」
 ※『西日本新聞』のシリーズ記事について。なお掲載時の題名は「「被害者の言い分」と…」だったが、同誌361号(1999年)にて訂正した。
『マスコミ市民』359号050-051頁 1998/11/15
 平井卓也・2002「デジタル」
平井卓也(ひらい・たくや/衆議院議員。1980年から86年まで電通社員、1986年西日本放送入社、代表取締役専務、1987年、同社代表取締役社長、1999年社長辞任。2000年議員当選。1958年生まれ)
 ※ウェブサイト:http://www.hirataku.com
 「地上波デジタル計画は破綻する:勇気あるいったん停止を!」
 ※「そこで、今回の地上波デジタル計画を好機とし、規制の徹底緩和を軸に思い切った法改正をすべきである。」(177頁)
『中央公論』117年12号(1423号)170-177頁 2002/12/01
 平井正・2003「リーフェンシュタール」
平井正(ひらい・ただし/独文学者。1929年生まれ)
「20世紀映した「美的リズム:レニ・リーフェンシュタールの死去に寄せて」
『朝日新聞』朝刊 2003/09/17
 平井康嗣・2003「金融CM」
平井康嗣(ひらい・やすし/編集部)
「消費者金融CM「規制」で「六社会」とテレビ業界の憂鬱:不景気なのに「氏家」強硬路線」
 ※キーワード:日本民間放送連盟「消費者金融CMの取り扱いに関する放送基準審議会見解」(2003年3月5日公表)、放送と青少年に関する委員会「消費者金融CMに関する見解」(2002年12月20日公表)、消費者金融連絡会(六社会)。
『週刊金曜日』11巻14号(通巻465号)046-047頁 2003/04/11
 平井康嗣・2003「有事法制」
平井康嗣(編集部)
「(特集:有事法制)言論統制を懸念する民放連」
『週刊金曜日』11巻19号(通巻470号)013頁 2003/05/23
 平井康嗣・2003「公文書」
平井康嗣(編集部)
「(敗戦から55年 甦るナショナリズム)終戦直後に消された公文書の呪縛:元特高の政界最長老・奥野誠亮を通してみる横浜事件」
『週刊金曜日』11巻30号(通巻481号)033頁 2003/08/08
 平川祐弘・2003「反日騒動」
平川祐弘(大手前大学教授)《顔Ph有》
「座標/反日騒動の意外な決着」
 ※「かの国では、時々前非を悔いたという元日本兵を呼んで話をさせる。そういう日本人も有名になりたくて誇張する。かつてA新聞の本多某も誇張した。」
『世界週報』84巻33号(通巻4112号)003頁 2003/09/09
※→「かの国」が中国、「A新聞」は朝日新聞、「本多某」氏は本多勝一氏のこととしか思えませんから、「日本は裁判で「百人斬り」の真実を明かすがいい。」(003頁)というのは、向井千惠子・2003「百人斬り」【報道】による訴訟を指すのでしょう。それならそうと、ぼかさずにはっきり書けば良いのに。
 平川宗信・1997「刑法噺・09」
平川宗信(ひらかわ・むねのぶ/名古屋大学法学部教授)
「一市民夢刑法噺(ただのひとのゆめけいほうばなし) 第9回/犯罪報道とプライバシーの噺」
『書斎の窓』(有斐閣)468号034-039頁。 1997/10/01
・平澤正夫

 平澤正夫・1994「野鳥の会・上」

平澤正夫(ジャーナリスト)
「言論を“法畜”に裁かせてよいのか:日本野鳥の会との「名誉毀損」裁判をめぐって (上)」
『放送レポート』126号067-071頁 1994/01/01
 平澤正夫・1994「名誉毀損・上」
平澤正夫(ジャーナリスト)
「言論破壊の名誉毀損法理(上)/日本野鳥の会および東京地裁不当判決とのたたかい」
『マスコミ市民』309号048-053頁 1994/08/01
 平澤正夫・1994「名誉毀損・中」
平澤正夫(ジャーナリスト)
「言論破壊の名誉毀損法理(中)/日本野鳥の会および東京地裁不当判決とのたたかい」
『マスコミ市民』310号66-71頁 1994/09/01
 平澤正夫・1994「名誉毀損・下」
平澤正夫(ジャーナリスト)
「言論破壊の名誉毀損法理(下):日本野鳥の会および東京地裁不当判決とのたたかい」
『マスコミ市民』311号38-43頁 1994/10/01
 平野恭子・2001「私の視点」
平野恭子(ひらの・きょうこ/日本新聞協会「新聞協会報」編集長)
「私の視点/知る権利/教科書の「報道軽視」は疑問」
『朝日新聞』朝刊 ☆2001/06/25
 広河隆一・1997「人質の状況」
広河隆一(ひろかわ・りゅういち/ジャーナリスト)
 「(ペルー日本大使公邸事件)人質の状況を報道することはジャーナリストの使命」
『週刊金曜日』5巻3号(通巻159号)022-023頁 1997/01/24
 広瀬英彦・1996「報道の自由」
広瀬英彦(東洋大学教授)
「(特集:TBS事件 問われる報道の倫理)報道の自由と倫理と責任」
『マスコミ市民』330号014-017頁 1996/05/01
 弘中惇一郎・1997「過剰取材」
弘中惇一郎(ひろなか・じゅんいちろう/弁護士)
「(メディアとプライバシー)裁くのは誰だ!? 異論・反論パパラッチ/過剰な取材への対抗手段」
『週刊金曜日』5巻37号(通巻193号)016頁 1997/10/03
 平野和夫・2003「北朝鮮ミサイル」
平野和夫(ひらの・かずお/ジャーナリスト)
 「過剰反応する日本のメディア 有事法制の成立に悪用も:北朝鮮ミサイル発射実験」
 ※2003年2月24日・地対艦「シルクワーム」発射実験について。
『週刊金曜日』11巻9号(通巻460号)051頁 2003/03/07
 ひろゆき・2001「個人情報保護法」
ひろゆき(2ちゃんねる主宰)
「(個人情報保護法に騙されるな!!)(タイトル無し)」
 ※「ウチはYAHOO!みたいな個人情報取扱い事業者ではないから、関係ないんですよ。」
 ※2001年9月2日開催の「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会」出席者に編集部がインタビューしたもの。
『週刊金曜日』9巻第34号(通巻386号)014頁 2001/09/14
 樋渡俊一・1987「FFE現象」
樋渡俊一(弁護士)
「FFE現象とプライバシー」 ※報道被害についての著名人アンケート調査から。
『放送レポート』85号018-022頁 1987/03/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<ふ>

・深津真澄(ふかつ・ますみ)

 深津真澄・1999「盗聴法案」

深津真澄(ジャーナリスト)
 「(政治)盗聴法案にも統一見解示せぬ新聞協会は解散した方がいい」
『週刊金曜日』7巻25号(通巻279号)008頁 1999/07/02
 深津真澄・2000「読売社長」
深津真澄(ジャーナリスト)
「政治/新聞協会の粛清に乗り出した渡邉読売社長のあぶない発想」
『週刊金曜日』8巻3号(通巻307号)008頁 2000/01/28
 深津真澄・2002「読売新聞」
深津真澄(ジャーナリスト)
「(政治)「断固反対」を翻した読売新聞 言論の死に手を貸す問題提言」
 ※「だがほんの二〇日前に、新聞協会として「断固反対」を打ち出したことには素知らぬ顔で、政府・与党の先導役を買って出るとはどういうことか。」(008頁)
『週刊金曜日』10巻19号(通巻420号)008頁 2002/05/24
 深津真澄・2002「産経正論」
深津真澄(ジャーナリスト)
「政治/産経正論路線に追従する読売 新段階迎えたマスコミ右傾化」
 ※2002年8月15日付の『読売新聞』社説「歴史をすなおに見直したい」について。
『週刊金曜日』10巻32号(通巻433号)020頁 2002/08/23
 深津真澄・2003「読売社説」
深津真澄(ジャーナリスト)
「深津真澄の政治時評/東京・大手町に開設されたネオコン出張所 『読売』社説の単純さ粗雑さ」
『週刊金曜日』11巻15号(通巻466号)016頁 2003/04/18
 福田和也・2004「言論の自由」
福田和也
 「〔インタビュー記事〕裁判官よ 立花隆緊急出版『「言論の自由」vs.「●●●」』を読め!」
『週刊文春』2004年4月29日・5月6日(46巻17号・通巻2275号)052-053頁 2004/05/06
 福田直子・2002「リーフェンシュタール」
福田直子(ふくだ・なおこ/ジャーナリスト。ミュンヘンを中心に欧州各国を取材)
「100歳迎えたリーフェンシュタール」
 ※2002年8月22日がレニ・リーフェンシュタールの100歳の誕生日。1954年発表の『低い土地』についての2002年4月の彼女の発言がロマに批判されていることなど。
『世界週報』83巻39号(通巻4068号)050-051頁 2002/10/15
 福田直子・2003「イラク戦」
福田直子(ジャーナリスト。ミュンヘンを中心に欧州各国を取材)
「ワールド・ナウ/イラク戦で新時代迎えたテレビメディア」
『世界週報』84巻21号(通巻4100号)046-049頁 2003/06/10
・福田文昭(ふくだ・ふみあき)

 福田文昭・1999「裁判所」

福田文昭(記録カメラマン)
「撮影不許可の理由を説明できない裁判所」
『週刊金曜日』7巻10号(通巻264号)031頁 1999/03/19
 福田文昭・2003「宅間メモ」
福田文昭(写真家)
「投稿/「宅間メモ」封印した裁判長にバツを!」
 ※2003年8月28日・大阪地裁での大阪・付属池田小学校事件判決に際して。
『放送レポート』185号068-069頁 2003/11/01
 ふくやん・2003「匿名掲示板」
ふくやん(19歳。福岡市在住)
「〔インタビュー記事〕青春.jp (6)/匿名掲示板の“管理人”/本音の世界にハマった」
 ※電子掲示板「いちごびびえす」管理人。
『河北新報』朝刊 2003/02/22
 藤井幹雄・1999「カレー毒物」
藤井幹雄(和歌山弁護士会)
「和歌山カレー毒物混入事件について」
 ※筆者は弁護団の一員。「「疑惑の夫婦」がマスコミを通じて特定され始めた八月二五日以降、和歌山弁護士会はこの件の対応に追われることになった。… (現在、マスコミ報道の人権侵害性について)人権擁護「委員会が審議中である)。」(012-013頁)
『青年法律家』340号012-013頁 1999/04/25
 藤久ミネ・2003「番組批評」
藤久ミネ
「藤久ミネの番組批評/TBS系の『サンデーモーニング』/ゆったり見せてばっさり批評するワイド番組」
 ※「日本を観光旅行した台湾人医師がSARSと判定された一連の騒ぎをまとめた項目でも、台湾の病院での記者会見の映像が光っていた。…… 欧米人相手には決して見せないであろう日本人記者の居丈高な態度。「この医師が日本で買春したかについて調査しましたか」の質問に、病院側は買春したかは知らぬが「台湾でそういう行為をする人間が誰であるかはよく知っています」と答えた。語るに落ちるとはこのことで、痛棒をくらったのは日本人記者のモラルである。」(011頁)
『放送レポート』183号002-010頁 2003/07/01
 ※→この記者会見を報じた記事にはこの下りの報道が無いような。
 藤田憲一・1997「法廷テレビ」
藤田憲一(ふじた・けんいち/兵庫大学助教授)
「(取材・報道の課題)アメリカの法廷テレビの現状と憲法論」
『ジュリスト増刊/メディア』293-300頁。 1997/06/25
・藤田博司(ふじた・ひろし)

 藤田博司・2000「論壇」

 藤田博司・2003「異なる意見」
藤田博司(上智大学教授(メディア論・米国政治))
「私の視点/特集:新聞の言論力/異なる意見に寛容であれ」
 ※「筆者のゼミの学生が昨年秋に行った全国紙4紙の紙面分析の結果」について。
『朝日新聞』朝刊 2002/03/30
 藤原帰一・2003「犯罪」
藤原帰一(ふじわら・きいち/東大教授)
 「論壇時評/犯罪と世間/脅威からの安全を求め 市民自らが自由を放棄」
 ※「……斎藤環は、加害者ばかりでなく被害者の実名も伏せることを提案している。一考すべきではないか。」
『朝日新聞』朝刊 2003/08/26
 藤原作弥・2003「戦争と女優」
藤原作弥(前日銀副総裁。日立総合計画研究所社長)《顔Ph有》
「座標/戦争と女優」
 ※キーワード:映画監督、写真家、レニ・リーフェンシュタール、マレーネ・ディートリッヒ、李香蘭、山口淑子。
『世界週報』84巻41号(通巻4120号)003頁 2003/11/04
 藤原聖子・2004「宗教学・01」
藤原聖子(ふじわら・さとこ/大正大学文学部助教授)
「新連載/教室の宗教学(01)/連載を始めるにあたって」
 ※「ところが、昨今の授業の中には、これとは逆方向に向かう動きがある。…カルトに向かう若者を引き留めるには、大学の中に居場所を設ければよいという認識から、言ってみれば「授業をサークル化する」試みである。」「だが、逆説的にもこの種の授業がオウムの模倣となる恐れはないだろうか。」(042-043頁)
『書斎の窓』537号042-045頁 2004/08/01
 二木麻里・2002「術語集」
二木麻里(翻訳家)
 「〔書評〕デジタル/メディア生活の難所が透ける/『インターネット術語集II』矢野直明著、岩波新書・740円」
 ※対象書:矢野直明・2002『術語集・2』【報道】
『朝日新聞』朝刊 2002/12/21
 二木麻里・2003「コモンズ」
二木麻里(翻訳家)
「〔書評〕デジタル/縛るばかりでは育たない/『コモンズ』ローレンス・レッシグ著、 山形浩生訳、翔泳社刊・2800円」
 ※著者は「サイバー法の第一人者で、著作権延長違憲訴訟の原告代理人。」
『朝日新聞』朝刊 2003/01/18
※→レッシグ氏へのインタビュー記事:。
 二木啓孝・2002「記者よ」
二木啓孝(ふたつき・ひろたか/日刊現代・ニュース編集部部長)
「私の視点/メディア/記者よ感じたままに書け」
 ※問題にするのは、日朝首脳会談取材で感じた「なぜ新聞記者は、現場で感じたことをストレートに記事にしないのか」、「集団的過熱取材」の自主規制が「雑誌メディアの取材法」を理由としておこなわれていることなど。
『朝日新聞』朝刊 2002/10/26
※→これへの反論が11月2日付掲載の萩野弘巳・2002「やじ馬」
・渕野貴生

 渕野貴生・1997「報道被害」

渕野貴生(東北大学助手)
「書評/東京弁護士会人権擁護委員会編『報道被害対策マニュアル』」
『マスコミ市民』340号058-060頁 1997/03/01
 渕野貴生・1999「少年事件」
渕野貴生(東北大学助手)
「書評/『少年事件報道と法』(田島泰彦・新倉修編、日本評論社)」
『マスコミ市民』369号058-059頁 1999/09/15
 船岡浩・1990「密着取材」
船岡 浩(弁護士)
「テレビ“密着取材”の落とし穴」
 ※1989年6月「ニュースステーション」等放映の住居侵入事件報道と「プライバシー研究会」。
『マスコミ市民』260号042-052頁 1990/04/01
 船橋洋一・2002「週刊文春」
船橋洋一(本社コラムニスト)
「日本@世界/事実だけ。ニュースはなし」
 ※同氏が2002年8月22日付同欄で書いた「カール・マルクスという妖怪」を、「「週刊文春」(9月26日付)が、これは英フィナンシャル・タイムズ紙(8月17日付)のニール・ファーガソン英オックスフォード大学教授の寄稿文に「そっくりだ」と」したことについて。朝日新聞社と同氏は「訂正・謝罪を求める通告書」を文春に送付したとのこと。
『朝日新聞』朝刊 2002/10/17
※→『朝日新聞』朝刊2002年9月20日付記事「文芸春秋に本社が抗議」によると、9月19日に抗議したとのこと。
 船山泰範・1998「秋山判決」
船山泰範(ふなやま・やすのり/日本大学法学部教授)
 「(三浦裁判「逆転無罪」の意味)東京高裁「秋山判決」3つのポイント」
『週刊金曜日』6巻27号(通巻231号)022-023頁 1998/07/10
 古居みずえ・2002「日本語」
古居みずえ(ふるい・みずえ/フォトジャーナリスト)
 「私の視点/メディア/あいまいな日本語のワナ《Ph有》」
 ※2002年8月1日発表の「パレスチナのジェニン難民キャンプ「虐殺疑惑」に関する国連報告書」の「虐殺」否定報道について。
『朝日新聞』朝刊 2002/09/07
古木杜恵・2002「メディア規制」
古木杜恵(ふるき・もりえ/「個人情報保護法案拒否!共同アピールの会」事務局。ノンフィクションライター)
「私の視点/メディア規制/拉致報道の陰で見逃すな」
『朝日新聞』朝刊 2002/10/05
 古屋治男・2001「私の視点」
古屋治男(ふるや・はるお/全国精神障害者家族会連合会理事長)
「私の視点/精神医療と法/事件の衝撃 ケア充実に生かして」
『朝日新聞』朝刊 ☆2001/06/30
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<へ>

 別所宗郎・1986「カメラ取材」

 別府三奈子・2002「取材活動」
別府三奈子(べっぷ・みなこ/大分県立芸術文化短期大学助教授(米国ジャーナリズム史))
「私の視点/取材活動/もともとは国民が主体」
『朝日新聞』朝刊 2002/06/30
 辺見庸・2001「危機の根源」
辺見 庸(へんみ・よう/作家)
「(特集:言論・表現の自由の転機:「個人情報保護法案」とメディア)インタビュー/危機の根源はメディアの言語にある」
 ※聞き手:編集部・岡本厚。
『世界』693号086-095頁 2001/10/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<ほ>

 座談会・1999「毒物カレー」

 市民の会・1999「野田聖子様」
報道の自由を求める市民の会
「前略 郵政大臣 野田聖子様:「郵政省と市民との論争」を読んで」
 ※関千枝子、小田切秀雄氏ら13氏の意見書全文。ただし添付資料は割愛。
『放送レポート』157号068-072頁 1999/03/01
・『放送レポート』編集部
   ※同誌発行所:「メディア総合研究所」(ウェブサイト:http://www1.kcom.ne.jp/m-soken/

 放送レポート・1986「ワイドショー」

『放送レポート』編集部
「覆面座談会 ワイドショーの可能性と陥し穴:制作現場から「テレビ朝日事件」を考える」
 ※「資料 テレビ朝日「アフタヌーンショー」事件」を含む。
『放送レポート』78号002-0009頁 1986/01/01
 放送レポート・1987「国家秘密法」
『放送レポート』編集部
「国家秘密法関連報道にあいつぐいやがらせ」
『放送レポート』85号031頁 1987/03/01
 放送レポート・1987「取材される」
『放送レポート』編集部
「今、なぜ「取材される側の権利」なのか:報道の自由とプライバシーの両立を求めて/服部孝章(東海大学助教授)と梓澤和幸(弁護士)にきく」
『放送レポート』87号016-025頁 1987/07/01
 放送レポート・1989「KBS」
『放送レポート』編集部
「直撃インタビュー/韓国にいま“言論の春”が:KBS(韓国放送公社)労働組合にきく」
『放送レポート』97号030-035頁 1989/03/01
 放送レポート・1990「審議会」
『放送レポート』編集部
「権力とマスコミの近すぎる関係:政府の審議会に参入するマスコミ関係者全調査!」
『放送レポート』105号002-007頁 1990/07/01
 放送レポート・1992「放送通信行政」
『放送レポート』編集部
「放送通信行政の密室に集まる人々:郵政省テレコム三局・私的諮問機関全調査」
『放送レポート』119号002-008頁 1992/11/01
 放送レポート・1994「椿発言」
放送レポート編集部
「ドキュメント「椿発言」をめぐって」
 ※1993年9月21日(民放連第6回放送番組調査会)から11月19日(民放連臨時総会)までの日誌。
『放送レポート』126号013-014頁 1994/01/01
 放送レポート・1995「番審」
『放送レポート』編集部
「「番審」ってなんだ!:視聴者の知らない視聴者代表機関」
『放送レポート』133号002-007頁 1995/03/01
 放送レポート・1996「TBSビデオ」
『放送レポート』編集部
「パネル・ディスカッション:TBSビデオ問題を考える」
『放送レポート』141号002-021頁 1996/07/01
 放送レポート・1997「出口調査」
『放送レポート』編集部
「「出口調査資料漏洩」事件にみるジャーナリズムの堕落」
 ※1996年総選挙報道にて。
『放送レポート』144号012-015頁 1997/01/01
 放送レポート・1997「大使公邸」
『放送レポート』編集部
「ペルーの日本大使公邸内取材への非難の嵐とテレビ朝日のおそまつな対応はなぜだ!」
『放送レポート』146号002-006頁 1997/05/01
 放送レポート・1997「国会審議」
『放送レポート』編集部
「国会審議から/大使公邸の内部を取材したことと無線機を邸内に残してきた問題をめぐって:衆院逓信委員会の議論から」
『放送レポート』146号016-021頁 1997/05/01
 放送レポート・1997「情報公開」
『放送レポート』編集部
「パネル・ディスカッション:情報公開とマスメディアの役割」
『放送レポート』148号038-061頁 1997/09/01
 放送レポート・2002「証拠採用」
放送レポート編集部
「安易なビデオ「証拠採用」に物申す:侵食される「取材の自由」」
 ※富山県入善町の2001年10月町長選をめぐる北日本放送(KNB)制作の番組「センキョする意思:投票弱者の選挙権をめぐって」のビデオが名古屋高裁金沢支部での裁判に証拠提出された事件。
『放送レポート』178号006-010頁 2002/09/01
※→同高裁支部の選挙無効判決が確定したことに伴う再選挙が2002年9月1日投開票され、選挙無効が確定して失職していた米沢政明氏(61歳)が当選した(2002.9.3『朝日新聞』朝刊「失職の米沢氏 24票差「再選」」)。
 放送レポート・2002「窃盗団」
放送レポート編集部
「テレ東「窃盗団報道」は何が問題か」
 ※2002年5月27日・テレビ東京の番組『ニュース・アイ』での報道について。取材対象者への金銭の提供や、捜査機関や被害者への通報の問題など。同局の「窃盗団報道問題検証委員会」は2002年8月8日に検証報告を発表。同局の労組も執行部方針を公表。
『放送レポート』179号020-022頁 2002/11/01
 放送レポート・2002「北朝鮮報道」
『放送レポート』編集部
「これでいいのか!?北朝鮮報道:在日関係者・ジャーナリストたちの提言」
『放送レポート』180号008-010頁 2003/01/01
 放送レポート・2003「イラク戦争」
『放送レポート』編集部
「イラク戦争反対!:ジャーナリストたちの緊急集会」
 ※2003年3月15日の集会。
『放送レポート』182号010-012頁 2003/05/01
 放送レポート・2003「特オチ」
『放送レポート』編集部
「KBC“特オチ”処分の異常」
 ※テレビ朝日系列の九州朝日放送(KBC)で、筆坂秀世参院議員辞職ニュースを流さなかったとして戒告処分を受けたニュースデスクの事件について。
『放送レポート』185号012-015頁 2003/11/01
 保坂廣志・1993「琉球放送」
保坂廣志(琉球大学法文学部・広報学専攻・助教授)
「小さなファシズム:琉球放送記者退席問題」
 ※新石垣空港建設問題報道で自民党県会議員が琉球放送社に圧力。
『マスコミ市民』291号088-091頁 1993/02/01
 保阪正康・2003「瀬島龍三氏」
保阪正康(ほさか・まさやす/ノンフィクション作家)
「「昭和の参謀」瀬島龍三氏の晩節を問う:TVで鶴瓶、南原相手に歴史の語り部とは呆れた」
 ※『瀬島龍三 日本の証言』(フジテレビ出版。2003年)への批判。「史実が瀬島の都合のいいように歪められているのである。」(153頁)
『文芸春秋』81巻7号152-159頁 2003/06/01
・星野一正(ほしの・かずまさ)

 星野一正・1991「医療報道」

星野一正(京都大学名誉教授/元京大医の倫理委員会委員長)
「(医学報道最前線:先端医療取材に今何が求められているか)医療報道で競うべきはスクープかそれとも正確な報道か」
 ※1990年12月・民放労連主催「報道フォーラム90」から。文責編集部。
『放送レポート』109号002-005頁 ※「フォーラム」の討論部分は9-011頁。 1991/03/01
 細野豪志・2002「個人情報保護法案」
細野豪志(ほその・ごうし/民主党代議士。静岡7区選出。民主党ネクスト・キャビネット内閣部門総括副大臣。元三和総合研究所研究員。30歳)
「〔インタビュー記事〕どうする個人情報保護法案 (上)/業界特定し義務規定を」
 ※聞き手:上野麻子。
 ※「マイナーチェンジではだめだ。基本原則と義務規定をぶった切るくらいの修正がないとまともな法律にならない。協議に応じるつもりはない。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/16
 堀越由美子・1995「わきまえた」  堀宏・1997「テレビ報道」
堀 宏(白鴎大学教授)
「テレビ報道に何が問われているか:三〇数年の経験から」
服部孝章・1997『放送』016-051頁 1997/08/08
 堀宏・1997「報道人」
堀 宏(白鴎大学教授)
「テレビ報道・報道人のこれから」
服部孝章・1997『放送』214-222頁 1997/08/08
・堀部政男( ほりべ・まさお)

 堀部政男・1997「概観」

堀部政男(中央大学教授)
「変革期のメディア−概観」
『ジュリスト増刊/メディア』002-011頁。 1997/06/25
 堀部政男・2002「表現の自由」
堀部政男(中央大学教授。情報法。65歳)
 「私の視点 特集・個人情報保護法案とメディア/表現の自由との調整図った」
 ※「法案は、法制的に整備されたものである。それは、表現の自由との関係では私の意見と異なるところがあるが、基本的にはそれとの調整を図っていると見ている。」
『朝日新聞』朝刊 2002/03/17
 堀部政男・2004「週刊文春」
堀部政男(中央大学法科大学院教授)
「(『週刊文春』問題の波紋)メディア同士による徹底的な議論を:どこまでがプライバシーか?」
『中央公論』2004年5月号(第119年第5号・1440号)190-191頁 2004/05/01
・本多勝一(ほんだ・かついち)

 本多勝一・1997「ジャーナリズム」

本多勝一(本誌編集委員)
 「(ペルー日本大使公邸事件)ジャーナリズムは死んだ」
『週刊金曜日』5巻3号(通巻159号)023頁 1997/01/24
 本多勝一・1997「パパラッチ」
本多勝一
「風速計/パパラッチの飼い主」
『週刊金曜日』5巻34号(通巻190号)005頁 1997/09/12
 本多勝一・1997「被害者」
本多勝一
「(メディアとプライバシー)裁くのは誰だ!? 異論・反論パパラッチ/現実の被害者として」
『週刊金曜日』5巻37号(通巻193号)017頁 1997/10/03
 本多勝一・1998「報道加害」
本多勝一
「(報道加害大国日本/マスコミにこそPL法を)日本の場合/報道加害に泣くだけの被害者たち」
『週刊金曜日』6巻46号(通巻250号)018-020頁 1998/11/27
 本多勝一・1998「報道被害」
本多勝一
「(報道加害大国日本/マスコミにこそPL法を)私の受けた報道被害」
 ※講談社刊『Views』1997年1月号の記事について。
『週刊金曜日』6巻46号(通巻250号)020-021頁 1998/11/27
 本多勝一・1999「加害報道・1-01」
本多勝一(本誌編集委員)
「加害報道 第一部/河野義行さんの場合(上):松本サリン事件の誤認捜査と誤報」
『週刊金曜日』7巻38号(通巻292号)018-021頁。 1999/10/08
 本多勝一・1999「加害報道・1-02」
本多勝一(本誌編集委員)
「加害報道 第一部/河野義行さんの場合(中):取材攻勢から守るという名の警護と監視」
『週刊金曜日』7巻39号(通巻293号)044-047頁。 1999/10/15
 本多勝一・1999「加害報道・1-03」
本多勝一(本誌編集委員)
「加害報道 第一部/河野義行さんの場合(下):疑いは晴れてもはがれぬレッテル」
『週刊金曜日』7巻40号(通巻294号)028-031頁 1999/10/22
 本多勝一・2001「貧困・137」
本多勝一
「貧困なる精神 第137回/「表現の自由」か「人権侵害の自由」か」
『週刊金曜日』9巻16号(通巻368号)065頁 2001/04/27
 本多勝一・2001「記者クラブ」
本多勝一
「(ここがへんだよ記者クラブ)「発表ジャーナリズム」はいらない」
『週刊金曜日』9巻33号(通巻385号)016頁 2001/09/07
 本多勝一・2002「被害者の会」
本多勝一
「風速計/マスコミ暴力被害者の会」
 ※「提案。この種のマスコミ暴力被害者が連絡をとりあって、何らかの会を結成しませんか。そこで対応策なり反撃方法なりを研究しましょう。」(007頁)
『週刊金曜日』10巻3号(通巻404号)007頁 2002/01/25
 本多勝一・2002「表現の自由」
本多勝一
「風速計/「表現の自由」と市民」
 ※「日本型名誉毀損常習雑誌」として「出版社系雑誌(全部とは言わぬ)や『噂の真相』等」を挙げる(007頁)
『週刊金曜日』10巻24号(通巻425号)007頁 2002/06/21
 本多勝一・2002「疋田桂一郎・02」
本多勝一 ほんだ・かついち 「貧困なる精神(163)/疋田桂一郎氏は“憤死”したのだ(中)」
 ※キーワード:『支店長はなぜ死んだか』、リクルート汚染報道。
『週刊金曜日』10巻49号(通巻450号)028頁 2002/12/13
 本多勝一・2003「疋田桂一郎・03」
本多勝一
「貧困なる精神(164)/疋田桂一郎氏は“憤死”したのだ(下)」
『週刊金曜日』11巻2号(通巻453号)029頁 2003/01/17
 本多勝一・2003「噂の真相・上」
本多勝一
「貧困なる精神 (166)/『噂の真相』という名誉毀損常習雑誌について読者諸氏に問う (上)」
 ※『噂の真相』2003年1月号掲載「『週刊金曜日』の知られざる舞台裏 北朝鮮取材を断った本多勝一の嘘」について。
『週刊金曜日』11巻4号(通巻455号)042-043頁 2003/01/31
 本多勝一・2003「噂の真相・下」
本多勝一
「貧困なる精神 (167)/『噂の真相』という名誉毀損常習雑誌について読者諸氏に問う (下)」
 ※『噂の真相』2003年2月号掲載「朝日新聞の名物記者だった疋田桂一郎氏の逝去、晩年はリクルート接待でホンカツと“心中”」について。
『週刊金曜日』11巻6号(通巻457号)048-049頁 2003/02/14
 本多勝一・2003「続・噂の真相」
本多勝一「貧困なる精神 (169)/続・『噂の真相』という名誉毀損常習雑誌について読者諸氏に問う」
 ※『噂の真相』2003年3月号掲載「編集長日誌」での「本誌の黒川社長の抗議文に対」(058頁)する回答について。
『週刊金曜日』11巻8号(通巻459号)058頁 2003/02/28
 本多勝一・2003「あれこれ」
本多勝一 ほんだ・かついち
「貧困なる精神 (170)/新雑誌『月刊あれこれ』創刊について」 
 ※同号掲載の「金曜日から」にも関連記述あり(081頁)。
『週刊金曜日』11巻9号(通巻460号)073頁 2003/03/07
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<ま行>

<ま>

 毎日放送・1999「薬害ヤコブ病」

毎日放送(製作・著作)
「テレビ・ドキュメンタリー台本/薬害ヤコブ病:谷たか子の闘病記録」
 ※1998.5.22放映。1998年日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞。
『放送レポート』156号033-046頁 1999/01/01
 前田武彦・2003「ライバル」
前田武彦(タレント)
「TVダイアリー/前田武彦 (4)/「ライバル」と共演した時代」
 ※1973年参院選で共産党候補を応援した「バンザイ事件」について。
『朝日新聞』朝刊 2003/01/26
 前原政之・2004「松本サリン」
前原政之(まえはら・まさゆき/ジャーナリスト。1964年栃木県生まれ)
「松本サリン事件から一〇年。:底知れぬ「報道被害」の実態。」
『潮』2004年9月号(547号)344-349頁 2004/09/01
 麻木真司・1989「連続幼女」
麻木真司(新聞記者)
「連続幼女誘拐殺人事件/“過剰報道”と批判を受けた新聞現場から」
『マスコミ市民』255号011-015頁 1989/11/01
 牧太郎・2001「マスコミ規制」
牧 太郎(毎日新聞編集委員)
 「漂流 日本社会/マスコミ規制を巡る攻防」
 ※月刊誌『自由民主』(2001年3月号)で自民党報道局長・横内正明衆院議員と対談して。
『世界週報』82巻12号(通巻3992号)048-049頁 2001/03/27
 牧太郎・2002「新聞社」
牧 太郎(毎日新聞編集委員)
「漂流 日本社会/今「新聞社襲撃」を読む意味」
 ※「企業倫理に欠けた日本ハムを指弾するのはよいけれど、事件の背景に言及しないのが、マスメディアである。」(038頁)  ※『新聞社襲撃』は岩波書店刊。
『世界週報』83巻36号(通巻4065号)038-039頁 2002/09/24
・『マスコミ市民』編集部

 マスコミ市民・1993「会長談話」

『マスコミ市民』編集部
「不思議の国NHK(1)/PART4 川口NHK会長談話(二月十七日)」
 ※1992年NHKテレビ放映「ムスタン」やらせ事件について。
『マスコミ市民』294号036頁 1993/05/01
 マスコミ市民・1993「ムスタン」
『マスコミ市民』編集部
「不思議の国NHK(1)/PART2 NHK「ムスタン取材」緊急調査委員会の報告から(抜粋)」
 ※1992年NHKテレビ放映「ムスタン」やらせ事件について。
『マスコミ市民』294号027-035頁 1993/05/01
 マスコミ市民・1993「逓信委員会」
『マスコミ市民』編集部
「不思議の国NHK(1)/PART5 衆院逓信委員会(二月二十二日)抜粋」
 ※1992年NHKテレビ放映「ムスタン」やらせ事件について。
『マスコミ市民』294号036頁 1993/05/01
 マスコミ市民・1993「関係者処分」
『マスコミ市民』編集部
「不思議の国NHK(1)/PART3 関係者の処分(二月十七日)」
 ※1992年NHKテレビ放映「ムスタン」やらせ事件について。
『マスコミ市民』294号036頁 1993/05/01
 マスコミ市民・1996「オフレコ」
『マスコミ市民』編集部
「座談会:マスメディアは国民の知る権利に応えているか:オフレコ発言をめぐる現場記者の声」
 ※匿名の記者3人によるもの。司会は安孫子誠人。
『マスコミ市民』327号025-033頁 1996/02/01
 マスコミ市民・1996「シンポジウム・01」
『マスコミ市民』編集部
「シンポジウム:「マスコミ報道と人権侵害を考える」パネルディスカッション」
 ※司会:門奈直樹(立教大学教授)。パネラー:北村肇(毎日新聞社会部・新聞労連委員長)、韓桂玉(アジア問題研究家)、西口浩(創価学会副会長・広報室長)、弘中惇一郎(弁護士・東京弁護士会人権擁護委員)。
『マスコミ市民』331号010-029頁 1996/06/01
 マスコミ市民・1996「シンポジウム・02」
『マスコミ市民』編集部
「シンポジウム:「マスコミ報道と人権侵害を考える」パネルディスカッション」
 ※司会:門奈直樹(立教大学教授)。パネラー:北村肇(毎日新聞社会部・新聞労連委員長)、韓桂玉(アジア問題研究家)、西口浩(創価学会副会長・広報室長)、弘中惇一郎(弁護士・東京弁護士会人権擁護委員)。講演者:岡田尚(弁護士)。総合司会:前田朗(東京造形大学教授)。
『マスコミ市民』332号009-029頁 1996/07/01
 松井茂記・2002「個人情報保護法案」
松井茂記(まつい・しげのり/大阪大教授。憲法。1955年生まれ)
「個人情報保護法案 なぜ低い市民の関心/私的な自由のみを尊重 足りぬ政治的権利意識」
『朝日新聞』朝刊 2002/06/08
 松岡耿介・2001「復刻版」
松岡耿介(長野県飯田市鼎名古熊〔在住〕)
「幻の復刻版になった「日夏耿之介」」
 ※1960年刊の記念誌『日夏耿之介』((下伊那農業高校文学班編集)を元にして日夏氏の伝記を書こうとした人物「U君」について。
『南信州新聞』(南信州新聞社) 2001/08/15
 ※日夏氏は同高校の校歌を作詞している(1948年)。
 松岡利康・2001「芸能人」
松岡利康(まつおか・としやす/鹿砦社代表取締役)
「(第3部 芸能人とプライバシー/第9章)芸能人にプライバシーはない!!」
青弓社・2001『プライバシー』197-216頁 2001/02/10
 松尾信之・2004「墓標」
松尾信之(まつお・のぶゆき/ジャーナリスト)
「ジャーナリズムの墓標:驚くべき問題意識の低さ、想像力の欠如」
『軍縮問題資料』2004年8月号(286号)024-029頁 2004/08/15
・松沢 弘

 松沢弘・1994「産経新労組・02」

松沢 弘(反リストラ産経労委員長)
「産経新労組=闘いのクロニクルNo.2/弾圧激化で「残酷」再現:フジサンケイグループ 新聞の不祥事で亀裂深まる」
『マスコミ市民』311号44-49頁 1994/10/01
 松沢弘・1994「産経新労組・03」
松沢 弘(反リストラ産経労委員長)
「産経新労組=闘いのクロニクルNo.3/委員長の懲戒解雇を強行:産経資本、都労委の凍結要請も蹴る」
『マスコミ市民』312号26-37頁 1994/11/01
 松沢弘・1994「産経新労組・04」
松沢 弘(反リストラ産経労委員長)
「産経新労組=闘いのクロニクルNo.4/グループ解体で産経に危機:フジテレビが「フジサンケイグループ本社」を吸収合併」
『マスコミ市民』316号054-058頁 1995/03/01
 松沢弘・2002「産経残酷」
松沢 弘(反リストラ産経労委員長)
「「産経残酷物語」に断!:八年間のたたかいで勝ち取った解雇無効判決」
 ※筆者が日本工業新聞社を相手取った裁判での2002年5月31日・東京地裁判決について。同社は東京高裁に控訴し、かつ2002年7月、筆者を「予備的に改めて懲戒解雇に付」したとのこと。
『放送レポート』178号036-039頁 2002/09/01
 松田浩・2000「青木貞伸」
松田 浩(元・立命館大学教授)
 「批判的ジャーナリストを貫いて:青木貞伸さんを偲ぶ」
『放送レポート』167号058-061頁 2000/11/01
 松原慶・1993「セカンド・レイプ」
松原 慶(「市民のテレビの会」会員)
「メディア・スコープ/メディアのセカンド・レイプに取り組む女たち」
『マスコミ市民』299号12-15頁 1993/10/01
 松村北斗・1996「上九一色村」
松村北斗(まつむら・ほくと/毎日新聞甲府支局記者)
「(報道の現場から --- 報道の自由と報道被害の間で)上九一色村取材から松本へ/我々になにができるのだろうか?」
浅野健一・1996『無責任』170-175頁 1996/12/10
 松本恭幸・2003「市民参加」
松本恭幸(メディアプロデューサー)
「メディア アクセス・オン・BB(4)/CATVの市民参加番組」
 ※キーワード:パブリックアクセス枠、唐津ケーブルテレビジョン、中海テレビ放送、ジェイコム北九州、ケーブルネット鈴鹿、メディアアクセス推進協議会、インターネット放送局。
『放送レポート』182号060-063頁 2003/05/01
 丸山重威・2003「剣より」
丸山重威(まるやま・しげたけ/関東学院大学講師(マスコミュニケーション論)。静岡県生まれ。1964年共同通信社に入り、2001年定年退社。60歳)
「私の視点/特集:新聞の言論力/「剣より強いペン」再確認を」
 ※キーワード:同時多発テロ、アフガニスタン攻撃、社説、共同通信「論説資料」。
『朝日新聞』朝刊 2002/03/30
 丸山尚・1995「アエラ」
丸山尚(住民図書館館長)
「ミニ・コミの現在を読む (48)/『アエラ』は私怨を排せ」
 ※日本消費者連盟に対する『アエラ』1994年10月10日号の長谷川煕記者の署名記事について。
『マスコミ市民』316号084-085頁 1995/03/01
・丸山 昇(まるやま・のぼる)

 丸山昇・1999「自民党」

 丸山昇・2001「青少年」  丸山昇・2002「有事法案」
丸山 昇(ジャーナリスト)
「NHKが“大本営発表”になる?:有事法案が招く国家総動員体制」
 ※キーワード:有事三法案、武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律、自衛隊法改正、安全保障会議設置法、有事指定公共機関、放送法。
『放送レポート』177号012-016頁 2002/07/01
 丸山昇・2003「CM放送」
丸山 昇(ジャーナリスト)
「詐欺商法被害者に訴えられた日テレ・テレ朝のCM放送責任」
 ※キーワード:ジー・オーグループ、組織犯罪処罰法、ジー・コスモス・ジャパン、ジャパンジー・ユニバーサル、求人広告、ユニバG、放送基準。
『放送レポート』182号006-009頁 2003/05/01
 丸山昇・2003「部数覇権」
丸山 昇(ジャーナリスト)
 「(渡邉恒雄と読売新聞)衰えない部数覇権主義」
『週刊金曜日』11巻37号(通巻488号)018-019頁 2003/10/03
 丸山昇・2003「自衛隊」
丸山 昇(ジャーナリスト)
「「自衛隊」が闊歩しはじめたCS放送」
 ※「ピースチャンネル」「チャンネル桜」について。
『放送レポート』185号002-005頁 2003/11/01
・丸山友岐子

 丸山友岐子・1989「女高生」

丸山友岐子(作家)
「女高生殺人事件 『朝日』の報道に抗議する」
『マスコミ市民』251号052-053頁 1989/06/01
 丸山友岐子・1989「報道レイプ」
丸山友岐子(作家)
「マスコミよ、報道レイプをやめよ!」
『マスコミ市民』254号006-013頁 1989/10/01
 丸山友岐子・1990「性暴力」
丸山友岐子(作家)
「女子高校生コンクリート詰め殺人事件/報道の“性暴力”に抗議する:書かれる側の痛みわからぬ朝日新聞の連載記事」
『マスコミ市民』262号022-031頁 1990/06/01
 丸山友岐子・1990「実名報道」
丸山友岐子(作家)
「なぜマスコミは“実名報道”にこだわるのか:“匿名報道”を実現させた切実な願いと怒り」
 ※「女子高校生コンクリート詰め殺人事件」報道で。
『マスコミ市民』263号002-011頁 1990/07/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<み>
 

 見岩文良・2004「自衛隊」

見岩文良(みいわ・ふみよし/ジャーナリスト)
「サマワ・戦場でのメディア:自衛隊のメディア管理と「外征軍」への野望」
 ※「図らずも、同じ日に武装勢力から解放された日本人人質たちが、身の安全で厳しく「自己責任」を問われたのに対し、イラク・サマワに記者を派遣した日本のメディアは安全面で相当の部分を自衛隊に依存した。」(018頁)
『軍縮問題資料』2004年7月号(285号)018-023頁 2004/07/15
 三浦薫・1996「TBSビデオ」
三浦 薫(みうら・かおる/新聞記者)
「(権力介入の危機)TBSビデオ問題/権力との孤独な闘い」
浅野健一・1996『無責任』008-023頁 1996/12/10
・三浦和義(みうら・かずよし)

 三浦和義・1996「ロス疑惑」

三浦和義
「(報道被害とマスメディアの謝罪)「ロス疑惑事件」報道/配信記事を掲載した地方紙は免責されるのか?」
浅野健一・1996『無責任』144-152頁 1996/12/10
 三浦和義・1997「バカラッチ」
三浦和義(いわゆる「ロス疑惑」といわれる二つの刑事裁判の被告人)
「(メディアとプライバシー)裁くのは誰だ!? 異論・反論パパラッチ/バカラッチに囲まれて」
『週刊金曜日』5巻37号(通巻193号)014頁 1997/10/03
 三浦和義・1998「わが闘争」
三浦和義(貿易会社社長)
 「独占掲載「メディアとのわが闘争」」
『週刊金曜日』6巻29号(通巻233号)020-024頁 1998/07/24
 三浦和義・2002「真実を報道」
三浦和義
「〔インタビュー記事〕三浦和義さん単独インタビュー/「とにかく真実を報道してほしい」」
 ※聞き手:浅野健一
 ※浅野健一・2002「ロス疑惑」の一部として。
 ※「裁判全体では、二〇〇人前後の記者が法廷に登場しました。総じて言えることは、きちんとした裏付け取材をやっていないということ。その最たるものが、『週刊文春』の当時の副編集長です。」「よく一三年間大変でしたね、とか無駄な人生とか言われますけれど、ほとんどの学者にしても、弁護士にしても、三浦訴訟をはずしては、犯罪報道に対する凡例について言及できない。そういう意味では、自分がやってきた一三年間は無意味じゃないというか、誇りというか、満足感はあります。」(037頁)
『週刊金曜日』10巻5号(通巻406号)037頁 2002/02/08
 三浦&山口・2003「無罪確定・上」
三浦和義(近著に『Never ネヴァ』(モッツ出版。ホームページはhttp://www.0823.org/)、
山口正紀(やまぐち・まさのり/「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞社勤務)
「〔対談〕銃撃事件 三浦さん無罪確定(上)/ロス疑惑とはなんだったのか」
 ※2003年3月11日・編集部にて。対談まとめ:田中響子(ライター)。
 ※表「「ロス疑惑」と報道・捜査・判決の流れ」(023頁))と共に。
『週刊金曜日』11巻11号(通巻462号)022-025頁 2003/03/21
 三浦&山口・2003「無罪確定・下」
三浦和義(近著に『Never ネヴァ』(モッツ出版。ホームページはhttp://www.0823.org/)、
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞社勤務)
「〔対談〕銃撃事件 三浦さん無罪確定(下)/司法とマスコミを撃つ次の一手」
 ※2003年3月11日・編集部にて。対談まとめ:田中響子(ライター)。
 ※「三浦 四月二〇日ごろに新著の『弁護士いらず 本人訴訟必勝マニュアル』(太田出版)が出る予定です。」(025頁)
『週刊金曜日』11巻12号(通巻463号)022-025頁 2003/03/28
 三浦恵次・1997「広報」
三浦恵次( みうら・しげじ/明治学院大学社会学部教授)
「(広報とメディア)広報とメディア」
『ジュリスト増刊/メディア』214-220頁。 1997/06/25
 三浦道人・1988「リクルート」
三浦道人(ジャーナリスト)
「リクルート疑惑とジャーナリズムの汚染:取り引きに使われる「マスコミ人の名簿」」
『マスコミ市民』240号002-015頁 1988/09/01
 三木秀夫・2003「NPO」
三木秀夫(みき・ひでお/大阪NPOセンター理事。弁護士)《顔Ph有》
「私の視点/商標「「NPO」/公共の言葉を独占させるな」
 ※「私たち大阪NPOセンターや、日本NPOセンターなどは、先日特許庁に対し登録異議の申し立てをした」。
『朝日新聞』朝刊 2003/08/13
<みず>

 水越伸・1997「放送人」

水越 伸(みずこし・しん/東京大学社会情報研究所助教授。1963年生まれ)
「(メディア論の立場から)新しい放送人の相貌:メディア論的想像力の覚醒と放送の自由」
民放連研・1997『放送の自由』205-240頁 1997/09/05
 水島宏明・1991「イギリス」
水島宏明(NNNロンドン特派員/札幌テレビ)
「検閲と戦うイギリスのテレビマン魂」
『放送レポート』113号017-021頁 1991/11/01
 水谷賢・1997「談合発言」
水谷 賢(みずたに・けん/弁護士。岡山弁護士会人権擁護委員会委員)
「消された談合発言:岡山県金光町議会」
 ※議事録とCATV中継からも消された議会発言について。
『週刊金曜日』5巻32号(通巻188号)048-049頁 1997/08/29
 水谷静馬・1994「家系図」
水谷静馬(ジャーナリスト)
「マスコミ現場/「家系図」に大手振らせる大マスコミの人権感覚」
 ※1994年4月・羽田内閣誕生報道で羽田首相の家系図が報じられて。
『マスコミ市民』308号077-079頁 1994/07/01
 三角元子・2004「TV報道」
三角元子(埼玉弁護士会)
「野菜ダイオキシン検出TV報道賠償訴訟最高裁判決について」
 ※「本稿は、二〇〇三年九月一一日の口頭弁論において上告人ら代理人の意見として陳述した内容である。」(008頁)
 ※判決は2003年10月16日。
『青年法律家』396号008-010頁 2004/02/25
 港千尋・2003「撮ること」
港 千尋(写真家)
「ゼロサン時評/撮ることと、送ること」
 ※ロサンゼルス・タイムス紙にデジタル合成されたイラク戦争写真が掲載されて。
『朝日新聞』朝刊 2003/04/17
 宮・1990「TBS事件」

「ジャーナリストの眼/TBS事件は報道の自由の自殺行為:放送界は報道機関としての姿勢を正せ」
 ※1990年3月TBS「ギミア・ぶれいく」が暴力団の債権取り立て現場を放映して。
『マスコミ市民』263号012-015頁 1990/07/01
 三宅弘・2002「信用情報」
三宅 弘(みやけ・ひろし/弁護士。自由人権協会理事。IT戦略本部個人情報保護検討部会委員、行政機関等個人情報保護法制研究会委員などを歴任。48歳)
「私の視点/特集・個人情報保護法案/信用情報保護法も必要だ」
 ※メディア統制との批判について、「こうした懸念を払拭するために、私は修正試案を提案している。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/12
 宮崎さゆり・2002「9・11」
宮崎さゆり(みやざき・さゆり/詩人。環境活動家。米ワシントンで「日米環境活動支援センター」を創設)
「(9・11後の世界(2) 沈黙する米国メディア)反戦を掲げる米「独立自由メディア」:翼賛体制のマスコミに抵抗した草の根民主主義の力」
『週刊金曜日』10巻35号(通巻436号)012-013頁 2002/09/13
 宮崎寿子・1996「懇談会」
宮崎寿子(東洋大学非常勤講師/FCT〔市民のテレビの会〕会員)
「視聴者ぬきで議論する 郵政省「視聴者と放送に関する懇談会」へのこれだけの疑問」
『放送レポート』143号058-062頁 1996/11/01
・宮崎哲弥(みやざき・てつや)

 宮崎哲弥・2004「文春問題」

宮崎哲弥(みやざき・てつや/評論家)《顔Ph有》
「三者三論 「文春問題」その先/スキャンダル記事は必要」
 ※聞き手:北郷美由紀。
『朝日新聞』朝刊 2004/04/09
※同時掲載:紙谷雅子・2004「文春問題」竹田稔・2004「文春問題」
 宮崎哲弥・2004「ポル・ポト」
宮崎哲弥(評論家)
 「〔書評〕徹底破壊ねらった家族・宗教に敗北/『ポル・ポト〈革命〉史』山田寛[著]講談社選書メチエ・1680円」
 ※「冷静な著者は、日本のジャーナリストや学者に「解放勢力」を応援し、「ポル・ポトは虐殺などしていない」と唱え続けた人々が多くいた、と淡々と記している。」
『朝日新聞』朝刊2004年9月19日付 2004/09/19
 宮崎昌治・1996「みどり荘報道」
宮崎昌治(みやざき・まさはる/西日本新聞社会部記者))
「(報道の現場から --- 報道の自由と報道被害の間で)大分・みどり荘事件報道/自らの「罪」を意識したとき」
浅野健一・1996『無責任』176-185頁 1996/12/10
 宮島&佐藤・2002「立花さん」
宮島 理(みやじま・ただし/フリーライター。1975年生まれ)、
佐藤 進(さとう・すすむ/京都大学名誉教授。1930年生まれ)
「(PART3 科学憑き、宇宙憑き)現代物理学/京都大学名誉教授[佐藤進]氏語る/「立花さん、まずはブルーバックスをきちんと読みなさい!」」
 ※取材・構成:宮島。
 ※谷田和一郎・2001『立花隆先生』について、「この本では、私の『立花隆の無知蒙昧を衝く』はレベルが高すぎる、立花隆のレベルまで落とさないとダメだと書かれています(笑)。」(143頁)
別冊宝島・2002『立花隆』130頁-145頁 2002/02/07
・宮台真司(みやだい・しんじ/1959年生まれ)

 宮台真司・2002「ネット規制」

宮台真司(東京都立大学助教授。社会学。2000年から「電脳有権者政治改革ネットワーク」代表。43歳)
「私の視点/特集・個人情報保護法案/恐れるべきはネット規制」
 ※「近代成熟期にはどこでも経済官僚よりも情報管理行政に携わる官僚に利権が集中する。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/12
 宮台真司・2003「戦後憲法」
宮台真司(東京都立大助教授(社会学)。1959年生まれ)
「戦後憲法をめぐって/日本が背負う二重の困難/極限まで活用の後 超える道を」
 ※「こうした無理解の結果、青少年の人権を守る法案がいつの間にか青少年の道徳を規定する法案に化けることに象徴されるが(児童買春・児童ポルノ禁止法案など)、市民が自己責任でなすべき道徳的コミュニケーションが、「お上」に委ねられてしまうという、実に見事なお粗末さだ。」
『朝日新聞』朝刊 2003/05/02
 宮武洋吉・2003「弁護士」
宮武洋吉(みやたけ・ようきち/弁護士)
「〔書評〕「本人訴訟」の実践マニュアル/『弁護士いらず』三浦和義=著 太田出版 1700円(税別)」
『週刊金曜日』11巻34号(通巻485号)042頁 2003/09/12
 宮原守男・2003「週刊新潮」
宮原守男(みやはら・もりお/弁護士。学校法人山梨英和学院理事長。学校法人東京女子大学理事・評議員。明治学院理事・評議員。1928年福岡県生まれ)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕『週刊新潮』の捏造体質を象徴する「狂言事件」」
第三文明・2003『週刊誌』 【報道】058頁 2003/
 宮部信明・1994「オカルト」
宮部信明(『科学』副編集長。1947年生まれ)
「(第4章 日本の科学雑誌編集部に聞く)〔インタビュー記事〕オカルトは科学でないから取り上げません」
 ※聞き手:佐竹大心(さたけ・だいしん/フリーライター。1950年生まれ)。
呉智英・1994『オカルト』153-156頁 1994/05/15
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<む>

 向井千惠子・2003「百人斬り」

向井千惠子(むかい・ちえこ/故向井敏明少尉次女)
「裁かれる「百人斬り」捏造報道:南京裁判で父が処刑され五十五年。無実を信じる娘が「戦後」を終らせる提訴に踏み切った」
 ※「私は四月二十八日、東京地裁に野田さんの遺族、妹のマサさんと、私の姉との三人で、毎日新聞(旧東京日日新聞)、朝日新聞、柏書房、本多勝一氏を被告として名誉毀損を理由に謝罪広告の掲載などを求めて提訴しました。」(192頁)
『諸君!』35巻9号192-200頁 2003/09/01
※→本多勝一氏。参照:平川祐弘・2003「反日騒動」
※→原告遺族側代理人の記:稲田朋美・2003「百人斬り」【報道】
・無署名記事

 無署名・1987「書記長自殺」

(無署名)
「マスコミ現場から/書記長自殺とマスコミ」
 ※長崎県・三菱高島炭鉱労働組合の書記長の自殺と閉山報道。
『マスコミ市民』223号024-025頁 1987/03/01
 無署名・1987「サツ記者」
(無署名)
「記者のメモ帖/サツ記者」
『マスコミ市民』224号046-047頁 1987/04/01
 無署名・1988「丈夫」
(無署名)
「記者のメモ帖/丈夫が取り柄?」
『マスコミ市民』232号054-055頁 1988/01/01
 無署名・2003「少年事件」
(無署名)
「(新企画)麹町電網(インターネット)測候所:少年事件で「実名」「顔写真」の流出はネットのお約束 報道されない部分にネットの欲望は集中するの巻」
『諸君!』35巻9号28-253頁 2003/09/01
 ムスタファ・2003「取材禁止」
アーメド・ムスタファ(アルジャジーラ経済部長)
「私の視点/取材禁止/「自由の国」がすることか」
 ※原文は英語。
 ※「ニューヨーク証券取引所(NYSE)は3月24日、カタールの衛星テレビ・アルジャジーラに対して取引所内からの生中継を禁止した。」
『朝日新聞』朝刊 2003/04/01
 棟居快行・2001「プライバシー」
棟居快行(むねすえ・としゆき/成城大学教授)
「(第1部 犯罪報道とプライバシーの保護/第3章)出版・表現の自由とプライバシー」
 ※初出『ジュリスト』1999年11月号(…)に加筆・修正。
青弓社・2001『プライバシー』103-121頁 2001/02/10
 村上孝止・1994「マスメディア」  村越進・2002「報道統制」
村越 進(むらこし・すすむ/日弁連有事法制問題対策本部本部長代行。弁護士。日弁連人権擁護委員会委員長)
「私の視点 特集:有事法制を考える/報道統制、チェック機能閉ざす」
 ※「特に問題なのは、首相がNHK(政府答弁では民放や新聞社も含まれる可能性がある)に対し、指示権や直接実施権を有する点である。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/26
 村越&田島・2001「対論」  村瀬謙一・1999「カレー毒物」
村瀬謙一(大阪弁護士会)
「和歌山カレー毒物混入事件に見られた諸問題について」
 ※筆者は弁護団の一員。「今回の事件での弁護団のマスコミへの対応とマスコミの姿勢について」の項あり(011頁)。「本件では、弁護団は前述のマスコミの姿勢もあって、国民全体からも被疑者と同様に敵視されるような状況があり、私個人としては、非常に辛い思いをしたというのが率直なところである。」(011頁)
『青年法律家』340号009-012頁 1999/04/25
 村田秋良・2001「政府の手先」
村田秋良(むらた・あきら/フィーチャープレス所属ライター。米ロサンゼルス在住)
「(米国テロと日本 10)米国政府の手先となったメディア」
『週刊金曜日』9巻45号(通巻397号)020-021頁 2001/11/23
 村田小青・2003「アルジャジーラ」
村田小青(むらた・こせい/ベルギー在住ジャーナリスト。1965年生まれ。中国・蘇州出身)
「「アラブのCNN」アルジャジーラの前途」
 ※ブリュッセルのアルジャジーラ支局のアフマド・カメル支局長へのインタビュー。
『世界週報』84巻19号(通巻4098号)034-035頁 2003/05/27
 室伏哲郎・1987「金日成」
室伏哲郎(評論家)
「《大マスコミには出ない「真相巷談」?日本人は自民党と心中しろ! (52)》金日成死亡デマ報道の構造・検証」
『マスコミ市民』220号010-015頁 1987/01/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<め>

 メディア総研・2001「アンケート」

メディア総合研究所ジャーナリズムプロジェクト
「放送局におけるジャーナリズム教育はいま:放送局員と放送局へのアンケート調査から」
 ※「放送局の社員教育・研修へのこれだけの疑問:放送現場からの声一挙掲載!」も含む。調査は2000年5月 -- 9月に実施。
『放送レポート』169号020-033頁 2001/03/01
 メディア総研・2003「個人情報」
メディア総合研究所
「データルーム/個人情報保護「修正法案」に対するメディア総合研究所の見解」
 ※2003年2月26日報道発表。
『放送レポート』182号070-071頁 2003/05/01
 メナール・2003「国境なき」
ロベール・メナール(Robert Menard/「国境なき記者団」事務局長)
「〔インタビュー記事〕ひと/来日した「国境なき記者団」事務局長/ロベール・メナールさん/「朝日新聞の小尻記者の事件が時効になったのは無念だ」」
 ※文:杉山麻里子。
『朝日新聞』朝刊 2003/03/27
<も>

 森下和生・1992「読売新聞」

森下和生(フリーライター)
「外国人労働者の治療費をめぐって:『読売新聞』の報道と人権」
 ※「不法滞在」のネパール人青年の心臓手術で。
『マスコミ市民』285号054-057頁 1992/08/01 
 森巣博・2002「極右」
森巣 博(もりす・ひろし/作家。オーストラリア在住)
「私の視点/政治家/「極右」と呼ぶ基準は何か」
 ※「ルペン氏やハイダー氏の率いる政党には「極右」の形容を必ずかぶせる日本のメディアは、しかし石原都知事のDNA発言をほとんど問題化してこなかった。」「マスコミによる言論誘導か。」
『朝日新聞』朝刊 2002/06/02
・森 達也(もり・たつや)

 森達也・2002「メディア」

森 達也(映画監督、テレビディレクター。1956年生まれ)
「週刊ノンフィクション劇場/オウムから見える日本 第4回/メディアの本質」
 ※「メディアの他律的傾向」の「本質的な変質」として、「煩悶や葛藤の消失」が生じてきている(049頁)
『週刊朝日』107巻46号(通巻4525号)046-050頁 2002/10/11
森達也・2003「モザイク」
森 達也(映画監督)《顔Ph有》
「ゼロサン時評/モザイクと晒される顔」
 ※「容疑者連行の際のテレビ映像で、手錠や腰縄がモザイクで隠されていることに不思議な思いをした人は多いと思う。」
『朝日新聞』朝刊 2003/06/25
 森&重松・2003「オウム報道」
森 達也(映画監督。1956年広島県生まれ)、
重松 清(しげまつ・きよし/作家。1963年岡山県生まれ)《顔Ph有》
「メディアはオウム報道の教訓を生かせたのか:タマちゃん、パナウェーブ、イラク戦争……」
 ※森氏への重松氏のインタビューを重松氏が書き起こしたもの。
『中央公論』第118年第8号(通巻1431号)210-219頁 2003/08/01
 森田浩之・2003「ケリー事件」
森田浩之(もりた・ひろゆき/政治経済学者。1996年から1998年までロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ哲学部留学。1966年生まれ)
「ワールド・ナウ/ケリー事件の真相とブレア政権の行方」
『世界週報』84巻33号(通巻4112号)048-050頁 2003/09/09
 森本英之・2004「談合事件」
森本英之(日本社会情報学会会員)
「「水道メーター談合事件」に及び腰のメディア」
 ※「みのもんた(御法川法男)氏が社長を務める株式会社「ニッコク」」が参加していた談合事件について。
『放送レポート』190号068-070頁 2004/09/01
 守屋克彦・2000「実名報道」  森瑶子・1987「取材される側」
森 瑶子(作家)
「(写真週刊誌とテレビに問う!?取材される側の証言)私の前の部屋のドアがいつも少し開いている。それがなんとなく変だと……。」
 ※1987年2月のシンポジウムでの発言から。文責編集部。
『放送レポート』86号009頁 1987/05/01
・門奈直樹(もんな・なおき)

 門奈直樹・1990「CPBF」

門奈直樹(立教大学社会学部教授)
「現代イギリスの新聞と放送の自由:市民運動“CPBF”十年の軌跡から」
 ※CPBF:キャンペーン・フォア・プレス・アンド・ブロードキャスティング・フリーダム。
『マスコミ市民』263号054-069頁 1990/07/01
 門奈直樹・1994「イギリス・1」
門奈直樹(立教大学教授/マス・コミュニケーション論)
「放送の「公平」「公正」を考える(1):イギリスの選挙報道 民放の選挙報道ガイドライン」
『放送レポート』128号018-022頁 1994/05/01
 門奈直樹・1994「イギリス・2」
門奈直樹(立教大学教授/マス・コミュニケーション論)
「放送の「公平」「公正」を考える(2):イギリス民放の「公平」「公正」論議」
『放送レポート』129号052-056頁 1994/07/01
 門奈直樹・1994「イギリス・4」
門奈直樹(立教大学教授/マス・コミュニケーション論)
「放送の「公平」「公正」を考える(4):テレビジャーナリズムの質とは何か/イギリスにおける議論から」
『放送レポート』131号031-035頁 1994/11/01
 門奈直樹・1995「イギリス・5」
門奈直樹(立教大学教授/マス・コミュニケーション論)
「放送の「公平」「公正」を考える(5/完):メディアの公共性とテレビジャーナリズムの質」
『放送レポート』131号045-049頁 1995/01/01
 門奈直樹・2002「中国のマスコミ」
門奈直樹(立教大学社会学部教授)
「中国のマスコミ・ジャーナリズム研究の現在」
 ※「本稿は、国際交流基金の要請で二〇〇一年三月から四か月半、北京外国語大学大学院日本学研究センター教授として滞在したときの知見をベースにして綴った中国のマスコミ・ジャーナリズム研究の概況報告である。」(045頁)
『書斎の窓』511号045-049頁 2002/02/01
 門奈直樹・2003「戦争報道」
門奈直樹(立教大教授(情報文化論))
「私の視点/メディア/戦争報道指針を作成せよ」
 ※「英国の放送局BBCは今月7日、「戦争報道の指針」を作成し、公表した。」
『朝日新聞』朝刊 2003/03/20
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<や行>

<や>

 八尾恵・1989「代用監獄」

八尾 恵(やお・めぐみ)
「代用監獄の22日間:「北の女スパイ」報道のウラで何が起こったか」
 ※民放労連主催「報道フォーラム89」での報告の要約。文責編集部。
『放送レポート』100号032-037頁 1989/09/01
※→2002年3月12日、八尾氏は留学生・有本恵子氏の失踪に関与したことを、赤木恵美子氏を被告人とする刑事裁判の公判で証言(東京地裁)。「「よど号」事件メンバーの」「元妻」の八尾氏は「88年、有印私文書偽造などの疑いで神奈川県警に逮捕された。この時「北朝鮮の工作員か」と報道されたことに強く反発。「北朝鮮に行ったこともない」として、マスコミを相手取った名誉棄損訴訟などを起こした。しかし数年後には、その主張がうそだったことを認めていた。」(2002.3.13『朝日新聞』朝刊「元妻 拉致の詳細45分証言」)。
※→八尾氏の著書:八尾恵・2002『謝罪』【報道】
・矢崎泰久(やざき・やすひさ)

 矢崎泰久・1998「立花隆」

矢崎泰久(やざき・やすひさ/ジャーナリスト)
「(「文春」「新潮」のここが間違っている)立花の「正常と異常の間」」
『週刊金曜日』6巻10号(通巻214号)025-027頁 1998/03/06
 矢崎泰久・2002「写真戯評・036」
矢崎泰久
「写真戯評 第36回」
 ※写真:立木義浩。
 ※猪瀬直樹氏の日本ペンクラブ言論表現委員会委員長としての活動や、『文学界』連載中の「心の王国」について。後者について、「これは明らかに私の伯母(母の姉)でもある佐藤みどりの小説『人間・菊池寛』(一九六一年新潮社刊)からの剽窃であり、盗作とも言える。」(043頁)
『週刊金曜日』10巻41号(通巻442号)043頁 2002/10/25
 安嶋彌・2002「ポルノ規制」
安嶋 彌(やすじま・ひさし/元総理府青少年局長)
「私の視点/ポルノ規制/陪審制で民意の反映も」
 ※「本来、ポルノに対する批判は世論なり市民運動なりによることが望ましいが、わが国ではこれが低調である。また、各地の青少年健全育成条例などもあまり実効を上げていない。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/27
・安田幸弘(やすだ・ゆきひろ)

 安田幸弘・2003「著作権」

安田幸弘(テクニカルライター)
「書評/「著作・特許権」の実態を明かす/『フリーソフトウエアと自由な社会』リチャード・ストールマン=著 (株)ロングテール 長尾高弘=訳 アスキー 3200円」
『週刊金曜日』11巻23号(通巻474号)043頁 2003/06/20
 安田幸弘・2003「ネットワーク」
安田幸弘(テクニカルライター)
「〔書評〕「インターネット革命」の新しい秩序/『ネットワーク社会の神話と現実』池田信夫=著 東洋経済新報社 1800円(税別)」
『週刊金曜日』11巻29号(通巻480号)037頁 2003/08/01
 矢野優・2003「石に泳ぐ魚」
矢野 優(新潮社出版部)
「編集室から/柳美里著『石に泳ぐ魚』一三〇〇円」
 ※2002年9月24日の最高裁「判決から間もない刊行を批判する声もある。だが、私たちは八年もの間、(いつでも可能だった)「改訂版」刊行を延期し続けたのだ。」(354頁)
『正論』367号354頁 2003/02/01
 山内敏弘・2002「規制法案」
山内敏弘(やまうち・としひろ/一橋大学教授。憲法学)
「私の視点/メディア/「規制法案」は違憲の疑い」
 ※「ところが、同法案は、表現の自由にかかわる領域でも、官に対する民の監視よりも民に対する官の規制を重視しているように見える。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/11
 山川洋一郎・2004「週刊文春」
山川洋一郎(やまかわ・よういちろう/弁護士)
「(緊急企画:「週刊文春」差止め事件)差止めの経緯と評価」
 ※「本件では、第三者にとっては、どうでもいい話を、仰々しく記事に仕立てた出版社のニュース価値の判断力がまず疑われる。」(091頁)
『法律時報』2004年6月号(76巻7号・通巻945号)085-091頁 2004/06/01
 山際永三・1996「小野悦男さん」
山際永三(やまぎわ・えいぞう/小野悦男さん救援会)
「(報道被害とマスメディアの謝罪)小野悦男さん報道/詭弁、すり替え、嘘を並べるメディアの論調」
浅野健一・1996『無責任』130-143頁 1996/12/10
<やまぐ>

・山口香津美(やまぐち・かつみ)

 山口香津美・1989「連続幼女」

山口香津美(放送記者)
「メディアの肥大化と想像力の奇形化:連続幼女誘拐殺人事件報道の内側から」
『マスコミ市民』255号002-010頁 1989/11/01
 山口香津美・1997「電視的日常・01」
山口香津美(ジャーナリスト)
「電視的日常 テレビ報道の現場から (1)/テレビ朝日系記者の制裁に血道をあげる国内メディア」
『週刊金曜日』5巻7号(通巻163号)020頁 1997/02/21
 山口香津美・1997「電視的日常・02」
山口香津美(ジャーナリスト)
「電視的日常 テレビ報道の現場から (2)/日テレの元巡査長「証言」ビデオ報道への「違和感」
『週刊金曜日』5巻9号(通巻165号)017頁 1997/03/07
 山口香津美・1997「電視的日常・03」
山口香津美(ジャーナリスト)
 「電視的日常 テレビ報道の現場から (3)/動燃職員の呟きまで聞こえるビデオが“隠蔽”記者会見を暴露」
『週刊金曜日』5巻11号(通巻167号)055頁 1997/03/21
 山口香津美・1997「電視的日常・05」
山口香津美(ジャーナリスト)
 「電視的日常 テレビ報道の現場から (5)/東電社員殺害事件に見るマスコミの卑しさ、情けなさ」
『週刊金曜日』5巻15号(通巻171号)052頁 1997/04/18
 山口香津美・1997「電視的日常・11」
山口香津美(ジャーナリスト)
「電視的日常 テレビ報道の現場から (11)/再び、神戸小学生殺人の報道をめぐって」
『週刊金曜日』5巻27号(通巻183号)024頁 1997/07/18
 山口香津美・1997「電視的日常・14」
山口香津美(ジャーナリスト)
「電視的日常 テレビ報道の現場から (14)/僕らは「パパラッチ」を他人事のように報じられるのか」
『週刊金曜日』5巻33号(通巻189号)021頁 1997/09/05
・山口俊明

 山口俊明・1987「時事通信」

山口俊明(時事通信記者)
「“休暇”を認めなかった時事通信と裁判所:一企業の都合を最優先させた“体制暴力”」
『マスコミ市民』229号062-067頁 1987/10/01
 山口俊明・1993「懲戒解雇」
山口俊明(元時事通信社記者)
「懲戒解雇処分に見る時事通信社の異常」
『マスコミ市民』297号014-019頁 1993/08/01
 山口俊明・1995「エルメディオ」
山口俊明(ジャーナリスト)
「(特集:相次ぐ廃刊、問われる雑誌ジャーナリズム)『エルメディオ』茶坊主どもが夢のあと:権力への迎合体質が生んだ悲喜劇」
『マスコミ市民』317号020-026頁 1995/04/01


・山口正紀(やまぐち・まさのり)

 山口正紀・1996「破防法」

山口正紀(人権と報道・連絡会世話人。読売新聞記者)
「(権力介入の危機)破防法報道/メディアが解いた破防法の封印」
浅野健一・1996『無責任』024-037頁 1996/12/10
 山口正紀・1997「メディア・002」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第2回/神戸事件<消えた情報・消えない疑問>」
『週刊金曜日』5巻32号(通巻188号)021頁 1997/08/29
 山口正紀・1997「メディア・003」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第3回/神戸事件<捜査チェックの姿勢はどこに>」
『週刊金曜日』5巻34号(通巻190号)021頁 1997/09/12
 山口正紀・1997「メディア・004」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第4回/メディアまるごとパパラッチ」
『週刊金曜日』5巻36号(通巻192号)045頁 1997/09/26
 山口正紀・1997「メディア・005」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第5回/遺族を追い討ちする事件被害者報道」
 ※新聞労連ジャーナリスト・トレーニング・センターの記者研修会から。
『週刊金曜日』5巻38号(通巻194号)029頁 1997/11/07
 山口正紀・1997「メディア・007」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第7回/二人の<報道冤罪>サバイバー」
 ※松本サリン報道とアトランタ五輪爆弾事件報道と。
『週刊金曜日』5巻42号(通巻198号)034頁 1997/11/07
 山口正紀・1997「メディア・008」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第8回/メディア総体を問う<報道被害者代表訴訟>」
 ※1996年5月のサンディエゴ事件報道で。
『週刊金曜日』5巻44号(通巻200号)045頁 1997/11/21
 山口正紀・1997「メディア・009」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第9回/メディアが決める?<夫婦別姓>」
 ※1997年11月エジプト・ルクソール観光客テロ事件報道で。
『週刊金曜日』5巻46号(通巻202号)059頁 1997/12/05
 山口正紀・1997「メディア・010」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第10回/もっと情報公開を! メディア欄の未来に」
『週刊金曜日』5巻48号(通巻204号)057頁 1997/12/19
 山口正紀・1998「メディア・011」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第11回/「通常の取材・報道」と伊丹監督の死」
『週刊金曜日』6巻2号(通巻206号)045頁 1998/01/16
 山口正紀・1998「メディア・012」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第12回/「令状の重みで実名報道」の虚構」
『週刊金曜日』6巻5号(通巻209号)026頁 1998/01/30
 山口正紀・1998「メディア・013」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第13回/事件報道と権力チェック」
『週刊金曜日』6巻7号(通巻211号)021頁 1998/02/13
 山口正紀・1998「メディア・014」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第14回/少年の供述調書掲載で「見えてきた」もの」
 ※神戸事件報道。
『週刊金曜日』6巻9号(通巻213号)045頁 1998/02/27
 山口正紀・1998「メディア・015」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第15回/「19歳実名」を批判する新聞の成人実名原則」
『週刊金曜日』6巻11号(通巻215号)026頁 1998/03/13
 山口正紀・1998「メディア・016」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第16回/「管理強化」を煽る少年事件「供述」報道」
『週刊金曜日』6巻13号(通巻217号)045頁 1998/03/27
 山口正紀・1998「メディア・017」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第17回/報道被害救済に独自の放送倫理規準を」
 ※サンディエゴ事件報道とBRCについて。
『週刊金曜日』6巻15号(通巻219号)017頁 1998/04/10
 山口正紀・1998「メディア・018」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第18回/甲山・長期裁判と冤罪加担の報道責任」
『週刊金曜日』6巻17号(通巻221号)030頁 1998/04/24
 山口正紀・1998「メディア・019」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第19回/事件の社会的背景に迫る取材・報道とは」
 ※道頓堀事件報道について。
『週刊金曜日』6巻19号(通巻223号)027頁 1998/05/15
 山口正紀・1998「メディア・020」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第20回/「メディア受け」を狙った情報社会の冤罪」
『週刊金曜日』6巻21号(通巻225号)054頁 1998/05/29
 山口正紀・1998「メディア・022」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第22回/報道は、大人だけのもんじゃない」
『週刊金曜日』6巻25号(通巻229号)027頁 1998/06/26
 山口正紀・1998「メディア・023」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第23回 特別版(三浦裁判「逆転無罪」の意味)「疑惑報道」への「有罪判決」」
『週刊金曜日』6巻27号(通巻231号)020-021頁 1998/07/10
 山口正紀・1998「メディア・024」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第24回/「ロス銃撃」上告の矛盾を伝えない報道」
『週刊金曜日』6巻29号(通巻233号)030頁 1998/07/24
 山口正紀・1998「メディア・025」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第25回/家宅捜索で容疑を断定するリーク報道」
 ※「玄米酵素・報道被害訴訟」について。
『週刊金曜日』6巻31号(通巻235号)051頁 1998/08/07
 山口正紀・1998「メディア・026」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第26回/人権侵害報道と新聞記者の人権状況」
『週刊金曜日』6巻33号(通巻237号)060頁 1998/08/28
 山口正紀・1998「メディア・028」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第28回/<疑惑情報の毒物>をばらまいた『朝日新聞』」
 ※カレー毒物混入事件報道について。
『週刊金曜日』6巻37号(通巻241号)020頁 1998/09/25
 山口正紀・1998「メディア・029」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第29回/<ハイジャッカー>と冤罪・報道を考える」
 ※1996年「タイ・偽米ドル事件」について。
『週刊金曜日』6巻39号(通巻243号)027頁 1998/10/09
 山口正紀・1998「メディア・030」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第30回 特別版/別件逮捕・本件犯人視の和歌山事件報道」
『週刊金曜日』6巻40号(通巻244号)026-027頁 1998/10/16
 山口正紀・1998「メディア・031」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第31回/葬儀の無断撮影・掲載は許されない」
 ※1996年サンディエゴ事件報道訴訟で東京地裁判決。
『週刊金曜日』6巻43号(通巻247号)024頁 1998/11/06
 山口正紀・1998「メディア・032」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第32回/「黙秘権非難・弁護団敵視」報道の怖さ」
 ※和歌山市毒入りカレー事件にて。
『週刊金曜日』6巻45号(通巻249号)054頁 1998/11/20
 山口正紀・1999「メディア・034」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第34回/「権力のための番犬」のニュース価値観」
 ※『読売新聞』読者投票・国内10大ニュースから。
『週刊金曜日』7巻1号(通巻255号)021頁 1999/01/15
 山口正紀・1999「メディア・035」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第35回/「ささいなミス」が生む大きな報道被害」
 ※人権と報道連絡会主催「第14回人権と報道を考えるシンポジウム」にて。
『週刊金曜日』7巻3号(通巻257号)029頁 1999/01/29
 山口正紀・1999「メディア・037」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第37回/報道評議会設立へ新聞協会は決断を」
『週刊金曜日』7巻7号(通巻261号)052頁 1999/02/26
 山口正紀・1999「メディア・039」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第39回/問題すり替えの『テレ朝』バッシング」 ※所沢ダイオキシン報道で。
『週刊金曜日』7巻11号(通巻265号)044頁 1999/03/26
 山口正紀・1999「メディア・041」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第41回/過ちの自覚ない「脳死移植」検証報道」
『週刊金曜日』7巻15号(通巻269号)029頁 1999/04/23
 山口正紀・1999「メディア・043」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第43回/誤報の検証を迫る「道頓堀事件」無罪判決」
『週刊金曜日』7巻20号(通巻274号)031頁 1999/05/28
 山口正紀・1999「メディア・044」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第44回/「盗聴法」容認はメディアの自殺行為だ」
『週刊金曜日』7巻22号(通巻276号)019頁 1999/06/11
 山口正紀・1999「メディア・045」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第45回/「被害者基本法」報道に報道被害の視点を」
『週刊金曜日』7巻24号(通巻278号)019頁 1999/06/25
 山口正紀・1999「メディア・046」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第46回/報道被害者を失望させるBRCの欠陥」
『週刊金曜日』7巻26号(通巻280号)019頁 1999/07/09
 山口正紀・1999「メディア・048」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第48回/思いこみが歪めた「道頓堀事件」判決報道」
『週刊金曜日』7巻30号(通巻284号)023頁 1999/08/06
 山口正紀・1999「メディア・049」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第49回/ハイジャック事件、実名報道の没主体性」
『週刊金曜日』7巻32号(通巻286号)023頁 1999/08/27
 山口正紀・1999「メディア・050」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第50回/“根腐れ”は神奈川県警だけじゃない」
『週刊金曜日』7巻36号(通巻290号)019頁 1999/09/24
 山口正紀・1999「メディア・052」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第52回/メディアがふれない「甲山」の報道責任」
 ※「甲山事件」大阪高裁無罪判決で。
『週刊金曜日』7巻40号(通巻294号)021頁 1999/10/22
 山口正紀・1999「メディア・053」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第53回/メディアの国家管理に動き始めた自民党」
 ※日弁連第42回人権擁護大会から
『週刊金曜日』7巻43号(通巻297号)026頁 1999/11/05
 山口正紀・1999「メディア・054」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第54回/マスメディアは実名報道原則を見直せ」
 ※日弁連第42回人権擁護大会から
『週刊金曜日』7巻45号(通巻299号)025頁 1999/11/19
 山口正紀・1999「メディア・056」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第56回/「歪んだ母性」報道を超えた母たちの叫び」
『週刊金曜日』7巻49号(通巻303号)033頁 1999/12/17
 山口正紀・2000「メディア・060」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第60回/「犯人よりも怖い」無神経な取材・報道」
『週刊金曜日』8巻7号(通巻311号)033頁 2000/02/25
 山口正紀・2000「メディア・061」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第61回/「逮捕=実名」で<報道リンチ>に加わる新聞」
『週刊金曜日』8巻9号(通巻313号)021頁 2000/03/10
 山口正紀・2000「メディア・062」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第62回/桶川の刺殺事件/悩み考える地元紙記者」
 ※『埼玉新聞』労組真剣部の学習会にて。
『週刊金曜日』8巻11号(通巻315号)021頁 2000/03/24
 山口正紀・2000「メディア・064」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第64回/「少年実名容認」判決/マスコミは制裁機関か」
 ※『新潮45』の少年実名報道訴訟高裁判決で。
『週刊金曜日』8巻13号(通巻317号)021頁 2000/04/07
 山口正紀・2000「メディア・066」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第66回/少年事件と実名/「常識」超える深い思考を」
 ※『新潮45』の少年実名報道訴訟高裁判決で。
『週刊金曜日』8巻15号(通巻319号)031頁 2000/04/21
 山口正紀・2000「メディア・068」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第68回/「サツ回り」記者/新人教育も見直し必要」
『週刊金曜日』8巻17号(通巻321号)019頁 2000/05/12
 山口正紀・2000「メディア・074」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第74回/報道と精神科医/偏見煽る診察抜き「談話」」
『週刊金曜日』8巻23号(通巻327号)058頁 2000/06/23
 山口正紀・2000「メディア・076」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第76回/新「新聞倫理綱領」/実践支える制度改革を」
『週刊金曜日』8巻25号(通巻329号)074頁 2000/07/07
 山口正紀・2000「メディア・080」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第80回/サンディエゴ事件/現地紙引用にも報道責任」
 ※『週刊新潮』報道訴訟判決で。
『週刊金曜日』8巻29号(通巻333号)034頁 2000/08/04
 山口正紀・2000「メディア・082」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第82回/個人情報保護と報道/権力の規制防ぐ改革を」
『週刊金曜日』8巻31号(通巻335号)033頁 2000/08/25
 山口正紀・2000「メディア・086」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第86回/京都・日野小事件/地域を壊す<取材被害>」
 ※1999年12月の小二児童殺害事件報道。
『週刊金曜日』8巻35号(通巻339号)031頁 2000/09/22
 山口正紀・2000「メディア・090」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第90回/警察の不祥事報道/転換迫られる取材姿勢」
 ※新聞労連ジャーナリスト・トレーニング・センターにて。
『週刊金曜日』8巻39号(通巻343号)009頁 2000/10/20
 山口正紀・2000「メディア・092」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第92回/警察取材と若手記者/悩みのなかに報道改革の灯」
 ※新聞労連ジャーナリスト・トレーニング・センターにて。
『週刊金曜日』8巻41号(通巻345号)072頁 2000/11/03
 山口正紀・2000「メディア・096」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第96回/『毎日』の紙面検討委/問われる報道被害への認識」
『週刊金曜日』8巻45号(通巻349号)029頁 2000/12/01
 山口正紀・2000「メディア・098」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第98回/人権審「救済機関」/権力と報道の一体化を問え」
『週刊金曜日』8巻47号(通巻351号)044頁 2000/12/15
 山口正紀・2001「メディア・099」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第99回/少年事件と法「改正」/立ち直りを支える報道を」
『週刊金曜日』9巻1号(通巻353号)028頁 2001/01/12
 山口正紀・2001「メディア・101」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第101回/大荒れ成人式報道/逮捕=実名は大人の仕事?」
『週刊金曜日』9巻3号(通巻355号)030頁 2001/01/26
 山口正紀・2001「メディア・103」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第103回/「人権救済機関」問題/説得力欠く新聞協会意見書」
『週刊金曜日』9巻5号(通巻357号)030頁 2001/02/09
 山口正紀・2001「メディア・105」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第105回/新聞の実名報道/ホームページが被害増幅」
『週刊金曜日』9巻7号(通巻359号)030頁 2001/02/23
 山口正紀・2001「メディア・107」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第107回/日弁連の人権機関構想/決断を迫られるメディア」
『週刊金曜日』9巻9号(通巻361号)031頁 2001/03/09
 山口正紀・2001「メディア・111」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第111回/データベースの報道被害/誤報訂正はだれの仕事か」
『週刊金曜日』9巻13号(通巻365号)066頁 2001/04/06
 山口正紀・2001「メディア・113」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第113回/映画『日本の黒い夏 冤罪』/見えてこない誤報の構造」
『週刊金曜日』9巻15号(通巻367号)026頁 2001/04/20
 山口正紀・2001「メディア・119」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第119回/人権擁護推進審の答申/どう防ぐ報道への権力介入」
『週刊金曜日』9巻22号(通巻374号)058頁 2001/06/15
 山口正紀・2001「メディア・121」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第121回/大阪・児童殺傷事件/冷静な議論封じ込める報道」
『週刊金曜日』9巻24号(通巻376号)059頁 2001/06/29
 山口正紀・2001「メディア・129」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第129回/『FOCUS』廃刊/いじめ・のぞき写真の敗北」
『週刊金曜日』9巻32号(通巻384号)059頁 2001/08/31
 山口正紀・2001「メディア・131」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第131回/仙台筋弛緩剤事件/捜査監視報道の芽を摘む」
 ※『毎日新聞』7.17付「メディア」欄での田島泰彦氏のコメントへの批判。
『週刊金曜日』9巻第34号(通巻386号)059頁 2001/09/14
 山口正紀・2001「メディア・133」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
 「人権とメディア 第133回/大阪・児童殺傷事件/精神病歴報道が残したもの」
 ※大阪教育大付属池田小学校事件報道による報道被害についての全国精神障害者家族会連合会の調査など。
『週刊金曜日』9巻第36号(通巻388号)018頁 2001/09/28
 山口正紀・2001「メディア・135」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第135回/米「テロ報復戦争」報道/権力側情報を見直す視点を」
 ※非交戦国に日本が派兵した「…シベリア出兵では、当時の有力紙誌が出兵反対の論陣を張った。」
 ※「権力側の見解だけを増幅して流す。そんな主流メディアの中で、『毎日』「記者の目」欄の署名記事が光る。」(022頁)
『週刊金曜日』9巻38号(通巻390号)022頁 2001/10/12
 山口正紀・2001「メディア・137」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第137回/米「テロ報復戦争」報道/<過去>を繰り返さないために」
 ※「米の「テロ報復」戦争、日本の参戦への疑問は無数にあ留。メディアにはそれを提示する義務がある。」(011頁)
『週刊金曜日』9巻41号(通巻393号)011頁 2001/10/26
 山口正紀・2001「メディア・139」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第139回/犯罪被害者の人権と報道/報復・対立から<癒しと和解>へ」
 ※人権と報道・連絡会主催の「事件被害者の人権と報道」を考えるシンポジウム(2001年10月27日)について。
『週刊金曜日』9巻43号(通巻395号)048頁 2001/11/09
 山口正紀・2001「道連れ自爆」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「(米国テロと日本 10)“道連れ自爆”する新聞:なぜ戦争反対といえないのか」
 ※「権力情報を鵜呑みに「犯人」と断定する報道。事件の背景を探らず、伝えず、被害の悲惨さを強調し、凶悪な「加害者」を断罪して、報復感情を煽る報道。、米テロ報復戦争報道は、まさに事件報道のパターンそっくりだ。」(017頁)
『週刊金曜日』9巻45号(通巻397号)016-017頁 2001/11/23
 山口正紀・2002「メディア・146」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
 「人権とメディア 第146回/集団的過熱取材/根本原因不問の業界対応策」
 ※日本新聞協会編集委員会と日本民間放送連盟が2001年12月にまとめた対応策について。※→資料集「報道」
『週刊金曜日』10巻2号(通巻403号)009頁 2002/01/18
 山口正紀・2002「メディア・150」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第150回/「9・11」と報道の危機/専門記者はどこに消えたか」
 ※米軍の報復攻撃開始に対する社説について、「ブッシュの主張鵜呑み。テロの背景や米世界戦略に対する分析・検討ゼロ。他紙も同様だったのだろう。驚くべき知的怠慢だ。どの社も、論説委員会に国際報道の専門記者はいなかったのか。」
『週刊金曜日』10巻6号(通巻407号)033頁 2002/02/15
 山口正紀・2002「メディア・152」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第152回/『新潮45』の恵庭事件報道/小説と混同した犯人断定記事」
 ※同誌2002年2月号掲載の上條昌史「恵庭美人OL社内恋愛殺人事件」について。「上條氏は被告の支援団体のメンバーに取材している。」「冤罪解明を期待させた支援団体への取材協力依頼書は、記事と同様のフィクションだ。」(075頁)
『週刊金曜日』10巻8号(通巻409号)075頁 2002/03/01
※→『新潮45』編集長の弁:中瀬ゆかり・2002「新潮45」
※→続編が、山口正紀・2002「メディア・158」
 山口正紀・2002「メディア・154」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第154回/外相更迭・外務省報道/新聞もスカートを踏んできた」
 ※「機密費横領、水増し詐欺、組織的な不正裏金作りとその私的流用、そして今回明るみに出つつある「鈴木疑惑」。それらを歴代外相は黙認・看過してきた。権力をチェックすべきメディアも右に同じ。」(045頁)
『週刊金曜日』10巻10号(通巻411号)045頁 2002/03/15
 山口正紀・2002「メディア・156」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第156回/帝京大事件報道訴訟/BRCの存在意義を問う判決」
 ※2002年2月27日・東京高裁での控訴審判決について。BRCは1999年3月に救済を拒否していた。
『週刊金曜日』10巻12号(通巻413号)042頁 2002/03/29
 山口正紀・2002「メディア・158」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第158回/『新潮45』の恵庭事件報道/支援者の抗議に鉄面皮な回答」
 ※同誌2002年2月号掲載の上條昌史「恵庭美人OL社内恋愛殺人事件」について、山口正紀・2002「メディア・152」の続き。
 ※「被告Oさんを「支援する会」(多田律子代表)は三月五日、同誌編集長と上條氏に謝罪訂正を求める申し入れ書を送った。」(009頁)その後の3月8日付の上條氏と若杉良作名の編集部の二つの回答について。
『週刊金曜日』10巻14号(通巻415号)009頁 2002/04/12
 山口正紀・2002「メディア・162」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第162回/憲法記念日の社説から/九条を蝕む「一条のタブー」」
『週刊金曜日』10巻18号(通巻419号)021頁 2002/05/17
 山口正紀・2002「メディア・164」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第164回/メディア規制法案/スリカエ容認の読売修正案」
『週刊金曜日』10巻20号(通巻421号)059頁 2002/05/31
 山口正紀・2002「メディア・168」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人、読売新聞記者)
「人権とメディア 第168回/「日工」不当解雇訴訟/<産経残酷物語>に否!の判決」
 ※産経グループの日本工業新聞社(日工)による「反リストラ産経労」委員長解雇事件で2002年5月31日に東京地裁判決。産経側は控訴。
『週刊金曜日』10巻25号(通巻426号)059頁 2002/06/28
 山口正紀・2002「メディア・170」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞記者)
「人権とメディア 第170回/和歌山毒カレー事件/「捜査協力者」になった報道機関」
 ※県警は関連放送をビデオ録画し、検察はそれらから編集されたビデオを証拠申請した。
『週刊金曜日』10巻27号(通巻428号)027頁 2002/07/12
 山口正紀・2002「メディア・172」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞記者)
「人権とメディア 第172回/人権擁護法案と国連の懸念/自戒すべきは、犯人視報道」
 ※2002年7月10日付『朝日新聞』朝刊、12日付『毎日新聞』朝刊の「社説」への批判。
『週刊金曜日』10巻29号(通巻430号059頁 2002/07/26
 山口正紀・2002「メディア・174」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞記者)
「人権とメディア(174)/メディア規制と報道被害/「報道の自由」をかざす前に」
『週刊金曜日』10巻32号(通巻433号)045頁 2002/08/23
 山口正紀・2002「メディア・176」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞記者)
「人権とメディア(176)/「日朝交渉」報道/問うべきは日本の侵略責任」
『週刊金曜日』10巻34号(通巻435号)064頁 2002/09/06
 山口正紀・2002「メディア・180」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞記者)
「人権とメディア(180)/和歌山毒カレー事件/裁判報道にも続く「犯人視」」
 ※2002年9月18日・和歌山地裁での弁護側最終弁論報道について。
『週刊金曜日』10巻38号(通巻439号)034頁 2002/10/04
 山口正紀・2002「メディア・190」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞記者)
「人権とメディア(190)/「拉致」報道とバッシング/翼賛メディアの報道統制だ」
 ※「本誌の曽我さん家族インタビュー」に対するメディア一斉のすさまじいバッシングは、こんな状況の中で起きた。私自身は後述する疑問一点を除いて、このインタビュー報道と編集部の「私たちはなぜ掲載したのか」の説明を全面的に支持する。」(022頁)
『週刊金曜日』10巻49号(通巻450号)022頁 2002/12/13
 山口正紀・2003「メディア・191」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞記者)
「人権とメディア(191)/日朝交渉と拉致報道/植民地支配への沈黙を問う」
 ※2002年12月14日開催の「植民地支配の責任を問う! 「9・17」を語り在日朝鮮人の再生を目指して --- 12・14集会」から。
『週刊金曜日』11巻1号(通巻452号)063頁 2003/01/10
 山口正紀・2003「メディア・193」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞記者)
「人権とメディア(193)/「日朝交渉」報道/外部の圧力で「記者職」剥奪」
 ※「私は一〇年前、「ロス疑惑」報道批判と三浦和義さん支援に対する懲罰人事で、取材部門をはずされ、記事を書けなくなった。」「今月末で「編集記者職」を解かれ、「営業渉外職」に職種変更される。」(051頁)
『週刊金曜日』11巻3号(通巻454号)051頁 2003/01/24
※その後:山口正紀・2003「メディア・197」
※→2003年3月21日付掲載:楢崎憲二・2003「肩書き」が反論。
 山口正紀・2003「メディア・195」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
「人権とメディア(195)/拉致報道と植民地支配/<被害者の立場>の二重基準」
 ※「だが、容易には<被害者の立場>に立たない場合もある。自分自身の加害性が問われるときだ。」(034頁)
『週刊金曜日』11巻5号(通巻456号)034頁 2003/02/07
 山口正紀・2003「メディア・197」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
「人権とメディア(197)/記者の「言論の自由」/新聞にも情報公開が必要だ」
 ※「異動は通告通りに発令され、二月一日から私の職種は営業渉外職」となった。」(044頁)
『週刊金曜日』11巻7号(通巻458号)044頁 2003/02/21
※この前:山口正紀・2003「メディア・193」
 山口正紀・2003「メディア・199」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
 「人権とメディア(199)/桶川事件国賠訴訟/メディアにも〈自省〉が必要だ」
 ※2003年2月26日・さいたま地裁判決について。
『週刊金曜日』11巻9号(通巻460号)034頁 2003/03/07
 山口正紀・2003「メディア・202」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
「人権とメディア(202)/教育基本法「改正」答申/危険性を伝えない新聞報道」
 ※キーワード:中教審(中央教育審議会)、子どもの権利条約。
『週刊金曜日』11巻13号(通巻464号)073頁 2003/04/04
 山口正紀・2003「メディア・204」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
「人権とメディア(204)/「恵庭OL殺人」事件/「可能性」の積み重ねで有罪判決」
 ※2003年3月26日札幌地裁判決。
『週刊金曜日』11巻15号(通巻466号)056頁 2003/04/18
 山口正紀・2003「メディア・208」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
「人権とメディア(208)/「三浦さん万引き」報道/冤罪被害者への理不尽な攻撃」
 ※2003年5月「七日夕、三浦和義さんが都内の書店で「雑誌を万引きした」として逮捕された「事件」」報道について(055頁)。「三浦さんは、その事情を釈放後、自分のホームページに次のように詳しく書いている。」(055頁)
『週刊金曜日』11巻19号(通巻470号)055頁 2003/05/23
 山口正紀・2003「メディア・212」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
「人権とメディア(212)/有事=戦時三法成立/「大政翼賛」の道を歩む大新聞」
『週刊金曜日』11巻23号(通巻474号)056頁 2003/06/20
 山口正紀・2003「メディア・217」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞記者)
 「人権とメディア(217)/新聞労連・JTC/ジャーナリズムを死なせない」
 ※2003年7月下旬開催の新聞労連第16回JTC(ジャーナリスト・トレーニング・センター)記者研修会について。
『週刊金曜日』11巻29号(通巻480号)023頁 2003/08/01
 山口正紀・2003「メディア・221」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
「人権とメディア(221)/万景峰号バッシング/震災80周年、蘇る虐殺の構造」
『週刊金曜日』11巻33号(通巻484号)026頁 2003/09/05
 山口正紀・2003「メディア・223」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
「人権とメディア(223)/ブッシュの戦争/大メディアが伝えなかったこと」
『週刊金曜日』11巻35号(通巻486号)057頁 2003/09/19
 山口正紀・2003「メディア・225」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
「人権とメディア(225)/司法改革と報道/自主規制の制度づくりを急げ」
 ※「私の参加する「人権と報道・連絡会」は九月二六日、「公正な裁判とメディア報道」をテーマに「第一九回人権と報道を考えるシンポジウム」を開いた。」(055頁)
『週刊金曜日』11巻37号(通巻488号)055頁 2003/10/03
 山口正紀・2003「メディア・227」
山口正紀(「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞社勤務)
「人権とメディア(227)/長崎「男児殺害」事件/家裁決定が問う報道のあり方」
『週刊金曜日』11巻39号(通巻490号)057頁 2003/10/17


<やまし>

・山下幸夫(やました・ゆきお)

 山下幸夫・1999「盗聴法」

山下幸夫(弁護士)
「盗聴法(組織的犯罪対策三法案)をめぐる情勢とマスコミの対応について」
『マスコミ市民』368号002-008頁 1999/08/15
 山下幸夫・2000「BRO」
山下幸夫(弁護士)
 「(メディアの犯罪/報道被害→責任の取り方、取らせ方)「権利侵害」認めぬBRO」
 ※サンディエゴ事件の担当弁護士による。
『週刊金曜日』8巻10号(通巻314号)018-019頁 2000/03/17
・山田一彦(やまだ・かずひこ)

 山田一彦・2001「NHK」

山田一彦(軍事力に依らない平和とメディアチェックを考える会)
「(米国テロと日本・5)“同盟国”日本の貢献を宣伝するNHKのアブナイ報道姿勢」
『週刊金曜日』9巻39号(通巻391号)022-024頁 2001/10/19
 山田一彦・2002「世論調査」
山田一彦(軍事力に依らない平和とメディアチェックを考える会)
「“世論調査”は世論操作:憲法アンケートのトリック」
 ※NHKが2002年3月に実施した憲法意識調査について、「憲法改“正”(改憲)への誘導性を」検証する(054頁)。
『週刊金曜日』10巻20号(通巻421号)054-055頁 2002/05/31
<やまな>

 山中登志子・2001「報道機関」

山中登志子(やまなか・としこ/編集部)
 「(続々おかしな「三田佳子報道」)金曜芸能/報道機関自らルールづくりはできるのか?」
『週刊金曜日』9巻11号(通巻363号)016-017頁 2001/03/23
<やまだ>

・山田健太(やまだ・けんた)

 山田健太・1997「スウェーデン」

山田健太(やまだ・けんた/日本新聞協会開発部副主管、青山学院大学講師)
「(表現の自由論の現況)表現の自由の現況−スウェーデン」
『ジュリスト増刊/メディア』247-252頁。 1997/06/25
 山田健太・1998「オーストラリア」  山田眞也・1999「被害者保護」
山田眞也(判事。千葉県。64歳)
「〔投書欄〕声/被害者保護の新たな立法を」
 ※「被害者の」「傷口に塩を擦り込んではばからない類の、メディアの無法」について。
『朝日新聞』朝刊 1999/12/06
 山田&佐藤・2001「報道検証機関」
山田哲夫( やまだ・てつお/東京新聞編集局次長兼社会部長)、
佐藤公正(さとう・きみまさ/朝日新聞報道と人権委員会事務局長)、
朝比奈豊(あさひな・ゆたか/毎日新聞編集局次長)
「(特集:言論・表現の自由の転機:「個人情報保護法案」とメディア)座談会:報道検証機関をなぜ設置したのか」
 ※司会:編集部・岡本厚。
『世界』693号137-143頁 2001/10/01
<やまも>

 山本栄一・2003「向こうが」

山本栄一(やまもと・えいいち/元読売新聞社編集委員。1929年栃木県生まれ)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕向こうが「もうやめてくれ」というまで戦うしかない」
 ※『週刊新潮』1980年7月17日号に「「チョモランマ登山隊『文化財泥棒』の現物」なる虚偽記事が掲載されたことがある。私は当時、この登山に報道担当として関係しており、即座に厳重抗議した」(061頁)。
第三文明・2003『週刊誌』 【報道】061頁 2003/
 山本邦晴・1996「官報接待」
山本邦晴(やまもと・くにはる/通信社記者)
「(権力介入の危機)官報接待問題/顧みて他を言え:官官接待を批判できる資格」
浅野健一・1996『無責任』060-074頁 1996/12/10
・山本順一(やまもと・じゅんいち)

 山本順一・2003「図書館・03」

山本順一(筑波大学図書館情報学系教授)
「図書館のいま --- 市民生活と図書館(3)/イラク戦争と“市民の図書館”」
 ※アメリカの合衆国愛国者法(法律107-56号)による図書館利用者情報収集について。
『書斎の窓』525号022-025頁 2003/06/01
 山本順一・2003「図書館・05」
山本順一(筑波大学図書館情報学系教授)
「図書館のいま --- 市民生活と図書館(5/完)/アメリカ合衆国対アメリカ図書館協会事件」
 ※「インターネット環境における児童の保護に関する法律(法律一〇六−五五四二号)」を合憲とした2003年6月23日・アメリカ連邦最高裁判決について。
『書斎の窓』527号030-033頁 2003/09/01
 山本武二・1988「政治部記者」
山本武二
「マスコミ現場から/政治部記者の取材と生活」
『マスコミ市民』237号50-57頁 1988/06/01
 山了吉・2003「個人情報」
山 了吉(やま・りょうきち/日本雑誌協会個人情報・人権等プロジェクトチーム座長)
「私の視点/個人情報保護/雑誌封じの意図感じる」
『朝日新聞』朝刊 2003/04/16
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<ゆ>

 湯浅俊彦・2001「芸能マスコミ」

湯浅俊彦(ゆあさ・としひこ/出版メディア研究家)
「(第3部 芸能人とプライバシー/第10章)芸能マスコミと出版・販売の自由」
青弓社・2001『プライバシー』217-232頁 2001/02/10
 湯川鶴章・2002「うそ」
湯川鶴章(時事通信編集委員)
「技術革命最前線(85)/マスコミをだますインターネット上の“うそ”」
 ※「やゆよ」氏による痛みの新単位「hanage」や、ジョーイ・スキャグス氏による「遊園地型の霊園の建設計画」など。
『世界週報』83巻22号(通巻4051号)046-047頁 2002/06/11
 湯川憲比古・1987「テレビ」
湯川憲比古(子どものテレビの会会員)
「だんだんおかしくなるテレビにいま必要なもの」
 ※ビートたけし事件、北島三郎事件など。
『放送レポート』85号016-017頁 1987/03/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<よ>

 用語問題・2002「差別用語・40」

用語問題取材班
「マスコミ界「差別用語」最前線(40)/「オカマ」は差別か 『週刊金曜日』が揺れた六カ月」
『放送レポート』177号036-042頁 2002/07/01
 葉千栄・2002「香港雑誌」
葉 千栄(よう・せんえい/東海大学外国語教育センター助教授)
「葉千栄のとっておきアジアの話 連載・32/香港の雑誌からメディアのあり方を考える」
 ※2002年10月30日発売の芸能週刊誌『東周刊』による女優・劉嘉玲(カリーナ・ラウ)の写真掲載とその後について。
『クロスロード』39巻445号070-071頁 2002/12/15
 吉井英勝・2002「個人情報保護法案」
吉井英勝(よしい・ひでかつ/共産党代議士。比例近畿ブロック。共産党国会対策副委員長。59歳)
「〔インタビュー記事〕どうする個人情報保護法案 (中)/国民の知る権利を侵す」
 ※聞き手:鮫島浩。 
 ※読売試案について、「基本原則の一部をいじるだけの内容で論外。むしろ大きな問題は、首相や閣僚が読売案に飛びつき、実質審議に入る前に修正を口にしていることだ。」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/17
 吉岡忍・2002「個人の内面」
吉岡 忍(ノンフィクション作家。53歳)
「〔インタビュー記事〕焦点 個人情報保護法案とメディア/個人の内面管理する発想/作家の吉岡忍さんに聞く/個別法制定し分散型で」
 ※聞き手:企画報道室・南島信也、論説委員・藤森研。
 ※「当事者同士で話し合うことが大事だと思う。僕はそうしてきた。」
『朝日新聞』朝刊 2002/03/22
・吉田 司(よしだ・つかさ)

 吉田司・2002「個人情報」

吉田 司(フリーライター)
「〔インタビュー記事〕この人/国家や行政にこそ規制が必要だ/吉田司さん 個人情報保護法案反対デモ呼び掛け(山形市出身)」
『山形新聞』朝刊 2002/04/16
 吉田司・2002「個人情報保護」
吉田 司(ノンフィクション作家。「個人情報保護法案拒否! 共同アピールの会」メンバー)
 「〔インタビュー記事〕個人情報保護法案 高まる議論/危機感胸に逆提案/国会 まるで「学級崩壊」」
『朝日新聞』朝刊 2002/05/31
 吉田望・2003「視聴率」
吉田 望(よしだ・のぞむ/メディアコンサルタント・ノゾムドットネット社長)《顔Ph有》
「私の視点/視聴率「買収」工作/番組のCM化見直し必要」
『朝日新聞』朝刊 2003/11/01
 吉田ルイ子・1997「オンブズマン」
吉田ルイ子(よしだ・るいこ /フォト・ジャーナリスト)
「(メディアとプライバシー)裁くのは誰だ!? 異論・反論パパラッチ/マスコミと市民による自発的なオンブズマンシステムを」
『週刊金曜日』5巻37号(通巻193号)015頁 1997/10/03
・吉見 顕

 吉見顕・2001「一個人」

吉見 顕(大学院生)
「「投書/一個人の小さな訴えにも耳を傾けてほしい」
 ※朝日放送「探偵!ナイトスクープ」出演の際の被害体験と「人権と報道・関西の会」の対応と。
『週刊金曜日』9巻33号(通巻385号)080頁 2001/09/07
 吉見顕・2001「やらせ」
吉見 顕(大学院生)
「論争/「やらせ」番組を公認してはどうか」
『週刊金曜日』9巻45号(通巻397号)064頁 2001/11/23
 吉村良夫・1998「政治家」
吉村良夫(よしむら・よしお/美術評論家連盟会員。フランス在住)
「(報道加害大国日本/マスコミにこそPL法を)フランスの場合/政治家がらみの訴訟が多発」
『週刊金曜日』6巻46号(通巻250号)012-013頁 1998/11/27
 読売テレビ・1991「報道被害」
読売テレビ(制作・著作)
「(テレビ・ドキュメンタリー台本)ドキュメント'90/証言 報道被害:マスメディアに傷つけられた人々」
 ※1990年5月、11月放映。
『放送レポート』109号030-042頁 1991/03/01
 四茂野修・1997「世界」
四茂野修(JR東労組情宣部長)
「『世界』よ! お前もか!:警察の情報操作に踊るジャーナリズム」
 ※『世界』1996年12月号の記事に。
『マスコミ市民』338号077-081頁 1997/01/01
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<ら行>

<り>

 服部ゼミ・1998「ペルー人質」

立教大学社会学部服部ゼミ
「朝日・毎日・読売三紙にみるペルー人質事件報道の検証」
『放送レポート』152号028-034頁 1998/05/01
 ※服部孝章氏のゼミ。
 服部研・1999「番組基準」  琉球朝日放送・2002「告発」
琉球朝日放送(制作・著作)
「テレビ・ドキュメンタリー台本/告発:外務省機密漏洩事件から30年・今語られる真実(沖縄復帰30周年記念特別番組)」
 ※2002年5月15日放映。
 ※【行政】かなとも思いましたが、密約を報じた西山太吉氏(当時毎日新聞政治部記者)に敬意を表すべくこちらへ。
『放送レポート』178号042-056頁 2002/09/01
<れ>

 冷泉彰彦・2003「米メディア」

冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ/著述業。米ニュージャージー州在住。1958年生まれ)
「アメリカの深層を読む 第4回/迷走する米メディア」
『論座』97号122-127頁 2003/06/01
 レッシグ・2003「著作権」
ローレンス・レッシグ(スタンフォード大教授)
「〔インタビュー記事〕「著作権拡大は創造性殺す」/『コモンズ』の著者レッシグ氏に聞く」
 ※聞き手:村山正司。『コモンズ』は山形浩生訳、翔泳社刊。同氏は「11日まで訳5カ月間、東大に客員教授として招かれている」。
『朝日新聞』朝刊 2003/01/10
※→『コモンズ』の書評:二木麻里・2003「コモンズ」【報道】
先頭へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
目録目次へ

<わ行>

<わ>

 Y・1988「警察発表」


「警察発表」 ※日本赤軍の偽造旅券取得事件で。
『マスコミ市民』232号062頁 1988/01/01
・若林盛亮

 若林盛亮・1988「国民の運命」

若林盛亮(『日本を考える』編集委員会)
「《投稿》記者の後ろには国民の運命があることを」
 ※「よど号」の柴田泰弘氏逮捕報道で。
『マスコミ市民』242号062-070頁 1988/11/01
 若林盛亮・1996「ニセドル」
若林盛亮
「《投稿》「よど号?ニセドル?北朝鮮」の落とし穴」
『マスコミ市民』331号092-094頁 1996/06/01
・綿井健陽(わたい・たけはる/1971年大阪府生まれ)

 綿井健陽・2003「バグダッド」

綿井健陽(1998年からアジアプレス・インターナショナルに所属)
「〔インタビュー記事〕戦火のバグダッドを取材して」
 ※聞き手:鈴木理栄(業界紙記者)、岩崎貞明(本誌編集部)。
『放送レポート』183号012-016頁 2003/07/01
 綿井健陽・2004「自衛隊」
綿井健陽(アジアプレス・インターナショナル所属。JVJA会員。)
わたい・たけはる 「現場から/【陸上自衛隊提供】」
 ※2004年7月上旬にサマワを取材して。「だが今のサマワには、民放テレビ局と契約する番組制作会社のスタッフ2人が常駐するだけで、ほかの社は、イラク人の助手・通訳を通信員として置いているだけだ。」(022頁)
『DAYS JAPAN(デイズ・ジャパン)』2004年9月号022頁 2004/08/20
 渡辺修・2002「ビデオ採用」
渡辺 修(わたなべ・おさむ/神戸学院大学教授。刑事訴訟法)
「私の視点/ビデオ採用/裁判の公正さ損なう恐れ」
 ※「毒入りカレー事件を審理する和歌山地裁は3月末、被告の姿を報道した民放のテレビ番組の録画ビデオを証拠に採用した。」
『朝日新聞』朝刊 2002/04/02
 渡部潤一・2003「白装束」
渡部潤一(国立天文台助教授)
「ゼロサン時評/再生産される「白装束」」
 ※「もともとノストラダムスなどの破滅思想や、アポロは月に行っていないなどというエセ科学商法の手助けは、マスコミが担ってきた。」
『朝日新聞』朝刊 2003/05/22
 渡邊眞次・1997「人権救済」 ・渡辺武達(わたなべ・たけさと)

 渡辺武達・1993「やらせ」

渡辺武達(わたなべ・たけさと/同志社大学教授)
「不思議の国NHK(1)/PART1 「やらせ」を招くジャーナリズムの構造」
 ※1992年NHKテレビ放映の「ムスタン」報道について。
『マスコミ市民』294号016-026頁 1993/05/01
 渡辺武達・1993「積極的公正」
渡辺武達(同志社大学教授)
 「(特集:テレ朝 前報道局長発言問題)報道における「積極的公正・中立主義」の提唱」
『マスコミ市民』301号014-017頁 1993/12/01
 渡辺武達・1994「公正中立・01」
渡辺武達(同志社大学教授)
 「公正・中立論の発展のために その一,議論の前提」
 ※テレビ朝日・椿発言問題を経て。
『マスコミ市民』306号010-015頁 1994/05/01
 渡辺武達・1994「公正中立・02」
渡辺武達(同志社大学教授)
 「公正・中立論の発展のために その二,議論の歴史的教訓」
『マスコミ市民』307号042-047頁 1994/06/01
 渡辺武達・1994「公正中立・03」
渡辺武達(同志社大学教授)
「公正・中立論の発展のために その三、「公正・中立」策定の方向性」
『マスコミ市民』308号064-069頁 1994/07/01
 渡辺武達・1994「公正中立・04」
渡辺武達(同志社大学教授)
 「公正・中立論の発展のために その四、メディア・ホークスの防止」
『マスコミ市民』310号056-061頁 1994/09/01
 渡辺武達・1994「公正中立・05」
渡辺武達(同志社大学教授)
「公正・中立論の発展のために 最終回 『積極的公正中立主義』の基準」
『マスコミ市民』311号054-059頁 1994/10/01
 渡辺武達・1995「サブリミナル」
渡辺武達(同志社大学教授)
「市民のためのメディア・リテラシー/サブリミナル使用とメディアの責任」
『マスコミ市民』322号062-065頁 1995/09/01
 渡辺武達・1996「検閲実態」
渡辺武達(同志社大学教授)
 「市民のためのメディア・リテラシー/強のメディアとその検閲実態」
『マスコミ市民』326号096-099頁 1996/01/01
 渡辺武達・1996「緊急提言」
渡辺武達( わたなべ・たけさと/21世紀の情報通信を考える円卓会議・座長)
「日本の最適情報ネットワーク確立のための緊急提言」
『マスコミ市民』327号056-061頁 1996/02/01
 渡辺武達・1996「メディア検閲」
渡辺武達(同志社大学教授)
「ニュースにならなかったニュース:アメリカのメディア検閲とその調査活動の実態」
『放送レポート』139号028-032頁 1996/03/01
 渡辺武達・1996「JARO」
渡辺武達(同志社大学教授)
「市民のためのメディア・リテラシー/「日本広告審査機構」と企業ロジックス」
『マスコミ市民』328号058-061頁 1996/03/01
  渡辺武達・1996「TBS問題」
渡辺武達(同志社大学教授)
 「市民のためのメディア・リテラシー/TBS問題論議の「諸問題」」
『マスコミ市民』330号088-091頁 1996/05/01
 渡辺武達・1996「中立主義・01」
渡辺武達(同志社大学教授)
「市民のためのメディア・リテラシー/「積極的公正中立主義」とその取材法」
『マスコミ市民』332号052-055頁 1996/07/01
 渡辺武達・1996「中立主義・02」
渡辺武達(同志社大学教授)
「市民のためのメディア・リテラシー/「積極的公正中立主義」とその取材法 (二)」
『マスコミ市民』333号054-057頁 1996/08/01
 渡辺武達・1997「御用文化人・01」
渡辺武達(同志社大学教授)
「市民のためのメディア・リテラシー/公害的「ゴーマニスト」小林よしのり氏と御用文化人たち(その一)」
『マスコミ市民』338号099-102頁 1997/01/01
 渡辺武達・1997「御用文化人・02」
渡辺武達(同志社大学教授)
「市民のためのメディア・リテラシー/公害的「ゴーマニスト」小林よしのり氏と御用文化人たち(その二)」
『マスコミ市民』339号099-104頁 1997/02/01
 渡辺武達・1997「UNO!」
渡辺武達(同志社大学教授)
「市民のためのメディア・リテラシー/朝日の『UNO!』発行は報道機関からの逃避か?」
『マスコミ市民』340号060-065頁 1997/03/01
 渡辺武達・1997「公正中立主義」
渡辺武達(同志社大学文学部教授)
「(メディア・コンテンツの課題)報道における「積極的公正中立主義」」
『ジュリスト増刊/メディア』263-266頁  1997/06/25
 渡辺武達・1998「編集権」
渡辺武達(同志社大学教授)
「市民のためのメディア・リテラシー/「編集権」は市民の「知る権利」に帰属する」
『マスコミ市民』356号060-067頁 1998/08/15
 渡辺武達・1998「性表現・1」
渡辺武達(同志社大学教授)
「市民のためのメディア・リテラシー/メディアにおける娯楽と性表現 (1)」
『マスコミ市民』359号054-062頁 1998/11/15
 渡辺武達・1998「性表現・2」
渡辺武達(同志社大学教授)
「市民のためのメディア・リテラシー/メディアにおける娯楽と性表現 (2)」
 ※「性表現の原則」の提案。
『マスコミ市民』360号052-059頁 1998/12/15
 渡辺武達・2003「劣情に」
渡辺武達(同志社大学教授。1944年愛知県生まれ)《顔Ph有》
「〔インタビュー記事〕劣情に訴える商売はジャーナリズムとはいえない」
第三文明・2003『週刊誌』 【報道】060頁 2003/
 渡邉正裕・2001「記者の言論」
渡邉正裕(わたなべ・まさひろ/経済新聞記者を経て、外資系経営コンサルティング会社勤務)
「記者の言論・良心の自由を封じる『日経』を訴える」
 ※2001年3月に東京地裁に提訴。
『週刊金曜日』9巻32号(通巻384号)055-057頁 2001/08/31
 渡辺優子・1997「医療とメディア」
渡辺優子(フリーライター)
「しっかりしてよ! 医療とメディア」
 ※子宮筋腫と内膜症の自助グループ「たんぽぽ」を結成して。
『マスコミ市民』339号010-016頁 1997/02/01
 和田勉・2001「スキャンダル?」
和田 勉(演出家)
「けやき並木/スキャンダル?」
 ※「ボクがセクハラをしたというんですね(週刊「J自身」による)。」
『河北新報』朝刊 2001/11/13

資 料 館 の 目 次
研究・教育関係 行政関係 ビジネス関係 報道関係 医療関係
世相資料書籍論文・記事 世相資料書籍論文・記事 世相資料書籍論文・記事 世相資料書籍論文・記事 世相資料書籍論文・記事
松本サイト全体の地図/御意見・御感想は→松本の掲示板(利用規定)または松本宛メールにて
松本サイトのトップページ資料館 > 本ページのURL:http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~matumoto/ethics/houdou-kiji.htm